03 『王女と馬車』
王都を出発して一時間程度たっただろうか。出発した時には低かった太陽が高くなり、肌寒さは幾ばくか和らいできた。
馬車の窓の外から頭を出して後ろを見ると、遠くにずいぶん小さくなった王都の城壁が見えた。
窓の外には、地平線まで続く広大な畑が広がっている。ところどころ木々が密集している所以外見渡す限りのなだらかな景色は、ここが明らかに日本ではないことを示していた。
左右の畑をよく見ると、茶色い土がむき出しの部分、枯れ草の黄色い部分、そして青々とした緑に覆われている部分がある。
(確か、三圃式農業だっけ?大昔に世界史で習ったような)
三圃式農業――畑を三分割にし、一つは春に種を蒔き秋に収穫、一つは秋に種をまき春に収穫、そして最後は土地を休ませて回復――習ったのはずいぶん昔のはずだが、人間案外忘れないものだ。
「それにしても、本当に異世界にきちゃったみたいだな」
誰も聞いていないのにそんなことを呟いた啓太は、昨晩のやり取りを思い出していた。
***
「いい?王都から西にちょっと進んだところに、ガストン・マンサールっていう子爵が住んでるの。昔一度パーティで挨拶したことがあるんだけど、彼は真面目よ。王都の近くに大きな農地を持っているから、きっと力になってくれるわ」
「なるほどな、それなら農業に関する知識も持っていそうだし、話を聞いてみる価値はあるかも」
「でしょ!あとは私に任せなさい!すぐに使者を送って約束を取り付けて、その後随行者を揃えたら一緒に行きましょ!」
ティアは腕組みをしながら相変わらずのどや顔で語る。
(見た目以上に幼いな。まるでお手伝いを覚えたての子供みたいだ)
啓太はそんな大変失礼なことを考えながらティアの顔を見つめていた。
「そうね、あんまり大勢で行っても仕方がないから、馬車は10台ぐらいに押さえて、それからそれから――」
「ちょっといいかな?」
立て板に水のごとく話し続けるティアの言葉を啓太は遮った。
「それだと、出発はいつぐらいになるんだ?」
「そうね、大体1週間後くらいかしら」
啓太は思わず頭を抱えてしまった。最初のチームメンバーーーになるかどうかもわからない人物――に会いに行くだけで一週間は長い。どんなスピード感だ。
正直、啓太はこの世界に長居する気などさらさらなかった。どう見てもこの世界にはインターネットをはじめとした娯楽などなさそうだし、何とか1ヵ月程度で成果を出して帰りたい。さすがに1ヵ月も無断欠勤すれば会社はクビになっているだろうが、それでもキャリアの穴は小さい方が良いはずだ。
そのためには、この変革の主導権をティアに渡したままではだめだ。それに、国庫が尽きているのに年単位の時間がかかりそうな改革などやっている場合ではないだろう。
「それだと遅すぎるな。その貴族には俺一人で会いにに行くから、なるべく早く出発したい」
「ケータ一人になんて任せておけないわ。私もついていくわ!」
「王女様が護衛もなしで急に外出できるのか?それとも、すぐに人の手配がつく当てがあるとか?」
「そ、それは……」
ティアの返答はしどろもどろだ。
「移動手段と紹介状だけ書いてくれ。その子爵の屋敷が王都に近いならそんなに危険はないだろ?サクッと言ってくるよ」
その後自分も行くと言ってきかないティアは、最終的にはベッドの上を転がりながらイヤイヤをしたが、結局啓太が執事のポールを呼ぶという荒業で黙らせることになった。それにしてもポールが来た瞬間のティアの態度の変わりようはすごかった。普段どれだけ猫を被ってるんだ。
念のためポールにも確認したが、王都からマンサール子爵の邸宅までは比較的整備された道が通る開けた田園地帯であり、特に危険はないそうだ。
ポールが去った後も妙におとなしくなったままのティアを啓太はやや訝しみながらも、馬車と紹介状を用意してもらい、道を確かめて出発の段取りをつけたのだった。
***
「あれは壮絶な戦いだったな……」
特にすることもないので啓太は窓の外を眺めながら、手足をじたばたさせていた昨晩のティアのイヤイヤ姿を思い出していた。
そんな時、
ガササッ
唐突に布がこすれるような音が車内から聞こえてきた。
啓太が借りたこの馬車は、急な要求だったこともあり決して王侯貴族が使うような豪華なモノではなく、平らな荷台に簡易的なほろのついただけのものである。元々荷物運びにに使われていたであろう荷台には、乱雑に布の掛けられた荷物やむき出しの木箱が積まれており、啓太はその木箱の内の一つに腰かけていた。
(御者さんじゃないよな……)
ちらっと御者台に座っている猫背の小さな御者をみるが、先ほどの音は明らかに御者台からではなく、荷台の中から聞こえてきたものだ。
(鼠とかゴキブリとかはやめてくれよ……。これから丸一日そんなのと一緒に馬車に揺られたくない)
恐る恐る音のした隅に近づいてみる。どんなものが潜んでいるかわからないが、確かめた方が精神衛生上よろしいような気がした。
ガサガサッ!
