自重すべき受付嬢がいる町

@shinoto

日常編1

プロローグ 男前




 意識が朦朧としている。もうダメなのだろう、この傷では。


 革製の鎧がなければ即死だったろうが、奴らが振るう小剣が僕を捉えたのだ。


 小鬼討伐の編成隊に志願したものの、作戦遂行中に思わぬ反撃を受けて、僕は重症の負傷兵として救助はされた。


 ここはその依頼の募集を担ったギルドの施設内だが、普段こういった使い方はなされない。


 病室のような設備があるわけではなく、石畳の床に申し訳程度の敷物が関の山。


 多数の怪我人で医療棟が不十分なのだろうが、ここで治療を受けるのは比較的軽症の患者であるはず。


 それとも実はここが仮の霊安室で、医者には既に匙を投げられた末のことだろうか。


 やけに周りが静まり返っていることから鑑みると、この悲観的な展開も現実味を帯びてくるのかもしれない。


 そこまでの考察にたどり着くやいなや、そこはかとなく気力が失われてくる感じがした。



『あまり良いことなかったな…』



 決して長いとは言えない自分の半生を振り返ってしまう。


 普通ならまだまだ若い勢いで、そんな弱気を吹き飛ばす筈なのだが、血の気が沸き立たないくらい活力を失っている様。


 このまま命を落とすことすら不幸そのものであるが、思った程にはそう感じられなかったのは、目の前の人物のせい、というか御蔭だろう。


 というのも一人の女性が、目の前に立ちはだかっているのだ。


 正確には、仰向けに横たわる僕の頭上付近に彼女の両足があり、必然的に上下が真逆となった視点から彼女を見上げることとなる。


 最期を看取ってくれるのが彼女であるのなら勿論だが、普段ではありえない角度から彼女の身体を拝むことができた。


 後で思うと、余裕のないこの状況下では仕方のないことだろうが、彼女の表情はまるで僕を面倒ごとのように見下しているともとれる。


 最近おかしな性癖に目覚める輩が多いと聞くが、決してそこに琴線が触れたわけではない。


 むしろそれよりも品のない話ではあるが、普通の男であれば何だが救われるような気分になるだろう。


 僕の合法的な視点を知ってか知らずか、まるで彼女は下半身を見せつけているかのように身体を反らせ、短いスカートの中身が更に露わになる。



『白…いや、薄い…ベージュかな…』



 相対的にはほんの小さなものであるが、僕は不幸中の眼福をそれはそれは受動的に堪能した。



 実はこの女性、己が討伐参加を受け付けした担当者。


 自分も含めてだが、むさくるしい男が集まるギルドにおいて紅一点の存在だといっても過言ではない。


 勿論、彼女が男勝りの容姿や体格をしているという落ちではなく、それこそ娼館で一番の売上を確保出来るくらい見目麗しい。


 娼館で例えたのは我ながら心許ないが、それを彷彿させるような服装が多く見られ、またそれらがよく似合う体型をしていると補足しておく。


 そうなると彼女をチヤホヤする輩も多いが、それに胡坐をかくことなく受付としての対応もその器量相当である。



 そんな女性の下着の向こう側、それを想像しやすい、この成り行きに僕の意識は朦朧とし始めた。







 私はこのギルドの受付嬢。


 緊急事態の今は多数の怪我人が搬送され、言わば野戦病院と化した仕事場で従事している。


 この町における病院の収容人数が限界に達した為、ギルドでも急遽患者を受け入れることとなりました。


 普通のギルドなら比較的軽症の人々を様子見する、一時的な避難所の役割でしかありません。


 その職員も保護された被害者に水、食料、薬品等を配り回る程度が限界でしょう。


 しかしながら、私は一受付嬢としては過ぎたる技術を持っているということで、その分、過ぎたる役目が巡ってくるのです。


 その過ぎたる技術とは、勿論この惨憺たる有り様にそれはそれは見事に適合したものであり、次から次へと負傷者が運ばれてきました。


 これで一体何人目になるのか、なるべくそうは思わないようにしていましたが、ついにその限界がやってきたのです。


 ここはギルドが避難所として解放している残り最後の広間で、そこにただ一人だけが横たわっていました。


 恐らくこれで最後ということですが、何とも言い難い無駄な有様が私の疲労感を増幅させます。


 一晩通しで何人もの被害者を手当てし、飲まず食わずで生理現象も度々我慢させられる始末。


 発汗等で湿気を帯びた下腹部付近から漂う体臭も自覚出来、そろそろ何とかしなければ…。


 そう懸念しながらこの広間一番乗りの患者に歩み寄った際、私はいつもの営業スマイルを見せる余裕がありませんでした。


 冷たく見下ろしていると思われても仕方がないのは自覚していますが、取り繕うのも億劫です。


 これまでの治療行為により、断続的に屈んでいた体勢が無意識に己が背中を反らせる動きを誘発してしまいます。


 その行動を容認してから思ったのですが、異性に対しては不適切この上ない振る舞いであることに気付きました。


 私が身に着けているスカートは、ただでさえ短めなのですが、蒸れる下半身の換気措置として、そのベルトの位置を引き上げていたのです。


 最近肌の露出が多い服装が標準化している私でも、わざわざ人前で下着を見せびらかすようなことはしません。


 ですが、たまにはこんな偶発的な出来事を容認するのも、無駄に美人である自分の役割なのでしょう。ということで私は、いつも通り何事もなかったように装いました。


 そのまま患者の容態を診ようとしゃがみ込むと、さっきまで苦悶していたその表情が何だか穏やかになっています。



『不味いわね…』



 私はその変化に思うところがありました。


 今まで様々な人の最期に居合わせましたが、これは命の炎が消失しつつある兆候であることも否めません。


 このままいい顔で息を引き取った例も少なくないという経験から、決して楽観視はできないのです。


