第37話 千年王はいつも矢面
背後で突風が砂塵を巻き上げる。
静かに、静かにそれは近づいてくる。
一心が砂埃から私をかばうように立ってくれた。
はっとして見上げると、わずかに目を伏せた一心の額から紅い滴が伝い落ちている。
たかだか砂埃で一心に傷を負わせる圧倒的なパワーを制限なく無駄使いできるやり方。殺気すら感じるこの加減しらずのやり方には覚えがある。
視界を奪われるほどの砂のベールの向こう側に立っている姿をみるやもう苦笑いだ。全身真っ白の装束とくれば相手は一つだ。
「協定違反です」
またそれかよと一心がぼやいた。イライラしていますと言うように、一心が左足だけ2回ほど踏み鳴らした。
「ここは冥界の領域ではなく、まだ黄泉の範囲だ。 王である私が自由にしても良いはずだ」
私は一心をおしのけて前に出る。
侮られたのは私だ。私が安くみられているから、こんな風に邪魔が来る。
「冥府に帰属していただけるのなら許可いたしましょう」
一心よりまだ大きい男だ。いちいち上から見下ろされると腹が立つ。
「断る!」
冥府の役人達が私を見下ろすのが気にくわない一心がまた身体をずいと挟み込んできた。
「俺達にいらんことをしにくる暇が本当にあるんか? お前たちが土下座して悪鬼があふれてくる穴をどうか塞いでくださいっていうんなら手を貸してやっても良い。 困ってるんやろう? 冥府にまで悪鬼が来てどうしようもないんやろう?」
一心が今度は殺気全開で睨みをきかせる。
それにのっかりわざとらしく、私は小馬鹿にしてやるようにくすくすと笑ってやる。
「結構だ! 悪鬼くらい我らで処理できる!」
「悪鬼をどうにかできる才はこちらの専売特許だけど、本当に大丈夫?」
今度は私が一心の脇からひょいと顔を出して言ってやる。
「穢れたやり方のあんたたちと違って我らには春夏秋冬の方々がいらっしゃる。 余計な世話だ!」
春夏秋冬とは冥府の中でも群を抜いて能力の高い特殊部隊を指す。悪鬼に対応する能力のない冥府において、唯一、それができる12名。
一度も相まみえたことはないが、友達にはなれそうにないなと勝手にそう思った。
さても、悪鬼と直接触れあう私達は穢れがあるらしい。
なるほど本当にいらつかせるのがうまいのが冥府の人間。
そして、売られた喧嘩を買ってしまうのが我ら宗像だ。
「それはそうと、うちの相棒の額に傷をつけてくれた礼だけはきっちりとしておこうと思うがどうかな?」
私の背後には般若の面が三人ついている。
その三人がわざとらしく指を鳴らし始める。
とっとと消えろと一心が言い放つと、全身全霊で不服を訴えていた冥府の役人衆はしぶしぶさがっていく。
「苛烈すぎる力はいずれバランスを失う。 礎となり皆に平安をもたらす力となってくれるのならそれでいい。 王樹一千年。 千年の孤独を愛し、皆の旗印となり眠って居れば良いものを」
冥府の役人の一人がこちらにわざと聞こえるように言ってくる。
「千年の孤独を愛せやと?」
長身ではあるがどこかほっそりとした体躯。
だが、圧倒的な覇気をもっている。
整った顔立ちは女性と間違われてもおかしくはないほどに美しいとここ最近、方々から好評価をいただき続ける一心の声が確実に1トーンさがった。
「ダメだ、完全に切れた」
冥府の奴らよ、銀色の髪に琥珀色の目は危ない奴だともういい加減に学習してほしいものだ。
きっと目にもとまらぬ速さで一心が抜刀するだろう。
予想に反しないそれが冥府の役人の喉元をきりつける寸前で、私が何とか食い止めた。
その切っ先を握りしめた掌が傷つき、刀身に血が伝い落ちていく。
私はその痛みにこらえながら自分の中にある限りの冷静沈着さを前面におしだして言ってやった。
「千年の孤独、それをどうするかは私が決める。 私は私の歩き方を私以外の誰かに決められるのなんてごめんなんだ。 無礼な発言に対しては正式なルートで苦情を申し込むことにする」
そっと、一心の刀から手を離す。
すると一心はわざと風を斬るような音をさせ、もう一度、喉まで数ミリというところで寸止めしてみせた。
冥府の役人は一心のあまりの速さと恐怖から狂ったのではないかというほどの大声あげた。そして、尻もちをつき、今度は気味悪い笑い声を出し、小さくつぶやいた。
「王などただの化け物だろうが」
恐怖に直面すると冥府の役人でも本音がこぼれおちてしまうらしい。
一心のプッツンは加速した。冥府の役人の胸ぐらをつかんで立たせるといきなり振りかぶった。
