第43話 番外編 白の憂鬱 前編 

 僕の名前は雁楼蘭という。

 泰山の主人であり、冥界における特権階級の白の王号を持つ千年王の一人だ。

 紆余曲折ありましたが偉くなりましたって簡単に語れるほど楽な人生を送ってきたわけではないが、今では僕を名前で気軽に呼べる者などほぼいない。

 楼蘭と名前で呼んだものなら縊り殺されるとでも思われていそうなほどに恐怖の対象となっているのに、宗像の連中だけはどうにも違っているらしい。


『楼蘭、すっごい綺麗な桜が百年ぶりに咲くらしいんだ。 お茶しにおいでよ』


 宗像志貴、彼女はこれだけの一文で僕を呼び出せる才能を持っている。

 その上、僕以上の恐怖の対象となっている自覚が全くと言って良いほどにない。

 彼女をそんな風にしているのはその周囲にいる悪どい連中のせいなのだろうけれど、それが宗像という生き物なのだろう。


「花見に行ける時間なんかどこにあるっての?」


 僕には悠長にしていられる時間など真面目な話しどこにもない。だけれど、思わず、笑ってしまう。


「百年ぶりの桜とはさぞかし美しいのだろうね。 さて、クッキーでも作って手土産にするかな?」 


 僕が手紙を読みながらこんな呟きをするだけで、近くに居た人間たちの表情が凍りつく。

 ダンっと書類の山を置いて、小さなペーパーナイフを壁に投げつけてやる。


「あ、そうだ。 お出かけの間は誰にお任せしようかな? お利口さんにできなかったらお仕置きも考えないとね」


 泰山と道反は似ているようで全く違う。

 道反は閉ざされた要塞であり、固有の少数精鋭のための地であるのに対して、泰山は冥界がらみの役割を果たす者であれば須く開かれたような東アジア全域のためにある一大都市だ。それ故に扱いに困る案件なんぞ、宗像の何千倍も降ってかかるのがこの泰山の主人である僕の日常というわけだ。

 盟友である宗像志貴は、僕のこの日常を『国連軍のボスみたいなもので大変だね』なんて言葉で片付けてくれるけれども、実際はもっと悲劇的な状況だ。

 強くなければ僕の言葉は通らないし、厳しくなければすぐに手のひらを返される。

 隙など見せてみろ、数秒後には僕の首が城壁に並ぶだろう。

 だから、僕の親はある条件を満たせるようになるまで『僕』を隠し続けたのだから。

 男尊女卑が色濃く残る泰山にあって、両親はある意味で天才的な隠し方をした。僕を『私』にしていたのだから。

 物腰が柔らかいと評価されるのは光栄の至でもあるのだが、僕にとっては屈辱の歴史でしかない。

 かつて泰山には宗像と同等の血筋が存在したが時の流れとともに枝葉に分かれすぎ、ほぼ原型を留めてはいない。覚醒遺伝的に発生する異能の最上級が本流の長となるため、強い異能こそが正義の顔をする。それが泰山であり、サバイバルレースが日常茶飯事となっている理由だ。

 僕のたった一つの幸運は両親に才能がなかったことだろう。だからこそ、周囲の目を欺くことができたとも言える。

 両親は8ある泰山の名家に生まれはしたが、所謂、『ほどほどの方』と評価される人材だった。もっとわかりやすい言葉で表現すれば『居ても居なくても体制に影響しない血だけは一流の奴』ということだ。

 呪術も剣技も微妙だった両親だったが、どうしてかは未だに不明なのだけれど、閉鎖的なはずの宗像とのコネクションを隠し持っていた。

 稀代の天才と名高く、千年王ではと噂されていた宗像泰介が両親の隠れた飲み友達だったというのだから、流石に唖然とした記憶がある。

 サバイバルレースをのらりくらりとやり過ごし、僕よりかなり弱小の癖に偉そうな従兄弟達に馬鹿にされても両親はヘラヘラと笑っていた。

 喧嘩っ早い僕はもう耐えられないと幾度となく能力の封印を解こうとしたが、両親は絶対にダメだと許してはくれなかった。

 誇りや意地はないのかと言った僕に両親はそんなものはないと突っぱねた。

 誇りや意地が命を救ってはくれないと僕を聡し続けた。

 敵味方を問わず全てを凌駕できるほどの時が来るまで待てと言われ続けた。

 師匠も仲間も居ない。稽古の相手は神の獣一匹だけ。

 5つか、6つの頃にはもう能力の封印を解けば顔見知りの連中は叩きのめせる自信もあったから、ひどくつまらない日々だった。

 本物と稽古したいとポロリとこぼした一言に母が一度だけなら叶えてやれるかもしれないとこっそり僕を宗像の本拠地へ連れて行ってくれたことがあった。

 僕はそこで鬼かこいつらという二人を見た。

 一人は宗像の絶対的強者であった当時の宗像泰介、もう一人は10代そこそこの宗像一心だ。 

 泰介にボッコボコにされている一心の姿は今なら笑えるが、当時の僕はそのすさまじい稽古風景にすくんでしまった。

 稽古というにはほど遠い激しさと危機感の溢れる場の空気に瞬き一つできなかった。

 泰介は一心が子供であることなど完全無視で、本物の槍を使用して稽古をつけており、その刃で一心の頬や首筋、腕には赤い線が走っている。

 力を振り絞って声を出しながら向かっていく一心に対して、泰介は小手先一つで捻り伏せてしまう。

 全身傷だらけ、汗びっしょりの一心が気絶してその場に倒れ込んだのを休憩の合図とした泰介が何食わぬ顔で僕の方へ視線を動かしてニッコリ笑んだ時のあの居心地の悪さは未だに覚えている。


