夜の箱庭に歌う

都築 はる

ルイーズ 1

 

 研究者たる主様は、毎夜毎夜、寂しそうに泣いている。

 その瞳から涙こそ流していないものの、お酒を飲むと感傷的になってしまうのか夜の静けさが身に染みるのか、心はいつも泣いている。

 たかだか使用人を晩酌に付き合わせるのだから、一人身というのがよほど寂しいのだろう。

 主様の晩酌に付き合わされるようになった当初は真面目に話を聞いていた。がしかし、それが何度も何度も続いて、これまた同じ話を何度も何度も酔って寝落ちするまで聞かされる身にもなってほしい。しかも私は使用人で、主様が起きる時間よりも前から仕事があるのだ。何時に終わるかもわからない、とりとめのないお話に付き合い続けるなんて無理に決まっている。


 なのでここだけの話。

 私が準備する主様のお酒に時々薬を混ぜているのは、お屋敷で働いている執事と私を含めた使用人4人だけの秘密だ。知らぬは、主様一人だけ。

 執事に相談した結果、時々なら薬を盛ってもいいと許可をもらった。もちろんその後のアフターケアはかかさない。副作用のない薬を使っているけれど、翌日に変調がないかとか身体に優しい食事を作るようにしている。

 そして、驚くことに今のところ主様には気付かれていない。一番最初に盛った時の翌日はドキドキしたけれど、昨日はよく眠れた気がするとだけ言われ、疲れが溜まっていたんですねぇなんて言って誤魔化した。


 主様は貴族だ。と言っても、一代限りの叙爵だけれど。

 主様は遠い大国からおいでになった獣人で、ある目的のためにこの国にやって来たそうだ。獣人が支配するその大国との繋がりは近辺諸国では欠かせないものであり、その国からやって来たとなれば国としても何かしらの待遇で自国の評価を少しでも上げておかなければいけない。

 数年に一人の割合でやって来る獣人は人間ばかりのこの国ではとても珍しく、5年前にやって来た主様が通りを歩くと誰もが注目する。ほとんどの人間は、獣人と言う存在はおとぎ話のような物語上では知っている、という認識なのだ。力を持っている大国と言えども、それほど遠い土地の種族だということでもある。


 獣人の特徴について説明すると、ほぼ人間と変わらない。人間と同じ二足歩行だし、髪は生えているし服だって着るし食べ物だって変わらない。ただ身体にその獣の特徴が現れたり、昼と夜で行動の時間が違ったり、獣としての血が濃いと獣化と呼ばれる変身をすることもできるらしい。ただし獣化をするとそれまで着ていた服は見るも無残なことになるので替えの服は必須なのだとか。

 主様ももちろん二足歩行であり、滅多に部屋から出ないといっても服はいつも着ているし、お風呂にも入って清潔さを保ち、私たち人間と同じ食事をして、朝に起きて夜に眠る。そして一人身が寂しくなると私を呼び出して晩酌に付き合わせる。


 主様にこの国での爵位が与えられて、主様に不都合が無いように王都から少しだけ離れた場所の屋敷に住むことになった時、初めはとてもたくさんの人が雇われていたらしい。だけどそれもこの五年の間で次々といなくなり、しまいには3人だけとなってしまった。

 執事として雇われ、今は主様の数少ない友人となったロビン様。3人しかいないので侍女長の役割を担い、みんなのお母さん的存在のアルマさん。自分の食い扶持は自分で稼ぐと豪語する働き者のオリヴィア。そして、半年前に新しくこの家に使わされた私が4人目となる新参者だ。

 そして、4人とも貴族の出身だ。ロビン様は何の問題もなければ突出して良い所もない伯爵家ののらりくらりと過ごしてきた三男。アルマさんは歴史だけは立派な子爵家に嫁いだ裕福な男爵家の出身で、夫に先立たれ、息子を当主にした途端に義母に追い出された未亡人。オリヴィアは没落寸前の子爵家の長女だったが、意に沿わない結婚をさせられそうになった時に相手の家の犯罪を世間にばらして家から勘当された。私は国政の重役を担っている父を当主とする侯爵家の次女で、父に言われてこのお屋敷にやって来た。


 地位としては私が一番高くて3人も最初はその様に接していたけれど、働く身としては私が新参者で何も知らないのだから止めてもらった。好き好んで身分を笠に着ることはしないから、このお屋敷ではそうしてもらって正解だった。

 じゃないと、ちょっとした軽口を言い合えるくらいの今の関係にはなっていない。お屋敷に住み込みで働くたった4人なのだから、仲良くなって気の置けない関係になりたいと思うのは当然のことだと思っている。そのおかげで、3人とは時間を置かずに良い関係を築けていると自負している。