急ぎ止めに入ろうとするがすでに時遅しだった。一心の拳は迷いなくそいつの頬にうちこまれていた。時生もそれを止める気もないらしく、胸の前で腕を組んでみている。
「もう一回言ってみろや!」
私の静止などまったくきかない一心の怒りはもうどうにも手がつけられない。
最終、私があきれて笑えるほどに怒ってくれている。
「くそが! 数千年かけて燃やしても飽き足りないが主が何もするなと言うから仕方なく、一発でこらえてやってるんや! ありがたく思え!」
もう一発いるかという風に拳をかまえた一心の姿をみるやいなや冥府の役人は尻尾を巻いて逃げ出していく。
まだ追いかけて行ってでも殴ってやろうかという勢いの一心の袖をつかみ、少しだけ身体をかがませた。
あんな馬鹿たれのせいで額に傷をつけられていることを忘れないでほしい。
袖口で傷口をおさえると、イライラしたように一心はもう治ったとかなんとかいいながら背を向けた。
「一人ぐらい蹴散らしたらよかったんや。 どうせ死なないんやから構わんのに」
一心の怒れる背中をそっとなでる。すると一心がくるりと振り返り、私の手を取った。
掌にある傷口に目を落とし、一心がほんの少し不貞腐れた顔をした。
数日ほどで傷はすぐに塞がるのでたいしたことはないと訴えたが納得できないようだ。
手の傷を当たり前のようにぺろぺろと舐めだすのを必死に嫌がるが、一心は離そうとしない。
一心は朔という狼であるのは理解できるのだが、さすがに恥ずかしさは超ド級。
やめてと大声を出しながら身をよじるこのやり取りに黄泉の鬼三名はきっとあきれ果てている。
「志貴、君が無駄に怪我をするのはよろしくない。 一心ももう少し落ち着いてもらわないと! こんなに喧嘩っ早いのは困りものだよ」
時生のお叱りの声に、一心ともども肩をすくめる。
冥府との全面戦争をする気はないが、宿敵認定が下ったようなのでここ2年ずっとこんな感じだ。
黄泉と現世の境界に穴があけられ悪鬼が流れ出てくるという事件が多発し、かけつけると、こうして冥府の役人がいる。悪鬼に対処などできないくせにいるのだ。
そして、彼ら曰くうっかり目測を誤り、うっかり流れ弾で私を狙ってしまうらしい。
だから、白の装束を見たら何もされていなくても一心の苛立ちは頂点を簡単に超えてしまう。
出逢ったが最後、常に臨戦態勢。おかげさまで一心に生傷がつきものとなった。
だから、私は王樹に願った。
宗像本邸と道反に治癒の泉を分けてほしいと。
もちろん、泉を使うにはそれなりの基準というかルールのようなものを与えられたのだが、とりあえず、王樹本体へ出向かなくとも致命傷となりそうなレベルを除いてはつつがなく傷が癒せるようになった。
「一心、ダメだ。 ちょっと辛い」
最近、このパターンが多い。目眩というか、何というか真っ直ぐ立っているのが辛いタイミングが日に何度かある。
この不調には一心がすぐにかけつけ、身体を支えてくれるから、何とか転ばずに済んでいる。
「情けない。 私はどうなってしまったんだろ」
「どうもなってもない。 お前が戦う方がそもそも間違いなんや」
一心は戦うのは自分の役割だと私の身体を抱き上げてくれた。
登貴との闘いを終えてから、かなりこたえたのか、私の体は思った以上に穢れに弱くなってしまっていた。最前線に立とうものなら、翌日は必ずベッドの上だ。
あの闘いの前までみたいに、いつでも、どこでも動けますよという身軽さは完全になりを潜めた。
そして、それは一向に改善されぬまま、私が表立って仕事をすることを嫌う一心によって、完全に表舞台から引退させられた。
そのかわりに黄泉に潜る鬼の皆さんにこうして同行するのが仕事となった。それにも、なかなかついていけなくなるかもしれない。
「力は相手をたたくためにだけあるんやない。 戦い方は一つやない。 お前の戦場は別ってだけ。 それだけのこと。 時生、ここは任せた」
一心はそれだけ言うと先に戻ると皆に目配せをした。私はまだ皆と一緒に仕事をしていたかったが、一心がそれを許さなかった。
皆の後ろ姿が遠ざかる。黒のマントには梅と朔月が描かれている。王付きの黄泉の鬼の証だ。
時生が率いてくれている私のための直轄部隊。
一心が作ることを決めて、時生が組織してくれた。理由は簡単だ。これまでも、これからも色んな意味で私が狙われるからだ。
直轄部隊の構成員はほんの数年前にはありえなかった人物も選抜されている。
私の天敵だった津島聡里、その人も名乗りを上げてくれたのだ。
これには両親だけでなく、公介や冬馬も驚いていた。
咲貴が聡里を擁護するわけではないがと彼がどうして私に厳しく当たっていたかを皆に話してくれた。
