43 『備えあれば憂いなし』

 その日、レンナルト・クリストファー・ノルドヴァル伯爵は、朝から調子が悪かった。


 普段規則正しい彼が太陽が東の空より上るずっと前に目を覚ましてしまい、朝食のパンを二回も落とすという貴族にあるまじき振る舞いをしてしまった。

 さらに朝食を取り終わると、日課の乗馬もせずにひたすら自室の中をぐるぐると歩き回る。

 その奇行を見て、屋敷の使用人や奴隷たちがうわさ話に花を咲かせたのは言うまでもないだろう。


 (くそっ、こんな時こそどっしり構えていないといけないのに)


 貴族たるもの、いついかなる時も泰然とした態度を崩すべきではない。

 幼いころから何度も言いつけられてきたことだが、今日ばかりは慌てても仕方がないだろう。


 事の発端は昨晩。

 夜がすっかりふけた頃、ノルドヴァル伯爵邸の門がノックされた。


 「失礼します、ノルドヴァル伯爵殿! ヴァーヴロヴァー侯爵殿からの、文を届けに参りました!」


 来訪者の声があまりにも大きかったため、対応させた執事があけ放った扉の隙間から、レンナルトの耳にも届いた。


 (ヴァーヴロヴァー侯爵? なぜだ?)


 ヴァーヴロヴァー侯爵家は、ナジャ法国で最も家格の高い貴族の一つである。

 クーデター以前は代々王家の側近として使え、数ある貴族家の中でも頭一つ抜けた存在であった。

 レンナルトとて伯爵の地位を押し頂いている身だが、ヴァーヴロヴァー侯爵家とは身分に大きな隔たりがある。

 その侯爵様が、わざわざ文をよこしたというのだ。


 「レンナルト様、こちらを」


 ややあって、白髪をたくわえた執事が来訪者から受け取った文を手渡してきた。


 「ありがとう」


 手を挙げて軽く礼をすると、レンナルトは丸められた文を広げた。


 「えーっと……」


 

 ――レンナルト・クリストファー・ノルドヴァル伯爵


 突然のお手紙、失礼いたします。

 緊急でお話させていただきたいことがございまして、ご連絡差し上げました。

 

 明日、ノルドヴァル伯爵邸に伺わせていただきますので、よろしくお願いいたします。


 ガブリエラ・ヴァーヴロヴァーーー


 (一体どういうことだ? なぜヴァーヴロヴァー侯爵が俺のところにわざわざ来るんだ?)


 手紙には、特に何も理由が書かれていなかったため、その真意ははかりかねる。

 とはいえ、本来用事があればレンナルトを呼び出せばいい立場のヴァーヴロヴァー侯爵が、わざわざ訪ねて来るのだ。

 あまりいい予感はしない。


 (ヴァーヴロヴァー侯爵は、代替わりしてからイーラと懇ろになっているという噂を聞く。もしかしたら、俺の忠誠心を試しに来たのかもしれないな)


 風の噂だが、最近ヴァーヴロヴァー侯爵はクーデターを起こした宰相イーラから反対勢力の粛清を命じられたと聞く。

 訪問は、その一環なのかもしれない。

 そしてその意味では、レンナルトほど叩けば埃がでる人物はいないのであった。


 「ああ……、どうしよう。絶対粛清されるよ……」


 そんな理由で、レンナルトは先ほどからぶつぶつとつぶやきながら邸内をうろうろしていたのだった。


 ナジャ法国内には、元国王を暗殺した宰相イーラを快く思っていない貴族が数多くいた。

 貴族の、そして王の地位は絶対的でなければならない。

 それが力によって奪われるようなことがあっては、貴族たちは気が休まらない。


 とはいえ、クーデターの初期に表立って反対した大貴族たちが潰されるのを見て、中堅貴族たちは表立って逆らうことをやめた。賢く生きることにしたのだ。

 しかしそれでも不満はたまる。

 そんな貴族たちはこっそり集まって、国の在り方への不満を吐き出す茶会を開いていた。

 

 レンナルトも、その茶会メンバーの一人だった。


 (くそっ、どこから情報が漏れたんだ?)


 茶会メンバーの顔を思い出してみるが、残念ながら皆お世辞にも口が固そうな人物ではなかった。


 (あれがバレたんだとしたらお家は取り潰し、俺は処刑されるか幽閉されるか国外追放か……)


 悲惨な未来予想図に思わずレンナルトが頭を抱えた時――


 コンコン


 部屋の扉がノックされた。


 「ど、どうぞ」


 緊張で若干上滑りした声で入室を許可すると、扉が開け放たれた。


 「やあ、レンナルト。久しぶりね」

 「あ、ああ。ガブリエラ様。ようこそおいでくださいました」


 栗色の髪をなびかせて、ガブリエラ・ヴァーヴロヴァー侯爵が威風堂々と入室してきた。


 「どうぞ、おかけください」

 「失礼するわ」


 お互いが椅子に腰かけると、ガブリエラが早速口を開いた。


 「私がどうしてここに来たのか、わかるかしら?」

 

