第1戦 : 己が命よりも大切な者を守るために他者を殺めよ

「―――って!」


 伸ばした手は空を切った。

 先ほどいた場所に召喚された時と同じ,全く脈絡なく突然に別の場所へと移動させられた。

 しかし何もなかった先ほどの場所と違い,そこはまるで日本のホームセンターのような場所―――というよりも日本のホームセンターそのものだった。

 見知った場所に来たことで,先ほどまでの出来事は夢だったのではないかと思えてくる―――はずもなかった。

 そもそも学校で授業を受けていたはずなのに,こんなところにいること自体が意味不明であるということが一つ。二つ目は周囲に人が誰一人としていないこと。神隠しにでもあったのかという程,店内は静まり返っていた。

 ここが殺し合いの会場であるということに時間はかからなかった。


『店員さんがいたら後で謝ろう』


 だったらやるべきことは武器の調達だ。少女の最後の発言でこのゲームに参加しているのは人間だけではないということが分かった。もしこの状態で出会っていれば,鋭い牙も爪もない彼女は瞬殺されてしまうだろう。

 だが幸いにも彼女のいる場所は凶器となるもので溢れているホームセンター。適当に見繕うだけでも十分―――とはいえないにしても少しは戦えるようになるだろう。

 ユキは店内を散策し大量に並べられていたバールを手に取った。想像していたよりも重い。だが持ち運べない重さではなかった。それにプラスでヘルメットを着用した。

 おそらくゲームはもう始まっている。いつ敵が襲ってくるか分からない。だがその『いつ』は数秒後かもしれないし数時間後かもしれない。何故なら時間制限の説明がされていないから。単に忘れていただけという可能性もあるが,それはないだろう。彼女に説明をしていたのは主催者だから。

 しかしだからといってここに身を潜め続けるべきかというと,それは違う。

 もし自分が主催側だった場合,身を潜めているだけの映像を観て楽しいだろうか。否,楽しいと思うはずがない。飽きてゲームを終了させてしまう可能性もある。

 仮に少女たちがゲームを終了させてしまった場合,参加させられた者たちはどうなるのか,人質に取られた者たちはどうなるのか。参加を拒否すれば殺すというような奴が生かして返すとは思えない。

 だったらやるしかない。戦って生き残るしか道はないのだ。


 装備を整えたユキは店の外へ出た。

 そしてその光景に今日で何度目か,目を奪われることとなる。

 目の前に広がっていたのは森だったのだ。

 まるでかみ合わないピース同士を無理やりくっつけたかのように大地が接合されており,それが,よりここが地球ではないということを実感させてくれる。


『う~,虫とかいないよね……。だ……大丈夫だよね』


 泣き言を言ったところで誰も助けてはくれない。それに迷っている時間もない―――だろう。

 気は進まないが覚悟を決め森に入ろうとしたその時,森の奥で草木の揺れる音がした。

 敵かもしれないと,すぐさまユキは店内に戻り,息をひそめ物陰から森を見た。

 すると暫くして森の中から草木をかき分け全身黒ずくめの男性が出てきた。


「どうなっているんだここは。森を抜けたと思ったら今度は巨大な建造物が現れるとは」


 想像していたよりも事の展開が早かった。誰かを殺す覚悟―――それをずっと自分に言い聞かせてきた。だが,だけど,そう簡単にそんなものを決めれるはずがなかった。だから今はまだ出会いたくはなかった。

 だけど出会ってしまった以上やるしかない。

 バールを握る手が震える。冷や汗も止まらない。鼓動も早くなり,呼吸も乱れる。


『落ち着け―――落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け。アタシならできる。やらなきゃいけないんだ』


