25 『エピローグ:選択』
「ん……、ここは……?」
啓太の意識が、ゆっくりと覚醒する。
わずかに開けた瞼からは、白く人工的な明かりが差し込んて来た。
目の前にあるのは、蛍光灯のついた自室の低い天井だった。
「そうか、俺は戻ってきたんだな」
啓太は、再び目を閉じり。
瞼の裏には、つい先ほどまで見ていたはずの、ヘリアンサス王国の光景がまだ焼き付いていた。
オロンの砦、王都の謁見室、そして屋敷に向かう馬車の中。
最後に見た仲間たちの顔は、ひときわはっきりと思い出された。
(まるで、長い長い夢を見ていたようだ)
ヘリアンサスにいた時間よりも、この東京の自宅で過ごした時間の方が圧倒的に長い。
それでも、嘘みたいに静かなこの部屋は、どこか非現実的に感じられた。
(そういえば、俺はどれぐらい日本からいなくなっていたんだ?)
時間を見ようと枕元を右手でまさぐると、懐かしの固い感触が掌に触れた。
「スマホを見るのも久しぶりだな」
表示された日付は、啓太が異世界に呼ばれたその日のままだった。
時刻を見るに、疲れ果てた啓太がベッドに入ってからおそらく一時間もたっていないだろう。
「……これは本当に夢だったのかもな」
思わずそう呟いてしまった。
いずれにしても、ようやく元の世界に戻ってこられたのは事実だ。
召喚された時からずっと、啓太はこの時を待ち焦がれていたはずだった。
(もっと嬉しいはずなんだけどなぁ……)
この、心にぽっかり空いた穴は何だろう。
「なんだかんだ、俺はあの世界での日々が楽しかったんだろうな」
ぼそりと、そう呟いた。
ティアがいて、シルヴィがいて、クロエがいて、ニーナがいる。
日本での生活とは真逆の、毎日が刺激にあふれていたあの生活が、今では無性に恋しかった。
とはいえ、元の世界に戻ってきてしまった以上、再びこちらで生きていくしかない。
(転職、真面目に考えるか……)
啓太の記憶が正しければ、もう出勤までそんなに時間は無い。
とりあえず今日は早く寝てしまおう。
身の振り方は、それから考えればいいだろう。
そう考えながら、啓太はつけっぱなしの電気を消そうとベッドから起き上がった。
「……え?」
ベッドのへりから、じっと啓太を見つめる金髪の美少女と目が合った。
――というかティアだった。
「うわっひゃい!」
変な声を出しながら、啓太が飛びのく。
「て、ティア! なんでこっちにいるんだよ!!!」
啓太が元の世界に戻るのは、当然だろう。だが、なぜティアまでこの世界に来ているんだ。
ティアは質問には答えずに、ニヤニヤしてこう言った。
「『なんだかんだ、俺はあの世界での日々が楽しかったんだろうな』」
「うわぁぁああああ!!!」
恥ずかしさで死ぬ!
「ケータがそんなにヘリアンサスを気に入ってくれていたなんてねぇ」
ニヤニヤ笑いのまま、ティアは腕組みしてうんうん頷いた。
「質問に答えろよ! どうやってここに来た!?」
「ケータは心当たりあるんじゃない?」
ティアがいたずらっぽく言う。
そう言われて、慌てて記憶を辿る。心当たり、心当たり……。
「……あっ」
思い出した。森で帝国の刺客に襲われた時だ。
「『ケータの魂に私の魂が強く結びついた』って言ったじゃない。ケータがこっちに戻された時に、私も引っ張られたのよ」
あっけらかんと、ティアが言った。
「ひ、引っ張られたって……」
そこまで強い結びつきだったなんで聞いてないぞ。
まさか世界の垣根を飛び越えてまで繋がっているとは……。
「これからどうするんだよ……」
「さあ? 来ちゃった以上は、この世界で何とか生きていくしかないわね」
さらっとそう言って、ティアは肩をすくめた。
「まあ私は魔法がつかえるから、働き口ぐらいはあると思うわ」
こっちの世界で魔法なんて人前で使った日には、特殊な就職先に決まってしまう気がする。
サーカスとか。
「……もう、元の世界には戻れないのか?」
答えを聞くのは恐ろしいが、念のため尋ねておくべきだろう。
そもそもティアと啓太の魂が結びついたのは、切られて重傷を負った啓太を治療するためだ。
(つまり、ティアがこっちの世界に来てしまった責任は、全部俺にある)
野垂れ死にしないよう、一生養っていく義務くらいはあるだろう。
だが、
「戻れるわよ?」
ティアはさらっとそう言った。
戻れるのかよ!
