お嬢様だった私

私は、小さい時は良い子でした。

そして、小さい時はお嬢様というものでした。

“小さい時は”です。


私がどれくらい良い子だったのかと言うと、具材でキャラクターを作られているお弁当をお母さんが私に作ってくれた日には(所謂キャラ弁)私はお弁当を全く手をつけていなかったらしくその理由を問いただすと

「食べたら熊さんがいなくなっちゃって可哀想だから食べれない~」ってわんわん泣いていたとか。


もう一つ良い子エピソードを述べると初恋の男の子に今でも遊戯王のカードの価値は分からないのですがカード交換で喜んでくれるならいいや!って私はキラキラのカードを渡して、初恋の子からは星が少なく、どうみても雑魚と分かるカードを貰ったりしていました。

余談を言うと、その初恋の子はお世辞にも老けたあとが想像出来るタイプの男性に今ではなっています。シンガポールのマリーナベイサンズのプールで両手を広げドヤ顔している姿をLINEのアイコンにしているような男性になってしまいました。別次元の方です。


そんな訳で、細かいことは省くけれど本当に良い子だった、とりあえず良い子でした。



ただ今思い返すと、性格の根本だなと思うところはあり、幼稚園であった演奏会では、三年連続「鈴」係をしていました。

この年齢にして楽を覚え、出来れば目立ちたくない位置にはいたい気持ちの現れと出来っ子ない精神で、幼い時からどうしようもない子です。


家族ごっこでも「犬役」とかを選んだりして、出来るだけ目立たないモブ的な役を選ぶ子でした。



まだ天使の輪がありサラサラストレートで、かけっこがなぜかスキップになっていて、「せんせい」を「てんてい」としか言えなくて全身BURBERRYで固めた小さい子がそんな事言っていた為、我ながら可愛かったと思います。そしてやっぱり良い子だと思います。

良い子でした。


そんな良い子だった私もランドセルを背負った小学生になりまして、小学三年生にもなれば


「帝国ホテルのグラタンが食べたい」


と誕生日プレゼントにねだっていました。

東京に行けば食べれる美味しいグラタンだと思っていたので、ただ単に頼んだ訳だが金額とかわかってないからこそお願い出来る小さい子特有の罪なお願いだと思います。

そしてお母さんの作るグラタンと帝国ホテルのグラタンしか知らないため、お母さん以外のが食べたーい!と単純に思ったのでしょう。

幼いが故に出てくる純粋な残酷なお願いです。

ただ、それほど私は甘やかされ、良いものを着させて貰い、良いものを食べてました。



そういえばふと思い返してみると、私は家族と一緒に一般的なファミリーレストランというものに行ったことがありませんでした。今でもなんだかんだ皆で行ったことはありません。

唯一家族で二回だけ行ったことがあるのがびっくりドンキー。

なので、成人した今でもびっくりドンキーのあの大きなメニューを見るとワクワクしますし、ドキドキしてしまいます。


成人してからもドキドキするものランキング〜!を発表するのならば、1位はびっくりドンキーのあの大きなメニューを私は1位にするでしょう。

ちなみに2位は遊園地のアトラクションの発車音、3位は映画が始まる前の注意の映像です。

うん、ドキドキする。

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