『僕は槍使いだから、剣は一流とは言えないけれど、それでも構わないかい?』


 壁にかけてあった木刀をそっと取り上げると泰介は僕の手に握らせてくれた。


『ここでは本当の君を見せても問題ない。 一心の目が覚めるまでの10分間を君にあげよう。 今の君の全力でかかってきてごらん』


 格上すぎるのはわかっていたけれど、これから先、僕はこういう奴らを乗り越えていかないといけないのだと自覚した瞬間でもあった。

 肩の上にいた僕の友達に、解いてとそっと願った。

 解くよと柔らかく答えてくれた友達の声に体が震えた。

 ところが、笑えるほどに僕の異能を泰介はものともしなかった。

 鍔迫り合いにすらならない。

 こんなのはじめてだと負けているのに、歓喜している自分がいた。

 チョン、チョン、チョンと手首、胸元、首筋、背と木刀の先が触れる。

 

『はい、死んだね』

 

 穏やかで柔らかい泰介の声に、苛立って何度もかかっていくが届かない。

 だけれど、目が慣れてくると彼の動きの先が掴めてくる。

 チョン、チョンとされる回数が減ってくる。

 

『これはすごい。 子どもだと甘く見ていたよ』


 泰介の動きが体術を絡ませてくるように切り替わった。

 それを受け流しながら、目や耳だけでなく、すべての神経を研ぎ澄まして泰介の動作を感じると自分の体の使い方がわかってきた。

 だけれど、幼い僕の体は数分と持ち堪えることはできなかった。

 息が上がり、眩暈までしてきて、畳の上に転がってしまった。

 気持ちに反して、立ち上がりたくともできないのだ。

 泰介が僕のそばにそっとしゃがみ込んで、にっこりと笑ってこう言った。


『口惜しいが、嘘偽りなく言うとしたならば宗像の本筋の雁首を並べても君が一等賞だろうね。 そこに転がっている一心ですら成長した君には届かないかもしれない。 ただ、この先の一心に勝てるかどうかは、君が無事に命の壁を乗り越えて、成長できたならという条件ありきだけれどね』


 成長できたならという言葉の響きは両親のものと同じ響きだ。

 宗像のような組織がない泰山にあって才能は毒であり、幼さは脆さを指す。

 悔しくて涙がこぼれてきた。


『宗像はずるい。 皆が強くなるに決まってる!』


 宗像の子供達には成長のために稽古をつけてくれる大人がいる。

 僕にはいないのにと歯軋りするほどの悔しさが溢れ出し、大声を上げてしまった。


『楼蘭、君は宗像になりたいわけじゃないだろう?』


 泰介の言葉がすべてだった。

 正論すぎて、言い返す言葉がなかった僕はそのままゴロリと泰介に背を向けた。

 

『王号にたどり着けず死んだ者はたくさんいるんだよ、楼蘭』


 この時から母親譲りの女顔に、父譲りのヒョロリとした肢体と緋色のうねりのある長い髪が僕の生き抜くための隠れ蓑となった。

 母に手を引かれて帰った泰山への道のりのことを僕は覚えていない。

 泰山の連中の誰もが宗像の足元にも届かないレベルにある現実を目の当たりにして、幼いながらも強烈な敗北感に苛まれていたからだ。

 生き抜いて、いつの日か、千年王の号を惜しげも無く晒してやり、僕が泰山を掌握する。

 両親や僕を馬鹿にした連中をアッと言わせるだけじゃなく、宗像に負けない泰山を取り戻すのだと心に秘めたまま、両親のようにのらりくらりとやり過ごす日々が始まった。

 翌年、宗像泰介の訃報が届き、僕は唖然とした。

 あのレベルにいる泰介を屠った奴がいるのかと身震いしたのを今でもはっきりと覚えている。何かあったなら泰介が救ってくれると信じてやまなかった両親の落胆は隠しきれないほどだった。

 多勢を守れるのならば少数の犠牲やむなしという泰山の体質にも目を瞑らねばならない日々は生き地獄だった。

 細心の注意を払い、冥府の無理難題についても知らぬ存ぜぬとやり過ごし、17歳の誕生日の前日を迎えた。

 だけれど、本当の地獄がどんなものかを僕はまだわかっていなかった。

 誕生日前日、両親が珍しく揃って任務に行くときいて、不思議だねなんて言葉を交わして送り出した。

 誕生日の当日の夜になっても両親が戻らない。流石に胸騒ぎがした。それも嫌な汗をかくほどの悪い予感がした。

 いてもたってもおれず、慌ただしく化粧をおとし、女物の服を脱ぎ捨てた。

 両親の安否確認をしなければならない。

 宮城にあがるにはもう仕方ないなと覚悟をしながら、我が家の主人が身に纏う装束に袖を通した。

 おろしていた長い髪を後頭部高くゆいあげて、ひとつ息を吐いた。

 僕の友達を左肩にのせ、足早に家をとびだした。嫌なイメージが脳裏を埋め尽くして早鐘をうつ。

 僕とすれ違う顔見知り達が眉をひそめて、儀礼服の僕を見る。

 女が身に纏うものじゃないだろと陰口をたたかれたが、どうでもよかった。

 行く手を遮るものは無意識に吹き飛ばしていたと思う。

 ひたすらに全速力で駆け抜けた。

 たどり着いた宮城の中央庭園には人だかりができていた。

 あたり一面に血の香りが満ちていて、そこら中から啜り泣きの声がする。

 