 いきなり本題に切り込まれた。

 ヴァーヴロヴァー侯爵の紅い眼が、スゥっと細くなる。


 「さ、さあ。残念ながら私には想像もつきません」

 「そう」


 レンナルトの返答には顔色一つ変えず、ガブリエラは言葉を続けた。


 「手紙にも書かせてもらったけど、緊急の用事なのよ。余計な腹の探り合いはやめて、肝心なところを話しましょう」


 そう言うと、ガブリエラはぐいっと身を乗り出してきた。


 「あなた、とあるお茶会に参加してるわね?」

 「えっ」


 レンナルトは固まった。水を打ったような静けさの中、早鐘を打つ心臓の鼓動だけがはっきりと耳に届く。


 (やばい、完全にバレていた。これはもう、年貢の納め時だな)


 「私はね、実は今そのお茶会メンバーを尋ねているのよ。なぜだかわかるかしら?」

 

 ガブリエラの紅い眼が、怪しい光を増した。

 なるほど、例のお茶会メンバーのリストが流出したのか。それでレンナルトのところに来たと。


 (この調子だと、もうこの屋敷は囲まれてるのかもしれないな……)


 「さ、さあ?」


 とりあえず、一縷の望みにかけて誤魔化してみるも、


 「あなた、今の政権に不満持ってるでしょ」


 レンナルトの願いは無残にも打ち砕かれた。

 ここまでバレてしまっては、もはや隠していたほうが不利になるというものだ。


 「ああ、持ってますよ」

 「あっさり認めるのね」

 「どうせガブリエラ様は全てご存知なんでしょう? 隠していても仕方ありませんよ」


 さあ、煮るなり焼くなり好きにしろ!

 半ばやけくそになりながらそう言い放つと、意外にもガブリエラは優しく微笑んだ。


 「やっぱりね。それなら、是非協力をお願いしたいことがあるのよ」

 「……なんでしょう?」


 どうやら、今すぐ連行されて処刑される未来は回避できたようである。

 ひとまず安堵したレンナルトの耳に続いて飛び込んできた言葉は、さらに衝撃的なものだった。


 「ねえ、一緒にイーラを倒さない?」


***

 

 「――というわけです」


 ティアとの再開の喜びがひと段落したのを見て、啓太達はヘリオスにこれまでの出来事を話して聞かせた。


 「なるほどな。そういうことだったのか」


 啓太達の話を聞き終えたヘリオスは、そう言って大きく頷いた。

 てっきりティアをかってにつれ出したことに何か言われるのかと思っていたが、想像以上に王の心は広いらしい。

 代わりにヘリオスの口から出たのは、謝罪の言葉だった。


 「すまなかったな」

 「……どういうことでしょう?」


 啓太が聞き返すと、ヘリオスは目線をクロエにやった。


 「クロエ殿の村の件は、国が全力でサポートすると約束をしていた。それを任せてしまう形になったからな」

 「そ、そんなことありません! 陛下はきちんとサポートしてくださりました。現に、手掛かりがナジャ法国にある事を突き止められたのも陛下とギュスターブさんのおかげです!」


 とんでもない、とクロエは手を振った。


 「陛下、それにナジャ法国はヘリアンサス王国と国交がありません。いずれにしろ、今回のようにこっそり忍び込むしかなかったですから」

 「シルヴィの言う通りよ! 父上が気にすることはないわ!」


 便乗したティアに、ヘリオスの眼が少し細くなった。


 (うん、ティアが勝手について行ったのはやはり快くは思ってないな)


 そりゃそうだ。


 「陛下」


 啓太は跪いたまま、顔を上げてまっすぐヘリオスの眼を見た。


 「クロエとシルヴィの言っていいる通り、陛下はこれまでも本件について十分尽力されました。我々は心の底から感謝しております」

 「そうか、それならいいのだが」

 「その上でさらに、陛下がご協力していただけるのでしたら、一つお願いがございます」

 「願い? なんだ、行ってみろ」


 ヘリオスがまっすぐに啓太の顔を見つめた。

 ここからが重要である。

 今現在啓太達が考えている作戦には、必ずヘリオスの協力が必要だ。


 「捕らえられたミアレ村の人々を救い出すためには、奴隷商シモンを倒す必要があります」

 「人数が人数だからな。こっそり連れ帰るのは難しいだろう」

 「はい。しかし先ほども申し上げました通り、シモンはナジャ法国内ではクーデターを起こした宰相イーラと密接な関係にあります」


 ヘリオスの眼光が鋭くなった。


 「……何が言いたい?」

 「ミアレ村の人々を救うには、結局のところイーラを倒す必要があるのです」


 啓太が言葉を切ると、謁見室に沈黙が流れた。

 ヘリオスは腕組みをして考え込む。


 「私に、ナジャを攻めろと?」

 「いえ、直接攻撃してほしいわけではございません。本当に攻め込んでしまっては、後に禍根を残すことになりますから」

 「……本当に攻めないということは、攻めるふりをして欲しいということだな」

 「その通りです。演習と称して、国境線近くに一部の兵を移動してほしいのです。そうすれば、ヘリアンサスがナジャを攻めるという噂が立ちます」


 実際に攻めるわけではないので、本当に演習をすればよい。

 大事なのは、イーラの警戒を国の外に向けさせることなのだ。


 「先ほどお話した通り、我々は既にナジャ国内の主要戦力と接触済みです。実際の戦闘は彼らに任せることになります」

 「ううむ……。しかし、そんなことをしてはナジャ以外の国も警戒させるのではないか?」

 「それは大丈夫です」


 啓太はにやりと笑うと、懐から丸められた羊皮紙を取り出した。


 「帝国宰相プレディガーとは既に話がついております。帝国も足並みをそろえてナジャを攻めるふりをしてくれますよ」

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