第41話 番外編 遅刻Valentine「公介の場合」

 京都北山にある宗像本家。

 それなりに広大な敷地の中に、道場と八つの離れがあり、その内の一つが本家の人間の居住区となっている。

 旧家そのものの平屋で、長い廊下と小さな庭園がある。

 女王が立ってからはこの本邸は余計に頑丈な結界で護られることになった。

 真実、女王はここにはいない。

 だが、『居る』という前提が大切になる。

 あくまでも本拠地はここであり、ここが中心でなくてはならないからだ。

 女王を護るにはそうする必要がある。

 八つの離れはそれぞれに機能別となっている。

 女王居住区、女王付居住区、本家居住区、最高会集合所、待機所、治療所、呪符庫、武器庫。

 管理をするにもやはり人手が欲しい今日この頃だ。

 人員を増やすとそれはそれで問題になる。

 女王の居住区が閉鎖されたままだということがばれてしまいかねない。

「誰彼を入れるわけにもいかんが……」

 俺はため息を漏らすほかない。

 目の前であれこれと走り回っている一人の若い女性。

 名前を穂積柚樹という。冬馬の実の姉で、今年27になる。

 泰介と相談し、彼女ならばと選抜した一人だ。

 志貴が女王としてたつまでの道のりは平坦ではなかった。故に、黄泉使い達もそれなりに傷を負って、引退を余儀なくされた者も多い。彼女はその中の一人だ。

 弟の冬馬の命を受け、道反で最後まで抵抗した一人であり、実の父である壮馬の死の真実を知っている数少ない人間でもある。

 彼女は冬馬ほどの才には恵まれず、黄泉使いとして認知されるにもギリギリのラインにいた。黄泉使いとしての才が発動するか否かがかなり微妙で、『時々は黄泉使いになれる』というアンバランスさから後方支援専門としての存在することを穂積家が求め、俺が許した一人だ。

 何のくせもない長い黒髪を無造作に後頭部高く結い上げ、化粧っけのないままに今日も俺の目の前をパタパタと駆けていく。

「ユズ、今日はもう帰れ」

 顎から汗が零れ落ちるほどに働かせるつもりはない。

 廊下でぴたりと足を止めた柚樹は小首を傾げてこちらをみている。

「追い払いたいですか?」

 こいつのこういう感じがやや苦手。

 俺は深いため息をつきながら、居間へ戻る。

「公介さん、まだ傷のこと気にしてますか?」

 俺にまとわりつくように、ちょこまかと動いて、満面の笑みでみあげてくる。

 苦笑いする他ない。

 柚樹の右の首筋からそのまま右肩方向へ大きな刀傷があることを俺は知っている。

 俺より圧倒的に弱いくせに、いっちょ前に俺をかばって斬られた跡だ。

 瀕死となった柚樹を見て、冬馬が大絶叫していたのが昨日のことのようだ。

 ピンピンしていると力こぶをみせてくるが、利き腕が一定の高さより上には上がらない。どこか大丈夫なのかわからん。

「黄泉使いに戻りたいか?」

「私、怒りが爆発しないと発動しないみたいだから遠慮しておきます。 もう、こんちくしょう!ってな風な気持ちにならないと安定できないんです。 だから、邪魔になるというか、危なっかしいし、足手まといでしかないから、二度と表に出るのはやめておいてくれる?って冬馬からも散々言われましたから、もう戻りません」

 柚樹はほんの少しだけ寂しそうだ。

 弟の冬馬は実の姉に配慮ってものがないらしい。

「冬馬、そんな風に?」

「私は間違いなく穂積直系の血筋ですし、あの後ですから遠慮も配慮もなくて当然ですよ。 ましてや、私は冬馬ほどの才覚はない。 傷つきまくった弟のためにしてやれることが本当にないから何も言えません」

「そんなことはないだろう?」

「良いんですよ。 あの男の血を引いているのは私と冬馬しかいない。 冬馬が本音でぶつかれる場所はもう私しかいない。 だから、これで良いんです」

「志貴は過去のすべてをリセットすると言ったはずだぞ?」

「手放しでそれができるほど、穂積の後悔は浅くはないということです」

「難題だな。 真面目も突き抜けるとろくなことないな」

「そうかもしれません。 でもね、私は穂積の存在意義をいつか照らしてくれる子が当主につくって思ってるんです。 人は一人では生きていけない。 女王も宗像も黄泉使いも皆同じです。 穂積は必ず宗像を護ります。 そういう誇り高い家なんです。 だから、冬馬が諦めても私は諦めてやらない」