『今回は7名だったらしい』

 

 僕が人だかりをかきわけて足をすすめて行った先には遺体が並べられていた。

 罰が当たったのだと思った。

 僕が僕を守る為に目を瞑り続けた間に犠牲になった同族は一人や二人じゃないことは知っていた。

 その犠牲に肉親が含まれていたとしたら、僕はこれまでと同じに目を瞑り続けられただろうか。

「無理だ」

 僕の未熟さのせいで奪われたのだと思った。

 僕がもっと早く名乗りをあげて、頂点の椅子に座っていたならば目の前にある地獄絵図を見なくて済んだのだとようやく気がついた。


「耐え忍んだ意味がわからねぇ」


 最下層との亀裂から溢れ出した悪鬼の処理を冥府から依頼された泰山の当時の上層部は悪鬼の特性を利用して短時間で解決する手法を選択した。所謂、『血狩』を行ったのだ。

 悪鬼の好む血を持つ者を囮にして局地的に集結させ、集結させきったなら一気に叩くことを血狩と言う。

 血狩は宗像でも行われる手法だが、泰山のものとは決定的な違いがあるのだ。

 強い者が囮となり、内外で一気に叩くのが宗像の手法であるのに対し、泰山は血だけは優秀な弱者を捨て駒として扱い、強者は外側から犠牲厭わず叩くのだ。

 

『雁楼蘭、お前の両親はようやく役に立ったよ』


 食いちぎられた遺体はもう両親と判別するには難しいもので、涙すら出なかった。身の震えが止められずに、気がついたら従兄弟どもを殴り飛ばしていた。

 最上段にいた当代最強だとされていた青年の襟首をつかみ、その椅子から引きずりおろして、彼の持っていた剣で利き腕を切り落とした。

 周囲にいた大人たちをすべて半殺しにして、向かってくる者が誰一人いなくなって初めて、涙がこぼれた。


「ここに、この鴈楼蘭が白の王号を受け継ぐ者として立つと宣言する。 これ以降、僕に刃向かう者はすべて殴殺する」


 この宣言をもって僕の身体の成長は17歳で止まってしまった。

 力でねじ伏せることはしないつもりだったけれど、僕の始まりは恐怖での締め付けになってしまった。

 あの時の僕に泰介のような師匠がいたならば、両親がいてくれたならばこんなことにはならなかったのにと、振り返ってみても苦笑いだ。

 そこからはもう気を抜いて眠ることもできない日々の始まりだった。

 千年王は不死身ではない。斬られれば痛いし、血も流れる。首を落とされたなら流石に死んでしまう。そんなヘマをするつもりはないのだけれど、僕にだって弱点はある。


「早まったとは思いたくないけどな」


 肉体の全盛期とされる20代前半で宣誓することが両親との目標だったのに、僕はそれを待たずに宣誓した。肉体は未成熟、それも致し方ないと飲み込んだ。

 僕を差し出すのならば泰山の安寧を約束すると言うお馬鹿な要求に身内一同が頷こうものなら、僕は冥府の役人を斬り、首の皮一枚繋いだ状態で冥府へ送り届けてやった。

 かかってこいと内とも外とも幾度もやり合った。

 冥府とやり合っている最中に、味方に冥界から戻る為の扉を閉められてしまったことなど一度や二度じゃない。

 笑えるほどに背中を誰にも預けらず、周りを疑うことにも疲れきっていた僕の初めての友達は宗像志貴、彼女だった。

 出会って数秒で、彼女も千年王なのだと気づいて、身構えた僕に対して、彼女は簡単に背を預けた。

 あの鬼のような宗像泰介の娘だと言うのに、その片鱗は微塵もない。

 僕の臨戦体制にも気づかない志貴の様子に、心底拍子抜けした。

 そんな僕の胸の内など知る由もなく、彼女は本当に無意識なのだろうが僕を守ろうとした。

 これまでの僕の日常の中にあって、ちょっとだけ理解できない彼女の行動理念を目にして、やはり、彼女は宗像なのだと思い知った。

 弱きは淘汰され、強きは誰かを蹴落としてでも生きるのが当たり前の泰山。

 与えられ、恵まれた才のある者がない者を守って生きるのが当たり前の宗像。

 彼女は本能で己の身に宿す爆発的なエネルギーが僕以上であることを感じ取り、僕を無意識にも守ろうとしているようだった。

 僕はそれほど弱くないのになとちょっとだけ眉を顰めたけれど、志貴の炎の扱いをみた瞬間、すべてが吹き飛んだ。


『コイツ、強すぎるからこんなにノーガードなのかよ』


 彼女は群を抜いて強すぎるから危機意識に乏しいのだ。

 しかも、荒削りも荒削り。このポテンシャルを活かすような訓練を何一つしていないかのような無駄だらけの動きをするのに、とんでもない成果を指先一つで生み出す。


『宗像の連中がコイツのことをわかっていないはずがない。 だとしたら、これはあえての不完全さというわけか。 まだ何か隠し持っているということだ。 末恐ろしいな』


 千年王が持ち得る能力はすべて同じではないことは知っていたが、あまりの異種に驚いたのと同時に千年王同士が手を組めば実はとんでもない状況を生み出せるのではないかと気がついた。

