手下になるよう、へっぽこ悪魔に迫られています
アホマン
出会い
この世には、地上に出てから一週間でその生涯を終える蝉という儚い生き物がいる。
命を繋ぐ為に、一週間を無駄なく懸命に生きるのだ。
そんな蝉にはこの高校生、杉水がどんな風に映るのだろうか。
その書物を手に入れたのは、アルバイト先の古本屋だった。
店先に設置された1冊100円。3冊まとめて200円のワゴンの日焼けした書物の中に紛れていた。
ワゴンセールの書物をいちいち仕切りで別けたりしない筈で、なんの決りなく並べられた文庫本からひとつ頭が飛び出た黒いそれは、街の観光案内のパンフレット程の厚みで表紙は真っ黒、真ん中に書かれたタイトルは赤字で「にんげんをやめたいひとへ」
タイトルの下には、著者の名前らしき「エメラダ」と書かれている。同じく赤字で、タイトルも名前も手書きのように文字の大きさはバラバラで、歪んでいる。
店長に聞いても「知らないなぁ。けんちゃんはぁ何か知ってるう?」と答えるだけで、パソコンで買取りの記録と照らし合わせても記録がない。
「誰かのイタズラかも知れませんね。」
横からパソコン画面を覗き込んで来たのは、副店長の男鹿建次(おがけんじ)さん。
丸々と贅肉がついた店長の飯田梶(いいだかじ)とは対照的に、日に焼けて健康的で筋肉質。
「杉ちゃんが見つけたんでしょおぉ?なら、杉ちゃんにあげるよぉ。」
杉水達郎(すぎみずたつろう)は、特に秀でた物も夢も持たない平均値ど真ん中の高校2年生。
親友と呼べる人間は僅か、部活動にも所属せず、日々を小さい時から通っていた今はアルバイト先の古本屋で、店長から気まぐれに貰う本を読んで過ごしている。
アルバイトから帰ってきて、早速開いてみたその本には奇妙な事が書かれていた。
「これをみたにんげんへ。これからいっしゅうかん、このほんにかかれていることにしたがうこと。」
初日は、牛乳1リットル一気飲みだった。
年がら年中カレンダーにメモする予定が無い杉水は当然、同級生達が青春を謳歌する夏休みも何の予定も無い。
故に杉水は本に書かれている事に忠実に従った。
アルバイト先で見つけた奇妙な本なんて刺激的で怪しいイベントは、疑う事を知らない杉水を熱中させた。
2日目∶炎天下で全力疾走。
3日目∶顔を水に漬けて3分間、息を止める。
4日目∶12時間、水分を摂らない。
5日目∶出来るだけ寒い所で過ごす。
6日目∶自分の顔を叩く。
7日目∶右手を拳にして空に向かって突き上げ、裸に近い格好で「エメラダ」と叫ぶ。
傍から見れば、なんて無味無臭で滑稽で珍妙な一週間を過ごしたものか。
同じ一週間を、アパートの部屋から見える街路樹で蝉たちが懸命に命を繋ぐ為に生きているのに。
杉水は自嘲した。幾ら何でも自分はここまでアホとは思わなかった。
上は半袖のTシャツ一枚、下はパンツ一枚。
外から聞こえてくる蝉時雨が、自分を非難しているようだ。
蒸し暑い部屋でフローリングの床に寝転がって、天井を仰ぐ。
「なにやってんだ俺は……。」
返事は無い。出来たら誰かにして欲しいが。そうだな…隣の部屋で暮らす、るい姉から叱って欲しい。
「私を呼んだのはお前か。」
とうとう暑過ぎで幻聴が聞こえるようになったか。
嫌だな。今日はバイトを休ませて貰おうかな。
「答えよ。」
幻聴って苛立ってるように聞こえるんだな。
「私を見ろ!」
はいはい見ますよ。どうせ誰も居ないだろうけど。
その予想は見事に外れた。
自分の部屋からリビングに続く扉の前に、少女より女児と言うべき者がいる。
褐色の肌に黒い瞳、メロンソーダにほんのり溶けたアイスクリームが混じったような緑が強い黄緑の髪。その髪を額の上辺りで、二つの団子にしている。
服装も妙だ。アルバイトの休憩中、たまに眺める民族衣装の写真集。その中のどれとも似通ってどれとも一致しない奇妙な服装。
一歩ずつこちらに歩み寄る度、鈴の音がする。
「私はエメラダ。お前は誰だ?」
じっと顔をのぞき込んでくる。見た目と反して高圧的な態度が、どうも杉水の中で一致しない。
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