31 『ティアを探して三千里』

 アダムに続いて歩くこと数十分。

 啓太達は、山肌にぽっかりと口を開けた洞窟の前までたどり着いた。


 「これは知らないと気づかないな」


 洞窟は細い谷の奥にあり、その前はうっそうと茂った木々に覆い隠されている。

 そもそも存在を知らないとたどり着けないようになっていた。


 「さあ、行きましょう」


 洞窟の入口を覆っていた蔦をどかしながら、アダムが啓太達を振り返った。

 

 洞窟にわずか数歩足を踏み入れただけで、視界は一寸先も見えないような漆黒に包まれた。

 ひんやりとしたかびくさい空気だけが、鼻孔をくすぐる。


 「……これじゃ暗くて何も見えないな」

 「私に任せて!」


 思わずぼやいてしまった啓太の横から、元気なティアの声が聞こえた。


 「『ライト』!」


 魔法の詠唱と共に、ティアの掌に形作られた淡い光が洞窟を照らし始める。


 「……すごいですね」


 それを見たアダムが驚嘆の声を上げた。


 「こんなに自在に魔法を操る人は、初めて見ました」

 

 褒められたティアは、どや顔で胸を張った。

 どうやら、法国基準でもティアの魔法は規格外のようだ。


 

 「この洞窟は私とエレナしか知らないんですよ。法国を脱出するときに偶然発見して」


 ティアの魔法によりぼんやりと照らされた洞窟を進みながら、アダムが口を開いた。


 「あの時はこんな便利な魔法なんて無くて、エレナと二人、壁伝いに何時間もかけて歩いたものです」

 「あれは大変だったね」


 先頭を元気よく進むティアと並んで歩いていたエレナが、振り返って小さく頷いた。

 二人は軽く言っているが、敵に追われながら真っ暗な中を進むのは、想像を絶するような体験だろう。


 「本当、今回はティアさんがいて助かりました」


 そう言ってアダムは微笑むと、鼻歌を歌いスキップしながら洞窟を進むティアの背中を見つめた。


 (さすがに、ティアが只者じゃないことには気づかれたようだな……)


 とはいえ、お互いにこれ以上詮索してもいいことは無い。

 そこから先は、全員無言のままひたすらに洞窟の中を進んでいった。


 歩き始めてから一時間程経っただろうか。

 遠くにぽつりと、小さな光の点が見えてきた。


 「あそこが、出口みたいですね!」


 啓太の少し前を歩いていたシルヴィが、振り返って嬉しそうに言った。

 啓太の鼻孔にも、風に乗った新鮮な外の空気がたどり着いた。


 洞窟の出口は、すぐそこだ。



 「ついに抜けたわね!」

 「ああ。思ったより早かったな」


 洞窟の外に出た瞬間の眩しさに目をしばたたかせながら、啓太が答えた。


 (すごい所に出たな)

 

 洞窟の出口は、山の中腹に開いていた。

 足元は緩やかな崖になっており、そのまま眼下に広がる森の中に吸い込まれている。


 「広い森ですね」

 

 啓太に続いて洞窟から出てきたクロエが、そう呟いた。


 「あれは法国最大の森、マルゴー大森林。すごく広いよ」


 ティアと一緒ん体を伸ばしていたエレナが、振り返ってクロエの質問に答えた。


 「エレナ、一番近い街までは歩いてどれくらいかかるの?」

 「うーん……。この方向に歩いて、三日くらい?」


 ティアの質問に、エレナは洞窟の真正面を指さして答えた。

 一難去って、また一難。ミアレ村の住人の行方を追うためには、街まで行って情報収集する必要がある。


 「今度は森越えですね。馬車があればよかったんですが」


 シルヴィがそう言って、肩をすくめた。

 これから徒歩で三日間歩き続けなくてはならないと考えると、少し憂鬱だ。


 「俺たちは、その街まで行こうと思っている。アダムとエレナはこれからどうするんだ?」

 