 私は持ち込んだ薬品袋の中から気付けとなる物を探しますが、先ほど手持ちが無くなったことを失念していました。


 他の誰かに追加をお願いしようにも丁度出払ってしまったようで、自分で取りに行くしかない。


 ですが、今は意識を失いかけている患者以外は自分しかいない。そんな状況が己を怠惰な考えへと導き、もはや私はそれに抗うことが出来ません。


 私は予め消毒液を傍らに用意し、徐にとある布切れを抜き取り、それを患者の鼻に被せて押し付けた。









「うっぁ!」



 ツーンとした刺激臭で我に返った。


 鼻に独特な不快感はあったものの、何だか無性に高揚させられるような妙な気分となる。


 クセがあるが癖になりそう、といったところだろうか。


 変な感想を頭に過らせていると、視界には臭いの元となっていただろう代物を摘み上げる彼女がいた。


 そして直ぐさま別の布で顔を拭き取られたのだが、今度は馴染みのある消毒液の香りから、自分が治療されていることを悟ったのだ。



『見放されたわけではないのか…』



 つい先程まで失意に近かった情緒が安定したせいか、目に映る彼女が既に屈んだ姿勢でいることを、現金にも残念に思えた。


 それに加えて、清潔感漂う消毒液で掻き消されつつある奇妙な残り香にも、未練が有るような無いような。



「っつぅ!」



 そんな自分の邪な考えを諫めるかのように傷口から更なる痛みが僕を襲う。


 彼女は僕の体中に消毒液を塗りたくったのだ。



「あまり、見ないほうがいいわよ」



 自分の患部が気になると思われたのだろう。そんな僕に彼女は注意を促すが、確かに酷い有様なら再び気が滅入る可能性もある。


 僕は言われるがまま目を閉じて彼女の治療に身を任せたが、目を瞑るほどの凄惨な負担はなかった。


 あれよあれよという間に治療が進み、そのうち他の職員もやってきて包帯も滞りなく巻いてもらえた。



「ほい、お疲れさん!」



 上半身を起こした僕の背後にいる男が、にこやかに話しかけてくる。


 包帯の処置をするために僕の身体を支えてくれていたのだ。


 彼は再び僕を床に横たわらせるが、少々乱暴だったので思わず呻き声を上げてしまう。



「ギルド長、怪我人にはもっと優しく!」


「お前さんが治療したのなら多少は大丈夫だろ?」


「そういう問題じゃありません!」


「そ、そうかい?」



 ギルド長自身が彼女の助手的要員だったことに驚きを隠せないが、長が現場で従事していることには好感を持った。


 怪我人とはいえ、男同士なら多少雑に扱うだろうことも納得している上で、ここは助け舟を出しておくべきだろう。


 しかしながら、そんな我が心情を知ってか知らずか、彼女は僕にも同じ口調で注意を促す。



「それから貴方も、これはあくまで応急処置でしかないから、下手に動くと傷が開くわよ!」


「は、はい…」



 彼女の迫力に負けた僕は、何かを言わんとして少し上げていた首を再び床に降ろした。


 そのまま視線が上を向くと、そこには再び彼女が先程と同じ位置に立ちはだかっている。


 またあの光景が目に入るのであれば、流石に二度目となると凝視するわけにもいかない。


 本能に従おうとする我が目を逸らそうとするが、一瞬視線に入った彼女の姿が先程と違っていることに気が付いた。



『えっっっっっ!!!』



 あまりにもの驚きで本能も理性も関係なく、問題の部位に目が釘付けになったのである。









「うーーーーんっ!」



 ブレン、いえ、ここではギルド長、彼から負傷者の治療はこれで最後だと告げられていたので、一気に気が抜けました。


 やっと終わったという解放感で思いっ切り背伸びをした、別の何かも解放されていることを忘れて…。



「おいおい、ノーラ、足元…」



 私の名前を呼ぶギルド長は患者さんのことを示唆したのでしょう、どうやら私は同じ失態、いえ痴態を繰り返したようです。


 はしたないとは思いますが、私としては今更なことで、間が悪い出来事が重なったに過ぎません。


 多少下着を見られたくらいで、私が年頃の娘らしく動揺しないことは、ブレンも既に知っているはず。



「いや、お前さんがそれでいいなら、別にかまわないが…」



 そこはかとなく含みを持たせる言葉を嘯きながら、彼の視線は他の何かに注がれていました。


 その方向を見下ろすと、私が気付け薬の代替品として使ったアレが床に転がっています。


 流石に他の薬品と同じ扱いは出来ないので、別にしていたつもりが、そのままになっていたのでしょう。


 確かにあのブレンなら興味を引くものであるが、いや、そんな顔してもあげませんよ?


 あれは言わば私の血と汗の結晶…いえ、血は大げさかな、色んな意味で。



「あ、あの…」



 意識が変な方に向いていたその時、患者さんが私に呼びかけてきました。


 彼は顔を横に背けていますが、元はといえば私が許容していることで、彼が責められる謂れはありません。


 紳士的な対応に、むしろこちらが申し訳なく思える程ということもあり、笑顔で彼の言葉に耳を傾けます。



「ど、どう…どうして………なのですか?」



 しかしながら言葉がとぎれとぎれな感じで、何を伝えたいのか要領を得ません。


 大怪我を負ったのだから声を出し辛いのも無理はないと感じながら、彼の様子を窺いました。


 すると彼の視線の先には例のアレ、その用途に気付いたのでしょうか。



「あぁ、あれは気付け薬として使いました」



 取り繕うつもりはありませんので、先ず私はそのまま正直にかつ簡潔に伝えましたが、開き直ったと思われるのも心外ですので続けました。



「貴方の容態が緊急を要したかもしれなかったので…」



 一応そこまでに至った経緯も話そうとしましたが、そこで横やりが入ります。



「ノーラ、奴さんはそういうことが言いたいわけじゃなくてだな」



 呆れたというギルド長の顔がそこはかとなくムカつきました。

 


