事故賃貸物件案内所

アホマン

バターナイフの切れ味は 1

家賃滞納でボロアパートを追い出され、高層ビルの間を抜ける雪混じりの風を受けながら、防寒の役割を成していないコートを着て宛もなくさまよう。

作家を夢見て名古屋へ来た去年の今頃は、景色を文字に残す為に、上着の胸ポケットからメモ帳とボールペンを取り出しては、自分の言葉を殴り書きしたものだ。

最初のページには、曇天の空からと今書こうとした言葉が書かれている。

一年間フリーターとして働く傍ら執筆活動をしてきたが、メモ帳が成長の無さを物語っていた。

壊れてファスナーが閉まらなくなった長財布の中には、実家に帰る金だけが残っている。

宛もなくさまよっているはずが、足は遠回りしながら、駅の方へ向かっていた。

大きな通りを避けてビルが僅かな陽射しさえも遮る裏道を這うように歩いていると、反対側の歩道に、そこだけ夜のような空き地に微かな明かりが灯っている。

このまま素通りすれば

(結局、二度と戻る事の無かったあの裏通りの灯りはなんだったんだろう?)

心残りになるのは容易に想像出来た。

よくよく見ると奇妙な建物である。

陽の当たらない陰気な場所に建っている上に、隠れるように黒色に塗装して、所々に苔が生えている。指先ですっと擦ると、木目の凹凸を感じた。

灯りは、軒先にぶら下がっている年季を感じさせるランプだった。

その灯りの下に、彫られて露出した白い肌目が、文字になっている。

[事故賃借物件案内所]

これは...名前なのか? 窓ガラスが付いていないので中を覗き見る事は出来ないが、全体の雰囲気と相まって怪し過ぎる。

本能的に厄介事にならないようにと踵を返す。

「いらっしゃい。あなたにぴったりの物件あるよ。」

背後から妙に間延びした声を掛けられた。



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