 国境を無事に超えた今、アダム達が啓太達に同行する理由は無くなった。

 行き先によっては、ここでお別れということもあるだろう。


 「自分たちは――」


 アダムが口を開いた瞬間。

 啓太の視界の端、洞窟の出口よりも上方に黒い人影が現れた。


 「伏せて!」


 同時に、ニーナが叫び声を上げる。


 ――ヒュン


 風切り音。遅れて、啓太の足元に矢が突き刺さった。

 同時に、山の上から何人もの法国隠密部隊が駆け下りて来る。


 「ティア!」

 「わかってるわ! 『アウラ』!」


 啓太の呼びかけと同時に、ティアが魔法を放つ。

 ティアの生成した暴風によって、隠密部隊の一部が吹き飛んだ。

 しかし開けた湖のほとりとは異なり、ここでは山肌に生えた木々が邪魔をして、ほとんどの敵には命中しない。


 「私達も戦いましょう!」

 「援護する」


 この場所はティアの魔法に不利だと見たアダムとニーナが、剣を抜いた。


 「うーん、木が邪魔ね……。 『アウラ』! 『アウラ』!」


 一撃では倒せないとみたティアが、風の魔法を次々と放つ。

 いつもみたいに瞬殺とはいかないが、この調子なら――


 その時、啓太は視界の端で真横の木の陰から一人の隠密部隊が飛び出すのを捕らえた。

 ティアに気づいた様子はない。


 飛び出した敵が、弓を弾き絞る。

 その矢じりの先は、ティアを向いていた。


 (危ない!)


 「『アウ、きゃっ!」


 啓太はとっさにティアにとびかかると、そのまま地面に引き倒した。

 ほぼ同時に、先ほどまでティアの頭があった位置を矢が通過していく。


 (間に合っ――)


 「ケータ! 避けて!」


 ティアの悲痛な叫び声と、啓太の体を空気の塊が襲ったのは同時だった。


 「ぐほぉっ!」


 暴力的な風を体に受け、啓太は体をくの字に曲げて吹き飛ばされた。

 衝撃で、肺の中の空気が全部吐き出される。


 (流石に今回は、運が悪すぎたな……)


 空中を舞いながら、啓太は頭のどこかで冷静だった。


 一つ目は、背後からティアを狙う敵の存在に気が付かなかったこと。

 二つ目は、ティアを引き倒した拍子にたまたま魔法が発動する瞬間の掌が啓太の方を向いたこと。


 そして三つ目。最も不幸だったのは、啓太が吹き飛ばされた方向に崖があったことだった。


 制御を失った暴風を前進に浴びた啓太は、そのまま一気に崖から空中に投げ出された。

 地面までは数十メートル。


 ――わずかばかりの浮遊感の後、全身に強い衝撃を感じると、啓太は意識を失った。


***


 「ここは……?」


 どれくらい眠っていただろうか。

 啓太が目を覚ました時、既に夜になっていた。

 頭上には、木々の隙間を縫うようにして星空が広がっている。


 (ティア達はどこだ?)


 ゆっくりと周りを見回しても、仲間の姿は無かった。

 

 啓太が横たわっていたのは洞窟の出口から続く坂の下、大きな木の根元だった。

 上の方を見上げると、山肌の草をなぎ倒したような跡がある。


 (あそこを転がってきたのかよ)


 運よくこの大木に引っかかったおかげで止まったのだろう。

 

 「ん。っ」


 ゆっくりと体を起こしてみる。

 幸いなことに、あれだけの滑落にも関わらず骨は折れていないようだった。


 (地面が柔らかくて助かった、ということか)


 啓太の傍には、草まみれになった鞄が転がっていた。干し肉や水筒など、中身も無事のようだ。

 これで、当面の食糧や水は何とかなるだろう。


 (……ティア達を探さないとな)


 法国の大森林の中、たった一人仲間とはぐれてしまったのは、さすがに笑えない事態だった。

 ティア達があの隠密部隊にやられたとは考えにくいが、追撃を警戒して移動した可能性はある。

 啓太が捜索されずにここに横たわっていることが、その可能性の高さを示唆していた。


 (とりあえず、歩いて三日かかるという最寄りの街まで行くしかないな)


 法国内で啓太とティア達が共通して知っている場所はそこしかない。

 それに、一旦街まで行けばとれる手段は広がるだろう。


 目的地は決まった。夜が明けたら洞窟から見て真正面、東に進もう。


 啓太は鞄から取り出した干し肉をかじり水を飲むと、木に寄りかかったままじっと朝を待った。


 

 翌朝――

 東の空が白み始めたタイミングで、啓太は出発した。


 森の中をひたすらに東へ進んでいく。


 (思っていたよりは進みやすいな)


 針葉樹中心のこの森は、オロンに向かった時の森に比べて下草も少なく適度に光が届いている。

 そのため見通しが非常に良く、歩きやすかった。

 無論、啓太からの見通しが良いということはそれを狙う敵にとっても同じはずだ。


 (昼間だから狼はそんなに出てこないだろうが、盗賊には気を付けた方がいいな……)


