風鈴草と瑠璃唐草
火侍
お姉ちゃんは、優しすぎるんだ
私とお姉ちゃんは双子だ。
亜麻色のセミロングに、ターコイズブルーの瞳。私────ノエルと、お姉ちゃん────ナタリアは瓜二つだ。ある一点を除いては。
お姉ちゃんの右頬には深い火傷の痕がある。幼い頃の私がランプを支えきれず、誤ってお姉ちゃんにぶつけてしまったのだ。その時私は大声を上げて泣いてお姉ちゃんに謝り続けたのだが、お姉ちゃんはボロボロの顔で笑いながら言ったのだ。
「大丈夫。わたしは許すよ」
私は信じられなかった。どうして、その端正な顔立ちに一生癒えない傷を負わせた私を許すのだろうか。どうして、微笑みながら私の頭を撫でているのだろうか。どうして、そんなにも慈愛に満ちた優しい目をしているのだろうか。
怖かった。その無償な愛が、聖母のような眼差しが、慈悲という名の感情がどうしようもなく怖くなった。
それから、私は毎日お姉ちゃんに謝るのが日課になっていた。朝起きて、彼女にあったら真っ先に「ごめんなさい」と口を開く。しかし、そんな私を見てお姉ちゃんは必ず「いいの。ノエルは罪悪感を覚えなくていいの」と返す。それで、会話は終わり。両親が三年前に病気で亡くなってからは、お姉ちゃんと二人暮らしだが禄に会話は交わしていない。食卓に並んでもお姉ちゃんが慈悲の眼差しを向けながら他愛もないことを話し、私は聞き流しながら曖昧に返事をする。その後は、お互い仕事をして最後に「おやすみなさい」と言うだけ。そんな乾いた日々を続けていた時だった。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なあに、ノエル?」
いつものように、右頬が爛れたお姉ちゃんは不器用な笑みを浮かべながら私に振り返る。
私は一輪の紫色の
「わあ、綺麗な花ね。ありがとう、ノエル」
「うん、喜んでくれて嬉しいよ」
久々に交わすお姉ちゃんとの会話。彼女は純粋に微笑んで私の頭をそっと撫でる。
ゾクリ、と背筋が震えた。何とか表情に出さないよう、私は愛想笑いを浮かべる。お姉ちゃんのことは好きだ。今はもうたった一人しかいない肉親で、家族として愛している。だけど、それ以上にお姉ちゃんに向けている感情は罪悪感と恐怖だ。本当はもっと綺麗な顔をしていたのに。村の人達から謙遜されることがなかったはずなのに。どこでも接客業が貰えないからって無理して肉体労働をする必要だって本当はなかったはずなのに。全部、私がお姉ちゃんの人生を奪ったんだ。
なのにお姉ちゃんは「許す」と言って笑っている。本気で、私のことを怒らず大切な妹として愛しているのだ。それが、どうしようもなく怖い。人生を奪った人間を受け入れいるその感性が、私にはどうしても理解できなかった。
だから、この花は私の気持ちを精一杯込めたプレゼント。私も、お姉ちゃんも共通して花が好きという趣味があるから、きっと気持ちに気付いてくれるだろう。紫のカンパニュラの花言葉は「後悔」。そう、私はずっとお姉ちゃんに後悔し続けているのだ。
どうか赦さないでほしい。私という愚かな人間を愛さないでほしい。お姉ちゃんはもっと自分を大切にするべきなのだ。もっと自分を愛するべきなのだ。だって。だって。
────もし私が同じことをされたら、きっとお姉ちゃんの皮を剥いで自分の肌にくっつけようとするぐらい、赦せないんだもの。
※※※※
「ノエル。昨日は本当にありがとうね」
「う、うん。気にしなくていいよ、ただ私がお姉ちゃんに気持ちを伝えたかっただけだから」
「ふふ、そうね。ねえ、ノエル」
「なあに? お姉ちゃん」
お姉ちゃんは────ナタリアは、いつものように慈愛に満ちた眼差しで私に微笑みながら口を開いた。
「お返し、しておいたから。あなたの部屋に置いてあるわよ」
「え……?」
どういう意味だろうか。
お姉ちゃんは「じゃあご飯作るから」と台所へ向かってしまう。残された私は嫌な予感を覚え、冷や汗を流し鼓動が乱れながらもゆっくりと自分の部屋へ戻っていった。
そこの机には。
一輪の
ネモフィラ。
その花言葉は「あなたを許す」。
「────ッ!!!!?」
気が付いたら私は窓を開けて、外に向けて花瓶を放り投げていた。
「ぁ、あ、あぁ…………」
震える両手で己の身体を抱き締める。
気が付けば両の瞳から涙が溢れていた。そのまま訳も分からない感情と共に、私は顔をうずめて静かに泣く。
「ああぁぁ…………!!」
分からない。お姉ちゃんのことが本当に分からない。
何故、何故、何故!! 無数の疑問が私の中に浮かび上がる。
どうして、お姉ちゃんは赦せるのか。どうして、お姉ちゃんは私のことを一番に想ってくれるのか。どうして、お姉ちゃんはそんなにも前向きなのか。
私はもう、今のお姉ちゃんを見ていない。ずっと不細工な傷が無かった綺麗なお姉ちゃんしか見ていない。あの日傷を負わせてしまった頃から、私は過去に縛られ続けている。
無理解、非理解、不理解。お姉ちゃんと私の気持ちが交錯することはない。
それに気付いて、そんなお姉ちゃんが怖くなって、悲しくなって、嫌悪感すら覚えているのに。
「ノエルー?」
遠くからお姉ちゃんの声が聞こえてくる。私は耳を塞いだが、それでも嫌というほどに優しい声が耳に入り込んでくる。
「ご飯できたわよー」
お姉ちゃんが部屋に入ってくる。すすり泣く私を見たお姉ちゃんは、取り乱さずにそっと私を抱きしめた。お姉ちゃんの温もりが伝わってくる。
「大丈夫。大丈夫だから」
そう言ってお姉ちゃんはあやすように慈しむように私の背中を撫でて、優しく囁く。
「ノエルは自分を責めなくていいの。お姉ちゃんは大丈夫だから」
きっと、今日も明日もこれからも、お姉ちゃんはそうやって私を赦し続けるのだろう。
そうして、私が償う機会を一生与えないのだ。私の存在意義すら取り上げられて、ただ私は緩やかに心を殺されていくしかないのだ。
ああ、どうか。どうかお願いですから。
────どうか、神様。私を罰して下さい。
静かに祈りを乞いて、私は一筋の涙を流した。
風鈴草と瑠璃唐草 火侍 @hisamurai666
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