氾濫の前日と後日




「兵隊さん、このギルドは初めてですか?」



 これは迷宮へ討伐隊を送る前日のことです。


 今まで見たことがない男の人が、受付の周りをウロウロしていたので、声を掛けてみました。


 いつもと違ったギルドの雰囲気なのですが、一般的な受付係とは違った格好にも戸惑う人は少なくないのですから。


 今日は胸元が大胆に開いた服装ですが、もっと涼しい恰好にしとけばよかったと、後で溜息が出そうになったことは内緒です。



「僕は兵士ではないんですが…」


「これは何の説明もなく失礼しました。この町では、ギルドに仕事を求めてくる方々のことを皆『兵隊さん』と呼びます」


「…そうでしたか、今日この町に着いたばかりなもので。それで僕の方こそ失礼ですが、君がギルドの受付?」


「はい、私で間違いありません」


「何というか、その恰好もこの町ならではということで合ってる?」


「いえ、これは私個人の都合です。兵隊さん達への視覚的慰安目的も含めてますので、お気遣いなく」


「あはは…」



 暫く他愛のない話をしていましたが、本来の目的を思い出した彼が本題を切り出します。


 周りの忙しない様子から悟ったのでしょう、どことなく遠慮がちでした。



「ところで仕事探しているんですが、今は募集してないとか?」


「申し訳ありませんが、只今この町の緊急事態により、受付出来る依頼は一つしかありません」


「その依頼とは?」


「地下迷宮の氾濫に対する編成隊に参加して頂くことです」



 普段なら畑を荒らす害獣駆除や大工仕事の助っ人等、色々な仕事があるのですが、今は町ぐるみの事件で皆それどころではありません。


 直接戦闘に関わらなくとも、討伐に向かう方々等への支援としても様々な準備が必要となるのです。


 私は連絡係として受付に残っていますが、こうして事情を知らない来訪者に説明するのも私の役目。


 よそから来た人とはいえ、人手は人手、討伐隊に加入してもらえば戦力補充となりえます。


 地元の兵隊さんとは違って無償とはいきませんが、その辺は教会が負担するので問題ないでしょう。


 ですが、いくら教会には多額の出費を促したいとはいえ、下手に他人を巻き込む訳にはいきません。


 私情を抜きにして、私は討伐依頼についての詳しい条件等を説明します。



「報酬が思ったより高額ですね」


「今回は特例として、ギルドは仲介料を取っていないというのもありますが、その代わり、かなりの危険があると考えて下さい」



 町出身の兵隊さん達が無償に対して、ギルドが賃金を受け取るのも気が引けるということで返上しています。


 我々ギルドは金に固執していないという、教会に対する意思表示である意味合いもあるのですが。



「その依頼、受けます」



 新入りさんは、少し考えてから結論を出しました。


 彼の装備は傷入りの革鎧と少々頼りなさげですが、得物は護身用とは違った感じだったので大丈夫でしょう。


 迷宮への挑戦は自己責任であることも納得していた様子なので、彼が所持しているこの町リンデの滞在許可書にギルド印を押しました。


 滞在許可書は、出身者以外がこの町リンデに立ち寄った際に発行され、町での身分が保証されます。


 町全体は高い塀で囲まれているので野党や猛獣の侵入を防ぎ、出入り口も厳重かつ来訪者の管理も行き届いている。


 その安全を保つために町の外から来た人には、いくらかの料金を支払ってもらい、滞在許可書はその引き換えとして発行されるのです。


 私も最初は訪問者として滞在していたのですが、一定期間の労働及び貢献により、今は出身者同等として扱ってもらっているので、許可書は必要ありません。


 滞在許可書には滞在期間が限定されていますが、ギルド印が有効な間は日数が計算さず、依頼の修了報告と同時に印を塗りつぶす仕組みです。



「では明日の午後、迷宮前にて集合ですので場所は確認しておいて下さい」


「わかりました」



 これでギルドでの手続きは終わったのですが、彼には別の洗礼が待ち受けています。


 洗礼は洗礼でも宗教的な意味ではありませんが、何しろ相手が相手なので、それで合っているといえば合っているのかもしれません。


 むしろ彼女達の言葉を借りるのであれば、それこそ『試練』なのですが。



「ちょっと、そこの貴方、この町の方ではありませんね?」


「…ええ、今日来たばかりですが、何か?」


