52 『彼らの物語』

 「そこまでだよ、イーラ」


 顔を伏せた啓太の背後から、凛とした声が聞こえてきた。

 それはまるで絶望の暗闇にどんよりと沈んだ空気を、爽やかな風が勢いよく吹き飛ばすような。


 聞いたことのある声だった。

 だが、啓太の記憶が正しければ、はこんな風にはっきりと言葉を発したことはない。

 

 「っく……、お前は!」


 イーラが、苦々しく吐き捨てた。

 握ったナイフは、まさにティアの首筋に触れる手前で時が止まったかのように静止している。

 小刻みに震えるその手が、怒りに歪んだ顔が、先ほどティアを助けようとした啓太達に重なった。


 「あなた達は、もう動けるよ」


 再びの、声。

 その声を聴いた途端に、啓太の全身を頭のてっぺんからつま先まで温かいものが駆け抜けるような感覚があった。


 「うぉ! っとっと」


 唐突に、全身を締め付けていた力が抜け、啓太は思わずつんのめる。

 同じく動けるようになったティアは、ササッとイーラから距離を取った。


 「皆、大丈夫だった?」


 ようやく動かせるようになった首をゆっくりと部屋の入口に回すと、そこには想像していた通りの二人組が立っていた。


 「エレナ! アダム!」


 逆光の中、久しぶりに会うエレナとアダムがにっこりと笑って立っていた。


 「皆さん、お久しぶりです」


 仰々しく一礼をするアダムは、今日は立派な全身鎧を着こみ、騎士然としたオーラを放っていた。

 恐らく、これが彼の本来の姿なのだろう。


 「間に合って本当に良かった。ティア、怪我はない?」


 柔和なほほえみを浮かべるエレナは、服装こそレジスタンスのアジトで見かけた時と変わらないが、佇まいはまるで別人だった。

 かつての何かにおびえたような様子は消え去り、顔には確かな自信をのぞかせながらまっすぐ立っている。

 それはまるで、自分がこの部屋の主人だと主張しているようでもあった。


 (やっぱり、そうなんだろうな。うすうすは気が付いていたが……)


 エレナの佇まい、これまで聞いてきた断片的な情報、そして何よりも今彼女が示した力が証明している。


 そう、エレナこそがナジャ法国の正統な後継者、逃げ出した王女その人だったのだ。


 

 「エレナ、怖かったわ! 助けてくれてありがとう!」


 ティアが元気よくエレナに抱き着いた。


 (おいおい、一国の王女様相手にそんな無礼な――)


 と、一瞬たしなめようとして、そう言えばティアも一国の王女であることを思い出した。

 長いこと一緒に旅をし続けてきたためか、すっかり忘れていた。


 「ティア、遅れてごめんね」

 「ううん、ちゃんと間に合ったじゃない」


 イチャイチャし始める二人からアダムに目線を移すと、目が合った。

 そのままお互いに肩をすくめる。


 なるほど、同じ苦労をしているわけだ。


 「ティア、再会を喜ぶのは良いが一応イーラとシモンとはちゃんと決着つけといた方がいいんじゃないか?」


 イーラの顔は、今や怒りで真っ赤に染まっていた。


 「……それもそうね」


 ティアはぽんと手を打つと、片手をイーラに、もう片方の手をシモンに向けた。


 「お前たち、これで勝ったと思うなよ!」

 「イーラ様万歳!」


 ティアはそんな小物っぽい捨て台詞を吐く二人に苦笑いすると、はっきりと詠唱した。


 「『アウラ』!」


***


 「さて、どこから話しましょうか」


 気絶したイーラとシモンをかたく縛り上げた後、啓太達は城内の談話室に移動した。

 ソファや椅子などに各々座った後、アダムが口を開く。


 「まずは、改めて自己紹介からしましょうか」


 そう言ってアダムは仰々しく立ち上がった。


 「私はアダム。本来の立場は、ナジャ法国騎士団長です」

 

 アダムは優雅に一礼した。

 その所作は洗練されており、アダムが高い立場にいた人間である事を示す。

 たっぷりと全員の反応を確かめた後、アダムは隣のエレナを指した。


 「エレナ様、お願いします」

 「うん、わかった」


 こくり、と頷くとエレナはいそいそと座席から立ち上がった。


 「皆もう気付いてると思うけど、あらためて。私は法国の第一王女です」


 やはり、そうだったか。

 予感が確信に変わり、啓太達は皆頷いて――


 「えー!!! そうだったの!?」


 なぜかただ一人、ティアが驚きの声を上げた。

 勢い余って椅子から立ち上がり、目をまんまるにしている。


 ……まじか。

 

 ちなみに、ガブリエラとカルラは小さく頷く程度にとどまっている。


 「ケータは気付いていたの!?」

 「もちろん。だって謁見室でイーラの命令を上書きしてたじゃないか」

 「……そうだっけ?」


 こいつは……。

 ティアの中で先ほどの最終決戦はどういう結末になっているというのか。


 気を取り直して。


 「さて――」


 ティアが再び椅子に腰かけるのを待ってから、アダムが続けた。


 「積もる話もあるでしょうが、まずは今回の一連の出来事の原因をお話させてください。ここまで協力してくれたあなた方には、知っておいて欲しいのです」


 そう。原因だ。

 確かにイーラとシモンは倒したし、おそらくこれでエレナが王位に着けばすべてが丸く収まるだろう。

 だがしかし、まだ残された謎がいくつもある。それは、ここで聞いておくべきだろう。

 啓太は椅子に深く腰掛けなおすと、アダムの言葉に耳を傾けた。


 「今回の出来事のきっかけは、遠い遠い昔――今では伝説の中で語られる、ナジャ法国建国の歴史にあります」


***

 

