第4戦:遺志を継ぐこと,それが生きた証明とならんことを
それはある日の日常。
「お姉ちゃんおはよう」
「雪,休みだからってお昼まで寝てちゃダメでしょ」
「夜更かししているからだぞ。紫音を見習いなさいってどうしたんだ?!」
頬を何かが伝う感触があった。
拭ってみるとそれは透明な液体でおそらく舐めたらしょっぱいだろう物だった。
「涙?」
何故―――何か悲しいことでもあったのだろうか。
あぁそうだ。内容は思い出せないがとても怖く恐ろしい夢を見ていた。おそらくそれが原因だろう。
「何でもないよ。欠伸したから涙が出ただけ」
「そう?何かあったら母さんと父さんにちゃんと相談するのよ」
「お姉ちゃんの泣き虫ー」
「なんだとー!誰が泣き虫だってー!」
変な夢を見ていたせいだろうか。他愛のない会話が出来るということに喜びを感じている。
今まで普通だと思っていたものが普通にあるということがどれだけ素晴らしいことなのか改めて理解した。
この幸せを平凡な日常を手放すことの内容に,これからも大切にしていこう。
家族も友人も今までの人生もこれからの人生も全てアタシの宝物なのだから――――――
********************
目を覚ますとそこは暗く水の流れる音が聞こえる場所だった。
「目が覚めましたよ!カルメールさん!」
うるさい―――声が頭に響く。
何をそんなに叫ぶ必要があるというのだろうか。
それよりも目の前にいる幼い少年はいったい誰なのだろうか。
それに何故自分はこんなところで寝ていたのだろうか―――何も思い出せない。
思い出そうとするとノイズが聞こえ妨害してくる。
「よかった。目覚めたんやね。もうだめかと思っとったわ」
「そんなこと言わないでください!縁起でもない」
「も~そんな怒らんといてよー。かわいいなー」
カルメール呼ばれていたであろう女性が少年の頭をなでていた。
コスプレとも違う額から直接生えている二本の角に赤みがかった肌―――明らかに人間ではない。
そんな奇妙な女性を見た瞬間―――これまでに起きた事柄が津波のように押し寄せてきた。
『そうだ,アタシは
何故だかその先が思い出せない。それまでのことは思い出すことが出来るのに。
とても大変な目にあったはずなのに,吸血鬼と会ってそれより先がすっぽりと抜け落ちてしまったかのようになくなっている。
ユキが頭を抱え悩んでいると偶然少年と目が合った―――がすぐさま少年は顔をそらした。
「ごめんね。その子,恥ずかしがりやなんよ」
「いえ,別に」
何故だか頭がボーッとしていて思考がはっきりしない。
頭を押さえているユキの正面にしゃがみこんだ角の生えた女性はユキに近づくと手を差し出した。
「ウチの名前はカルメール。
ユキが差し出された手を取ろうとしたその瞬間―――靄がかかっていた意識が一気に晴れた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
ユキは壁まで後ずさりした。
全てを思い出した。
何故自分が吸血鬼と戦ったのか,その際何をしたのか。この世界で何をしなければならないのか。何もかも鮮明に思い出した。
ユキは咄嗟にナイフを取り出そうと腰に手をやった。
だが腰にはナイフを入れたバックがなかった。それどころかユキは服を着ておらず毛布を羽織っているだけだった。
殺される―――ユキは逃げ道を探した。だが今いる場所は下水道のような場所で一本道だった。
何処か―――何処か―――何処かに逃げなければ―――
「待ちぃ。いったん落ち着きな。ウチらは敵やない。争う気はないって」
その場から逃げようとするユキの腕をカルメールは掴んだ。
振りほどこうにもびくともしない。まるで岩に腕が挟まったかのように。
「離して!いや!」
カルメールの言葉なんて耳に入らない。
殺される―――その恐怖がユキを包み込んでいた。
そもそもカルメールの言葉が聞こえていたとしてもおとなしくなることはなかっただろう。
このゲームのルールは殺し合いなのだ。それにユキはすでに戦闘を体験している。死にかけたのだ,他人を簡単に信じることなどできるはずもなかった。
ユキは必死に引き離そうとし続けた。
「分かった。そこまで嫌がるんやったらええよ」
カルメールは悲しそうに言うと手を離した。
突然解放されたことで引っ張っていたユキは勢いよくしりもちをついた。
何が何だか分からなかったがユキはとりあえずはこの場から逃げることを第一に立ち上がろうとすると―――
「ま……待ってください!」
両手を広げ少年が道を塞いでいた。
まるで生まれたての小鹿のように震えている。
おそらくこのまま走っていけばどかすことは容易だろう。だが,ユキは立ち上がりその場から動くことが出来なかった。
震える身体に声,その中にある確固たる意志を感じたからなのかもしれない。
敵意はないと感じてしまう。不意を衝いて殺そうという意思がないように思える。
少年の勇気を振り絞った行動のおかげか頭が冷えていき思考がまとまっていった。
そもそも殺す気だったならば眠っている間に殺すことが出来た。なのに二人は殺さなかった。その時点で敵意はないと分かるべきだった。