「貴方は、神の存在を信じますか?」



 彼女は、教会の修道女ミスカ。


 はっきり言って顔も見たくはないのですが、対象が私でないだけまだまし。ですが、それでもやはり鬱陶しいことに変わりありません。


 彼女はあの後、司祭から何も聞いていないのでしょうか。それとも聞いていながら、知らないふりをしているのでしょうか。


 間違いなく後者であると断言出来てしまう彼女の顔の皮の厚さが、目に入るだけでも本当に暑苦しい。


 各国の治療術師が町に到着したことを知らせに来たのはいいですが、そのまま居付き、ああして依頼を受けた来訪者に声を掛けている。


 狙いは、教会には出来るだけ出費させたいと思える私とは逆といったところでしょう。


 つまり、入信させて御布施代わりに討伐依頼に対しての支払いを帳消しにするといったところでしょうか。


 既に信者であるのなら、教会の災難を訴えるだけで用が済むかもしれません。



「そういったことには興味がないんで…」


「せめて話だけでも聞いてくださいよ」


「これから色々準備しなきゃなんで…」


「お手間は取らせませんから」



 始めはありきたりな勧誘を巡ってのやり取りでしたが、いつの間にか白熱していました。



「だから、貴方が今こうして在り続けるのは神の思し召しなのです」


「では、僕の兄弟達が早くに亡くなったのも神の意思だというのか?」


「それは、彼らが神に愛されたからお召しがあったのです」


「それなら僕は愛されてないということですよね?」


「いえ、決してそんな訳では…」


「もう沢山だ! 神に愛されても愛されなくても碌なことはない!」


「そんな聞き分けのないことを言っていると、今に罰が当たりますよ!」


「罰ならもう当たっているさ! こんなにも不快な思いをさせられている!」



 この場合の『神に愛される』は『神の試練』同様、結果が思わしくない時の現実逃避を促す言葉。


 ちゃんと現実に向かい合っている人にとっては、使いどころを誤ると、神経を逆なでされた気分となりうるのです。



「ツェルジオウィズィッ!」



 唐突に響いた発声で、私は反射的に刀を取りました。


 他からは死角となる受付左手傍らに、いつも立てかけてあります。


 鍔に近い鞘の部分を握りしめ、右手が柄に掛かろうとしていたところで、ひと呼吸。


 恐らく勧誘の上手くいかなかった修道女が捨て台詞を吐いたのでしょう。


 一方、兵隊さんは、言葉の意味が分からなくて毒気を抜かれた様子。


 そんな彼を放置するように、彼女は去っていきました。


 私は取りあえず刀を置きますが、心中は穏やかではありません。



 その後、この兵隊さんは瀕死の重傷を負うことになりますが、命を取り留めます。


 その言葉の意味を知る私の手によって。







『ピッ』



 私の耳元で通知音に続き、金属的な音声情報が流れる。



『チカメイキュウノセイタイハンノウヲセイサシタケッカ、タイショウコタイスウノゲンショウニヨリハンランハシュウソクサレタトハンダンサレマス』



 これは私の持つ魔法というか能力というか、どう分類していいのか未だに迷う。


 個人の範囲でなら感覚や勘で済ませても問題ないのだが、実はこの音声、近くにいる他人が耳を澄ませば聞こえてしまう。


 実際には言っていることが難解な傾向もあり、何を言っているのかまでは聞き取られることはない。


 しかし怪しい現象であることは変わりなく、いつからか私は『妖精憑き』なんて呼ばれるようになった。


 便利な妖精が囁いているということで周りが納得するのなら、それでよしと甘受している。



 取りあえず、ここ二、三日の調査で迷宮の小鬼達の数も安定しているということで、事件は解決としておきましょう。


 私が迷宮を出ると辺りは既に暗くなっていたが、この時間ではもう乗り遅れたかもしれない。


 今夜は、討伐隊編成に関わった者たちの為の宴が、町の住人達によって用意されていた。



『ピッ。ニジュッポサキノロカタニセイタイハンノウアリ。タイショウノタイナイニチクセキサレタアセトアルデヒドノブンカイガエンタイシテイルモヨウ』



 要するに酔い潰れているということで、私は彼の傍らに足を進める。


 会場はギルド前の広場だが、遠目から見ても色々と準備されていただろうことが知れた。