「では、どういうことですか?」



 半ば八つ当たり気味に食って掛かる私に対して、彼はそれを嗜めるかのように瞼をゆっくりと閉じながら鼻で小さくため息をつく。



「気付け云々じゃなくて、あれ本来の使い道を放棄したのか、ってことさ」



 私は、少し考えてから事の次第を認識しました。



『あ、ひょっとして私、またやらかした?』



 そして徐にベルトの位置を下へと修正しながら、こうも心の中でつぶやく。



『ま、こういうこともあるわさ』









 はっきり言うと、履いていない。それを彼女に直接的に伝える勇気というか気力もなくて、曖昧に伝わってしまったようだ。


 ギルド長の口添えで一応、彼女は僕の意図を理解したようだが、その過程で更にとんでもない事実まで知ることとなる。


 何とか彼女から目を背けようと顔だけ横を向けると、何やら布切れのようなものが目先の石畳に置かれていた。


 普通なら何か落ちている位の感覚でしかないが、下手に話題となったせいか、それが気付け薬であり、更に彼女が脱いだ下着であることが判明する。


 それがさっきまで自分の鼻に被さっていたと思い返すと、色々な衛生上において良ろしくない。


 どうりでやたらと消毒液で顔を拭われたのも納得がいくが、今となっては残念極まりなくもある。


 だからといって、目の前にある現物で再び…なんて考えは浮かぶものの、流石に行動には移せない。


 少々恨めしく眺めていると、白い布地の中心部分がうっすらと変色している。


 あれがクセになる臭いの発生源なのかという生々しさに、いつからか憤っていた己が体の一部に更なる血流が押し寄せてきた。



『どうか気付かれませんように…』



 その膨張による圧迫を緩和しようと、僕は仰向けのままゆっくりと踵を引き寄せて両膝を立てることに集中する。



「あ、僭越ながら、恥じることはありませんよ?」



 僕の密やかな願望かつ状態異常を見逃さなかったのか、彼女は唐突に言ってのけた。


 より気まずい思いをしているのは彼女の方だと思っていたが、どうやらこの受付嬢の中では、僕の方がそうらしい。



「生物は命の危険を感じると、本能的に子孫を残そうとするそうです。それだけのことですよ」



 しかも学術的な弁明まで用意して下さって、本当にありがとうございます。


 人は周りが逆上していると妙に冷静となるらしいが、その逆も然りということを思い知らされた。


 彼女の淡々とした様子に、僕は穴があったら入りたい衝動を抑えられない、たとえそこが墓穴であっても。



「あ、あの…」



 しかしながら入る穴などどこにもないし、仮にあったとしてもこの身体では一苦労。


 そうだ、ここは傷の手当に対する礼の一つでも言って、この何とも居たたまれない話題を流してしまおう。



「何て言うか、その…」



 行け、僕、そのまま素直に飾り気のない感謝の気持ちを告げるのだ。


 そう思いきって口を開けた刹那、この展開は何だか違うような気がした。


 勿論彼女には感謝の念に絶えないが、この間合では彼女の痴態をわざわざぶり返すことにもなりかねない。


 僕は咄嗟に飛び出そうとしていた言葉をひん曲げる。



「あ、お、男前…ですね!」



 言ってしまってから気付いたが、何とも微妙な…感謝、いや感服、いや感想でしかなかった。


 これなら率直に礼を述べて、誤解があるのなら釈明するほうがまだましだったかもしれない。



「ぶわっははははっ!」



 ところが、そこに待ち受けていたのは思いもしない展開だった。



「おいノーラ、聞いたかよ、男前だとさ!」



 ギルド長は、笑いながら受付嬢の背中を軽くたたく。