先ほどよりも一段大きい音がし、荷物にかけられた布が大きく動いている。
「頼むからいきなり顔に飛んでくるのだけはやめてくれよ……」
そんな情けないことを呟きながら啓太がそっと布をめくると――
「んぐっ……」
布から飛び出した
飛び出した勢いでふわっと金髪が舞い、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
というかティアだった。
(お、お前なんでいるんだよ!)
口を押えられているせいでもごもごとしか音にならなかった啓太のセリフに対し、ティアは唇に指をあてると、しーっと小声で言った。
啓太が無言でうなずくのを確認し、ティアは啓太の口から手を離した。
「ぷはぁっ。ティア、どうしてついてきたんだ?」
「ケータがボロを出さないように見張るために決まってるじゃない!言ったでしょ、あなたは賢者ということになっているんだから!」
「王女様が無断で外に出たらまずいだろ!」
そんな小声の啓太の反論に対し、ティアはいたずらっぽく笑うと、
「そこは抜かりないわ!メイドの一人に私と背格好が似ている子がいるのよ。彼女に私の振りをしてもらっているの。今日は体調が悪くて寝ていることにしているからベッドで寝ているだけでいいし、ばれっこないわ」
そんなことをいうのであった。なんだこのいたずら王女様は。
啓太がため息をつくのを見てティアの笑顔がさらに明るくなったのを見るに、どうやら啓太に勝ったとでも思っているのだろう。
「まあ来てしまったものは仕方ないけど、言っておくが俺は全く戦えないぞ。盗賊が来ても逃げるしかできないからな」
「問題ないわ!こう見えて私は王家の人間として、最低限度の護身術は習っているわ」
「王女様が突然現れたら子爵も驚くだろ」
「そこもばっちりよ!メイドの服を一着借りてきたわ!これを着て、私は従者のふりでもするわ」
そう言ってどや顔で荷台の隅からメイド服を出したティアを見て、啓太は説得をあきらめた。
ティアはやると言ったらやる子だ。それがこの二日でよくわかった。自分の意思を曲げないためなら、王女の身でありながらこんな得体のしれない異世界人の従者になるのも構わない。
こうなった以上、とにかく何事もなくこの訪問が終わることを天にでも祈っておこう、と啓太が考えていると、
「ちょっとこれ畳んでおいてくれる?」
というティアの声と共に、ふいに何か布のようなもので視界が覆われた。
手ではぎ取ってみるとそれはさっきまでティアが着ていたドレスのようで――
「ちょ、おまえ!何してるんだよ!!!」
顔を上げるとそこには下着姿になったティアがいた。啓太は慌てて目を隠す。
「あなたの従者の振りをしなくちゃいけないって言ったでしょ?着替えてるのよ」
「着替えはじめる前に一言くらい言ってくれよ!」
顔を真っ赤にした啓太の様子を気にも留めず、ティアはてきぱきとメイド服を着ていく。手慣れたものだ。
「時々、こんな風に変装して城の外に遊びに行っていたのよ」
そんなことを言いながら完璧にメイド服を着こなしたティアには全く恥じらいの色はなかった。
(あれだけ恥じらいが無いってことは、普段から着替えやお風呂で他人にお世話されてるのに慣れてるんだろうんな。さすがお姫様)
啓太がそんなことを思っていると、
「はい、これもしまっておいて」
無造作にティアが何かを放り投げてきたものは、昨日初めて会った時からティアの頭に載っていた髪飾りだった。ジュエリーなんて全く詳しくない啓太の目から見ても豪華な宝石がちりばめられたそれには、不思議な気品がある。
「って、これティアラだろ!」
「そうよ。だから外さないとまずいでしょ?」
何度もなしにそう言ってのけるティア。王女の証であるティアラへの扱いにしては雑すぎる。
