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青居月祈

1章 七夕徒然

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 それは涼しい夏の昼下がりのことだった。五つ年が離れた義弟に、珍しく夏祭りに誘われたのだ。

一宮いちのみやで七夕祭りやってんだって。行かない?」

 いつもなら元気よく扉を蹴破るかと思うくらいに勢いのいい義弟は、そんなふうに大人しくて、体調でも悪いのかと雪彦は心配した。けれど当の本人は「へいき」と言うだけで、その後はなにも語ろうとはしなかった。

 雪彦は祭りをあまり経験したことがない。あるとしたら、まれに見るセクシャルマイノリティのパレードくらいだ。雪彦は性別の正しい知識は持っているが、意識はそれに伴っていない。華やぐ顔立ちをしていることもあって、祭りなるものに出掛ければ一定の男女に声を掛けられるせいで、楽しむどころではなくなってしまうのだ。

 浴衣を着て玄関で彼を待つ。濃い灰色の羽織にくれない矢絣やがすりの浴衣は、三年前に恋人にあつらえてもらったもので雪彦も気にいっていた。数分も待っていれば、紺の露芝つゆしば柄の浴衣を着た義弟が姿を現した。着慣れていないのが目に見えていて、襟が曲がっていたり帯が緩んでいたりする。手早く直してやると「あんがと」と彼は素直に礼を言った。

 この義弟は、名前を嵐志あらしという。今年で十七になり、その名の通り暴風みたいな少年だ。元来からとてつもなく足が速くて、現在は県立高校の陸上部に所属している。

 祭りと聞けば屋台を全て制覇するくらいがデフォルメの彼だが、それにしても本日はアンニュイが過ぎる。先ほど暴風と形容したのが、間違いみたいに聞こえるかもしれない。いつもはそうなのだ。ただ今日が違うだけ。

 雪彦は五年前から、ある事情で一之瀬家で暮らし始めた。本来の姓は「影崎かげさき」だ。雪彦にとっては恋人の生家せいかであり、新しい家であり、新しい家族だ。この義弟とも、暮らし始めてまだ五年。それ以前の彼を雪彦は知らないし、気にもしない。義弟も多くは語らない。小学生の時の無邪気さは残っているものの、話していいこととそうでないことの区別もきちんとわきまえていた。

 からころと音を立てながら歩いていると、よく近所の人に声を掛けられる。都心からも田舎からもちょうどいい具合の位置にある住宅街に一之瀬家はある。そこは良くも悪くも近所づきあいが多く、五年前に突如として現れた雪彦もすっかり馴染んでいた。それに【一之瀬家の四兄妹】といったら、この地域では有名だ。その三番目である嵐志を知らない者はいない。雪彦は愛想よく返事をしながら、義弟と共に駅に向かった。

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