 殺人を正当化し,恐怖を躊躇を減らそうとする。

 相手は此方に気づかず近づいてきている。一歩一歩確実に距離が近づいている。


『あと少し,あと少し……』


 男が店入口に到達した瞬間,ユキは叫び声を上げ全力でバールを振り下ろした。

 だがしかし―――


「不意打ちか,確かに悪くない。だが残念だったね。私にはそんな手は通用しないのだよ」


 その攻撃が届くことはなかった。

 片手でバールを受け止めた黒ずくめの男は,ユキからバールを奪い去ると投げ捨てた。


「―――――――――ッ!」

「―――!?子どもまでも巻き込んでいたとは本当に愚かだ」


 しくじった―――ユキはすぐさまその場から逃げた。店の中を抜け逆側の扉まで全力で走った。

 完全に死角からの攻撃だった。躊躇もしなかった。なのに何故気づかれたのか。

 理由を考えたところで分かるはずもない。そんなことよりも優先すべきは逃げることだ。

 いとも簡単に攻撃を―――不意打ちの―――防ぐような奴に真正面から戦って勝てるはずがない。

 幸いというべきか反対側は森ではなく建物が建ち並んでいたので,ユキは別の建物の中に隠れたて息をひそめた。


『落ち着けアタシ。まだ負けたわけじゃない。何か手を考えるんだ』


 相手は攻撃を受けた後,何故か反撃もせず,逃げたユキの後を追いかけもしなかった。

 こちらを警戒しているのだろうか。だとすればその貴重な時間を無駄にはできない。

 ユキは脳をフル回転させここからどう行動すべきかを考えた。

 だが答えが出る前に近くから足音が聞こえた。

 その足音はゆっくりとゆっくりとこちらに近づいてくる。まるで居場所が分かっているかのように迷いなく。

 そしてユキの隠れている建物の前で立ち止まるとおもむろに語りだした。


「君がそこに隠れていることは分かっている。どうか出てきてほしい。君を苦しめたくはないんだ」


 居場所がばれている―――ユキは焦った。どうするべきか,居場所がばれているならば隠れていても仕方がない。正面突破するべきか,それとも言葉に従いのこのこと相手の前に出ていくべきか。


「……そうか,出てきてはくれないか」


 ユキはどちらも選択しなかった。彼女が選んだのは第三の選択肢―――息を殺し隠れ続けるというものだった。

 相手はこちらに気づいておらず,嘘を言っているという可能性にかけた。

 ユキは隠れ続けた。一切の気配をかき消し,像のように動かず。そしてユキの隠れる部屋の扉が開いて瞬間彼女は男の顔をライトで照らした。


「あああぁぁぁ,目がぁぁ!」


 突然の強光にたまらず目を隠した隙を見て,ユキは建物から脱出した。


『お店で借りてきていてよかった』


 ユキはホームセンターでバールとヘルメット以外にも物を調達していた。他にはサバイバルナイフに足止め用のネズミ捕りなど様々な物をがある。使う時が来るのかわからないがもしもを想定してである。

