情報過多精神的瑕疵物件 1
案内所は相変わらず静寂の日々を淡々とこなしている。
花子の散歩。篠崎さんが買ってくる昼食とデザート。所長がバカ笑いしながらネットサーフィン。
気まぐれで出所して家に帰って本を読んで鮫岡夫婦の昔話に付き合って、偶にティンカーさんの喫茶店に立ち寄って時間を潰す。
もう長らくメモ帳に表現の語彙を書き込んでいない。
衣食住が約束されたぬるま湯の現状に浸りきりで進歩がない。
そこそこ貧乏も体験した。
季節の移ろいをダイレクトに感じられる薄い壁と狭い室内へ侵入する虫。
毎朝の卵かけご飯。おかずは三日に一品。
服が乾かない日陰。
そんな日々と比べたら現状は間違いなく天国だ。ちょっと、非現実的だけど。
つらつらと綴れば充分にファンタジーなのだが、案内所や鮫岡夫婦に迷惑をかける事になるのは火を見るよりも明らか。
よって実家から時折帰ってくるように連絡が来ても現状を素直に話せる筈がないので、毎度の言い訳も苦しい。
そんな時、自分の発想力や想像力の低さに絶望する。
あぁ、また今日も流れ過ぎる一日を案内所で花子を撫でながら過ごそう。
親への言い訳を3人集まれば文殊の知恵で捻り出してもらおう。
なんて考えながら案内所の扉の前に立つと、中から啜り泣く女性の声が聞こえてきた。
「うんうん、生きていれば失敗のひとつやふたつもあるよぉ。ほらぁ、泣いてばかりじゃあ脱水症状になっちゃうからぁ、コーヒーでも飲んでぇ」
一般的に水分補給にコーヒーを奨める是非を今は横に置いといて。
「あっ!ちょうどいい所にぃきたねぇ。ほらぁ、彼を見習って」
それはどういう意味だ。白木さん以来の来客に浮かれているのは理解できたが、一言が大いに余分だ。
女性はひたすら両手を顔に当てて泣き続ける。
腰まで伸びる黒い髪。
初夏らしい白いシャツにデニムパンツが体の震えに合わせて微動している。
篠崎さんは花子を朝の散歩に連れていってるようだ。
女性は泣いて泣いて泣き続け、泣き止んで机の向かいの所長と背後の僕を見比べた。
「あっ、やっと泣き止んだねぇ。それじゃあ、ここを訪ねてきたぁ訳をおしえてほしいなぁ」
褐色とまではいかない少し浅黒い肌。
意思が強そうな切り上げられた眉毛。
筋の通った鼻。赤い唇。
泣き腫れたぼったい顔をしていても分かる。
「かおりねぇ……」
最後に見た時と髪型が全く違うが、それは僕の二番目の姉だった。
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