 与えられた物の使い方はそれぞれの王の考えによるものだ。類似した才や考えの王もいるだろうが、僕と志貴は確実に分類が異なる。


『攻撃的な王である僕に浄化と回復、護りに徹する王であるコイツに破壊ってか』


 つまり、give and takeが見事なまでに成立するほどの真逆の立ち位置にいるということだ。

 泰山には白と黒の王号が降りやすいのに対し、宗像には紅と蒼の王号が降りやすい。ことに紅は宗像の永久欠番的な王号の扱いとまで言われている。

 そして、今、こうして目の前で見た彼女の炎の威力は明らかに彼女が何色を受け継ぐか一目瞭然だ。


『コイツが紅』


 あたり一面を秒で焼き尽くすほどの爆発的なエネルギーに相反する貧弱な肉体という究極のアンバランス。その志貴のアンバランスさは天が意図して創造したかのような妖しさを伴う。

 初めて勝ち方がわからないと悟った瞬間だったと思う。

 敵に回したくないと心底思ったのだと表現する方がしっくりくる気がする。


「本物すぎる。 桁違いだ」


 千年王の中にあって、僕自身の持っている白の格は低くはない。

 だが、紅だけは生まれてくれるなとまで評される規格外だと冥府からは言われている。

 本気のクレイジーだと笑いが溢れてしまうほどに差があることを体感した。


「だけど、彼女は適格者とは思えない」


 一般的に名を残す千年王となるには三つの要素が必要といわれている。

 一つ目は天の気まぐれに選ばれること、二つ目は与えられるエネルギーに負けない器を持つこと、三つ目は時間の流れに鈍感であることと言われている。

 宗像志貴は確実にこの三つの要素に欠けているのに、間違いなくこれまでの千年王を凌ぐ存在となると直感した。

 だからこそ、もっと彼女と話したいと思っていたのに、互いに抱える事情があまりに複雑すぎて、あっという間に引き離された。

 冥界に放り出されることに慣れていた僕とどう考えても不慣れな志貴。

 志貴をもう一度探そうにも僕にも余裕がない。だから、道反にいる彼女の血族に助けを求めることにした。だから、成人した宗像一心と再会したのは、志貴と初めて出会ってからすぐということになる。

 志貴を救って欲しいと道反に飛び込んだ僕の言葉半分で彼は迷わず冥界へ潜っていった。

 目の前を風のようにかけていく宗像一心。

 約10年で身に纏う覇気と身体つきがまるで別人になっていた。向かい合わずして、宗像一心がとんでもないクラスになっているのがわかった。

 数日して満身創痍の志貴を連れ帰ってきたと知らせをきいた僕は、再度、道反に出向いた。

 僕に与えられた王号は白。浄化はこの世界で誰よりも得意ということはもちろん宗像の連中も知っている。だから、彼らは僕を拒みはしなかった。

 こんこんと眠る彼女の額に触れて、取り去れるものは取ってやった僕に対して棘のある言葉が飛んできた。


「何の魂胆があってこんなことを?」


 ちょっとでもおかしなことをしてみろ、ぶっ殺すぞという圧を壁際に立ったままでふっかけてきたのは宗像一心だった。


「宗像に貸しをつくるためだよ」


 一心相手に友達だからは通用しないことはわかっていたし、僕はこの先を見据えても志貴とは必ずタッグを組まなくちゃならない。だから、最も端的な表現で応えることにした。


「泰山と貸し借りはしたくないが、今は猫の手も借りたいから諦める」


 素直にありがとうできないのかといちいち引っかかる物言いをする一心に、僕は彼女が与えられた物に対して恐ろしいほどに不向きな人間であることを伝えることにした。

 その時、宗像一心は表情一つ変えず、はっきりとこう言った。

 

『天は不完全を好み、その類にすべてを与えかねない。 だから、俺みたいなモノがそばにいる』

 

 俺みたいなモノ。

 宗像一心はそう言ってから、ふっと小さな息を漏らした。


『それから、これだけは言っておく。 昨日、今日、こいつを知ったような奴が分かったような口を聞くな』


 今思い出しても、腹のたつ物の言いようだが、あの時、志貴を抱きしめている彼の腕がわずかに震えていた気がした。

 時生や公介には散々礼を言われたが、一心からは最後まで感謝の言葉を聞けなかった。

 それは、彼が傷ついていた志貴のそばから離れず、僕の滞在中に二度と姿を現さなかったからだ。僕は僕でいつまでも泰山をあけるわけにはいかず、間も無くして退散したから彼と向かい合うことはなかった。