 だがユキはこの時,もしもを想定していたはずなのに致命的なミスを犯していたことに気が付いていなかった。

 ユキはあの瞬間逃げを選んだ。だがもしもあの時逃げを選ばずサバイバルナイフを手に取り男の首を狙っていたなら―――。

 それは弱者故かそれとも戦闘経験のなさ故か,ユキはそのことに気づくことなく走っていた。

 出来るだけ遠くに,そして見つからない場所に―――走り続けていると何処からか羽音が聞こえた。

 そしてその音に気が付いた時には遅かった。


「今のは見事だよ,お嬢さん」


 上空から黒ずくめの男が降ってきた。

 突然の登場に心臓が飛び出るのではというほど驚いたが,ユキは平静を装い一歩下がりサバイバルナイフを構えた。


「アナタ,今何処から……」

「ん,あぁ上からだよ。上」


 男は空を指さした。


「私の名前はデューク。我々吸血鬼は飛行能力を持っていてね。空から君の姿を探させてもらったよ」


 デュークは帽子を取るとお辞儀をした。 


『吸血鬼』それは西洋の伝承に出てくる怪物であり,鋭い牙で他者の血を吸うという。

 まさか実在していたとは。となると少女が言っていた他の種族も存在するという可能性が非常に高い。

 全員と出会うということはないだろうが,ここを乗り切れたとしても生き残れる可能性は低くなるだろう。


『吸血鬼……ナイフ一本で倒せるような相手なのだろうか……』


 先ほどの不意打ちは見事に防がれている。正直に言ってバールよりも短く小さいナイフで倒せるわけがない。

 だけどやるしかない。ここで退けば殺されることは確実だ。

 ユキはデューク目掛けて走った。

 狙うは首。上手くいけば一撃で勝負がつく。

 ユキはスプレー缶を取り出し顔面に向けて噴射した。噴射されたスプレーは風に乗りデュークの顔に命中した。

 手が顔に行った―――その瞬間を逃さずユキはデュークの首を切りつけた。

 生きるために,守るために少女は誰とも知れぬ他人を殺めた―――はずだった。


「ガハッ――――――ッ」


 何が起きたのか気づくと少女は空を見上げていた。

 痛みが全身に走る。呼吸が出来ない。一瞬の逡巡の後,自分が投げられたのだと理解した。


「止めておきたまえ。君では私には勝てんよ」

「そ……そんなことは……ない」


 ユキはすぐさま立ち上がり体制を整えた。


「一つ問いたい。君は何故戦う」


 何故―――そんなこと決まっている。生きるためだ。まだまだやりたいことがいっぱいある。それに今はこの命は自分一人の命ではない。自分が死ねばシオンも死んでしまう。尚更死ぬわけには行けないのだ。


「死なない為にアタシは戦う」

「そうか……」


 デュークはどこか悲しげに返事をした。


「私にはね,娘が一人いるんだ。そうだな歳はおそらく君と同じくらいかな。親ばかと言われてるかもしれないが非常にかわいらしくてね。本当に目に入れても痛くないというほどさ」


 その喋る姿は子を想う親だった。敵意なんて一切ない優しい親の姿。

 何故突然そんなことを話し始めたのか,それは分からないがデュークの柔らかい表情に父と母の姿が重なって見えた。


「だがそんな娘が―――」


 デュークは歯を食いしばり,こぶしを力一杯握りしめた。

 その表情は先ほどまでと変わって怒りに満ちていた。


「娘が人質に取られてしまった……。もしも死ぬのが私一人だったならば私は君のような若人に命を譲っただろう。だが娘の命がかかっている以上そんなことはできない。何としても生き残らなければならないのだ。たとえ誰を殺してでも」


 娘のため―――戦うには十分すぎる理由だ。だが―――だったら何故あの時背後から,頭上から攻撃をしなかったのか。殺そうと思えば殺せたはずなのに。

 ユキはの姿が娘と重なって見えたのか,何が原因かは定かではないがそのおかげでユキは今生きていることが出来る。


「許してくれとは言わない。だからせめて苦しまないように,抵抗はしないでくれないか」


 雰囲気が変わった。

 先ほどまでの優しさも怒りもない,そこにあるのは悲しみ。今から目の前の少女を手にかけねばならないという悲しみだった。


 ユキは走った。全力で。本能が逃げろと叫んでいた。

 何処に逃げる―――分からない。逃げ切れるのか―――分からない。ずっと逃げ続けるのか―――分からない―――分からない分からない分からない。

 ただひたすら走った。がむしゃらに走った。

 走り続けていると奥の方で不自然に景色が変わっていることに気が付いた。


「誰も死にたいなんて思うはずはないか。ましてや君の人生はまだまだこれからなんだから」


 先ほどと同じく飛んできたのだろう,上空から現れたデュークはユキの行く手をふさいだ。


「これ以上時間をかけるのはよしたい。すまないが抵抗するというのなら実力行使をさせてもらう」


 デュークは指を鳴らした。何の変哲もない,只々指を鳴らしただけ。何も起こるはずがない―――そう本来だったならば。

 指を鳴らすことで発動するそれがデュークの『天恵』だった。


「これが私の授かった能力『暗黒大陸シャットダウン』だ。君はもう光を見ることはない」


 デュークの言う通り目の前が暗黒に染まっていた。視覚が奪われたのかそれとも闇が周囲を囲んでいるのか,どちらにせよ周囲の状況を把握できないというのは致命的だった。

 視覚に情報のほとんどを頼っている人間に触角と聴覚だけで戦うことなど無謀もいいところ。

 事実ユキは動けずにいた。だがそれは暗闇に対する恐怖が原因ではない。

 その原因は動揺―――『天恵』が自分以外にも与えられているということに対する驚きだった。

 勿論暗闇に対する恐怖がないわけではない。だがそれ以上に相手が天恵を持っていることに対する驚きが大きかったのだ。

 しかしすぐに切り替え,ユキはどうするかを考えた。

 視覚を奪われる,この対象は相手だけなのか,そんな都合のいい能力があるのだろうか。もしかするとそれは相手も同じではないのか。だとすればまだこの勝負は分からない。そう考えたがユキの希望はあっけなく砕かれることになる。


