二重の日

亀子

第1話

 まだ小学校低学年の頃だ。夕方、母は買い物に行くから留守番してくれ、と私に言った。夕食の支度の際、買い忘れがあったことに気づいたらしい。

「じゃ、お願いね。三十分くらいで帰るから。」

 私は頷き、玄関で母を見送った。それから既に暗くなっていることに気付き、部屋のカーテンを締める。灯りを点けると、図書館で借りた本を広げた。この日は土曜日で、学校は半日だけ。お昼で授業の終わる、今や懐かしい「半ドン」だった。そのため、昼食後に母が図書館に連れて行ってくれたのだ。本好きな子供だった私にとって、一人でゆったりと本を読める時間は至福のひとときだった。

 どれくらい時間が過ぎただろう。本に夢中になっていた私は、ふと顔を上げる。

ー今、何時?

 時計を見て驚いた。母が出ていってから、もう二時間近く経っている。いつもなら、夕食の真っ最中という時間だ。

 母が言った三十分は、とっくに過ぎている。確かにこれまでも遅めに帰宅することはあった。しかし、いくらなんでも遅過ぎはしないか。

 母を探しに行くべきだろうか。けれど暗くなってから一人で外に出てはいけないと、普段から両親にきつく言われている。それに、暗い中を一人で歩くのも怖い。

 私はもう一度、時計を見た。あと一時間ほどで父が帰ってくるはずだ。それまで待とう。そう決めたが、待つ身の一時間は長い。子供であれば尚更だ。時計の針の進みは遅く、気を紛らわすために再開した読書には身が入らない。

 そのとき、ぐーっとお腹が鳴った。こんな時にお腹が減るなんて…。自分に呆れつつ、私は冷蔵庫を覗いた。サンドイッチがある。昼食に母が作ってくれたものだが、量が多くて少し残してしまったのだ。私はそれを取り出すと、包んであったラップフィルムを外して食べた。

 それから一時間が過ぎた。母はもちろん、父も帰ってこない。

 どうしてしまったんだろう。なぜ二人は帰ってこないのだろう。このまま両親が帰って来なかったら…。考えただけで泣き出しそうになった。

 お願い。早く帰ってきて。私は必死に祈りつづける。しかし時間だけが虚しく過ぎ、いつもなら母に「子供は寝なさい」と言われる時間になった。それでも両親は帰ってこない。

 私は部屋を出た。誰か来てはいないかと、玄関を見にいこうと思ったのだ。外に出るのはいけないけれど、これくらいならいいだろう。

 そっと玄関を覗いてみる。人の気配は全くしない。ドアの横に嵌め込まれたすりガラスの向こうには、深い闇が広がっている。

 ここで私に限界が訪れた。不安と心細さと悲しみが一気に込み上げてくる。どうして帰っきてくれないの?事故に遭ったの?悪い人に捕まった?それとも二人とも、私を置いてどこかに行っちゃった…?

 堪えきれず、ワーッと火がついたように私は泣き出した。すると驚くべきことが起こったのだ。

「咲子!!」

 私の名を叫びながら、母が居間から飛び出してきたのだ。

「?!」

 驚きで私は涙も泣き声も引っ込んでしまった。すっかり沈黙した私の代わりに、母の泣き声が狭い我が家に響く。

「どこ行ってたのよ!?親を心配させて!!もう少しで、警察に電話するところだったんだからね!!!」

 一瞬遅れて居間から出てきた父は、脱力したように深い溜息をついた。そうしていつもの穏やかな声で母を宥め始める。まあ、とにかく無事だったんだからよかったじゃないか、ほら落ち着いて…。

 それから私は、両親からどこに行っていたのかと問われた。困ってしまったのは言うまでもない。私は言われた通り家で、それも居間で留守番していたのだ。 

 もちろん正直に話した。が、両親が納得するはずない。結局二人は私が幼いため、事情を上手く説明できないのだと結論づけた。

 母の言うことには、彼女は言った通り三十分ほどで帰ってきていたらしい。しかし、留守番しているはずの私の姿が見当たらない。慌てて手当たり次第探したが見つからず、帰宅した父と手分けして更に探したが見つからない。警察に電話を、と話していた矢先に私の泣き声が聞こえてきたというのだ。

 全く狐につままれたような心持ちだった。一体、何が起こったというのだ。もしかして夢だったのだろうか?例えば押し入れの奥で眠り込んでしまい(私は子供の時分、よく押し入れで昼寝をしていた)、起きてきたものの、寝ぼけて勘違いをした…。そんなところが真相なのだろうか…。

「まあ、とにかく食事にしよう。こんな時間だ。みんな、腹が減っただろう?」

 父の言葉に母は立ち上がって台所に向かった。そうして冷蔵庫を開けた途端、こう言ったのだ。

「あれ…?冷蔵庫にあったサンドイッチ、誰か食べた?」

 因みに父は、冷蔵庫にサンドイッチがあったことすら知らない様子だった。

 

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二重の日 亀子 @kame0303

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