 数ヶ月後に、志貴が千年王として立ち、冥府に対して宣戦布告したことを聞いた。すぐお隣の特殊中の特殊扱いの宗像が千年王を立てた。 

 しかも、白より格上の紅だというのだから、この知らせは泰山にとっても激震が走ることとなった。

 だからこそ、同タイミングで僕は志貴が自分自身の知己であり、盟友であることを宣誓してやった。当然、冥府も泰山もさらに大慌てしたことは想像にやすかった。

 千年王二人が手を組んでいるという報は冥界がらみの方々にとってのパンチ力は凄絶だったようで、冥府はわかりやすいまでにおとなしくなった。

 宗像をバックにしている白の王というのはちょっと面白くない。だが、後に生きていたらしい泰介にうまいこと使えと言われ、それもそうだなと思い切れたところだ。




「志貴が不在? 僕が来るのを知っているはずなのに?」


 かの超有名血族の軒先というには殺風景な巨岩の前で、苛立ち紛れの声を上げてしまったのは何度目だろう。

 こうもわかりやすい嫌がらせに屈するかと胸の前で腕を組み、わざとのように小首を傾げてやる。

 世界中の同業者達が一目を置く宗像一族の出迎えに対してあからさまに不満を示せるのはおそらく僕くらいのものだろう。

 僕自身も宗像一族の頂点にいる人物と同格なのだから恐れるものはない。

 それでも、僅かにたじろいでしまいそうになる男が目の前にいる。

 徹底的に引きあわせたくない理由を問うけれど、ポーカーフェイスを崩さない男はさらりと申し訳ないが無理だとだけ答える。

 5日前の手紙のやり取りでは志貴に所用はないはずだった。今回のようなやりとりが続いていたからこそ、そちらのドーベルマンの許可も取るようにと依頼し、彼女から分かったと知らせがきていたから、安心していたのにと口先を尖らせた。


「徹底的に嫌がらせするつもりだね、一心さん」


 宗像一心は素知らぬ顔をして、おかえりはあちらと手で示すふりを繰り返す。

 190cm近くある偉丈夫は涼しい顔をしているがわずかに血の香りがした気がして、僕は彼の袖口に目をやった。ほんの少しではあったが赤く染まっている箇所がある。そして、その血液は彼のものではない。無意識なのだろうが、その血液を愛おしむように握り締める仕草から志貴のものであることがわかる。

 もう一度、見上げると察しろというような一心の目がある。

 志貴の身に何かあったのだろう。その内容を口にしたくないから、わざとこんな風に振る舞うというわけか。

 仕方ない、引き下がるかと踵を返そうとした瞬間、遠くからかけてくる足音があった。


「楼蘭!」


 志貴の声がして、手を振りながらかけてくる姿が目に入った。

 何て顔色なんだと、僕は思わず、近くにいる一心の方に目をやった。

 何がどうなったら、千年王があんなに蒼白い顔になるというのだ。


「できることは?」


 志貴がたどり着く前に、素早く、一心に問うたが彼は何もと呟いて終わりだ。


「あんたでは役不足では?」

「お前でも役不足だ」


 互いに表情を崩さずに言葉で刺しあってみた直後に志貴が到着し、そのまま引き分けだ。

 以前に会った時より格段に痩せており、血の流れが分かってしまうほどに皮膚の色が白い。

 志貴の頬に僕は自然と手を伸ばしていた。

 触れた指先にチリっとした感覚が届き、大きく視界が歪んだ。

 しくじったと思った。

 こんなしくじり、泰山ではありえないことだ。相手が志貴だから、危機意識が欠落してしまっていた。

 何だ、この穢れはという言葉を必死に喉の奥にしまい込んで、僕は卒倒しそうになる体を何とか力技で踏みとどまらせた。

 額に脂汗が浮かんだのがわかったが、素知らぬ顔に徹することにも成功した。

 呼吸を整えて改めて目をやると志貴の波長がいつも通りではない。

 何かの力を借りて隠してはいるが志貴の瞳の色がどうにも紫に思えて、もう一度、彼女の瞳を覗き込んだ。


「やっぱり、わかるか」


 寂しそうな彼女の顔に大きく影がさした。

 僕は感じたことをそのまま言葉に乗せることにした。


「どうして、宗像の匂いが薄いの?」


 これには志貴が乾いた笑いを浮かべて、一筋だけ涙をこぼした。


「宗像の女王じゃなくなってしまったからだよ」


 何を言っているのか分からずに首を傾げた僕に、彼女は静かにこう言った。


「私は宗像志貴なのに、宗像の王ではないんだ。 宗像の王ではないのに、千年王の紅のままなんだ。 笑うだろう?」


 志貴の言葉を整理できずに混乱している僕に彼女は指先を軽く鳴らし、ふわりと白に近い銀糸の緩やかな長い髪とアメジストのような瞳の色を晒した。

 宗像の王は黒髪に琥珀色の瞳のはずだ。

 志貴の両肩を掴み、どうしてこんなことになったと思わず声を荒げていた。

 千年王としての暴力的なまでにあるエネルギーを抱えるには不向きな肉体しか彼女は持ち得ない。だからこそ、宗像の女王として立っていることが現時点では好都合だったはずだ。

 宗像の女王は朔という神獣の化身にその能力を譲渡できるからこそ、志貴にあるアンバランスを労せずして乗り越えられていたはずだった。

 つまり、この数日で、彼女の肉体は悲鳴を上げるしかないほどに一気に追い詰められたことになる。


「何してんだよ、あんた」


 振り返るとそこにはもう一心の姿はない。

 すると、志貴が今にも消え入りそうな声で言った。


「一心、私に近寄るなって言われてるんだ」


 どうしてと聞こうとして、僕は言葉を失った。

 色が変わるほどに強く唇を噛んで、志貴は声を殺して泣いていた。


「結婚するって言ってただろう?」


 うんと志貴が頷いた。


「大切にしてもらってるって言ってただろう?」


 うんと彼女が頷いた。


「それがどうして、近寄るなってどういうこと?」


 志貴がゆっくりと視線を持ち上げた。


「誰も宗像のこのシステムの恐ろしさを知らなかったんだ」

「システムってなんのことだよ」

「宗像が最古の血族であり続けられるには理由があったと言うことだよ。 宗像の本筋が何らかの理由ですべて死に絶えた場合に再建すべくして立つための王が隠されている。 どこの誰かなど明かされはしないが、数千年前からその血筋は秘匿されており、表に出ることはない。 宗像の王に不測の事態があった際にその秘匿された血筋の適格者は宗像の王のすべてを引き継ぎ、宗像の本筋と成り代わる。 これまでも二度、これがなされてきたらしい。 つまり、今の私達はそうやって滅亡を逃れ、最古の血を受けてきていると言うことだ」