「一つ君に教えておこう。我々吸血鬼の住む世界は一日の大半が暗闇に包まれていてね,そのためか音に対しては敏感なんだ。つまり私にとって今も状況は何も支障はないということだ」


 それはユキに対する死刑宣告だった。

 逃げることも出来ず戦うことも出来ない。万策尽きたかにおもわれたが―――


「だからと言ってアタシも死ぬわけにはいかないの。アタシにだって守らなくちゃいけない人がいるんだから!」


 ユキは暗闇の中を直進した。目の前にデュークが立っているはず,運が良ければナイフが当たるかもしれない。

 だがデュークが立っていると思われる場所に到達したとき,そこにデュークはいなかった。

 避けられた―――だがそれは想定内だった。

 ユキはそのまま真っ直ぐ走った。目的の場所を目指して。

 その行動にデュークは動揺した。まさかこの状況で逃げを選択するとは思わなかったのだ。


「まさか―――!」


 デュークは上空から見た景色を思い浮かべた。少女の向かう先に在るもの―――それは


「海に逃げるつもりか,なんて無謀なことを」


 デュークの考えている通りユキは海に逃げ込むつもりだった。一か八かの賭け,うまくいかない確率の方が高いと分かっているが彼女はその道を選んだ。


『あと少し……あと少し……,ここだ!』


 ユキは全力で跳んだ。目視で距離を測り,そこに至るまでの過程を計算していた。

 波の音もしているため計算は完璧だった。

 だが―――ユキが海に入ることはなかった。

 追いついたデュークがユキを掴んで飛んでいたのである。


「すまないが,これで終わりだ。安心したまえ,苦しむようなことはしない。約束しよう」


 デュークはユキの首筋に噛みつこうとした。

 吸血鬼の唾液には鎮痛成分が含まれており,噛みついても痛みを感じることは少ない。神の道楽に巻き込まれた年端もいかない少女に苦しみを与えないようにという,せめてもの配慮だった。


「勝手に終わらせないで,まだアタシは負けてない!」


 デュークは勝ちを確信していた。事実ここから逆転することなど普通なら不可能と言っていいだろう。

 だが彼女は―――ユキもデュークも普通の存在ではない。

『天恵』―――それを授かっているのはユキも同じ。そのことをデュークは見落としていた。

 圧倒的有利な状況故の慢心。気づいた時にはもう遅かった。

 指を鳴らす音が聞こえた。

 その瞬間,全ての感覚が消え去った。意識以外の全てが体の中から消え去った。


『これがこの少女の能力なのか―――』


 五感を奪う能力―――デュークの『暗黒大陸シャットダウン』の上位互換ともいえるその能力。

 ユキは天恵を授かった際,すぐさまその能力を理解した。それはまるで生まれた時からこれまでずっと一緒にいたかのような,体の一部と言っていいほどに馴染んでいた。

 そんな体の一部ともいえる天恵を何故今まで使わなかったのか。それは使いどころが非常に難しい能力だったから。

 そんな能力が抜群ともいえるタイミングで発動した。

 そして後は天に全てを任せるしかなかった。

 何故ならば五感を奪われたのはデュークだけではなかったからである。ユキも同様にすべての感覚を失った。

 上を向いているのか―――下を向いているのか―――飛んでいるのか―――落ちているのか―――浮いているのか―――沈んでいるのか―――何もわからない。


『何がどうなっているのか何もわからない…。吸血鬼の人はどうなったのかな……。眠くなってきた……。どう……なっちゃうんだろう……。ごめんね……シオン……』


 少女は暗闇の中で眠りについた。

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