54 『旅の終着点』
洞窟をくぐりヘリアンサス王国の領内に入った馬車は、トリオンの街を経由して一路西に進んでいった。
啓太達は、初めてナジャ法国に向かった時と同じように、トリオンから森の中の街道を進んでいく。
あの時の乗合馬車と比べれば、今の馬車の乗り心地は天と地ほども異なっていた。
日が傾き始めた頃、街道の両側に迫っていた森が唐突に途切れ、目の前には広大な草原と、たっぷりと水を蓄えた大きな湖が飛び込んできた。
忘れもしない、あの湖だ。
窓の外の景色を見ていたティアが、すぅっと目を細めた。
「……懐かしいわね」
「ああ、そうだな」
初めてこの湖を訪れた時は、まだ何の手がかりも無いまま、闇雲にナジャ法国に侵入しようとしていた。
あの時イーラの隠密部隊に襲われたことによって、結果的にはエレナやアダムと近づくきっかけができたと考えると、人生何があるか分からないものだ。
ティアと啓太は湖のほとりで野営を張り、一夜を明かした。
そして翌日、湖を発った馬車は一路西へと再び進む。
出発した日と同じ、地平線の彼方まで広がる田園地帯を見ながら、啓太とティアは不思議とお互いに無言のままだった。
ティアが静かなのは、アルコでエレナから十人の男の話を聞いたからだろう。
異世界から初めてこの地を踏んだ十人。
その末路を知って、ティア自信思うところがあるのかもしれない。
ちらり、と目をティアに向けると、ティアは一心不乱に窓の外を見ていた。
だが、おそらく先ほどまでその眼が啓太の横顔を捉えていたであろう気配は残っている。
「ティア――いや、なんでもない」
言いかけて、啓太は言葉を切った。
(俺は今、ティアになんて声を掛けたいんだろう)
微妙な空気の啓太達を乗せたまま、馬車は街道をすべるように進んでいった。
昼過ぎに、啓太達は無事ヘリアンサス王国の首都ローサにたどり着いた。
王城をくぐった啓太達はそのまま王宮に向かう。
「ケータさん、ティアさん! おかえりなさい!」
「無事でなにより」
王宮の談話室に足を踏み入れた啓太とティアは、仲間達からの温かい歓待を受けた。
「シルヴィ、ニーナ。ただいま」
二人にそう声を掛けながら、啓太の視線はシルヴィ達から、その向こうにいる少女に移動する。
「クロエも、ただいま」
「……ケータさん」
ケータの言葉に、少しうつむいていたクロエが顔を上げた。
その眼には、涙があふれている。
「ほ、本当にありがとうございました。ぐすっ、私のために、ひっく」
「クロエの両親が、ナジャ法国の中で無事に発見されたって連絡が昨日来たんです」
クロエの頭をぽんぽんと叩きながら、シルヴィがそう言ってにっこりと笑った。
「そうか。良かったな、クロエ」
「はいっ!」
クロエの顔にぱぁっと笑顔の花が咲いた。
現在ナジャ法国内では、シモンの一味によって奴隷化された他国の民の大捜索が行われている。
どうやら、連れ去られたミアレ村の住民も無事に解放されたようだった。
これで、啓太達は無事に旅の目的を果たせたことになる。
(遠回りしたのかはよく分からないが、ずいぶんと長い道のりだったな)
クロエの両親を探すところから始まり、最後は一国家の国体を塗り替えるような大ごとに発展するとは、いくら啓太でも予想できるものじゃない。
それでも今のクロエの笑顔を見れば、啓太達の旅は成功したといっていいだろう。
「それじゃあクロエ、これでまた両親と一緒に暮らせるのね!」
クロエの喜びようを見て、ティアの顔もほころんでいた。
クロエの両親が帰ってきた以上、彼女にはもう帰る場所ができたのだ。少し寂しいが、啓太達と一緒に屋敷で暮らす必要はない。
「はい! でも、暫く両親と一緒に過ごしたら、また屋敷に戻ろうと思うんです」
「どうして?」
クロエは片目をつぶり、とびっきりいたずらっぽいほほえみを見せてこう言った。
「私は、
***
夜――
啓太は一人、王宮のバルコニーに出て夜風に当たっていた。
既に大部分の光が消えたローサの街の上には、宝石箱をひっくり返したような満点の星空が広がっている。
背後からわずかに漏れ聞こえる賑やかな音は、一連の事件解決と、ヘリアンサス王国とシレーネ帝国、それにナジャ法国も加わった三国貿易協定の締結を祝うパーティの声。
啓太が今立っているバルコニーは、その喧騒と離れた嘘のような静けさに包まれていた。
「メルキオールと最後に話した日も、こんな星空だったかな」
なんとなく、そう呟いてみる。
シレーネ帝国に『賢者ゲーベル』として召喚されていた彼と、最後に腹を割って話した日のことだ。
目を閉じれば、メルキオールの最後の言葉が脳裏に浮かぶ。
「『俺がこの世界にしてやれることは、やりつくしたと思う。後は、戻って元の世界に貢献しないとな』、だったかな」
そう言った時のメルキオールが見せた、どこかすっきりとした表情がどうしても忘れられなかった。
「結局、俺たちは何処まで行ってもこの世界だとよそ者なのかもしれないな」
夜空に吸い込まれた啓太の言葉に、応えてくれる人はいない。
ナジャ法国にやってきた最初の十人。彼らも結局は、見知らぬ世界で孤独だったのだ。
