黙の月ー神の獣に愛されし紅

ちい

第1話 黄泉への旅路を照らす者

 人間は死んだら終わりだと言うが、それを一体どこの誰が証明できたのだろうか。

 死んだら楽になるのも違えば、死んだら終わりになるのも違う。

 物凄くセンシティブな扱いの死という存在。

 それを突き詰めた先にある真実と言うか、事実と言うか。

 本当の意味での『死』を知っていると言うか。

 その意味を知っているが故に、生まれてこの方、物心つくかつかないかという時点から、『死』を扱えと十字架を負わされた身としては非常に難儀な今日この頃だ。

 死を扱うことが職業。

 でも、死神とは全く違う。

 あちらの仕事はそれこそ、いつ、どこで、どなたが、どのように死を賜るのかプロセスを全てご存知の方々なので、職務とやらが違う。死神の方々の部下かと問われたとして、それも違うなと答えざるを得ない。

 では、巷でヒーローの陰陽師か、霊媒師か、悪霊払いか。

 答えは全てノーだ。

 形容すべき職の名がない本当に骨の折れる生業。知名度も存在感も皆無。

 確実に死後の世界に関与する役割なのだけれど、死後の魂の道案内や手助けをするわけでもない。故に格好の良いところも皆無。

 与えられている役割はたったの2つ。

 この2つしかないはずの役割が殊の外難儀ではあるのだけど。

 一つ、黄泉との境界を守護し、現世に与える弊害を最小限に食い止めること。

 二つ、御魂が悪鬼に捕食される過程で稀に起こる悪鬼への転成を阻止すること。

 わかるような、わからんような役割を生業にしているのが黄泉使いといわれる我らというわけだ。

「もっと動きやすい服を選べよ、先祖!」

 フード付きの黒いマントが夜の湿気を相当量吸い込んでいるだけでなく、しきりに駆け回ったかいもあり熱気まで含んでいる。さらには木彫りの仮面をつけているのだから、息苦しくて仕方がない。