「たまには良いこと、言えるじゃねぇの?」

 うるさいですよと言いながら柚樹は俺の羽織を手に取り、そっと肩からかけてくれた。

「片腕とは不自由でしょう?」

 にやりと笑んでみてくる柚樹に舌打ちをしてやる。

「可愛い志貴は一心さんにとられて、世話を焼くつもりの咲貴には何かと細かいケアをしてくる冬馬がいる。 姪っ子二人は貴方が何でもできてしまうから心配すらしない。 ほら、これはもう私の出番なんですよ」

 はいはいとソファに横になる。

 世話を焼く対象がいなくなったのは確かに退屈だ。

 結婚話はなんとなく流れっぱなしでここまで来てしまったから独身でいることに何の抵抗もない。

 だだっ広い本邸にわずかな人員と暮らすのは悪くはないが、おそろしく静かすぎてどこか落ち着かないのは事実だ。

「志貴が居た頃はこうも静かじゃなかった。 稽古もなぁ、うるさかったしなぁ」

 公介さん、公介さんと悪態をつきながらもじゃれてくる志貴。

 泰介から託されて、父親気分を随分と味わった気もする。

 あっという間に運命を選び取り、一気に少女を脱してしまった。

 未熟でしかなかったのに、もはや女王の顔をする。

 咲貴は咲貴で口やかましいが、どっちかというと志貴に比べれば安定的であるがゆえに、それほどまでに手をかける必要がない。

「皆、公介さんの稽古を受けたいと思ってます。 皆が願ったとしても、これまでは基本、志貴と冬馬中心だったでしょう? だから、咲貴も楽しみにしているんじゃないかなとか思ってます。 教える人間が志貴じゃなくなったら、そんなに、つまらないですか? それとも、現場に出られない方がつまらない感じですか?」

 柚樹は小首を傾げてこちらを見ている。

「両方だ」

 片腕がないことで、メインの仕事も回ってこず、稽古をつけるだけで、ほぼほぼ、ぼんやりしているだけの生活は正直つまらないなと思っている。

「才能であれば志貴よりも咲貴の方が圧倒的に泰介に近いし、もとから筋が良いものだから、何も手直しは必要ない。 鍛えるのなら、冬馬とやりあわせたらそれで良いしなぁ。 奇天烈で、でたらめだった志貴の稽古は暇しなかったからなぁ。 志貴はどちらかというと才能はゼロのくせに、やっぱり天才なんだ。 黄泉使いとしての基礎はまったくないが、爆発的なポテンシャルで、いつも予想できなかった。 出来の悪い子の方が可愛いんだろうな」

「愛おしい弟子に稽古つけてあげたいですか?」

「弟子ねぇ、あれはもう、巣立っちゃったからなぁ。 最前線向きの稽古とかはもういらんしな。 かりに運動がてらでも、メインは時生だ。 俺はお役御免。 すねちゃうわ」 

「そんなにつまらないなら、人を入れてみたらどうでしょう?」

 柚樹が今日もまた安定の下手くそな味のコーヒーを突き出してくる。

「これ以上はいらない。 面倒ごとが増えるだけだろ」

 一口飲んでみて、本当にどうしたらこんなに才能のないコーヒーが入れられるのかと軽くにらむと、柚樹は舌をだして苦笑いしている。

「腕二本あって、この程度か」

「片腕の公介さんに勝てない自分が情けないとはわかってますけれど、常人では勝てませんよ?」

 ソファには座らず床にぺたりと座った柚樹は俺が朝やいておいたシフォンケーキを遠慮のかけらもなく口に入れていく。

 もっとゆっくりと味わえと後頭部を小突いてやるが、柚樹は気にするそぶりもなく勢い込んだまま食べていく。

「ユズ、お前、本当に嫁に行け」

 柚樹がくるりと振り返り、俺をにらみつけた。

「お前なら縁談は山のように来るだろう?」

「意地でも一生行ってやりませんよ」

 柚樹は断言して、また背を向けてシフォンケーキに手を伸ばす。

 穂積のためにも縁談をと言いかけたところで、柚樹がゆっくりと立ち上がった。

「片思いを打破する秘訣を志貴にきいたんです。 そしたら、彼女、何て言ったと思います?  打破なんかしなくて良い、だって好きなままで居るのは勝手で良いでしょう?って。 なるほど~って思いました。 ゆえに、私も勝手にしようと思います。 私の片思いが年季入っているのはよくご存じでしょう?」