「ごめんね。助けてくれたんだよね。ありがとう」
ユキの言葉に少年は胸をなでおろし,緊張の糸がほぐれたのか地べたに座り込んだ。
「ウチが言うても聞かへんかったのに,ユージの言うことは聞くんやなー。お姉さんショックやわー。とまぁそんなことはどうでもいいんよ。君が元気そうでよかった。改めて自己紹介,ウチはカルメール。それで」
カルメールは少年の方を見た。すると少年は少し恥ずかしそうに口を開いた。
「ぼ……ぼくの名前はナ……ナナツ・ユージです。えと一応
噛んだ―――少年もといユージは顔を鬼人のカルメールよりも赤らめるとアルマジロのように丸まって隠れてしまった。
恥ずかしがり屋なのだろう。こういう時は下手に慰めるよりもスルーして話を進めるほうがいいのだ。
ということでユキも流れに乗って名乗ることにした。
「
「ユキちゃんか,よろしくな」
ユキは差し出された手を今度こそしっかりと握った。
そして気になっていたことを問うた。
「あの,それで二人はなんで一緒にいるんですか?」
当然の疑問だった。このゲームのルールは殺し合い。一緒にいるなんてどう考えてもおかしい。
手を組む約束をして背中を預けた途端に刺されてしまうことだってある。
たとえ最後の二人になるまで手を組んで,二人になったらお互い殺し合うという約束を結んだとしても,メリットよりもデメリットの方がでかいはずだ。
そんな当然の疑問にカルメールは照れるように頬を掻いた。
「いや~ね,最初は殺す気満々だったんだけど,この子のおびえた姿見たら殺すのかわいそうになっちゃって。一緒に行動することにしたんよね。それに元々殺しは好きちゃうし」
「そ,そうですか」
カルメールは「ハハハ」と苦笑いをした。
何とも信じがたい理由だ。『かわいそう』という理由で殺さないなど,この場においては自殺行為にも等しい。
だがそのおかげでユキの命が助かったのだろう。
助かった―――下水道のような場所にいるということはどこかから流れてきたのだろうか―――だとしたら―――
「あの!」
声を張り上げた。
自分がいるならもう一人いるはず―――命を狙ってきたあの男が―――
「黒い服を着た吸血鬼はいませんでしたか!?」
「……………………」
長い沈黙―――YESかNOか判断がつかない。
何故答えないのか。何か隠し事があるからなのだろうか。それとも吸血鬼とすでに手を組んで―――
ユキの不安が募る中,カルメールはゆっくりと口を開くとたった一言,たった一言だけ発した。
「死んだ」
「え……そんな」
何とも白々しい。殺そうとしたんだ―――死んでいたのだったら喜ぶべきだろうに。
まるで助けられなかったことに絶望しているみたいじゃないか。
罪から逃げんとする態度―――まるで自分も被害者であるかのようなユキの反応を見たカルメールは胸倉を掴むようにユキをくるんでいる毛布を掴んだ。
「アンタなに他人事みたいな反応しとんねん。殺したんはアンタやろ」
「ち,違―――」
「違わへん。殺したんはアンタや。直接殺したんやないにしても死なす原因を作ったんはアンタや。自分のやったこと思い出してみぃ」
そこには先ほどまでのお茶目なカルメールはいなかった。いるのは怒りを抱いている一人の鬼人だった。
「アタシは……アタシは……」
認めたくない―――思い出したくない―――自分が,アタシが人を殺したなんて―――
頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。自分の行いは正しかったのか。自分は生きるべきだったのか。娘の為に他者を殺そうと覚悟を決めていた吸血鬼が生き残るべきではなかったのか。
アタシは悪くない―――本当にそうか?―――生きる価値はあったのか?―――あるに決まっている―――妹もろとも死んだほうが世の為なんじゃないのか?―――違う!―――違うのか?―――誰かを殺してまでシオンは生きたいと思うだろうか―――それが本当にシオンの為なのだろうか―――そもそもアタシは誰のために戦っているのだろうか―――自分のため?―――シオンのため?―――アタシは取り返しのつかないことをしてしまったのではないか―――どうすればよかったんだ―――もう何もわからない―――ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――――――
「―――ッ!」
温かい―――カルメールがユキを優しく抱擁した。
そして優しくはっきりと言葉を紡いだ。
「ええ?アンタはユキちゃんは今日人を殺した。その事実は絶対に消えやへんのや。目をそむけたなる気持ちもわかる。やけどな自分の罪から逃げるなんてしたらあかん。罪から目を背けるいうことは,その人が生きとったことを,その人の存在を否定するいうことなんや。互いに生き残るために死力を尽くした。そんでユキちゃんが生き残った。ユキちゃんはその人の意思を決意を
その言葉でユキの心を押さえつけていた糸が切れた。