「でも、志貴に不測の事態などないじゃないか」

「そうだね。 だからこそ、このシステムの盲点に気づけなかった。 まっさらな次世代が本物になり変わるまではただの人な訳だから、王が切り替わる瞬間というのは外敵からすれば次も叩ける格好のチャンスだろう? だからこそ、恐ろしいほどに簡単なスイッチ方法になっていたんだ」


 志貴はそう言って、眉根を寄せた。

 まるで握手をしてみろというようにしてそっと僕に手を差し出した。

 意図することが分からないが、僕はそっと志貴の手を握り返す。


「そう、こんな風に朔か私が次世代と握手をするだけだ。 だから、次世代に選抜された人間は絶対に表で生きる宗像の人間と触れ合ってはいけないと言われていたらしい」 


 志貴は真っ青な顔をしたままで、ふっと視線を下げた。


「私に問題がなかったとしても、次世代と私が握手する、もしくは一心が握手してしまうとスイッチが完了になってしまうということだよ。 このシステムのすごいところはね、スイッチがなされたということは先代は不要だろうと排除されることにある。 宗像の王が常に聖人君主とは限らないから、次の王が立てば先代の良し悪しにかかわらず排除だ。 それだけじゃない。 朔を悪用されないように、朔の血や波長の全てが先代にとっての毒となり変わる」

「だから、近寄るなってことか」

「朔は宗像の王のためにのみ動くようにプログラミングされてる。 でも、一心にだって心はある。 朔として守るべき王はもう私じゃない。 でも、一心としては私のそばにこようとするんだ。 一心に触れたいのに、私はこうなってしまう」

「でも、志貴と一心さんは千年王として血の契約まで交わしていただろう?」

「千年王の契約は確かに生きてるはずなんだ。 でも、遺伝子レベルで血に刻まれたプログラミングが邪魔してる。 王と朔の縛りが思った以上に邪魔をする。 私が千年王でなかったのなら、もうとっくに死んでるだろうと思うよ。 今、皆が必死に方法を探してくれてる。 仮に、遺伝子レベルで血に刻まれたプログラミングを壊すことがいつかできたとしても、私がそれまでもたないと思うんだ」


 ごほっと咳き込んだ志貴の口角から血が溢れた。


「宗像の王が何かしらの理由で倒れた場合は朔も共倒れのはずでは?」

「それはその時々の王が決めることだ。 朔を殺したい王がいるかどうかは知らないけど」


 志貴が力無く笑う所を見たら、彼女が一心を道連れにする気がないことは丸わかりだ。

 一心の方はきっと共に眠りたいと切望するだろうが、志貴はそれが分かっていそうにない。


「新しい王とやらはどこにいるの? これほどの大惨事にしてくれてるんだ。 それなりの野心はあったんだろう? 宗像が叩けないなら、僕が叩く」

「違うんだ。 彼女は本当に何も知らなかったんだ」

「何も知らないなんてことあるはずないだろう? 宗像の王として、志貴を押しのけて一心さんを朔としてそばにおける器なんてそうそういるもんじゃないでしょ!」

「それが居たんだよ。 本人にも知らされていなかった」

「千年王なの?」

「いいや、彼女は千年王ではないよ。 宗像の王の適格者で、おそらく、宗像の血筋でも私よりかなり濃い血を継いでいる人だ。 血筋だけいくと、私の上位互換だ」


 上位互換。

 言葉の響きが悲しい。


「血の濃さで奪われる宗像の王の椅子なんぞ、くれてやれば良いんだ」

「簡単に言うな! 一心を取られるんだぞ? 一心を失うんだ」


 僕の両腕を掴んだまま、志貴がその場に膝を折った。

 咽び泣きながら、嫌だと志貴が首を振り続ける。


「朔はくれてやる。 でも、一心はダメだ」


 生きていけないんだという魂の叫びが聞こえた気がした。

 宗像の王としての椅子は取り上げられたけど、志貴は千年王の号まで取り上げられてはいない。つまり、上位互換であるはずがない。そのことを志貴は自覚すべきだ。

 宗像の血に刻まれた独自のプログラミングが、本来、千年王の契約を上回るはずがない。

 千年王は冥界におけるある意味で特権階級そのものだ。

 一血族の縛りが千年王の縛りを超えるとなると、何かのバグを意図して宗像の血族の縛りが起こしていることになる。

 王と朔の契約は宗像の古からの約束であるが、他族にこのような契約関係は実はない。

 神の獣はあくまでも使役か守護に徹する関係であり、重要な選択に彼らが関与することはあり得ない。

 外部の世界にいる僕だからこそ、冷静に見ることができる。

 宗像に生きる連中はあまりにも王と朔の契約関係を絶対的に扱い、無意識に崇拝する。

 他族においてこのシステムがないということは何かしらの意図を持ってこれを作った奴が宗像にいるということになる。


「いいかい? 志貴、千年王の縛りを超える縛りは本来ないんだ。 その証に、君は命を奪われていない。 千年王の命をシステムとやらは奪いきれていないだろう? なら、話しは簡単だ。 今を乗り越えるために、朔と同様の別物を立てるだけだ」