 今から四百年前、まだこの大陸に大国が存在しなかった時代のとある冬の日。

 現在のナジャ法国とヘリアンサス王国の間に聳える山脈に、十人の男たちが現れた。


 極寒の山脈で何とか身を寄せ合い冬を越した彼らは、春になると東の森林――現在のマルゴー大森林に降り立った。


 「現在ナジャ法国があるこの地は、かつて全てが深い森におおわれていました。住民は散り散りになって小さな村に身を寄せ合い、辛うじて上をしのぐような生活をしていたそうです」


 しん、と静まり返った部屋にアダムの声が響く。


 「当時の森は魔物の巣窟でした。知恵と力の無い先住民たちは、強力な魔物におびえながら生きていました」


 しかし、彼らは違っていた。

 十人の男たちはある男は学者を、またある男は軍人を生業とするなどめいめい手に職をつけていた。

 彼らには、鉄の武器が、敵を欺く知恵が、そして敵と戦う勇気があったのだ。


 「十人の男たちは、徐々に森を開拓していきました。魔物を倒し、道を切り開き、見つけた村々をまとめ上げていきます。いつの間に村は街に、街は国へと成長していきました」


 そうして、十人の男たちは魔物を追い払いナジャ法国を建国したのだ。


 「……この国がそんな昔からあったなんて知らなかったわ」

 「ヴァーヴロヴァー候、あなたは知らなくて当然です。この伝説は、王家と信頼のおける腹心の間でのみ語り継がれてきたのです」


 アダムの説明に、ガブリエラが首を傾げる。


 「建国の歴史よ? どうして秘密にするの?」

 

 アダムは、悲しそうな表情で首を横に振った。


 「その理由は、ここから先の話を聞けばわかります。ここから先は、争いと裏切り、魔法と血の物語です」



 国を作り上げた男たちは、その後しばらくは協力しあって平和にナジャ法国を統治していた。

 彼らは元々の世界で合議制を採用していたのもあり、当時のナジャ法国ではあらゆる政策が十人の男の多数決で決まっていた。

 統治は上手く行った。


 お互いの持てる力を結集し、多数決により国の方針を正しく策定する。

 当時はまだ首都ある事その周辺だけだったナジャ法国の人口は増え、人々は豊かになった。


 しかし、転機は突然訪れる。


 「ある時を境に、十人の友情は壊れます」


 アダムの言葉には、重々しさが含まれる。


 「そのきっかけが、魔法の発見です」


 

 十人の男が元々住んでいた世界には、魔法という概念は無かった。

 超常現象のようなものに対する畏怖こそあれど、実際に魔法を行使する人間は何処にもいなかったのだ。


 しかし、魔物を倒していくうちに、ある時突然男たちは魔法の使い方を理解した。

 元々冒険心の強い男たちのこと、初めて触れる魔法をどん欲に吸収していった。


 風を操り、火を噴き、雷を落とす。

 魔法の習得により、男たちの力は飛躍的に伸びていった。


 それにより、ナジャ法国はより強国になると、誰もがそう思っていたのだ。


 「しかし、強力な武器になるはずの魔法が、彼らにとっては諍いの材料だったのです」

 「……そういうことか」


 十人の男たちが上手くやれていたのは、一つは同郷の者であるという安心感があるあろう。

 しかしそれ以上に、お互いが着の身着のままでこの世界に飛ばされ、生存のために協力し合わなくてはならないことが大きかった。


 すなわち、魔法を身に着けた男たちはもはやお互いに協力しあう必要が無いのだ。

 自分一人でも生きていけるのなら、仲間との関係が壊れてでも主張を押し通せばよい。

 そのためには、自分だけが使えるより強力な魔法を習得しなければならない。


 当然。そんなことをしていれば国の統治もおろそかになる。

 

 結果、国は荒れ果てた。


 「彼らは、もはや国なんて見ていなかったのです。口喧嘩は殴り合いに、殴り合いは次第に魔法による命の取り合いに発展しました。そして、一人、また一人と命を落としていきます」

 「そんな……」


 ティアがショックを受けたような声を出した。


 「そうして十人いた仲間が六人まで減った時、東から異民族が襲撃してきました」


 山を越え、川を渡って侵略してきた異民族は魔法こそ使えないものの、騎馬を主体とした軍は協力だった。

 ここにきてようやく、男たちはたった六人では国を守れないことに気付く。


 「いくら魔法が使えても、遠くから弓矢で射貫かれれば死にます。内政をおろそかにしたツケで、当時のナジャには軍隊すらありません。結果は明白でした」


 東から攻め込んだ異民族軍は、ナジャ王国の土地を次々に蹂躙していった。

 森が焼かれ、村々が滅ぼされていく。


 攻め込まれてからわずか一月後には、とうとう首都アルコから敵軍の姿が見えるまでになっていた。


 「このままでは滅ぼされてしまう。そう思った彼らは、とうとう最終手段に出るのです」

 「最終手段?」


 啓太の質問に、アダムの眼が揺れた。


 「彼らが見つけた最強にして最悪の魔法――それは、人間を生贄にその知識や力を道具や武器に変える禁術です」



 部屋中の視線が机の上に置かれた本に、それから啓太の腰に差さった剣に注がれた。

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