 もう少し気取った人だと思っちゃった、とオリヴィアには言われたけど、気取る必要のないところで気取ったって得はない。


 そんなわけで私は主様と直接的な接点を持ったのは初めてお屋敷に来て挨拶をした時のみで、それからはずっと3人に仕事を教えてもらっていたので、まるっと1か月は主様と会話なんてしなかった。籠りっぱなしの部屋から出てきていて廊下ですれ違った時、ほとんどないお出かけの際に見送りをする時に頭を下げるだけだった。

 多分私が考えるに、主様はその1か月は私のことを認識していなかったと思う。最初に挨拶をした時もおざなりな返答をされたので、研究に夢中な主様はすぐに忘れてしまっていたに違いない。なにせお風呂は入らないし、自室兼書斎が本と書き物で埋まっても気にせず寝ることがほとんどで、食事も食堂で摂った日なんてそれまでなかった。

 そんなずぼらな主様だから、獣人で国に優遇されている主様に近付きたいとお屋敷で働くことに志願した人たちは早々に去っていったそうだ。新しい使用人が来ては、主様の歯牙にもかからずに去っていく。

 だから、そんな中でもあの3人が残っていたのは、ただ本当に働くためであって他には何の思惑もなかったということだ。それから、主様とも適切な距離を保って接することができている、ということ。


 誰もが主様の立場を理解していて、主様が踏み込んでほしくない領域には決して踏み込まない。


 主様のこの国にやって来た目的を誰もが知りつつ、3人は決してその目的についてとやかく言わない。

 それはきちんと主様を仕えるべき主人として考えているから。本来の使用人とは主人の意向を第一に考え、暮らしやすいように身の回りの世話をするもの。私もその姿勢をきちんと見習って仕事をしているから、みんなとも打ち解けることができて、お屋敷に来てくれて良かったと言われるようになった。


 あれは2か月目に差し掛かった頃だ。

 その日、珍しく主様が食堂で食事をするとロビン様が聞いたらしく、アルマさんとオリヴィアとで豪勢な食事を用意していた。籠ることが多い主様の為に片手でも食べられるものを作っていたけれど、『食事の作法を思い出してもらうためです』と悪い顔をしたロビン様が提案されたことだった。


 久しぶりに見た主様は食事前の入浴によって小綺麗にはなっていたけれど、顔色はとても悪くて人相がとてつもなく悪かった。

 へびの獣人である主様の右頬にはうろこが一部見えていて、主様は確かに獣人なのだと食事の用意をしながら改めて思った。


『・・・誰だ?』


 実のところ主様の前に料理を持っていった時からこれは誰だという視線を浴びていたのだけれど私は総無視しており、他の3人も知らない振りを決め込んでいた。ロビン様なんか笑いを堪えきれずに咳で誤魔化していた。


『1か月前からこちらで働いております。ドゥルイット侯爵家のルイーズでございます』

『そうか』


 そこで、主様は私の存在と名前を認知した。

 ロビン様もアルマさんもオリヴィアもそう言っていたから間違いない。それから主様は通りすがりに私がいた時は、名前を呼んで用事を言いつけてくれるようになった。


 3か月目に差し掛かった頃。

 珍しく王宮からの客人が来られた日の夜、食堂で主様から報告があった。ある伯爵家の長女で、世間を知るためにこのお屋敷に来るのだと。みなまで聞かなくても、主様の縁談相手として来るのだと全員が悟った。

 主様は淡々としながらも面倒くささを隠そうとはせず、それは主様が望まないものだということもすぐにわかった。あとでロビン様に聞くと、そこの伯爵家当主とは懇意しているそうで当主からは世間を知らせてやってくれと逆に頼まれたらしい。獣人に抱いている娘の

 夢をぶち壊して現実を知ってほしいという親心だそうだ。


 そうしてやってきた伯爵家の娘は、初日からやらかした。

 なんと主様のお怒りを挨拶の時から買ってしまったのである。


 私たち使用人に挨拶をするその態度から何か一波乱ありそうだと、アルマさんとオリヴィアと話していたけれど、その早業にはその場にいた全員が呆然とした。

 名前も忘れたその娘は、主様の逆鱗に触れたのだ。


『お前が番かなどと確かめなくてもわかる!!出ていけ!その足りない脳で二度と私の前に現れるな!!』


 察しの通り、今まで獣人に夢を見ていた純粋無垢で自分勝手な乙女は泣き喚いて主様の傷をしっかり抉ってから去っていった。後日、伯爵家当主から謝罪とお礼が届いた。


 それからの主様は傍から見てもいられないくらいに落ち込んでいた。ロビン様は特に同い年で結婚適齢期なのに相手がいないという点が一緒なので、主様へいたわりはいつもよりも優しかった。


『大丈夫です!この国にいることはわかってるんですから、いずれ見つかりますよ!!』


 でも五年も経ってるんだからこのまま待っていても難しいのでは?、というのが女性3人の意見でもある。







 

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