「も、戻れるのか!?」
「当り前じゃない。私は元から向こうの世界の住人よ? 元の世界に戻るのは簡単なのよ」
子供に簡単な問題を教えるような口調だ。
そんな仕様知らなかったぞ。
「じ、じゃあどうして今すぐ戻らないんだ?」
啓太の質問に、ティアはさも当然だという顔で、こう答えた。
「私が戻ったら、ケータも一緒についてくることになるのよ」
「っ! それは……」
そういうことか。
「それに、今度は賢者としての召喚儀式じゃないわ。二度とこの世界に戻ってこられないかもしれないのよ? そんなの悪いじゃない」
ティアは、それが当然かのようにそう言ってのけた。
(……この王女様は)
ティアは、わがままな王女だ。
自分の思い通りにならない時は、時々幼い子のように駄々をこねる。
そのくせ人一倍自信家で、何をするにも得意気だ。
だけど、啓太は知っている。
この王女様は、誰とも分け隔てなく接し、他人のためなら自分の身を厭わないことを。
「……お前は本当に優しいな」
そう言って、啓太はティアの頭に手を置いた。
絹のような金髪を指の間で漉くように撫でる啓太の手を、ティアは目を閉じて受け入れた。
「でもな」
啓太は微笑みながらティアを見下ろす。
「それだと俺が我慢できないんだよ。お前をこの世界に連れてきて、一生こっちに閉じ込めるなんて俺にはできない」
啓太の言葉に、ティアが目を見開いた。
「確かに、俺は元の世界に戻りたかった」
そもそも最初は、元の世界に戻るために嫌々ティアに協力していたはずだ。
「だけどな、今はそれと同じぐらいお前たちと一緒にいたいとも思っているんだ」
ティアの眼が潤む。
「ケータ、あなた自分が何言っているかわかってるの?」
震える声で、ティアが言った。
「もう二度とこの世界に戻ってこられる保証は無いのよ?」
「……それでいいさ。俺はもう子供じゃないし、自分の人生くらい自分で決める」
そう告げると、啓太はベッドのヘリに置かれたティアの手を優しく取った。
暖かく、小さな手だった。
「一緒に帰ろう」
***
「ティア様!ケータさん!」
「二人とも、大丈夫ですか!?」
目を開けると、心配そうにのぞき込むクロエとシルヴィの姿が飛び込んできた。
馬車の窓からは、屋敷の玄関が見える。
どうやら啓太達がいなくなっていた間に、馬車が屋敷についていたようだ。
「……俺たちはどれくらい消えていた?」
「十分くらい」
御者台から振り返りながら、ニーナが答えた。
「そうか」
そう言って、啓太は横にいるティアの顔を見つめる。
東京の自室で握ったティアの手は、まだ啓太の掌の中にある。
「そんなものなのね」
「俺たちの人生を掛けた決断が、こっちの世界だとたった十分か。まったく嫌になるな」
皮肉たっぷりにそう言った啓太の言葉に、ティアが思わず吹き出した。
「あははは、本当。なんだか夢みたいね」
目に涙を浮かべて、ティアが笑う。
「お二人とも、どうしたんですか?」
「ケータさん、いったい何があったか教えてください!」
突然笑い出した啓太達を見て、シルヴィとクロエが困惑した表情をした。
「悪い悪い。何があったかはちゃんと後で話すさ」
そう言って、啓太は馬車を降りる。
「おかえりなさいませ、ケータ様」
「ケータ殿、皆さま。ご無事で何よりです」
玄関の前では、セシルとポールが深々と頭を下げていた。
「セシル、ポール。出迎えありがとう」
執事とメイドの挨拶に手を上げて答えると、啓太は屋敷の玄関に向かって歩き出す。
「でもその前に、まずは宴会だ」
「そうね! 今日はたくさん食べてたくさん飲むわよ~!」
続いて馬車を降りてきたティアが、スキップでついてくる。
「ま、待ってください!」
シルヴィとクロエも、慌てて追いかけて来た。
どうやらニーナも、馬車をポール達に任せてついてくるようだ。
(まずは、セシルに頼んで食糧庫から酒と食べ物を出してもらわないとな)
オロンに向けて屋敷を発った時から、本当に沢山の出来事があった。
何回も危険な場面はあったが、それでも同じ五人でこうして無事に帰って来ることができた。
今日くらいは、ニーナとクロエの葡萄酒に付き合ってやってもいいかもしれない。
そう考えながら、啓太は懐かしい玄関扉を押し開けるのだった。
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