渡し守

 ノックの音。

 ドアを少しだけ開き隙間から覗くと、頬を赤くした可愛らしい少女が立っていた。

「誰にも見られてない?」

 小声で確認すると、少女は息を飲むようにうなづいた。

「入って」

 俺はドアを開け、少女を部屋の中へと連れ込む。

 つかんだ少女の腕の柔らかさに思わず荒い鼻息が出た。

 それでも少女は夢見がちな表情のまま。不快のふの字も感じられない。

「いい? 夕食後に飲むの。そうすると深夜に目が冴えて、勉強が捗るから」

 少女は再びうなづく。

「誰にも見られないように、ですね」

「そう。私とあなただけの秘密」

「秘密、ですね」

 少女は嬉しそうだ。

「これも、秘密ね」

 そう言って俺は少女の唇を奪った。舌を挿れようとしたら、ぎこちなく閉ざされた歯の壁に当たる。仕方なく下唇と上唇とへフィールドを変え、優しく何度も楽しんでからようやく顔を離す。

 甘く小さな吐息を漏らした少女は肩を震わせた。

 本当だったらここで押し倒したいところだが、生憎とナニがない。それに大きな嬌声でも出されちゃたまらんし、長居もさせたくない。

 少女の動悸が収まるまで少しだけ待ち、廊下に誰も居ないことを確認したうえで少女を帰らせた。

 ため息が出る。

 今の自分の境遇が、可笑しすぎて。

 手鏡を取り出して自分の顔を映すと、相変わらずの美人さんがずいぶんと悪そうな笑顔を浮かべている。

 ブラウスのボタンを外して胸元まで映してみるが、もうこれでは興奮しなくなっちまった。体がだいぶ馴染んだからだろうか。でもやっぱりナニがないってのはムズムズすんだよな。

 そのうち抱きてぇが抱かれてぇになったりするんかな。いや、薬を手に入れるためにヤラせたときはカマ掘られてる感じで微妙だったからなぁ。


 俺は数ヶ月前まで、しがない小悪党だった。

 仕事仲間にゃ「口はうまいが顔がまずいから詐欺師としては大成しねぇ」と馬鹿にされていたクチ。

 人を信用させるには顔が整いすぎててもダメで、小物を使えば簡単に雰囲気が変わるくらいの適度に平凡な顔がいいのだが、俺の顔は不細工過ぎて印象に残ってダメってやつだった。

 それなのに人違いで殺されるっつーね。

 自分で言うのもアレだが、俺みたいなのの顔を誰と間違えたんだよ。まぁ、ムシャクシャしたときに鬱憤をぶつけるには良さげな顔だったのかもしんねぇが。

 とにかく俺は気付いたら三途の川の辺りにいた。

 人の洋服剥ぐババァが偉そうにしてたからその場を離れて川伝いに上流へと歩いていったんだ。

 そこで出会ったのが例の渡し守さんよ。

 あの世に逝きたけりゃ金を出せとか言いやがって最初はどうしてやろうかこのケチ糞がとか思ったけどな、オボロだかソボロだかわからん通貨など持ってない俺は交渉したわけよ。金になりそうなモノを代わりに持ってくるってのはどうかっつって。

 まずは持って来てみろって言うから持っていったのな――連れて行ったという方が正しいかな、心根の綺麗な女。

 俺が川べりで具合悪そうにしていたら声をかけてきたのを、うまく騙して。

 そしたら渡し守の奴、妙に喜んじまってよ。東洋人の女が珍しいんだと。「本来は1オボロス必要なのですが、貴女のように美しい方は無料でお渡しいたしますよ」とくらぁ。

 よく見りゃ渡し守の奴も老け顔で、お世辞にもモテる感じじゃねぇ。気付いたら仲良くなっちまって、俺は奪衣婆の目を盗んではおぼこい美人を騙してはカローンのところに連れて行く日々ってわけよ。

 そんなときだ。あの神宮寺秋穂に出遭ったのは。

 カローンの所に連れて行ったら「この美少女はまだ死んでいないから舟には乗せられない」とかぬかす。

 そこで俺はピンと来た。

「戻れる体がなくなったら死ぬんじゃねぇか?」

「そんなこと、私の立場からは言えぬ」

「おいおいカローンちゃんよぉ。俺は知ってるんだぜ。とびっきりのお気に入りの女の子の魂は、舟に乗せるフリしてこっそり獣皮の隙間に押し込んでるのをよ。この子の魂、お前の舟に加えたいだろ?」

「そ、そんなことは……まぁあれだ。大歓迎ではあるがな」

 俺はそれで神宮寺秋穂とたくさん会話した。

 その中で神宮寺秋穂の個人情報を聞き出し、考え方や喋り方を暗記し、真似できるまでになった。

 あとは神宮寺秋穂の気持ちになりながら、この子を見つけたあたりから川とは反対方向に歩き始めた。

 不思議とさ、呼ぶ声が聞こえるんだ。神宮寺秋穂の気持ちを心に作っていたらさ。

 やがて光に包まれて、目を覚ましたら、俺は神宮寺秋穂の体の中に居た。


 もう一度、手鏡をじっと見つめる。

 神宮寺秋穂の体に興奮しなくなってきたのにはもう一つ理由がある。

 あの世に逝った美少女ちゃんたちの魂をカローンのところに連れて行っている間は、この体はただの死体に戻る。次第に腐敗し始めているのを感じるんだ。

 それに、この寮で美少女の死者はあの子でもう五人目だし警察も馬鹿じゃねぇ。そろそろ気付かれてるかもしんねぇ。

 そろそろ潮時なのかもな。

 じゃあ、最期のひと仕事だ。生前の俺を殺したアイツをぶっ殺しに行くか。




<終>

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