 運動会で絶対にマスクを外すなと言われて猛ダッシュさせられる状況を思い浮かべていただけるとたった今のこの私の息苦しさに共感していただけることだろう。

 とっても不快指数の高いこの現状。とっととこの場を去りたいのに、そうはさせるかというような威嚇を方々から見事に受けている。所謂、絶体絶命、四面楚歌。

 通常ではそういった危機的状況であると評価を下すべきところだが、真に命の危機かと問われると、それほどでもないよなと笑いが浮かぶ。

 もとより狩りをすることが本能。つまり私は狩られる方ではない。

 囲まれるならそれもよし、それこそが願ったり叶ったりの状況というわけだ。

 基本体制は二人一組。気の合うもの同士がアサインされるとは限らず、時に、そう今夜のようにペアリングがうまくいかない場合も多々ある。

 互いに仕事の進め方が異なれば、世の常、年下が損をする。

 高みの見物を決め込んでいるらしい本日の相棒にむけて舌打ちをする。

 我らの血肉は悪鬼からすればA5ランク特選牛というレベルに値するらしいと、ろくでもない教育しかしてこない伯父の言葉を今頃思い出した。

 殺気と共に異形の物が暗闇からじりじりと距離を詰め、とびかかるタイミングを確実に計っているのが面白いほどにわかる。

 夜闇でも白色は目立つ。

 全身黒でコーディネートするなら、何故にこんなに目立つ色で仮面を作ったのかと突っ込みを入れたくなる気持ちを必死に押し殺して、軽く唇をかんだ。

 これから数秒後に始まるであろう、とんでもない大運動会に備えて呼吸を整える方が賢明だ。

 無駄に汗をかきたくはないとつい数分前に今夜の相棒に言い捨てられたのを思い出した。

 あまりに腹が立って、手に握っていた薙刀で一度だけ空を切ってみた。わかってはいたが無反応。物音一つ聞こえやしない。取り合う気はないらしい。

 奇妙なほどの無風。

 わずかに雨に濡れた土の香りがするが、すぐそれを異臭が覆いつくした。

 これは独特の臭い。真夏の干潟、澱みきった溝川が一番近い。

 月明かりのもとについに姿を現した物を目にして、どっと疲れが押し寄せてくる。

 虫の死骸に群がる蟻のような数。

 思っていた以上の数に今度は本気の舌打ちをする。この数日来、ずっとこの調子だ。

 行く先々で絡まれる数がどんどんと跳ね上がっている気がする。これが通常運転ではないことは阿呆でもわかる。

 チラリと木の上に目をやるが、そこに居る奴は全く動く気配がない。

 堰を切って飛び出してくる黒い波が私一人に向かって来る。

まっすぐに突進してくる悪鬼の足を払い、一番脆弱とされている首を躊躇なく切断する。

 次から次へと飛び掛ってくる悪鬼をリズミカルに無に帰していく他ない。

 刃先で悪鬼の大きな鉤爪を受け流し、口早に呪を唱え、片手で札を額に埋め込む。

 ぬめりのある感覚が指先に伝わるのがもっとも嫌いだ。瘴気をはらんだ悪鬼の血肉片がわずかでも触れるのはさらに大嫌い。

 ひょいと大嫌いな物から身をかわし、次の標的の首を断つ。硬質でごりごりしたような感覚が腕に伝わってくる。骨をしっかり断ちきるには躊躇しないで振り抜くしかない。

 通常の女子では絶対に無理な重量だろうが、長年の鍛錬の結果、悪鬼対戦用薙刀を悲しいほどに軽々と振り回し、切り刻んでいくことができるようになってしまった。

 一応、まだ女子高生なんだけれどと言ってみたいが、それどころではないので集中することにする。

 赤なのか、紫なのか、緑なのか。例えがたい色の粘稠性のある液体が袖を汚し、じわじわと重みを増していく。その重みこそがゲームの世界ではなく、これは現実だと突きつけてくる。

 視覚より早く身体が反応して切り刻んでしまうので、その対象がどんな姿であったのかを目視するのはそれが果てた後だ。

 悪鬼には人面の物もいれば、牛、犬、猫、亀、例えようにも類のない顔の物もある。大小はあるが、だいたいは小学生くらいの身長で、腹は餓鬼のようにぷっくりとふくれあがっている。目は爬虫類のように瞳孔は縦に開き、皮膚はぬめりをもった蛇のそれだ。 

 多くは知能の低い小物。

 だが、ごく稀に、人の言葉を使用する桁違いに頭の良い手強い奴もいるのだが、今夜はそれはいないようだ。

 私がここで名乗りを上げればさらに悪鬼が増えるだろう。

 私の名前は宗像志貴という。

 この宗像という姓は、ブランド牛の松阪牛やら神戸牛と同等レベルの知名度だからね。それでも構いやしない。やってやろうじゃないか、喧嘩上等の気分だ。

 私には絶対に強くならねばならない理由がある。

 それは黄泉使いのヒエラルキーには出自は一切問われないからだ。ただ圧倒的な強さだけが全て。強ければ物が言える世界に生きなければならないのだから、やる他ない。

 無駄な時間が多すぎるとわざわざ脳裏に響くように伝えてくる思念に、仕方がないだろうと吠えてみた。繰り返し耳に届く声を振り払うように薙刀を振り回す。

 向き合うべきは悪鬼だ、今は集中しろと言い聞かせてみる。

 命令されるのは嫌いだが、湧き出してくる水の如く集まってくる状況からして致し方がないなと足を止める。

 命令されたからやるんじゃないとがなってみるが、実はかなり必死だ。どうにも私の技量は私の血肉のブランドに追いついていない。

 刃にゆっくりと指を滑らせると、自らの血で湿らせた刃が血潮を吸い上げ、水晶から紅玉へとその刀身を変じ、直後、パンっと破裂音を響かせ真っ赤な飛沫をあげた。結構お気に入りだったこの度の薙刀が見るも無残なまま砕け散った。