 残酷なことを口にしている自覚はあったが、今、これを口にできるのはきっとこの世界に僕だけだろう。


「一心だから預けたんだ」

「そんなことを言ってる場合じゃない! 生きていられさえすればいつかきっとどうにかできるはずだよ。 僕らには千年王の号と一緒に与えられたものがある。 面倒なほどに長い時間だ! いいかい?  諦めるには早い。 道を探そう。 もう本当に最後の最後に誰も代わりが務まらないというのなら、僕がなる。 僕はご存知のように肉体も志貴と違って強いしね」

「楼蘭の未来を邪魔をしてまで、そうまでして私は本当に生きなければいけないのか?」

「馬鹿言うな! 欲しいなら取り戻せよ! 格好悪くたって、泥臭くたってやってみせろ? どんな手を使ったってかまわないんだ。 やってもみないで、そんな風に投げ出すのなら、奪われても仕方ない。 それに、志貴以上の地獄にいるのは一心さんの方じゃないの?」


 この期に及んで僕はどうして大嫌いな宗像一心を庇うのだろう。


「自分がそばにいるだけで志貴が病んで、こうして泣いていても抱きしめてやれない。 皆に隠れて、眠る志貴の血を袖でそっと拭ってやるしかできないんだろうし?」


 えっと声をあげて志貴が僕の顔をようやく見た。


「一心さんの袖口に君の血がついていたよ。 彼はまだ諦めていないと思う」


 間違いなく宗像一心は諦めてはいない。

 その証拠に、今の志貴を抱え込める唯一の器である僕を威嚇したのだから。

 僕に志貴を預けたのなら、この難題はおそらく99%解決できる。

 それを彼はよしとしていないということだ。


「このスペアシステムを組んだのは蒼の王だから、手古摺るのは致し方ないが、お前はその上をいく紅の王号を持ってるじゃないかって、一心が言うんだ。 壊せるはずだって、どうあっても壊せないなら、その時は腹を括るって言うんだ」

「腹を括ると言ったの?」

「一心が何を考えているのか、言葉の先にあることを教えてくれなかったよ」


 それこそわかりやすい回答でしかないだろう。

 志貴と共に逝くってことだろうよとは僕は言わなかった。

 何なら、自分を害し、自らの存在を消すことも厭わないだろう。宗像一心がこの世から消えたのなら、壊れてしまった志貴であっても僕なら抱え込めるから。

 だけれど、僕が思う以上に、彼は高慢な考え方をしかねないから、おそらく前者しか選ばない。

 僕に委ねるくらいならば志貴を連れて逝くのだろう。

 壊れたままでの千年は確かに地獄だろうからな。


「志貴、眠ってないだろう? ひどい顔色だ。 だからごめんね」


 僕は志貴の額にとんと指を当てた。

 力を失った志貴の体を受け止めて、ふっと息を吐き出した。


「何をするつもりだ?」

「あんたのできないことをする。 ねぇ、それより、王樹の泉は志貴の味方のままかい?」


 わずかだが、一心に緊張が走った気がした。

 僕の杞憂は正解か。

 一心は何も答えない。機能しないとまでは行かなくとも僕の予想した状況に近いということだ。

 王樹の泉が通常運転であったのなら、これほどまでに一息に病みはしないはずだ。

 あくまでも宗像の王が千年王の上に座しているというプログラミングというわけか。


「恨まないでくださいよ。 僕はあんたより格上であり、浄化に特化している白の王ですからね。 これは緊急処置です」


 背後で殺気を感じるが、僕は志貴の唇に触れた。

 流石の僕でも数秒ともたずに唇を離した。

 体の中に引き込んだ少量の穢れでこれかと息を呑む。

 

「俺はその程度、何ともなかった」


 背後の大木の上から一心の声が降ってくる。


「今できてないならその台詞は無意味だよ。 しかしながら、これほどの穢れをコンスタントに受けるレベルであれば、あんた自身がこまめに対処する必要があるはずだ。 志貴に気づかせないように処理していたと言うわけ? あんた、自分の体に受けたものをどうやって廃棄してたの? 考えただけでおぞましいけれど?」

「気づかせなければ何もなかったと同じだ」

「あんた、そこそこにひどい奴だな。 志貴を護れるのなら手段は選ばないってか。 まぁ、その点は僕も同感だから何も思うところは無いよ。 でも、おかしいと思わないか? 千年王であるこの僕ですら一気に処理仕切れない規模のものをたかだか『朔』の器ってだけでこなせるか? いやいや、難しいに決まってる」

「何が言いたい?」

「何を隠しているかは知らないし、正直、あんたが隠しているものに興味はない。 だけれど、志貴にとっての絶対となってしまったら、もうどの選択肢もないことを知っていたはずだ。 あんたが何であれ、迂闊すぎるだろ」