「あのなぁ、長年お話いたしておりますが、おっさんはどうにもしてやれんぞ?」

「おっさんには頼んでません。 私が勝手にしますから」

 柚樹は休憩をそこそこに切り上げるらしく、また居間から出て行こうとする。

「ユズ、お座り」

 俺の声に、柚樹ははいと静かにその場で正座した。

「お前は自分の幸せについてちゃんと考えろ。 黄泉使いの第一線を退いたとしても、お前には十分価値があるんだぞ?」

「こんな傷がついているようなのを誰が望んでもらい受けると?」

「黄泉使いなら傷は皆ある。 咲貴や志貴ですら傷跡だらけだ。 そんなことは理由にならんだろうが?」

「子供を産むため、穂積の家を護るためだけに女になれと!? 私は御免です」

「そうじゃない! ちゃんと普通の幸せを知っても良いだろうって」

「普通の幸せ!? それ何基準ですか?」

 柚樹の目にうっすらと涙が浮かび上がってきているのに気が付いて、俺は思わず目をそらしてしまった。

 別に言い争いをしたかったわけじゃない。穂積柚樹は実によくできた人物であり、信頼のおける女性だ。だから、彼女には幸せになって欲しいとただそれだけだったのだが、うまくいかない。

「嫁に行け、とにかく……」

「惚れた男と添い遂げられないなら、将来、高級老人ホームに入りますんでお気に召さらず!」

 ぽろりと涙をこぼしながら言うことかと俺はため息をついた。

「あのなぁ、泣くなよ。 良い年して何で泣く?」

「うるさい! 惚れた男がどうにもならん男だからです……」

 俺はがっくりと肩を落とした。

「お前のおっさんストーカー歴は何年だ?」 

「20年ほどかと」

 柚樹は悪びれることもなく、はっきりと回答する。

 毎年毎年、誕生日といったイベントには何かと面白い味の手作り商品を持参しては俺の返礼品をその場で食べては悔し泣きする柚樹との闘いはもう20年か。

 さらに、肩を落とすには十分すぎる年月だ。

 こんな時にもうないはずの腕が痛む。

 すると柚樹がぱっとたちあがって、そこに腕などないのにさするしぐさを見せる。

 嘘みたいに温かく感じる。

 誰も気ががつかないのに、こいつだけはいちいち早く気づく。

 本当に嫌になる。

「俺はもう本当におっさんなんだぞ?」

「見た目は40、いや、30でも通るでしょう?」

 柚樹はキラキラした目で俺を見る。

 何を言っても無駄であることはもう随分と前から分かっていた。

「それに、誰がかわりにPCたたくんです?」

「痛いところを……」

 指先1本でトントンとキーボードをたたくのは本当に骨が折れる。

 だから、この所、柚樹がかわりに打ち込んでくれている。

 俺はただ話せば良いだけとなり、負担軽減半端ない状況なのだ。

「とりあえず、嫁に来ますね」

 柚樹はうってかわってニコニコと笑っている。

 見てくださいと婚姻届けを胸元から取り出して見せてくる。

 俺はソファから転げ落ちそうになった。

「泣きまねか!?」

「本気泣きですよ、何を言ってんですか? はい、サイン!」

 ないないと首を横に振ったが、柚樹は俺の顔にそれを押し付けてくる。

「お前、意地でも一生嫁に行かないって……」

「公介さんのところ以外は、です!」

「とりあえず待て」

「仕方ないですねぇ。 じゃあ、明日までで」

 待て待てと起き上がろうとしたところを柚樹に抑え込まれた。

「いただき」

 何がと言おうとして、俺は柚樹に唇をふさがれた。

 呆然自失だ。

 この俺がうら若い女子に押し倒されているこの状況は何なんだ。

「明日、嫁に来ますね」

 柚樹は俺の身体に馬乗りになって勝ち誇ったように笑っている。

「公介さん、引き寄せって知ってます? 叶ったようにふるまい続けていたらそうなるってことです。 私、20年前から嫁のつもりで生きてきましたから」

 俺は唖然として、柚樹を見上げるしかない。

「私以外の誰があなたを理解できるとでも? ストーカーなめんなよです。 愛してくれなくて結構です。 私に愛される覚悟だけで良いんで、準備してもらって良いですか? 天下の宗像公介の嫁はこの私です」