 わかってはいたのだが顔を覆い隠している仮面がずしりと重みを増した。

 砕け散った赤い飛沫は返り血を浴びたかの如くまだら模様に仮面を染めた。

 これを合図にふわりと足元から生暖かい風が吹き上げはじめる。


『ようやく向き合うことにしていただけましたか?』


 本当にすこぶる大嫌い、私の脆弱さを露呈させるかのような不快を煽るものの言い方だ。

 いつだって、心の一番触れられたくない部分をえぐるように、じわじわと侵食するように広がってくるこの声。


「うるさいな! ぎりぎりまで使いたくなかっただけだ!」


 だって、これをすると血統だとか遺伝だとかそればっかりが前に出てしまう。

 実力じゃないと陰口をたたかれるのはうんざりなんだ。

『つまらん。 強けりゃ何も言われやせん』

「心を読むな! 変態!」

『読まれる方が未熟ってもんだ。 で、いつまで嫌われるのが怖い怖いするつもりだ?』

 おっしゃる通りすぎて、自分が大嫌いになりそうだ。

 つまらない意地を張っているのも、他人の目が気になるのも、全部、自分が弱いからだなんて百も承知。

『勝つことが何よりも大事だ。 プロセスは問題外だって言ってんだろ?』

 正論過ぎて、いちいち耳障りで仕方がない。

『持って生まれたもんはありがたく使え。 さもないと死ぬぞ、お前』

 言葉にならない咆哮を上げ、本日も苛立ちは最高潮。

 真実、何に苛立っているのか。

 それは自分の中に一本確実な筋を貫けない弱さと自信のなさだ。

 周囲の目が気になる。

 周囲の声が気になる。

 周囲の評価が気になる。

 私の中の誇りなどあまりに小さくて、さらには己でも驚くほどの臆病風しか吹かない。

『そんなに怖いか?』

 声の主のこういう所が一番嫌いだ。

 言い返す言葉が無くなるようなことを簡単に口にする。そして、それはいつも真理ばかり。

『運も何もかもすべてを生かし切った結果が実力だぞ?』

 何を言われても、わかっていても、自分自身が納得できていないんだから仕方がないだろうと唇をかんだ。

 速くなった呼吸で蒸れた仮面の裏が汗ばんで、今すぐにでも投げ捨てたい衝動にかられた。仮面を外すのはご法度だとわかっていても外したくなる。しこたまうんざりするほどの我慢の連続。これは禁止の心理という奴だな。

『警告するぞ、それを取ったら終わりだ』

 はっと我に返ると、無意識に仮面をはずそうと指が伸びていた。

 時々、こうして境目がなくなる。思考と行動の乖離。夢と現の境界がやすやすとふっとぶ。

 毎度のことながらこの自分の危うさに身震いして、生唾を飲み込んだ。

『ここがデッドラインだ』

 とびかかってくる悪鬼を素手で殴り飛ばしながら、相方と続けていた問答を強制終了することになった。格上からの命令に対して拒否することはできない。

 準備体操程度の動きで息があがりそうになる自分が悔しい。

 肩で息をしながら、小さく口先をすぼめ、呼吸を整える。もう武器がない以上、否が応でもあれをやる他ない。でも、あれを始めてしまうともう止められはしない。自分自身の魂の奥底に眠る文言が勝手に口からこぼれおちてしまい、片が付いてしまう。

 これまでの努力は何だったんだというくらいにあっけらかんと勝ってしまう。

 また、今夜も純粋に、悔しくて、涙がこぼれ落ちるのだろう。

 実力じゃない、これは実力じゃないのにと自分の心が叫ぶ。


『開眼せよ、宗像の子』


 低く、静かに響いてくる声に、承知だとうなずくだけ。

 指先から滴り落ちる血液が足元に小さな水玉模様を作り出す。それが幾重にも重なり小さなたまりになった時、こうやって身をかがめ、すっと指をひたして言霊を口にすれば全てがあっという間に終わる。


