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 昼食を済ませて嵐志に片付けを頼む。終わったら声をかけてと言い残して、雪彦は下駄を履いて、縁側から庭に出た。相変わらず蝉の声がうるさい。頭のてっぺんが灼けるように熱く、部屋に戻って麦わらカンカン帽を被った。

 木製の桶を持って敷地内の井戸まで水を汲みに向かう。風呂場の水道の方が手間が掛からないけれど、この手間が雪彦は好きだった。井戸はポンプ式で、雪彦はここに来るまで実物を知らなかったし、地下から直接吸い上げた水は真夏の物なのかと疑うほどに冷たくて気持ちいい。

 がしょ、がしょ、とポンプの腕を動かす。しばらくして、ポンプの口から勢いよく水が飛び出してきた。触らなくても冷たいのが気配でわかる。地下の土を流れてきた、自然の水の匂いがする。

 庭に水を全て撒いて、縁側から家の中に戻る。家の中の日陰に、思わずばたんと寝転がった。力仕事の後っていうのはどうしても少し腰が痛い。

 その時、雪彦は家の中が不気味に静かなことに気がついた。嫌な静けさだ。なんでかはわからない。そう、肌が感じ取ったのだ。そういえば嵐志はどこだ。起き上がって、彼が作業していたであろう台所に足を向けた。

 台所で、シンクを前にして嵐志は立っていた。声をかけると、彼は少し肩を強張らせて雪彦を見た。その様子が少し怯えているみたいで雪彦は口を開いたけれど、すぐに固まった。

 嵐志の右手に小さい包丁が。

 その左手首には赤い筋が。

 それを見た瞬間、背筋から首筋にかけて勢いよくなにかが這い上がった。

「ゆ……ゆき兄っ、」

 なにしてるの。声に出す前に雪彦は嵐志の右腕を掴んだ。いたっ、と嵐志が声を上げるが、お構いなしに手首を締め上げ包丁を奪い取った。怒気どきのせいか、自分の脈が速いのがわかる。掴んだ嵐志の手首からも、どくどくと脈が感じ取られ、それに合わせて、左手首に斜めに走った傷口から、どくどくと血が流れ出していた。

 ゆき兄、とか細く嵐志が声を震わせた。それが雪彦の胸の奥のなにかに、触れた。勢いよく嵐志の頬を叩いた。バシッ、と大きな音を立てて、また静まりかえる。微かに風鈴の音が遠くで聞こえた。

 互いに息が荒い。夏の熱気か。脈が速いせいか。吸っても吐いても、酸素が足りない気がした。

 ぼそ、と嵐志がなにか言った。聞き返すまもなく、彼が雪彦を押し倒すと「嘘つきッ」と大声で叫び、台所を飛び出していった。

 玄関が勢いよく閉まるまで、雪彦は倒されたまま動けなかった。

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