 柚樹がにやりと笑んで、自分を指さしている。

「馬鹿もここまでくると驚きしかねぇわ」

 気持ちの良いまでの逆プロポーズだ。

 俺の『つまらない』が吹き飛んでしまった気がして、思わず笑いが込み上げてきた。

「笑うな!」

 柚樹が口先をとがらせている。

 下から、まじまじと彼女を見上げていると、もう白旗を上げても良い気がした。

 ほんの少し蒼白い顔をしている柚樹の頬に手を伸ばす。

 傷が原因かはわからないが、あの日以来、柚樹は体調を良く崩すようになった。

「悪かったよ。 それからな、ユズ、お前、二度と無理はするな。 いいな?」

 柚樹はうんと一つうなずいた。

「私を心配してくれるのならついでに嫁にしやがれ」

「それはまた別の話だ。 明日考える」

「じゃあ、明日、考えてから入籍しやがれ」

「とりあえず、降りてくんない?」

「入籍すると約束したら降ります」

「あのな、ギャラリーの目が痛いから言ってるんだぞ?」

「ギャラリー?」

 柚樹は居間の入り口に目をやり、素っ頓狂な声を上げた。

 ディズニーからご帰還の冬馬と咲貴が呆然とした顔をしてこちらを見ている。

 冬馬ははっとすると、俺に馬乗りになったままの柚樹にドナルドのぬいぐるみをおしつけ、咲貴の手を引いてそそくさと退散した。

 大混乱中の柚樹はとりあえず渡されたドナルドを抱きしめてみて、明後日の方を見ている。

「ユズ、おりろ」

 ダメだ、完全にフリーズだ。ついさっきまでの強気はなりをひそめた。

 つまらない時間はもう本当に終わりそうだ。

「約束するから、とりあえずおりろ」

 ゆっくりと柚樹の目がこちらに戻ってくる。

「約束? 結婚してくれるの? ガチで言ってますか?」

「ガチだ。 だから、おりろ」

 柚樹は眉をひそめたかと思うと、俺の額に手を当てる。

「熱なんかねぇわ!」

「まじか! 主よ、感謝します!」

 柚樹ががばっと倒れこんできて、俺の首に腕を回した。

「お前いつからクリスチャンなんだよ」

 俺は大ため息だ。

 まさかこんな年下の若い嫁をとることになるとは先が思いやられる。

 一番に思い浮かぶのは双子の弟の泰介の顔だ。


「絶対にいじられる……」


 途方にくれてみるのだが、そういえば姪っ子以外にハグをしていなかったなと気づき、とりあえず柚樹の体温が心地よかったので苦笑いだ。

 片腕しかないが、そっと背にまわしてみる。

「ハグもまともにできやしねぇなぁ」

 柚樹がほんの少しだけ顔を上げて笑った。


「私がしてあげるから良いんです」


 なんてこった。

 こいつを可愛いと思うだなんて、俺は青少年かと目を伏せた。

 とりあえず、俺は明日、結婚させられるらしい。

 さて、方々からどういじられるか。

 乾いた笑いしか出てこないが、独身は強制終了だ。


「今年のチョコレート、いい加減食べてもらっても良いですか?」


 柚樹が居間のテーブルの上を指さした。

 去年は志貴、今年は咲貴に指南した際に腐るほどチョコレートを口にしたので、俺の胃袋はチョコレート休憩中なのだ。

 それに義理のチョコレートは山積みのままで、どうしたものかと悩んでいた所に、毎年毎年大きなハートの形をしたBOXを持参してくる柚樹のチョコレートが追加投入され、苦笑いだった。

「姪っ子からのチョコレートは食べるくせに」

 柚樹はやや不服面だが、事実が大きく捻じ曲げられているのでとりあえず修正。

「俺は可愛い姪っ子の未来のためにチョコレートを一緒に作ってやってんだ。 その時の味見でチョコレートはもう腹いっぱい。 あいつらのチョコレートというより、俺のチョコレートを自分が食ってるだけだ」