 グッと声を殺している一心の気配がする。


「志貴の前では口にしなかったが、実は最速の解決方法がある。 あんたならとっくに気づいていたはずだ」


 一心の答えはない。

 当然か、彼はその選択肢を取ることが何を意味するか知っている。

 このシステムは非常に合理的だと言うことはよくわかった。

 つまり、王がいない空白を作らないようにできている。

 これを逆手に取り、新しい王が倒れたら、システムは死にかけている前の王を生かすだろう。

 ただし、朔である一心は故意に新王を屠ろうとする外敵を本能で排除してしまう。その外敵が自分であったなら、その排除の対象は自分自身にも及ぶ。

 自分自身の手で新しい王を屠ろうと試みても結局できないのだ。

 そして、宗像の連中が新王憎しと命を奪おうとしたのなら、一心の手で皆が命を落としかねないことも彼は気付いている。


「僕が手を挙げてやろうか? あんたでは僕を止められはしないから、役をふるなら僕にふれ」


 一心の返答がないことがほんの少しだけ癪に触った。

 本当に腹に何を飼っているのかは知らんが、僕より上位であるとでも言いたいのかと舌打ちしてしまう。

 最近になってようやくではあるがあの宗像泰介をやり込めた唯一の男だぞと舌を出してみるが、一心の返答はない。


「恨みをかったところで僕なら宗像でもないし支障はないだろう? これで最速解決だ。 何とか言えば? お願いしますって頭下げてみろよ」


「志貴が苦しむ。 だから、ダメだ」


 一心の返答に僕は素っ頓狂な声をあげてしまった。


「あんた、ここで非情になれなかったとしたら、あんたの千年王のそばにいる資格ないよ。 切り捨てて、かなぐり捨てて、それでも生き残っていくのが千年王だ。 紅の王号は特級中の特級だということをわかっていて、あんたはまだそんな甘いことを口にするつもりか?」

「それが千年王として生きることだというのなら、志貴にそれはできない。 紅の王号を受けた者として志貴は切り捨てることも、かなぐり捨てることもしないだろうし、できんだろう」

「だから、あんたがやれって僕に命令しろって言ってんだよ」

「俺がお前に依頼なんてことやってみろ、それこそ、志貴は死ぬぞ」

「どういう意味だよ!」

「お前には知る必要もないことだろうが、志貴は朔が王のために多くを殺した歴史を知ってる。 朔がどれだけ愚かであるかを知りすぎてる。 だから、先に爆弾を投げられた。 故に、俺はもう何もできんというわけだ」


 何の爆弾だよと聞き返そうとしたところで、志貴の瞼がゆっくりと動いた。

 それと同時に一心の声は途絶えた。

 

「気のせいかな、一心の匂いがする。 そばにいた?」


 いいや、いなかったよって言ってやりたかったが、僕の口から出た言葉は、心配になって少し離れたところまで来ていたよだった。

 嬉しいのか、悲しいのかわからないような表情で志貴の目にみるみる涙がたまっていく。

 本当に嫌になる。


「志貴、千年王としてちゃんと立て。 蒼の王とやらは知らんけれど、それに負けてるから振り回されるんだろ。 小さな血族内の王と朔の縛りが、千年王と番の縛りの上になってるってのはどうあっても気に食わない。 それにさ、紅って王号はさ、誰が聞いてもどっひゃ〜っていうくらいの傑物って証なんだ。 もっと偉そうにやりな」


 志貴が力無く笑った。

 事件勃発からわずか5日程度で彼女はこうなった。

 最強の王の命は簡単に削げるのだと、爆発的なエネルギーを誰かに委ねなければ『紅』が自滅するのだとという方程式が晒されてしまった。今の段階で、宗像の外に漏れていないだけマシではあるのだろうが、これがまぐれあたりの事件とは到底思えない。

 そして、僕自身も眉を顰める事態であることを理解していた。志貴と同じではないが、僕にももちろんのように弱点がある。それを突かれようものなら、志貴同様にたまったものじゃない。


「志貴、このシステム、宗像に生まれ落ちる紅の王対策に構築されたものだったのかもしれないよ。 通常の王であっても確かに朔は機能するだろうけれど、本当に朔を必要するのは紅の王号保持者と言える。 紅が力を持ちすぎた時、朔を奪えばどうなるかは、君を見たら一目瞭然でしょ。 しかも、朔に代わりがきかない状況で叩けば尚更効力を発揮する。 で、このまま引き下がるつもり? 僕は君の親友として、同じ千年王として言わせてもらうけれど、このシステムごとぶっ潰せって思う。 この際、はっきり言うよ。 何をどうしてそんなに縮こまって、やられっぱなしの状況に素直に従っちゃってんの?」


 志貴が僕の腕の中で驚いたように目をぱちくりさせている。

 

「僕は泰山で生き抜いてきたからこそ言えるんだけど、奪われて黙って、何もせずに、悲しいです、助けてくださいって、ただ泣くだけでいるのなら、それはもう文句を言う資格もないってことだからね。 欲しいなら、手を伸ばせ。 血反吐で済むのなら安いもんだよ」


 志貴がほんの少しだけ笑った。

 そして、ボソリとつぶやいた。

 時間の代償はあったか、と。

 でも、その言葉の意味を問わず、聞き流すことにして、ゆっくりと彼女を立ち上がらせてやった。

 本当はお姫様抱っこでもしてやりたかったが、それは僕の役割ではないから、そっと支えて歩ませるだけだ。

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