胡麻の廃屋 1
夕方にもなると、まだ冬が残っているビル風が街路樹の新芽を揺らす春先。
杉原は案内所で相変わらずな、読書と篠崎が何処からか買ってくる昼飯とおやつを頂く日々を過ごしていた。
こんな都会でも野良猫達は命を次いでおり、喧嘩とも発情ともとれる甲高い声が時折、案内所にいても聞こえてくる。
杉原を始めとして、案内所の面子も相変わらずである。
この胡散臭い案内所の所長、小田は黒と茶の虎柄の犬、花子を朝のうちに散歩させるのが日課で案内所に居る時は意味もなくパソコンを弄っている。
一応テーブルに置かれている固定電話は1度も鳴らずに、埃で黒くなっている。
杉原と向かい合って座る篠崎は煙草を咥えたまま御札を書いている。
怠そうに舌打ちしながら書かれた御札でその効力が疑わしく思われるが、効力が充分あるのは杉原自身が身を持って体験している。
因みに小田曰く、これをインターネットで販売するのが主な収入源となっているそう。
最近は煙草を吸う頻度が低くなっており、灰皿を変えるのが半日に1回から1日に1回となった。
花子は大体寝ており、起きているときは擦り寄ってきて撫でるように催促してくる。
時々姿を消す。気が付いたらちゃんと居る。
本当にただの犬なのか疑わしい。
平和である事は素晴らし事だ。退屈を感じる器官はとうの昔に仕事を放棄している。
どうだろう、せっかくの春である。
散歩がてら夜のティンカーさんの喫茶店でお酒でも呑んでみようか。
1人で行こうと立ち上がると、所長に呼び止められた。
「あっ、杉ちゃんどっか行くのぉ?せっかくだしぃ、篠崎ちゃんと行きなよぉ。」
最近ずっとこれである。
所長は僕が家に帰るとき以外ちょっと新しい本を買いに行こうと、たまには外でご飯を食べようとすると篠崎さんと行くように行ってくるのだ。
命令ではなく本当に「ちょっとどう?」と催促してくるが、じゃあ当の篠崎さんに「一緒にどうですか?」と誘おうにも返事が無いのだ。
確かにバーでひとりグラスを傾けるより、何故だか今日は無性に話し相手が欲しい。
「一緒にどうですか?」
そう言いかけた時だった。
案内所の扉が外から開いた。
蔦が絡む廃屋の庭に、一本の桜の木が植わっている。
家主が行方不明になって以来、青々と茂る葉はすっかり落ちて幹と枝だけになってしまった。
道に面した廃屋の台所は、擦りガラス越しに食器洗剤の容器と吊るされた鍋が並んでいるのが見える。
春先の冷たい風を受けて、微かに動く換気扇のプロペラ。
胡麻を煎る香りを漂よわせる。
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