「公介さん、お母さんですか?」

「あいつらの母がある意味でこういうのは破滅的にできんからな。 だいたい、お前もそんなようなもんだろうが」

「ひどい! 私は富貴さんよりは相当上等ですよ!」

 柚樹は悲壮感ある表情で不満の声を上げた。双子の母、富貴のいわれように、思わず吹き出してしまった。

 俺と泰介にとって、富貴は初恋の女性だ。

 どちらが富貴を落とすかなんて、俺達も若かったなと思い出し笑いだ。

 俺と富貴は性格的にかなり近く、闘い方も似ている。正反対の泰介に彼女が惹かれるのはごく当然の流れにあった。だから、結果はなんとなくわかっていた。

 挑む機会も与えられぬままに、交際0日で富貴は泰介と結婚し、男勝りな彼女であるが泰介が居ないとダメなほどに泰介の前でだけ女になるのを見てきた。

 俺の恋愛などこんなもので、後はひらひらと自由気ままにやってきた。

 作戦だったとはいえ、泰介の死を装って志貴を俺が育て、咲貴を富貴が育てることになった時から今に至るまで、富貴には不本意ながらも嫌われてしまった気がする。

 本当に何事も損しかしないこの人生だ。

「富貴さんが私の恋敵ですか?」

 柚樹はするどい。

 俺は片眉だけ持ち上げる。

「これまで結婚しなかった理由はそれですか? 白状しろ!」

 柚樹が俺の襟元をつかみ、軽く首を絞めてくる。

「二本の腕で来るとは卑怯な」

 俺はテーブルの上へ手を伸ばし、俺製作のチョコレートを一粒つかみ、柚樹の口に押し込んだ。

 柚樹はそれをもぐもぐと食べ終わると、腹が立つとつぶやいた。

「どうだ、うまいだろ?」

「この先ずっと、私と一緒にチョコレート作りやがれ!」

 柚樹は頬を膨らませてわざと怒って見せるが、本当は怒っていないはずだ。

 彼女は思うよりも聡い。

 嫌になるくらい壮馬の娘だ。

 俺は壮馬が嫌いじゃなかった。赦すつもりはこの先もないが、それでも壮馬の心の痛みをそっと見ないふりする、察するようなあの雰囲気は嫌いじゃなかった。

「公介さんにちょっかいかけてくる女どもを殲滅してやる」

「やめてくれ、俺、結構もてて、優しくされてんのよ?」

「そういうところだよ、それが腹が立つんで、とりあえず、『殺るぞ、コラ』と私が関係各位に言って回りますね」

 関係各位ってなんだ。柚樹は本当にやりかねん。

「私、志貴にもわりとガチでやきもち焼きそうです。 もうそろそろ子離れしてもらって良いですか? 志貴には一心がいる。 こちらを向いていただきたい!」

 柚樹は俺の鼻先に腹が立つんだぞと指を突き出した。

「あなたを一番にしてあげてるのは私だけですよ。 ちゃんと見てください!」

 コンプライアンスに反するが、柚樹の心の中をさらりと覗き見てみるが、言葉に嘘はないらしい。それなりに勇気をふりしぼっているらしいのもわかった。俺は両手をあげて降参と言ってみる。

 自分自身が家族を持つというイメージをしてこなかったせいか、まともに考えてみると、俺にはそこそこに問題がある。俺自身が泰介の双子の兄であり、女王の伯父でもあるということは、実はとても利権がからむ。

 己の恋愛を論じる前に、俺はやっぱり女王の伯父であり、女王の庇護者である自分が先にでる。それだけは理解してもらわねばならないと思った。わずかばかりでも期待をもてばいつかそれは仇となる。だから、些細な目であれ許すつもりはない。

「ユズ、一つだけ言っておくぞ」

 柚樹がこちらを見て、小首を傾げる。

「もし、この先、俺とお前の間に幸運が来たとして、そいつに才覚があったとしても、俺は宗像の本筋を継がせるつもりはない」

「わかってますよ。 もしその幸運がきたとしたら、それは穂積の幸運だってことで喜んで良いってことでしょう?」

 驚いた。

 俺はぼんやりと柚樹を見上げた。

 俺が宗像の本筋を預かっているのは咲貴につなぐためだけであって、本筋はあくまでも泰介の血筋。泰介の血筋を上位としなければならないのは女王が彼の娘だからでもある。

 泰介の双子の兄である俺の子が万が一生まれたとしたら、女王や咲貴と同列順位。

 あの咲貴のことだ、それは見事にあっさりと譲ってしまいかねない。

 女王の双子の妹である咲貴が宗像本家を背負うからこそ、双子の因縁を根元から払拭し、志貴の代から新しくはじまる宗像一派を刷新できる。だから、自分の子には本家の後継としての一切の権利を与えない。それを丸ごと飲むと言うのかと、俺は柚樹を見た。