宗像第一主義はいずれ宗像の主を苦しめて貶める。
だから、穂積だけを頼るのではなく、もっと津島と白川を思いのまま使って欲しくて、私に強くなれとたきつけていたというのだ。
私が単独で動いた時も、大けがを負った時も、聡里は津島の人員を駆使してサポートしてくれていたという。
津島には負い目があるが敵であるはずがないだろうと彼は水面下で動き、咲貴を護り、咲貴が私のために思う存分動ける環境を整えていてくれたというのだ。
あの陰湿で、私を小馬鹿にしていた白川家の跡取りも、「あれでは長として成長できないだろう。 成長させるために必要であるのならば津島に従う」と同調し動いてくれており、私が深手を負って逃げ込むことになった時に熊野を死守すると最後の最後で壮馬とやりあって命を落としたことを知った。
本当に自分はこれほどまでに恵まれていたのに、気が付けていなかった愚か者だった。
「お前が堕ちたら、皆も無になるからな。 生きるのがお前の戦いや」
公介にも同じように説教されたばかりだ。
生き抜くこと以外の全ては皆に任せろと泰介や咲貴にも散々言われ尽くした。
つまらないような、悲しいような、何もしなくていいという檻に入れられた気がして、時々、一心の手からも逃げたくなる。
一心はそんな心の隙間を見落とさない。
だから、こうして黄泉の鬼の任務に時々同行させてくれる。これがぎりぎりの譲歩らしい。
「王ってなんなんだろね」
「また、それか。 王ってのは空気。 無かったなら皆、息ができん。 お前はお前の価値を下に見積もりすぎ。 本来、何のラベリングも要らんもんや」
「家くらい私が護りたかったよ?」
「それは無理。 俺たちは時間の流れが違う。 今を生きて、移り変わっていく時の中にいる皆に委ねる他ない。 今はまだ見知った顔だろうが、いずれは皆入れ替わるからな」
一心の言葉から千年の重みがずっしりと肩にのしかかる気がした。
一昨日、鴈楼蘭が私を訪ねてきてくれた。
楼蘭は私と同様の宿命を受け継いでいる。だから、気心知れている彼に私は自分の不安や葛藤、面白くもない日々についてぶちまけた。
楼蘭は共感しながらも、宗像が一枚岩であれるためにすべきことをしていればいいと言っていた。宗像のような大きな母体があるのは幸せなことだとも。
楼蘭は自分の血族や組織には内にも外にも敵だらけで、気が休まらないようで、本当に宗像がうらやましいのだと言っていた。
「手本となって欲しい、か」
私のつぶやきに、一心が首を傾げた。
「楼蘭がさ、そう言っていたんだよ。 王は王としての役割を果たし、血族は血族でそれを支えていく体制をとり、盤石な組織として堂々と生きる手本となってと」
「手本となるかどうかは別の話やけど、王はどうあっても手が届かないほどに強烈に君臨しておかねばならないとは思うで?」
「強烈に君臨って、そんなキャラじゃない」
「そうだとしても、何があってもうちの王が何とかしてくれるってほどの安心感はださんとな」
「そんな安心感なんか、私はだせん」
「嘘かはったりでいい、そんなもん。 絶対強者が誰もがすぐに手の届く位置にあってはならん。 とんでもない潜在能力をどんな形で発揮するかがわからんから、抑止力になる」
「戦うなってこと?」
「必要以上にはな。 お前、時々、表立って暴れようとするからな。 皆んなに任せとけばいい。 紅の王が戦うべき時が来たのならその時に動くだけでいい。 黄泉使いの一族は皆、その背を護る紅の王がいることが何よりもの力になるってこと」
「任せても大丈夫ってことはよくわかってるよ」
「だったら、本当に任せきれ」
ラスボスは最後までじっとしとれと一心は言って笑った。
黄泉に潜っても寒くないのは一心がいるからだ。
仮面が必要ないのは私と一心だけ。
ふうっと息を吐くと、一心が首をかしげてこちらを見た。
「ありがとう」
意味が分からんと、さらに一心が眉を寄せる。
ありがとうはありがとうだ。
一心を独占させてくれてありがとう、本当はそう言ってみたかったがやめた。
一心のプライベートを私が蹂躙しているような毎日だ。
何だか、どうしたらよいものかと悩んでばかりだ。
「イチゴパフェ行くか?」
一心がニカっと笑った。
イチゴパフェは私の大好物だ。
一も二もなくうんと頷くと、一心は急ぎ現世の扉を開いてくれた。
口は悪いけれど、こうして付き合ってくれる時間が今の私の幸せだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます