転校生がやってくる話

たろう

第0話

 県立森山高校はみずみずしい青葉の中にあった。

 春には芽吹きを、夏には青葉を、秋には紅葉を、冬には立ち枯れの姿を見せる木々は、生徒たちに愛されていた。

 地方都市の中堅高校である森山高校は周囲を木々に囲まれた自然豊かな立地と、そこで育まれる文武両道を売りにしている。全校生徒は600人と標準的な規模ではあるが、敷地はサッカー部や陸上部のような屋外スポーツ系の部活動が複数同時に練習できるほどの広さだ。

 森山高校は時代を感じさせる3階建ての校舎二棟と二つの体育館、部活動のための二つの特別棟とグラウンド、さらに講堂と屋外プールからなる。

 ここ数日の間ずっと降り続いていた雨が、すっきりと晴れ渡った六月のある日。午前の授業から解放された生徒たちが思い思いの場所で昼食を取り、ある者はおしゃべりに、またある者は午後の授業のために仮眠をとる昼休み。

 日はすっかり昇り切り、地面に濃い影を投げかける。矩形に切り取られた光が教室の床にコントラストを作る。初夏の光も教室の奥までは届かない。

 広い校庭と二つある体育館からは運動に興じる生徒たちの威勢の良い声が響いてくる。教室の窓という窓は開け放たれ、楽し気な声がもれ響いてくる。

 二棟ある校舎のうち特別教室があつまる建物の一階。応接室を挟んで職員室の隣にある保健室。

 昼休みという時間、普段なら数人の生徒が備え付けの椅子やベッドを占有してお喋りに興じているのにその日は違っていた。白衣の教師と女子生徒が二人。

 中年にさしかかりベテランといった雰囲気の養護教諭の女性と小柄な女生徒が話している。

「ごめんなさいね、折角のお昼休みなのに手伝ってもらってしまって。」

「いえ、どうせ暇だったので大丈夫です。」

「保健委員のあなたが丁度通りかかってくれて助かったわ。急に書棚の中板が落ちちゃってこの有り様なの。書類がぐちゃぐちゃになっちゃって。棚を固定するネジが緩んでいたみたい。ものすごい音を立てて落ちたものだから、びっくりしてとびあがっちゃって。そのせいでこっちも被害甚大なの。」

 部屋の反対側、中の棚が崩れた書類棚の向かいにある、応急手当て用の道具が置かれているはずの場所。その周囲の床には綿棒やガーゼや脱脂綿、ピンセット、はさみなどのほか、割れて粉々になったガラス容器の破片が散乱している。

「みたいですね……。入った時びっくりしました。」

「丁度器具や衛生用品を整理整頓しようとしていたのに、逆にこんなになっちゃって。どうしようと途方に暮れていたところなのよ。今日はどうしても外せない用事があるのに、ここの後片づけなんてしていたら、仕事なんて終わりそうもなくて。手伝ってもらえて助かりるわ。」

「さすがにこれは先生一人じゃ無理ですよ。それで私は何をしたら良いですか?床の掃除からやりますか?」

「いえ、こっちはガラスが危ないので書類棚をお願い。ファイルや書類を一旦全部出してそこの革張りの長椅子に並べてくれないかしら。床掃除は私がやります。」

「分かりました。」


 二人が背中合わせに作業に取り組む。

「先生、ついでにこのファイル日付順に並べておいた方がいいですか?」

「ええ、お願いします。ばらばらになってしまった書類はとりあえずきれいに重ねておいてね。」

「わかりました。」

 二人が片付ける際の紙の擦れる音やガラス器具の触れ合うかちゃかちゃという音が、空々しく室内に響いている。

「そういえば、生徒の間で変な噂が流れているらしいのだけれど、知ってる?」

「えっと、学校が異次元に繋がってるとか風水的によくない地理条件の場所にこの学校が経っているとかっていうあれですか?突然視界のなかのものが二重に見えたり、あるはずのないものがあるように見えたりとかって。」

「そうそう、それ。」

「先生もそういう話って興味あるんですか?」

「いえ、そういうわけではないんだけど、実際に体調を崩してここに来る生徒が少し多いように感じていて、気になっていたの。職員室で時々話題にあがるし。それで生徒に色々聞いていたら、複数の生徒からなんだかそういう噂があるらしいと教えてもらって。前の学校にはそういうオカルトみたいな噂は一切なかったので、この学校の七不思議みたいなものなのかなと思っていたんだけど。」

「あー、そういうのじゃないんです。私が高校に入学したころはそういうことを言う人はいなかったんですよ。今年に入ってからかな。何か月か前からちょっとずつ、物が二重に見えたり、具合が悪くなったりする生徒がでるようになったんです。そういえば今日も一人隣のクラスの子が保健室にいってました。なんなんでしょうね。」

「あなたはどう思いますか?」

「うーん……。私にはちょっとわからないです。そういう噂自体は面白いですけど実際には……。それに友達が何人か突然具合が悪くなったり、眩暈で倒れそうになったりしてるんですけど、私自身はそんなの感じたことがなくて。噂が本当なら、私が鈍いってことになっちゃうし。」

「最近暑くなってきましたからね。熱中症の軽い症状の可能性もありますね。」

「あーたしかにそうですね。今日なんか特に暑いですよ。もうすぐ夏ですね。」

 背後でガラスの破片を掃いてまとめる音に混じって、セミがじんわりと鳴くのが聞こえた。

「知ってる?この噂の原因となってる体調不良は、実は特定の場所で起こるみたいなのよ。」

 女生徒が作業に疲れてしばらく手を止める。室内を沈黙が落ちた。

「へぇ、そうなんですか?」

 女子生徒が振り返ると、知らぬ間に白衣の女は彼女の真後ろに立っていた。

「ええ。正確には特定の場所ではなくてもっと限定されているの。つまりね、特定の生徒の周囲で起こるのよ。」

 何の感情もこもらない瞳が彼女をじっと見据えている。少女はその瞳から目が離せない。

「あなたは気づかなかったかしら?やけに自分のクラスメイトや友人が保健室に運ばれるなぁ、って。」

「どういう……。」

 言葉は最後まで語られる前に唇の動きが止まる。

 少女には知っている顔がまるで知らない人の顔に見えた。表情一つでこうも印象が違うのかと彼女は思った。

 無表情の奥に何かを隠しているような顔。人以外のなにものかを見ているような無機質な目だった。

 再度口を開いたが声がでなかった。しらず唾液を飲み込もうとするが口の中がカラカラに乾いて上手くいかない。喉から声の代わりにかすれた音が漏れた。

「まぁ、気づいていたらもっとうまく隠そうとしたでしょうね。自分のことなのに自分のことがよくわかっていないなんて、良くないことよ。」

 相手が理解できていないことに頓着せずに話し続ける。

「私の調べたところでは、確かに全部の学年の生徒と教師が保健室に駆け込んでいる。けれど、大部分は二学年の生徒と二学年を担当している教師なの。しかも一学年と三学年の生徒が具合を悪くするのは、全校集会だったり図書室だったり、全校の生徒が集まるような場所や状況だけ。対して二年生だけは、あなたが一年生のときは一年生だけが、体調を崩す際の特定の傾向というものがなかった。」

 唇が閉じられる。

「大丈夫?顔色が悪いわ。」

 心配そうな口ぶりなのに、その表情は全く心配したようすもない。

 まばたきもできずにいる女生徒の視界の中で、教師の両腕が静かに上がる。彼女はかなしばりにあったように身動きもできない。ただ、視線だけがその手の動きを追いかける。

 女の指先が首にかかる。

 女の口の端が吊り上がる。

 少女はやめてほしいというように小さく首を振る。恐怖に凍り付いた顔、限界まで見開かれた目。かすかに震える唇からは声にならない声が零れ落ちた。

 ゆっくりとその指が彼女の首を握り込む。

 彼女の口が荒い呼吸を繰り返す。かすれた音をたてて空気がもれる。頭の片隅で煩いと彼女は思ったが、それが自分の呼吸音だとは気づいていなかった。

「心配いらないわ。大丈夫よ。」

 細い指にゆっくりと力が込められていく。



 

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