27 『手がかり』

 「さて――」


 啓太屋敷の応接室に集まった啓太達を見回してから、ギュスターヴが口を開いた。


 「まずはこれを見てもらおうか」


 そう言って、ギュスターヴは懐から汚れた小さな羊皮紙の切れ端を取り出した。

 おそらく雨に濡れたであろうそれはあちこちに泥が跳ねており、文字は滲んでしまって読めない。


 「……これがどうした?」

 

 汚れていること以外は一見何の変哲もない羊皮紙にしか見えず、啓太は首を傾げた。


 「まあ、普通はそういう反応をするだろうな。この紙で見て欲しいのは、ここなんだ」


 そう言って、ギュスターヴは羊皮紙上の一点を指さした。

 指の先には、滲んだ文様が書かれている。

 紙の隅に小さく書かれたそれは、よく見ると何かの絵に見えなくもない。


 「これは……、剣に蛇か?」


 絵に描かれているのは、蛇が巻き付いた剣に見えた。

 横で、啓太の言葉を聞いたティアがハッと息をのむ。


 「ティア、何か知っているのか?」

 「ええ。これはナジャ法国のシンボルね」

 「ナジャ法国?」


 啓太が聞き返すと、ティアは一瞬だけギュスターヴの方を見た。

 ギュスターヴが頷くのを確認してから、ティアが言葉を続ける。


 「ナジャ法国は、ヘリアンサス王国の東に位置する大国よ」


 啓太は、懐から地図を取り出して広げた。


 「ほら、ここよ」


 ティアが地図の右端を指さす。

 言われた通り、ヘリアンサス王国の東の果てから続く土地に『ナジャ法国』の文字があった。


 「名前なら私も聞いたことがあります。どんな国なんでしょう?」


 椅子から身を乗り出して地図を覗き込んだクロエが尋ねた。


 「実は私もよく知らないのよ。あまり他国と付き合おうとしない国だから」

 

 ティアはそう言って、残念そうな表情をした。


 「確か、すごく歴史が長い国だってのは聞いたことがあります」


 シルヴィが口を開いた。


 「歴史?」

 「ええ。確か、建国から五百年以上は立っているはずです」


 五百年以上か。確かにそれはずいぶん古い国だ。


 「シルヴィ、他には何か知らないの?」


 食い気味なクロエの質問に対して、


 「うーん……。ナジャ法国は商人の入国を禁止しているから、それ以上は……」


 シルヴィは申し訳なさそうに首を振った。


 国を跨いだ行商人のシルヴィですらよく知らない国というのも、奇妙な話だ。


 「……で、そのナジャ法国のシンボルが書かれたこの羊皮紙はどうしたんだ?」


 これ以上話し合ってもナジャ法国の情報は出てこないだろうと考え、啓太はギュスターヴに話の続きを促した。


 「ああ、それはミアレ村で見つけたものなんだ」

 「ミアレ村?」


 思わず聞き返してしまった。

 ナジャ法国の記号入り羊皮紙が落ちている場所としては、いささか唐突だ。


 「先日啓太達が王都を発ってから、陛下は俺たちにミアレ村の住人の行方を追うように命じた」

 

