第487話 F級の僕は、オベロンを連れて外出する


6月19日 金曜日2



オベロンをれた黒いウエストポーチを腰に巻いた僕は、改めてオベロンに声を掛けた。


「何が有っても、絶対に声を出すなよ?」

「ゴソゴソ……なんだか収まりが悪いのう……ゴソゴソ」

「オベロン?」

「ああ、分かっておる。心配いたすな。それと不測の事態が発生したら、姿を消せば良いのじゃろ?」


……若干不安はあるけれど、とりあえず大学の行き帰りはスクーターだし、今の時間、大学構内を歩く人の数も少ないだろうし、留守番させておくよりは“僕が”安心出来るだろうし。


部屋を出た僕はそのまま階段を下り、スクーターが停めてある駐輪場に向かった。

…………

……



無事、教務課で今日の休講(欠席)届けを提出し終えた直後、オベロンがウエストポーチ越しに、僕の腰をポカポカたたいて来た。

僕はトイレに移動して、個室に入ってから、ウエストポーチを開けてみた。

それを待ち構えていたかのように、ウエストポーチの中から、オベロンが飛び出して来た。


「ぷはぁ……空気が美味おいしいわい」


空中に静止したまま、彼女は両手で自分の顔をあおぐ仕草しぐさをしていた。


「何か用?」

「おぬし、“うえすとぽーち”の中は、ムレムレじゃぞ? なんとかならんのか?」


よく見ると、オベロンは汗だくになっていた。

トゥマのあるネルガルと違い、ここ日本は初夏。

しかも今日は気温も湿度も朝から高目だ。

黒いウエストポーチの中、不快指数が急上昇していたのは事実だろう。

それにしても、自分を人間ヒューマンやエルフと一緒にするなとむくれていた当人が、人間ヒューマンやエルフと同様、汗をかくという事実に、僕は少し苦笑した。


「オベロンは、魔法とか使えないの?」

「魔法じゃと?」

「暑かったら、魔法で自分の周囲に冷気を作り出したりとか、出来ないのかな~と」


ララノアは僕と一緒にオロバスに乗る時、いつも魔法で暖かい空気を作り出して、僕達を包み込んでくれている。


「それは……今は無理じゃ」

「今は、と言う事は、条件がそろえば可能って事?」

「そうじゃ。条件さえそろえば、わらわの辞書に不可能と言う文字は無い!」


どこかで聞いたようなセリフを引用しつつ、オベロンが空中で腰に手を当て、無い胸を張った。

そんな彼女に、僕は一応聞いてみた。


「ちなみに、その条件って?」

「もちろん!」


オベロンが、ビシッと僕に指を突き付けて来た。


「おぬしが、わらわとの契約で得た力を使う事じゃ!」

「……やっぱり」

「おぬし……」


オベロンが、ガラにもなく、上目遣うわめづかいでびるような表情を向けて来た。


「何?」

「こんないたいけな美少女が汗だくで苦しんでおるのじゃ。ここはひとつ……」

ことわる!」

「まだ言い終えておらぬぞ!?」

「いや、聞かなくても分かるから」


そして僕は彼女をヒョイとつかむと、ウエストポーチに押し込めた。


「こりゃ! 人の話は最後まで聞くのじゃ!」

「今から帰るけど、静かにしてないと、トンデモ無い目に合う事になるよ?」

「まさかおぬし、汗だく美少女にえるとか、そういう性癖……モガフガ」


僕はウエストポーチのファスナーを少し開けて手を入れ、オベロンの口元をふさいだ。


「しばらく我慢しろ。お前を冷やす良い方法思い付いたから」

ほんほうは本当か?……モガ」


僕はオベロンが大人おとなしくなるのを確認してから手を離した。

そしてトイレを出ると、構内に設置されている自販機に向かった。


幸い、目当ての自販機の前に先客の姿は無かった。

僕は自販機にお金を入れ、冷たい缶コーヒーを一つ買った。

そしてそれをハンカチで包み込んでから、ウエストポーチを開け、オベロンと並べるようにそれを置いてみた。


「おお!?」


僕の意図を理解したらしいオベロンは、すぐにハンカチに包み込まれた缶コーヒーに抱き付いた。


ちべたっ冷たっ! じゃが……これは……よい、おぬし、これは妙案じゃ!」


よほど暑かったのだろう。

オベロンは、ハンカチに包み込まれた冷たい缶コーヒーに、全身でスリスリしている。

僕はオベロンの様子を確認してから、再びウエストポーチのファスナーを閉めた。

…………