法国の端々に残るかつての地球の文化から来たと思われるような施設は、最後に残された初代国王が自らの寂しさを紛らわせるように立てた気もする。
「賢者を召喚する魔法を開発したのも彼らなんだろうな。残念ながら、誰を呼べるかはランダムみたいだが」
ティアに間違って召喚された時のことを思い出しながら、啓太は苦笑いした。
結局、人間にはどこまで言っても自分の根っこ――故郷があるということだ。
異世界でいくら成功しようとも、どうしても故郷への未練は残るのだ。
(俺は、本当のところどう思っているんだろうか)
確かに、この世界でティア達と過ごす日々は楽しい。
元の世界に比べてもずっと自分が生き生きとしている自覚があった。
だからこそ、一度はこの世界に骨を埋める覚悟を決めたのだ。
「でもなぁ……」
短距離走のように駆け抜けた日々が落ち着いたとき、啓太の心にぽっかりと浮かんだのはつかみどころのない寂寥感だった。
仕事に日々追われていたとはいえ向こうに残してきた家族や友人がいないわけではない。
今生の別れをするには、覚悟が無かった。
「ティアには、そこのところが見抜かれていたのかもな――」
「誰が、何を見抜いていたって?」
「ティア!?」
不意に背後から聞こえた声に慌てて振り返ると、そこには夜風に髪の毛をたなびかせたティアが立っていた。
闇の中、雲越しにこぼれる月明かりがティアの金髪をぼんやりと照らす。
その表情は、読み取れない。
「いつの間にかケータがいなくなっていたから、探しに来たわよ」
「……どこから聞いていたんだ?」
ティアはその質問には答えずに、ぎこちなく微笑むと手を差し出してきた。
開いた掌の上には、小さなペンダントが乗せられている。
「これは?」
「今回の活躍の褒美として、エレナから預かっていたの」
そう言って、ティアはペンダントの革ひもを啓太の首に巻き付けた。
啓太を懐かしい気持ちにさせるような甘い匂いが、ふんわりと鼻孔をくすぐる。
小さな青い石がはまったペンダントは、首に巻かれると不思議なくらいずっしりとした重みを感じさせた。
「エレナから預かっていたってことは、アルコを出発するときには持ってたってことか?」
「そうよ」
「どうしてわざわざここまで持っていたんだ?」
ティアはこの質問にも小さく首を振るだけで応えてくれない。
エレナからの褒美なら別にさっさとくれてもよいものを、わざわざティアが持ち続けていたのが奇妙に感じられた。
「そのペンダントはね、法国に伝わる宝の一つなの」
「宝?」
「初代国王が最期に残したものらしいわ」
「あの十人の男の一人が、か!? 俺が持っていて大丈夫なものか」
法国の伝説に残る地球から来た男たちが残した秘宝ということになると、『英知の書』や啓太の剣のように何か秘密があるかもしれない。
「大丈夫よ。というより、ケータこそがそのペンダントの持ち主にふさわしいと思うわ」
「ふさわしい?」
ティアは一体何を言おうとしているのだろう。
啓太が持ち主としてふさわしいのなら、なおのことここまで渡し渋ることも――
「――ティア、まさか」
「……ええ」
消え入りそうな、肯定だった。
その言葉を合図に、月を覆い隠していた雲が晴れる。
何倍にもなった月明かりは啓太を見上げるティアの顔を、そしてその頬を伝う一筋の涙を照らし出した。
「そのペンダントはね、異世界との行き来を可能にするものなの」
そう言いながら、ティアは目尻に浮かんだ涙をぬぐった。
「ケータ、本当は故郷に帰りたいんでしょ?」
「俺は――」
言葉の続きは、出てこなかった。
ここで、ずっとこの国にいるつもりだと即答出来たらどれだけよかったか。
だが、今の啓太は沈黙するしかなかった。
「そうよね」
沈黙する啓太に、ティアが優しく微笑む。
それだけで、啓太の心に浮かぶ複雑な思いをティアがくみ取ってくれたことがわかった。
「私も、ケータの答えがわかっていた気がするの。だからこそ、そのペンダントを渡すのをためらっていたのよ」
微笑んだままのティアの眼から、ぬぐい切れないほどの大粒の涙がこぼれはじめた。
「ほ、本当は、ひっぐ、ずっとケータと一緒にいたいけど、うっぐ、私も、ケータには幸せになって欲しいから」
「ティア」
「だから、ひっく、ケータは自分の故郷に帰るべきだと思うわ」
「ティア!」
啓太の叫びに小さく首を横に不利ながら、ティアは一歩、また一歩と啓太の方に近づいてきた。
いつの間にか、涙にぬれたティアの顔がすぐ目の前にある。
「ケータ、今までありがとう」
そう言って、ティアは啓太に飛び込んできた。
少し遅れて、抱き着かれたんだと気が付く啓太。
ティアの華奢な腕は、しっかりと啓太の首に巻き付かれていた。
「この国を、私達を救ってくれてありがとう」
啓太の首からティアの腕がほどかれるのと、唇に柔らかいものが触れるのは同時だった。
「大好きよ、啓太」
そうして、柔らかい感触とわずかな塩味を残して、ティア・ローズ・クラリス・シャリエールは一ノ瀬啓太の視界から消えた。
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