「暗き闇を照らす尊き月よ、汝の光を吾の血潮に呼び覚ますことを許したまえ」


 自分の声なのに、どこか違う響きが重なる。

 荘厳な絃の響きにも似て、だがしかし柔らかな歌声のようで違和感しかない。

 これだけは何度やっても馴れることはない。


「吾は望む、時を静やかに」


 性別のないこの特別な声は時を止めることができる。敵味方なく、その足すべてを止める。

 そう、制止ボタンを押されたように悪鬼の動きがぴたりとやむのだ。


「汝、何であるかを悟れ。 悟れぬ者は」


 そして、終わりの合図。指をパチンと鳴らすだけ。


「汝ら永訣の鳥となれ!」


 爆音と共に紅蓮の火柱が方々で上がる。

 悪鬼が炎に気付いた時にはもう取り返しがつかない。

 業火は悪鬼に断末魔の声をあげる隙すら与えない。一瞬の技だ。

 数秒後、目の前には悪鬼の姿だけをかき消した空間が広がっている。

 生ごみの焦げたような臭いのみ残し、再び静寂を取り戻した空間を見回した。

 あっけないほどに一瞬だ。

 何の努力も必要としない技で勝つことへの罪悪感は苦い気持ちしか残さない。


「これが正解だ」


 一番背の高い楠の上から男の声が降ってくる。

 声のする方を見上げる。

 男は同じようにフードをかぶっているが、仮面の色は白ではなく紅。

 この男のように当たり前に紅をつけて居られる人間は限られている。

 黄泉使いの仮面は強い者から順に紅、蒼、白と色が分かれている。

 紅は黄泉使いの中でも数名しかいない。ゆえに、紅をつけているこの男はむちゃくちゃ強いというわけだ。

「半人前、今夜もご機嫌斜めだな」

 がっちりとした恵まれた体躯のくせに重さを感じさせないほどに身軽に飛び降りてくると、その仮面の奥でくくくと喉を鳴らした。

「腕力も技術も、知力も機動力もない。 だが、それを凌駕するだけの武器を持ってる。 他の誰もが喉から手が出るほどに欲しいそれを出し惜しみするな。 そもそも努力云々はどうだっていいんだ」

 毎度の流れでフードの上から頭に手を置かれそうになったが、寸手の所でよけた。

 だがそれすら予測していたのか、よけたはずの頭頂部に拳骨が落ちてきた。

「どうして躊躇する? どこぞの冒険漫画の主人公にでもなるつもりか?」

 身体の後ろで緩く手を組んで、わざとらしくため息をつかれた。

 見上げると首が疲れてくるほどの身長差に、問答無用で腹が立った。

 熱気むんむんのマントの下は汗びっしょりで、不快すぎて口を利くのも嫌になった。

 何度言われようとも上り詰めるのなら、実力が良いに決まっている。

 生まれ持った物に頼るのでは本当の意味で誰にも認めてもらえない。

 それを言っても面倒になるだけだろうなと、言葉をこらえ、小さなため息を答えにした。

「お前、面倒くさいな」

「心を読むな!」

「師匠に対して敬意をもて、敬意を!」

「師匠なんて一度も思ったことなんかない!」

「ほう、言うじゃないか。 毎夜毎夜、傷だらけで帰ってくる不出来な弟子を心配して、わざわざペアリングを申し出てやったのにお言葉だな」

「頼んでないし! だいたい全然働かないじゃないか! 本当にうざい!」

 大男に豪快にヘッドロックされると、ただでなくても息が上がるのにさらに息がつまる。その腕を振り払おうとした瞬間、小さく、本当に小さく、かがめと確かに師匠はこうつぶやいた。

 返事をするよりも早く、身体を押さえつけられ、受け身をとることも許されず、雨にぬかるんだ地面に転がった。

 この時、慌てて、見上げた景色を忘れはしない。

 視界一面の焼野原と、負けるはずのない男の利き腕が一瞬にして奪われたのだから。

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