……


アパートに戻って来た僕は、室内のエアコンのスイッチを入れ、オベロンをウエストポーチから出してやった。


「おおっ!? いずこかから、冷たき風の流れが……」


オベロンはそのまま冷気に誘われるように、エアコンの吹き出し口までふわふわ飛んで行った。

そして、興味深げにエアコンを観察し始めた。


「魔力は……感じぬ。代わりに、電子の流れを感じる……なるほど……電子の流れを利用して冷気を生み出す動力を得ている、という事じゃな?」


僕は彼女の言葉に、軽い違和感をいだいた。

僕の知る限り、イスディフイでいわゆる“電力”を使用した機械なり、道具なりを目にした事は無かったはず。

まあ、“僕の知る限り”という言葉は、“僕が知らないだけで”という言葉に、容易に置き変わるかもしれないけれど。


僕はエアコンの吹き出し口付近で、気持ち良さそうに浮いているオベロンにたずねてみた。


「イスディフイにも、電子と言うか、電力を使用した道具って存在するの?」

「そんなモノは存在せぬ。あの世界は大気中に存在する濃密な魔力の影響で、電子の流れが制限を受けるのじゃ。じゃから、そもそも電子の流れを利用しようという発想そのものが生まれにくい環境なのじゃ」


なるほど。

だからイスディフイにスマホを持ち込んだ時、起動しなかった第220話のかな?

と、僕は先程抱いた軽い違和感の正体に気が付いた。


「オベロンって、“イスディフイの精霊”、なんだよね?」


オベロンの眉がピクっとねた。


「そ、そうじゃぞ? より正確に言えば、始原の……」


彼女がいつもの口上こうじょうを始めるのにかぶせる形で、僕は質問を投げかけた。


「そのりには、えらく電子に詳しいね?」


そう。

彼女の起源がイスディフイであり、彼女の言葉が真実であるならば、彼女は今までいわゆる“電力を使用した道具”を見たことが無いはず。

なのに彼女は、“電子の流れを感じ”て、エアコンが“電子の流れを利用した動力”によって冷気を生み出している事を瞬時に見破った。


オベロンが目に見えて慌てた雰囲気になった。


「それはその……わ、わらわの深淵なる英知によって、電子なるモノの本質を見抜いただけで、別に元々詳しいわけでは……ゴニョ」


……なんだか要領を得ない答えだ。


「そんな事より、わらわは喉が渇いた! 何か飲ませよ!」


何故か若干、逆ギレ気味に叫ぶオベロンに、10分程前に買ったあの缶コーヒーのプルタブを開けて渡してみた。


「じゃあコレ、飲んでいいよ」

「お、おう……」


オベロンは、自分の背丈――約10cm――とほぼ同等の大きさの缶コーヒーを、空中で器用にかたむけて飲もうと試みた。

しかし……


「ぶはぅ!?」


傾け過ぎたのだろう。

あるいはオベロンにとって、飲み口が大き過ぎたのか。

顔面に、冷えたコーヒーの直撃を受けたオベロンは、全身コーヒーまみれになってしまった。

そしてその事に驚いたらしいオベロンが手を離したせいで、缶コーヒーそのものも、部屋に敷かれた畳の上に落下した。

当然、畳はこぼれたコーヒーでビショビショになってしまった。


「何やっているんだよ。部屋が汚れただろ!?」


オベロンに文句を言いつつ、慌てて雑巾を取りに行く僕の背後で、オベロンが騒ぐのが聞こえてきた。


「あの“かんこーひー”が、デカ過ぎたのが悪い!」


僕はオベロンに水で濡らしたタオルを手渡しながら、洗面所を指差した。


「ほら、あそこに行って、コレでとりあえず身体を拭いて」

「おぬし……」


オベロンが受け取った濡れタオルと、僕とを交互に見比べながら言葉を続けた。


「さてはわざとじゃな?」

なんの話?」

黒き液体コーヒーけがされた無垢むくなる美少女が、自らタオルで身体カラダを清める姿に、情欲のほむらを……ウワァ!? ヤメ……」

「……よし、お前はその性根しょうねごと、洗濯機で洗浄してやる」


…………

……


汚れた畳を雑巾で拭き、オベロンを洗面所――洗濯機はさすがに少し可哀そうになったので――で“洗浄”して僕が一息つく事が出来たのは、それからたっぷり30分以上経ってからであった。


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