 ギュスターヴが言っているのは、帝国の一件におけるクロエの働きへの褒美のことだろう。


 「そこで俺たちは、まずミアレ村を捜索したんだ。もしかしたら村には住民が拉致された時の痕跡が残っているかもしれないと思ってな」

 「なるほどな、それでその紙を見つけたのか」


 ギュスターヴは頷いた。


 「どうやらミアレ村から村人をさらった奴らはかなりの手練れだったようだ。残念ながら住人の家からは何の痕跡も見つけられなかった」

 「それじゃあ、この羊皮紙は?」

 「これは、村の通りで見つけたんだ。馬車の轍に半分埋まっていた」


 羊皮紙を指で挟んで揺らしながら、ギュスターヴが得意げに言った。


 「ああ、それで雨に濡れたように字が滲んでいるのか」

 「そういうことだ。おそらく、誘拐犯が去り際にうっかり落としたんだろうな」


 そう言って、ギュスターヴは肩をすくめた。

 家の中から痕跡を消すことには長けていても、逃走中に落とした小さな羊皮紙には気づかなかったのだろう。

 それにしても、土に半分埋まった状態の黄ばんだ羊皮紙を見つけるとは流石近衛隊だ。


 「ギュスターヴさん、皆さんのご尽力に感謝します」


 クロエが、深々と頭を下げた。


 「それでは、村の皆はナジャ法国にいるということですね?」

 「おそらくな」

 「それでは――」


 手がかりをつかんだ事に興奮し、さらに身を乗り出したクロエをギュスターヴが片手で制した。


 「問題は、それ以上の手掛かりが全くないことだ」

 「どういうことですか?」

 「この羊皮紙は、あまりにも状態が悪い。残念ながらナジャ法国の記号以外の情報は読み取れなかった」


 ギュスターヴが申し訳なさそうな表情をした。


 「ナジャ法国はとてつもなく広い。残念ながら、これだけでは法国のどこに連れていかれたかが分からないんだ」

 「そうですか……」


 クロエが、がっくりと肩を落とした。


 「そうでもないんじゃないか?」

 

 啓太が口を挟む。


 「ケータ殿、どうしてそう思う?」

 「いくらナジャ法国が広くても、村一つ分の住民を拉致して移送すれば目立つ。ナジャ法国に行って聞き込み調査でもすれば、情報がもっと出て来るんじゃないか?」


 その言葉に、ギュスターヴは首を振った。


 「そうしたいのは山々なんだが、ヘリアンサスとナジャの間には国交が無い。公式の調査団を送り込むことができないんだ」


 ギュスターヴの言う通りだった。

 ナジャ法国が国境を封鎖している以上、本物の近衛隊だろうが行商人に扮していようが入国させてもらえない。


 「八方塞がりね」


 ティアが、悔しさに唇をかみしめながら言った。


 「……わかりました。少なくともこれで、村の皆が連れていかれた国は分かりました。それだけでも今は十分です」


 失望感を瞳にたたえながらも、クロエは気丈に笑顔を作った。。


 「クロエ殿、力が及ばずに済まない。引き続き俺たちの方でも調査を続けるから、待っていて欲しい」


 最後に深々と頭を下げると、ギュスターヴは部屋を出ていった。



 「さて――」


 ギュスターヴの足音が遠ざかるのを確認してから、ティアが口を開いた。


 「ケータ、どうするつもり?」


 まるで啓太の答えがわかっているかのように、ティアがいたずらっぽく尋ねてきた。


 (なんだかんだ短くない付き合いだからな)


 啓太はちらりとクロエの横顔を見ると、はっきりと告げた。


 「もちろん、法国に行くつもりだ」

 「っ! ケータさん!」

 

 その言葉を聞いたクロエが、ぱっと顔を上げる。

 

 「せっかく村の皆の行き先がわかったんだ。いてもたってもいられないよな」


 そう言いながら、啓太はクロエの頭を優しく撫でた。


 「国境が無い以上、王国として公式の調査員や兵を送るのは難しい」


 先ほどギュスターヴが言っていた内容を、声に出して復唱する。


 「だったら、非公式に調査してしまえば問題ないだろう」


 啓太はニカッとクロエに笑いかけた。 


 「……ケータさん、本当にありがとうございます」


 啓太の言葉にようやく、クロエが笑顔になった。


 「足手まといになっちゃうかもしれませんが、私もついて行っていいですか?」

 「もちろんだ、クロエ。村人の顔を知っているのはお前だけだからな」


 手がかりを追う上でも、クロエに頼る場面は色々と出てくるだろう。


 「ケータ、そういう話なら私も行きますよ」

  