 町の政は、いやこの場合は祭りごとと言った方がいいのか、町長が仕切るのだが、彼女は事件の事後処理で未だそれどころではない筈。


 もしこの宴が極普通に暮らしている一般人の提案であれば、これ程感慨深いこともないだろう。


 この男とギルドを再起動させてきたのだが、余裕がなく、今まで市井とかけ離れてしまっていた感がある。


 そこを彼等に労われたとすれば、酒瓶を抱えて転がっている彼の気持ちも分からなくはない。


 私は会場に背を向けて彼の傍らに腰かけ、夜空を仰ぐ。



『ピッ。コウホウニトクテイタイショウノセッキンヲカクニンシマシタ』



 そう告げられてから数秒経つが、彼女は中々接触してこない。


 それにしびれを切らした訳ではないが、私は振り返らずに口を開いた。



「ノーラ、そこで何をしているのですか?」


「えぇー、折角驚かそうとしてたのにぃ。あ、そうか、先生には『妖精さん』がいるもんねぇ。ばれて当然かぁ。てか、先生、来るの遅い!」


「かなり飲んでますね」


「えぇー、説教するんですか?」



 そんなつもりで言った訳ではないのだが、彼女としては後ろめたさみたいなものがあるのかもしれない。


 彼女には確かに教会との確執がある。憎き相手が損害を被ったという意味でも祝杯を挙げていたのだろう。


 普通の保護者なら、人の災難を喜ぶなとか、調子に乗るなだとか、言うのだろうか。



「そんなつもりはありませんよ」


「本当に?」


「ええ」


「そっか」



 心なしか寂しそうに見えるのは、叱って欲しいというか構って欲しいといったところさろうか。


 言っておくべきことはあるのだが、説教しないと述べた手前そうもいかないので、又の機会としよう。



「ねぇ、先生」


「何でしょう」



 ノーラは、私を真似るような感じで、その横に座りこんだ。



「教会って何の為にあるの?」



 それを今更聴くかと茶化したいところだが、酔っ払い口調が元に戻ったことから、それだけ彼女は真剣なんだろう。



「個人としては、教会が謳う教義の通りです。あの修道女から散々聞いていたでしょう」



 教会の在り方、伝え方云々は置いておくとして、道徳的観念から見れば基本的には間違っていない。


 平穏な暮らしを営む為の教科書的役割はある。



「個人でなければ?」


「国家としてですね」


「国家…ですか?」


「そう、国家を運営する側にも都合のいいことがあります」



 教義では、人は規則正しく生活をすることを美徳とするが、これが民衆の管理を容易なものとする。


 同じ時間を共有することで強固な団体意識を育て、価値観を統一することも可能だろう。


 そして、それらは労働においても効率的な生産性を引き上げることとなり、直接国力に繋がる。


 私は以上のことをノーラに説明した。



「何よ。いいことばかりじゃない」



 それが利点ばかり話す私に対する憤りなのかは知れないが、ふくれっ面をしながらノーラはつぶやく。


  いくら憎い相手でも、認めるところは認める。これは恐らく彼女の祖父が為した教育の賜物だろう。


 因みにノーラと私の縁は、今は亡き彼が繋げたようなものである。



「ただし、その枠組みから外れると並大抵では戻れません」



 そう、彼らは異端者を極端に嫌う。時として、本人のせいでなくとも人扱いされない場合もある。


 それが分かっているのか、ノーラは何も言わなかったが、重い空気にさせたと私は話を変える。



「そうそう、言っておくことがありました」


「えっ、やっぱり説教ですか?」


「…ブレンを酔いつぶすのはやめなさい。貴女の仕業ですよね?」



 私は傍に転がっている人物、ブレンの方を見る。


 ブレンはいくら美人に勧められようと、こんな飲み方はしないのだが、思った通り今日は特別だったのだろう。



「そんなつもりはなかったんですけど、てへっ」


「最後のが言いたかっただけでしょう。全く、貴女はどれだけ酒に強いのやら」



 お酌してくれるのが美人だから断り辛いというのもあるが、彼女の場合、勧めた分以上に飲むのがいけない。それが結局、お酌の相手をつぶしてしまうこととなる。


 ノーラとの話を終えて、ギルド長を背負いながら会場の方を窺うと、妙に静かだ。


 これも彼女の仕業だとすると、教会以上に恐ろしい相手なのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る