「いや、いくら何でも……」
言いかけて、啓太は思いとどまった。これを持ち歩くのはあまりにも心臓に悪いが、とはいえこんな薄汚い荷台の端に転がすわけにもいかない。
転生時にはワイシャツ一枚だった啓太だが、さすがにその格好では示しがつかないと、今は王宮で見繕ってもらったローブを着ている。紹介状や最低限の現金など、重要なものは全て首から下げた皮袋に入れてあった。その中にティアラをしまうと、
(もし盗賊にでも襲われて、この革袋を取られたら死罪だろうな)
啓太はそんな想像に身を震わせるのだった。
***
日がすっかり高く上ったころ、はるかかなた遠くに小さく建物が見えてきた。
「あれがマンサール子爵邸みたいね」
窓の外に顔を出していた啓太の真横にひょっこりと顔を出すと、ティアはそんなことを言った。
「この分だと、日が暮れるまでにはつきそうね」
「まだそんなにかかるのか。正直、もう疲れたよ」
木製の車輪の上に荷台がそのまま据え付けられたこの馬車は、当然サスペンションなどというものはなく、未舗装の道路と組み合わさると乗り心地は最悪の一言だった。まだ2、3時間しか載っていないはずだが、それでも振動で尻が割れそうだし、頭はくらくらする。
(ティアはよく平気だな)
ちらっと横のティアを見るが、彼女は涼しい顔をしており、この馬車移動が全く苦になっていないように見える。現代人はもやしっ子。なんとなくそんな言葉が胸に浮かんだ。
「そろそろお昼にしましょうか。道を少し外れて川沿いで休みましょう」
「そうしよう。馬車がこんなにキツイとは思わなかったよ」
この街道はローサの街から流れる川にある程度沿って走っている。啓太はどこか畑になっていない開けた河原がないか見回した。
「ティア、あの辺なんかいいんじゃないか?」
そう言いながら少し先の河原を指さしたとき、ふと視界の端に何か茶色いものが入ってきた。
「あら?先客の馬車かしら?」
「にしてはあまりにもボロボロのような――」
そこまで言って、啓太とティアは口をつぐんだ。近づいてはっきりしてきたそれは、馬車の残骸のだった。
おそらく幌だった布は見るも無残に切り刻まれており、馬が繋がれていたであろうロープの切れ端が風になびいている。周辺の河川敷は踏み荒らされており、乾いた土には赤黒い
「酷いわね……」
ティアが横で息をのむ音が聞こえた。
「この靴を履いた足跡や刀傷を見るに、これは野生動物じゃなくて人間の仕業っぽいな」
この世界のことをまだ何も知らないので、どんな野生動物がいるのかはわからないが、さすがに靴は履いていないだろうし、こんな鋭利な傷をつけることはできないだろう。
「王都のすぐ近くでこんなことが起きているなんて、信じられないわ。この街道は特に治安がいいってみんな言ってたし」
「この馬車が本当にたまたま運悪く野盗に遭遇したって可能性もまだあるからな。詳しくは子爵様に聞いてみよう」
ティアは無言で目を閉じると、手を組み馬車の残骸に向けて何やら呟きはじめた。おそらくこの国の宗教上の祈りなのだろう。
(こうしてみると、口さえ閉じていれば気高く神々しい理想の王女様なんだけどな……)
啓太はそんなことを考えながら、自分も黙とうぐらいはしようと馬車の方を向いた。
そのとき、
(赤い布?)
崩れた馬車の隙間から、赤い布がちらっと見えた気がした。
「ちょ、ちょっとケータ!バチが当たるわよ!」
「いいから!何か馬車の下にあるかもしれない!」
啓太は慌てるティアを無視して馬車の残骸をどかし続ける。そして――
「ケータ、お手柄ね」
馬車の残骸の下には、赤い服を着た少女が横たわっていた。
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