「う,ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!アタシは殺す気なんてなかったんです!でも何もしなかったらアタシが殺されていたから。もしアタシが殺されたらシオンまで」
ユキは泣きじゃくった。そして知り合ったばかりの異界の住人に自分の中に渦巻いていた想いをぶつけた。
止めようにも止まらなかった。崩壊したダムのように感情と共に涙が溢れだしていた。
それをカルメールはただ黙って聞いていた。まるで子を慰める母のように。
そしてユキの涙が止まるのを待ってから,囁いた。
「頑張ったんやな。怖かったやろうに」
ユキはコクリと頷いた。
********************
「ほい,ちょっと濡れとるやろうけど着るんやったら着な」
そう言ってカルメールは服と下着をユキに手渡した。
たしかに若干濡れている―――が動いていれば乾いていくだろう。
ユキはカルメールにお礼を言い下着を穿こうとして,あることに気が付いた。
「あの……アタシって海から流れてきたんですよね。多分」
「うん?あぁそうやで。ユキちゃんと吸血鬼の兄ちゃんが偶然流れてきたんや」
「その時から二人で行動していたんですか?」
「勿論」
ということは―――
「アタシの服を脱がしたのって……」
「え,あ~そーいうことな。安心しな。ユージは見とらへんから。第一,恥ずかしがり屋が眠っとるにしても女の子の裸見る勇気はないやろ!」
「そ,そんなことは……」
気を使ってか恥ずかしがってか既に背を向けていたユージは聞き取れるかどうか怪しい大きさで返事をした。
「別にウチが見たんはええやろ身体見るにユキちゃんも女の子やしウチも女や。女同士恥ずかしがることはないって。まぁスタイルに関してはウチの方がいいかもしれやんけどな」
「アタシはまだ成長期ですから」
別の種族とはいえ確かにカルメールの完成された女性のモノでユキから見ても美しいと感じるほどだった。
だがユキはまだ育ちざかり,これからなのだ。そう,これから成長する予定……。
着替え終わるとその感触は何とも言えない気持ち悪さだった。
『何か気持ち悪いなー』
ぐっしょり濡れているわけでもなく乾いているわけでもなく,その間の一番中途半端なライン。
生乾きの匂いはするわ,服は肌に引っ付くわでまだ毛布を着ていたほうがいい気がしないでもあった。
だが毛布一枚だと途中で裸になってしまう可能性があるのでそれに比べれば我慢はできた。
「あのカルメールさん」
着替え終わったユキはずっと気がかりだったことを勇気を振り絞って質問した。
「アタシと一緒に吸血鬼も来たって言ってましたよね。今何処にいますか」
本当は見て見ぬふりをしたかった。だけどカルメールの言葉がユキの背中を押した。
向き合うべきだ。そして現実を受け入れ前へ進まないといけない。
「ホントにええんか?」
「はい」
ユキの返事を聞いたカルメールは少し遠くに置いてあるビニールシートまで歩いた。
そしてビニールシートをめくるとそこには―――まるで眠っているかのように死んでいる吸血鬼の姿があった。
生まれた時から他人の死を見たことがないユキにとってそれはあまりにも驚きの光景だった。
死とはおどろおどろしいものだと思っていたから。まさかこんなにも静かで落ち着いた状態が『死』だとは思えなかったのだ。
その眠るように死んでいる吸血鬼を見てカルメールは二人を見つけた時のことを語りだした。
「ウチな最初ユキちゃんやなくてこの兄ちゃんを助けようとしてたんや。理由なんてあらへん。どっちか助けやなあかんってなって選んだんが吸血鬼やったんや。そんでこの兄ちゃんを助けようとしたときや。驚いたよ,この兄ちゃん生きとったんや。そんでウチの手を掴んで拒絶したんや。生きとると分かったからウチはすぐにユキちゃんに処置をしたんや。ちなみにそん時ユージとは別行動しとったんや。で,ユキちゃんを助けた後,吸血鬼の兄ちゃんの方見たらウチが最初に動かした場所からピクリとも動いてなかったんや。ゆまり何が言いたいかっていうと―――吸血鬼の兄ちゃんはウチの手なんて掴んでなかったんや」
幻覚―――なんてものじゃなかった。確かに吸血鬼は手を掴んでいたのだ。
「ウチが思うにあれはこの兄ちゃんがユキちゃんを助けろ言うとったんちゃうかなと思うんよ。自分が生きることよりユキちゃんを生かすことを選んだんやとウチは思う」
「そんなことが」
確かにこの吸血鬼はユキを殺すことに罪悪感を抱いているようだった。殺す時も苦しまないことを第一にしていた。
もしも本当に娘を助けるために悪魔になろうとした優しい男がユキを助けたのだったならば,その意思を―――決意を無駄にしてはいけない。
「ありがとうございます。デュークさん」
ユキは膝をつきデュークの前で拝んだ。
もう迷わない。託された命―――無駄にはしないと決意した。
「いい顔になったな」
「アタシ頑張ります」
「ほー,そうかじゃあウチらも負けてられへんなー」
この時ユキたちは気づいていなかった。敵がもうすぐそこまで来ているということに―――
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