「俺も前々から思うところがあってさ、中々言葉が見つからなかったが、成程、これは適格かもな」


「どの辺が…なの?」



 彼の同意に彼女は不満そうだが、元はといえば僕の発言なので、その感情は僕にも向けられていると考えていい。


 貶したつもりはないにしろ、苦し紛れから出た言葉なのだから。



「今のこの有様で取り乱さない、心の強さってやつか、それが男前なんだよ」


「それって、皮肉なのかしら?」



 やはり好意的には捉えてもらえなかったようだが、ギルド長の顔から笑みが消えつつあるのは、そのせいではないだろう。



「皮肉に聞こえるのなら、自分でも何か思うところがあるんじゃないのか?」


「それは、まぁ…そうですけど…」



 消えたといっても冷たい表情ではなく、見守るような眼差しであったのか、彼女からも毒気が消え失せたようだ。


 そしてギルド長は、しおらしくなった彼女に対して皮肉なしの『男前』評価を告げる。



「起こしてしまったことには動じない、それがお前さんの持ち味なんだろう」



 僕は漠然と思っただけだったが、ギルド長はそれを言葉にしてみせた。


 流石に組織を取りまとめる長といったところだが、続く言葉は物騒そのもの。



「だが異性に対する場合、もっと起こさないよう気を付けないと、無駄に死人を増やすことになるぞ?」



 それはつまり彼女の迂闊な行動により、勘違いした男達が競って殺し合いに発展するという意味なのだろう。


 これだけの美女なら無理もない、この時僕はそう信じて疑わなかった。


 そして彼の言葉は僕に対する忠告でもある、その過ぎたる行為は好意からではなく単に、彼女が所謂天然故であると。



「はい…わかりました」


「なら手始めに、床に落ちている布切れ、くれないのなら何とかしたらどうだ」



 殊勝な態度の部下に対して、ギルド長はとんでもないことを言い始めたのは気のせいと思いたい。


 そう、これはきっと冗談、説教で固くなった雰囲気を払拭するが為なんだ。



「いつも言ってますが、あげませんよ?」



『え、いつもなの?』



 心の中で変な声をあげながらギルド長の方を窺うと、どうやら本気だったらしい…。


 彼の歳は僕と一回りくらい違うだけなので、気持ちはわかるが、長としてはどうなのよ。



「ところで、臭ったのなら御免なさいね」



 唐突に話しかけてきたので、僕は彼女が一体何の話をしているのか分からない。


 それよりも何だかとても女性らしい仕草だと感じたのは、素なのか、それとも『男前』に対する彼女の反抗からなのか。



「い、いや、臭いだなんてとんでもない。お、おかげで助かりました。あ、ありがとう…ございます」



 どもりながらも咄嗟に言葉が出てきたのは、彼女が拾った話題の代物を、目の前で履き直し始めていたからである。



『絶対わかってねぇー!』



 今度は見えないようにしたのだろうが、問題はそこではなく、目の端に映るギルド長も別の意味で残念そうにため息をついていた。



「それならいいのですけど、あまり夢をみないで下さいね。女だって汚れるんですよ」



 流石に結構恥ずかしそうでもじもじしていたが、その様子はごく普通の乙女を彷彿させて新鮮だった。


 しかしながら、そもそも恥ずかしいなら言葉にすらならない筈で、そこも流石は彼女といったところ。


 そんなちぐはぐさが起爆剤となり、先程僕の鼻に被さっていた現物の在処を考えると、脳裏にあの生々しさが蘇ってくる。



 折角命拾いしたのだが、一身上の都合により、立てていた膝の高さが変わったことは人知れず墓場に送ってしまいたい。

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