 啓太は無意識に、腰に差した剣の柄を撫でた。

 切れ味は最悪だが、見た目による脅しの効果が十分なことはこれまでの戦闘で証明されている。

 

 そして切り札がもう一つ――


 「何が起きるか分からないから、これは使いたくないんだけどな」


 啓太は懐から小さな紙を取り出すと、それを眺めながら独り言ちた。

 掌程度の大きさに不思議な模様が描いてあるその紙は、出発前にティアから渡されたものだった。



 『ケータ! ちょっとこれを見て!』


 ティアがこの紙を発見したのは、王都で武器を買った店だった。


 『……なんだ、これ?』

 『これはね、一回限りで魔法の効果を封じ込めて置ける紙なのよ』


 店の隅に無造作に積まれたその紙を一枚持ち上げながら、ティアが開設する。

 聞けば、回復魔法や連絡魔法など便利だが使い手が少ない魔法の効果を染み込ませ、魔法を使えない人でも利用できるようにする道具だという。


 『これ、便利だけど効果が十分の一ぐらいになっちゃうのよね』


 肩をすくめて文句を言いながらも、ティアはその紙を購入した。


 『いい? 私がこの紙に魔法を込めておくから、もしもの時は使いなさい!』


 そんな会話をした翌日、ティアが嬉々として押し付けてきたのがこの紙だった。



 (もしもの時って、いつだよ)


 結局ティアは、込められた魔法が何か尋ねてもはぐらかすばかりだった。

 ティアのことだから、一応啓太の身を守るのに役立つ魔法を込めているとは思うが……。


 (まあ、いざというときにはダメもとで使ってみるか)


***


 森の中を進むこと半日――

 

 ふと、目の前が開けた。

 木々が切り倒されて開けた場所を中心に、馬が繋がれたままの幌馬車やテントが並んでいる。


 (軍が野営でもしているのか?)


 啓太は、木の背後に身をひそめながら広場の様子を伺った。

 テントや馬車の数からして、大規模な集団が移動してきたのだろう。


 (それにしては、まったく人が出歩いていないな……)


 さっと見回したところ、周辺には人影が全く無い。

 どうみても不自然だ。


 (首を突っ込まない方がよさそうだな……。大きく迂回して――)


 「……すけて」

 

 見なかったことにしようと啓太が踵を返した瞬間、一番手前のテントから押し殺したような声が聞こえてきた。


 「誰か、助けて」

 「……」


 耳を澄ますと、声はよりはっきりと聞こえてくる。


 (罠か?)


 啓太を誘い込む罠の可能性も十分あった。

 だが、今はわずかな手掛かりも逃したくないのも事実だ。


 少しだけ逡巡しすると、啓太はテントの中に入った。


 「あ、アンタ! 助けに来てくれたの!?」


 テントの中では、縄で縛られた女が床に転がっていた。

 芋虫のように這いつくばりながら啓太を見上げる女は、燃えるような赤毛に気の強そうな目をしている。


 「俺は――」

 「話は後で! 早くこの縄を切ってちょうだい!」

 「……わかった」


 わざわざ助けに来たのは啓太なのだが、女は当然のように要求してきた。

 啓太は女の勢いに押され、鞄から取り出したナイフで女を縛っていた縄を切る。


 「ふぅ、やっと自由になれたわ。ありがとね」


 啓太に向かって雑なお礼をした後、女は床から起き上がって肩をぐるぐると回した。


 「うん、問題なさそう」


 体の動きを確かめた女は、一人で頷いた。


 「あの、名前を聞いてもいいか?」

 「もちろんよ。だけど、話はここを抜け出してからでもいい?」

 「……わかった」


 啓太の方を見向きもせず、女はまっすぐテントの入口まで進むと、隙間から外を覗いた。


 「今のところ奴らは戻ってきていないようね。アタシが先に森まで走るから、アンタも続いて」

 

 女は有無を言わせずにそう言い切ると、啓太の返事も聞かないまま森に向かって走り出した。


 (猿みたいなやつだな)


 まるで重力を感じていないような身のこなしで駆け、あっという間に茂みに飛び込んだ女を見て、啓太はそんなことを思った。


 (よし、次は俺の番だな)


 女が無事に森にたどり着いたのを見るに、外は安全だろう。


 そう考えた啓太がテントの入口を開けて、走り出そうとした瞬間――



 「おや、これは珍しい侵入者ですね」


 啓太の背後から、しわがれた声が降ってきた。

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