黄昏

葱藍こはく

黄昏


 久々に気合いを入れてお洒落をしたからか、このまま自宅に帰るのが酷く勿体無いことのように感じた。別に出不精では無いのだが、必要に迫られないと出掛けるのが億劫に感じるものだから。この機会を無駄にはしたくない。


 ……………いや、それを出不精と言うのか。


 段々と人通りの増えてきた道に、引き延ばされた影が傾いていく。勿体無いと思いつつもなにをする訳でもなく、時間だけが過ぎていく。動き出すなら早くしないと、すぐに日が暮れてしまう。

そう思いつつも、目の前を流れていく人々を私はぼんやりと眺めていた。


 こんな時は決まって誰かを探している感覚に陥る。


 随分前に都心へと移り住んだ私は、地元を離れて暫く経っていた。だから人混みの中、目を皿のようにして探したって、友人はおろか知り合いも見つからない。

風が私の髪を悪戯に巻き上げ、視界が一瞬海底に沈んだ。

 生まれてからずっと何もせずにいた直毛を、つい最近になって染めた。幾度か色を抜いてから、毛先にのみ青いグラデーションを注いでいる。だからふとした瞬間に髪が視界を覆うと、まるで波に飲みこまれたような気分になる。その一瞬がなんとなく好きだった。

 今の私を見ても友人が「私」を認識することはほぼ有り得ないだろう。だから例え知人を見かけようが私から話しかけることは無い。逆に彼らに探されることも、見つかることも無いと思っている。


 それでも、その感覚は時折湧き出すのだった。


 突っ立っていた私の横に数人分の影が踊るように近付いて来た。ちらと視線をやると、制服姿の少女たちがスマホを構えている。微かに聞こえるシャッター音を聞き、私は背後の柵に圧し掛かった。そう、人だかりばかり見ていたが確か此処は―――。


 振り返ると、茜色が視界を埋めた。丁度、夕日が沈もうとしている。私はゆったりと柵に寄りかかり鮮やかな街を見下ろした。今から足を向けられるようなお店も思いつかない。夜景が拝める時間になるまで待つ気はある。

「ご飯、どうしようかなぁ………………」

「……うちの店とか、どうですか」

 独り言を落としたはずが、どこか遠慮がちな声に拾われてしまった。声を辿ってみると、今時といった服装の若い男が照れ笑いを浮かべていた。

 彼は私が口を開く前に軽く頭を下げた。

「急にすいません。呼び込みの休憩で」

 彼はそう言うと私の隣に並ぶ。スキニーのポケットから煙草を取り出して口に咥えると、胸ポケットを探る。如何にもな手つきだが、その顔は喫煙者にしては若々しく思えた。

「今日は」

「!」

 声を出した途端バネのように振り返った彼に思わず笑ってしまった。ライターを差し出しつつ私は言葉を続ける。

「作る予定なので」

「お料理するんですね……!」

 それはどういう意味だろうか。

 目を輝かせながらそんなことを言うものだから、反応に困ってしまった。一拍置いて、彼は慌てて弁解を始めた。

「あっ、すげぇ失礼な……違うんです。髪とか爪とか綺麗だから、そういうのしない人かと思って……っ」

 咥えていた煙草をわざわざ手に取って捲し立てる。

 こういうのをなんと言うのか。


 ……わからない、筒抜けの天然、とでも言うか。


 自分で考えておいて思わず吹き出してしまった。

「す、すいません……」

「いいから、ライター」

「あ、ありがとうございます」

 火を付ける彼の横顔が眩しく思え、私は空を見上げた。

「お店って、そこの坂を下ったところにある……?」

「はい。大体そこで二人くらいで呼び込みしてます」

 私には華やかすぎる気がして、あまり足を運ばない通りだな。

 そう思うと同時に、私は思わず微笑んだ。




「黄昏時は過ぎた、ね」




「……え…?」

 俺が振り返った時、彼女は嬉しそうに笑っていた。可愛らしさが覗いた表情に思わず見とれていると、彼女が此方を向いた。

「此処、夜景で有名なの。知ってる?」

「あ、はい。見に来たことは無いっすけど」

「夕焼けも綺麗だけど、なんだか切ない感じがするからね。ついでに見といた方がいいよ」

 そう言うと彼女は柵から離れた。

「あとさ、公共の場で吸うなら髭でも生やせば?まだ駄目でしょ」

「っ……どっ…げほげほっ……」

 思わず咽た俺を彼女はにこやかに眺めた。

「ば、バレたこと無かったんすけど……」

「え?……あぁ、別に幼いなって思って判断した訳では無いから。むしろ、普通はバレないレベル…………だとは思う」

 では、彼女は何処で判断したのだろうか。


 顔に出ていたのか彼女は僕を見て軽く笑った。

「手を見れば、なんとなく何歳かわかるんだよね」

「手で?」

 俺は自身の手を眺め、続いて彼女の手を見た。自身の手を見た後だと、彼女の華奢な指や肌の滑らかさが際立って見える。

「職業柄、良く見るからね」

「へぇ……凄いっすね」

 ふいに、彼女の気配が離れたように感じ、俺は慌てて顔を上げた。

「あの!誰か待っていたんじゃ…………?」

 そう咄嗟に口に出してから、決めつけが過ぎたと後悔した。そのまま彼女が人混みの中に流れ去ってしまう気がして、反射的にそう呼び止めていた。待ち人がいる、というのは単なる直感でなんの根拠もない。今更ながら失礼なことを言ってしまった気がしてきた。先程から変なことを言ってばかりだというのに。

「……探してはいたかな」

 そう言って彼女は目を伏せる。長い睫毛が頬に影を落とした。

 それを見てふと、ぼんやりと街を見下ろしていた彼女の横顔を思い出す。未だ来ぬ待ち人でもいるかのような、憂いを帯びた目元と、仄暗さを助長させる髪。一見派手な見た目をしているのに、不思議と悪目立ちはしておらず…………綺麗だと思った。


 それが急に、ご飯をどうしようか、なんて言ったものだから……。


「見つかりました?」

 波が引いていくように遠ざかる彼女に、俺はもう一度声をかけた。

 そこで彼女は顔だけ此方に向けた。聞き逃してはいけない気がして、俺は耳をそばだてる。

「今度会いに行く」

 そして、彼女は俺に微笑み。今度こそいなくなってしまった。


 握りしめていたライターが、やたら熱を持っているように感じた。

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黄昏 葱藍こはく @Winter-owl

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