狂い桜

金糸雀

桜が咲かないまま春が過ぎる

 午前中に、あと一回洗濯機を回す。

 昼ごはんをつくってお父さんと貴志たかしに食べさせる。

 洗い物を済ませたら、お母さんの病院にお見舞い。 

 あぁ、だから、お昼の支度の前に病院に持って行くものを用意しないと。

 えーと、そして病院から戻った後は……晩ごはん、何つくろう……


 

 かごから洗濯物を取り出して、ピンと伸ばして干す一連の動作を機械的に繰り返しながら、私は、今日の段取りを頭の中で考えていた。といっても、やることは毎日決まり切っているのだけど。

 父と弟に朝ごはんを食べさせたら洗濯機を回す。それが終わったら父と弟に昼ごはんを食べさせ、午後には母が入院している病院に行って話し相手をした後、汚れ物を持って帰る。家に戻ったら晩ごはんは何がいいか聞いて、必要なものがあれば買い足して晩ごはんをつくる。洗い物とか掃除とかも、合間合間に毎日――こんなふうに。


 洗濯物を干しに庭に出るこの時間は、家の中にいる父と弟とも、病院にいる母とも切り離された、私の、束の間の自由時間だ。その貴重な時間にも、私は今日するべきことは何なのか、なんて楽しくもなんともないことを考えている。


 かごの中が空になったので、家に戻る前に一息つくことにした。私は空を見上げた。 

 今日も晴れ渡っているが、気温は低い。

 このところ毎年のように異常気象だと騒がれているが、今年もやっぱりなんだか変で、冬らしくもない冬が終わったと思ったら四月末には各地で七月並みの気温を観測し、GWが明けた後は一転して四月上旬並みの気温となった。そして六月となった今も、全国的に四月上旬並みの気温を維持している。

 

 異変はもう一つ。

 今年は全国的に、桜が開花していない。

 専門家によると、蕾も付いておらず、咲く気配もないそうだ。

 

 この家の桜も、咲きそうにない。

 もっとも、桜が咲いたところで気持ちが華やぐことなどないし、この家にはめでたいことなど何もないのだから、桜なんか咲かなくても構わないと、私は思っているけれど。



 物干し台のある庭の一角に生えているのは、一体どういう種類なのかはわからないけれど花びらの数がやたらと多くて、一般的な桜よりも遅い六月に開花する。花びらの数や開花時期から想像するに、おそらくヤマザクラの一種なのだとは思うけれど、買った時には築五十年だったというこの家の庭に、両親が住み始めた頃には既に生えていたらしい、この桜の種類をはっきりとわかる人はいない。

 ちょうど今くらいの季節には、散って舞った花びらが洗濯物に付いて大変なことになるはずだった。それから、季節が終わった桜の木には、毛虫だってなんだかたくさん出るようになる。洗濯物が汚れるとか気持ち悪いとか、そんなふうな愚痴を母から毎年聞かされては、だったら物干し台の場所を変えればいいのに、と思ったものだった。

 何せ、北海道の田舎の戸建てである。一戸ごとの専有面積は広くて、家は平屋だけれどそれなりに広いし、家の周りをぐるりと取り囲む形で庭が配置されている。その庭の中で、物干し台があるのはそれほど陽当たりのいい場所ではない。ただ、勝手口から出やすい場所だというだけだ。たとえば庭の反対側なら、家の中からのアクセスは少し面倒になるが陽当たりは抜群だし、邪魔になるような木は生えていない。

 

 まぁ――そういうことを考えるのは、私の領分ではないのだけれど。

 だってここは両親と弟の家であって、私の家ではない。家のことについては、本来の住人である両親たち三人が考えればいいことだ。私には、関係ない。関係ないはずだ。

 関係ないはず――なのに、なんとなくこの家に留め置かれてしまっている現状が恨めしい。このままずるずるとこの家に居続けることになってしまうのではないかと考えると恐ろしくてたまらない。

 押し切られて逆らえなくてのこのこと帰ってきてしまった時点で、私の命運は確定してしまっていたのではないか。そんな考えが頭をよぎる。



 吹き抜ける風の冷たさに身を震わせ、我に返る。こんなところでぼんやりしている場合ではなかった。今日も、やることは山積みなのだから。

 私は溜息をついて、かごを手に取って家に戻った。

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