「どこに問題が? 穂積にとってこれほどの幸運があると思いますか? だって、公介さんの血筋が穂積に立つんだよ?」

 柚樹は本当に真っ白だ。心をのぞくのは容易いが、それをする必要もないほどに心から笑っている。俺は思わず声をあげて笑ってしまった。こんな奴がいると思わなかった。

「お前はそれで良いかもしらんが、冬馬はどうするのだろうな」

「冬馬は自分が最後の当主のつもりですよ、たぶん。 だから、もしも幸運ちゃんが来てくれるのなら、その子が新生穂積の始まりの当主になってくれたらうれしいなぁと私は思います」

「はぁ、まだ結婚もしてねぇのに、子づくりの話かよ」

「やだ! エッチ!」

 俺は柚樹のこのテンションに大きくため息をもらして、目を閉じる。

「ちょっと、この状態で眠れるの?」

 馬乗りのままの柚樹を好きにさせて、俺は昼寝開始だ。

 

「何、このうふふな感じ」


 廊下から聞きなれた声がして、瞼を持ち上げる。

 障子に手をかけて、意地の悪い笑みを浮かべているのは泰介だ。

 もうどうとでもなれ。踏ん切りが何とかつきそうだ。

「明日、結婚させられるんだよ」

 へえと泰介は腕を組んだままで俺を見下ろした。

「片腕じゃ不自由だったし、俺、愛されてるから仕方なくな」

 さらに、へえと泰介が面白いものを見るようにわざとらしく顔を近づけてくる。 

「柚樹、作戦勝ちだね!」

 イエーイと柚樹が泰介とハイタッチをかわしている。

 絶望でしかない。泰介がかんでいやがった。

 俺に馬乗りになったままですることかと柚樹を軽くにらんだが、柚樹は知らぬ顔だ。

「公介にどえらく若い嫁、うける」

「殺すぞ」

 泰介はちろりと舌を出すと、冬馬に用事があるらしく、早々に去っていった。

 柚樹がほっとしたような顔をしている。

「正真正銘の当主から公認もらえてうれしいか?」

 宗像本家当主は本来であれば泰介のものだ。その泰介が志貴を護るに徹すると宣言したがために俺に回ってきただけのこと。

「公介さんの言葉はあまりあてにならない。 明日、とぼけた顔をしてひっくりかえすことなんかありえる展開だし?」

「なんだそりゃ」

 俺は柚樹の首をつかんだ。

 細っ来い首だなとか思いながら、彼女を引き寄せた。

「チョコレートよりこっちの方がマシだ」

 冬馬より柔らかく、整った目鼻立ちの柚樹。

 柚樹が緊張感もなく、ふにゃりと笑う。

「緊張感もて」

 キス寸前で柚樹があまりに自然に笑うから、俺はもうやだとキスをやめて眠ることにした。

「ここは最後までして!」

 柚樹が俺の胸元をつかんで身体を揺さぶるが俺は頑として知らん顔をした。

 もっとありがたがれば良い。

 この俺が重い腰をあげたのだから。

 開けたままの障子からあたたかい風がなだれ込んだような気がした。

「志貴か?」

 俺は柚樹を押しのけるようにして、身体を起こした。

 庭先に気配がする。

 久しくここへ志貴が戻ることはなかったから、顔が見たい。

 悲しんだり、苦しんだりはしていないだろうか。女王という椅子が志貴の笑顔を隠す物なのならば、やめても良いんだぞと言ってやりたいくらいだ。

「志貴がここへ来るなんて、よっぽどだ。 本当にどけ」

「感じ悪いぞ、夫!」

 柚樹が不服気に俺の残っている方の腕を揺さぶった。

「うるせぇぞ、嫁」

 嫁と言ってやるだけで柚樹がまたふにゃりと笑った。操縦が楽で何よりだ。

「ユズ、今日は千客万来だ。 手伝え、パーティだ」

 柚樹が素直ににっこり笑う。

 さてさてと二人で連れ立って台所へ向かう。

「俺の嫁は大変だぞ」

 まかせておけというように柚樹がえらそうにグッドサインをだしてくる。

 こういう愛の形もありかもしれない。

 俺は少しだけ前を歩く柚樹の肩をつかみ、ふりむかせると唇を重ねた。

「はい、終了」

 俺は驚いて固まったままの柚樹を廊下に残して先に歩く。

 持ち直したのか、ぱたぱたと追いかけてくる足音がおかしい。 

「遅刻Valentineは最高!」

 大声で喜んでいる柚樹をたしなめて、冷蔵庫の扉を開いた。

 さて、志貴に何を食わせてやろうか。

 横から一緒に覗き込んでくる柚樹はりんごを取り出す気がした。

 彼女のすっと伸びた手が王林に届く。


「アップルパイは後でな」

 

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