 シルヴィが、手を挙げた。


 「シルヴィ、お前の経験と知識は今回欠かせないだろう。頼むぞ」

 「任せてください!」


 そう言って、シルヴィは力強く胸を叩いた。


 「……私もついて行く」


 壁際に立ち、今まで黙っていたニーナが口を開いた。


 「ニーナ、ありがとう。俺たちには戦闘力が無いから、お前がついて来てくれると助かる」

 「わかった」


 剣の柄を撫でながら、ニーナが頷いた。


 「もちろん、私も行くわよ!」

 「いや、ティアはお留守番だ」

 「なんでよ!」


 椅子から飛び上がって、ティアが叫んだ。

 いくら何でも、国交が無い国の第一王女が不法入国したらまずいだろう。

 啓太はそう言ってティアを説得しようと試みたが、


 「私もいーきーたーいー! 連れってってよーーー!」


 いつも通り床の上でじたばたしながら駄々をこねるティアに、白旗を上げざるを得なかった。


 「はぁ……。わかった、ティアも連れていくよ」

 「本当!?」

 

 ティアはケロッと立ち上がると、満面の笑みで確認してきた。


 「ああ。その代わり、絶対王女だとバレないようにおとなしくするんだぞ」

 「任せなさい!」


 そう言って得意のどや顔をするティアに、啓太は一抹の不安を感じずにはいられなかった。


***


 「――あれがラグランジュ商会ね!」


 ギュスターヴが屋敷に来た日から二日後、啓太とティアは王都に来ていた。



 『ケータ、今回の旅はオロンへの旅とは全く違います』


 ティアの参加を渋々認めた後、シルヴィが啓太達に忠告した。


 『片道で一週間程度かかりますし、法国内は森の中を抜ける必要があります』

 『……それは恐ろしいな』

 『だから、まずはしっかり装備を整えるべきですね』



 そんなわけで、啓太とティアは旅の支度品を買うために王都にやってきた。

 ちなみに、本来であればフィルマンと面識のあるシルヴィかクロエを連れてくるべきだが、どうしても商会を見学したいティアが押し切った。


 「見て!あそこに荷馬車がいっぱい並んでいるわね!」

 「……あまりはしゃぐなよ」


 行商人たちの列をもっと見ようと御者台から身を乗り出すティアを、啓太はたしなめた。


 今日のティアは、正体がバレて騒ぎにならないように村娘の変装をしていた。

 できる限り地味な服装に身を包み、目立つ金髪は帽子の中に押し込んでいる。


 (王都の中だし、はしゃぎすぎて帽子が取れたら一発でバレるぞ)


 道中、珍しいものを見つけては馬車から身を乗り出してはしゃぐティアを見て、啓太は何度も肝を冷やしてきた。


 「おや、これはケータ殿!」


 そんな声と共に、商会の中からフィルマンが出てきた。

 親しい友人と出会ったかのような笑顔をたたえたフィルマンは、わざわざ道の反対側に止めた啓太達の馬車まで歩いてきた。


 「久しぶりですな。本日はどういった御用でしょうか?」

 「すこし食料や野営道具を買いたくてな」

 「そういうことでしたら是非応接室にいらしてください。そこでゆっくりお話ししましょう」


 そう言って、フィルマンは手で商会の二階を指し示した。


 「いいのか?」

 「ケータ殿にはこれまで色々と儲けさせていただきましたからね。もうお得意様ですよ」


 フィルマンがにっこりと笑う。

 

 「それで、そちらのお方は――」


 フィルマンの眼が、ケータの顔から横にいるティアの顔に移った。

 そして、そのまま眼が大きく見開かれた。


 「てぃ、えーっと、よ! よろしくね」


 言葉を失っているフィルマンの反応には気付かず、ティアが偽名を告げた。


 (こいつ、今普通に本名言おうとしたな)


 告げられた名前を聞き、フィルマンが一瞬戸惑った表情をする。

 そして、ティアと啓太の顔を交互に見比べるとひとつ頷いた。


 「様ですね。お目に書かれて光栄です」


 そう言って、深々と臣下の礼をとるフィルマン。

 ……いきなりバレてるんだが。

 

 『私上手に正体を隠し通せたでしょ!』と言わんばかりに得意げな表情をするティアに真実を伝えるのは、あまりに酷だ。


 「さあ、ここにいても邪魔でしょうし、早く中に入りましょう!」


 フィルマンに正体がバレているとはつゆ知らず。

 ティアは、能天気にスキップをしながら商会に入っていった。

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