釣り人とボウズ
「釣りはもうやめたんだ」
「え、なん……」
なんで、と聞こうとして口をつぐむ。先輩が語ろうとしないってことは聞いちゃいけないことなんだって、さっきも失敗したばかりじゃないか。僕はどうしてこう学ばないかな。
田舎の支社に異動になっていた先輩が戻ってきた。
僕が入社したときから面倒を見てくれた仲の良い先輩で、釣りの楽しさを教えてくれたのもこの人だ。だからさっきの歓迎会で「向こうで大物釣れましたか?」ってつい聞いちゃったんだ。でも先輩は急に黙っちゃって。んで、今の上司に「バカ! 釣りの話は禁句だ!」なんて怒られて、そのあとのムードもだだ下がり。
これって僕のせい? そんなタブーなら普通上司が事前に回覧とか回すべきじゃないの?
とにかく僕はしょげていた。そしたら先輩が二人だけの二次会っつって、僕を別の店に連行したわけなんです。
「……いや、お前にはちゃんと話しておこうかなと思ってな。信じてもらえないかもしれないが」
「し、信じますよっ! 先輩は僕をからかうときはそんな顔しませんもん」
僕がそう言うと、先輩は少しだけ笑って、そして語り始めた。
「異動先での俺の仕事は車を使った外回りでな。移動中に良さげな池や川を見つけたらそのたびに場所を記録しておいて、週末に釣り道具持って挑戦するっていうな……まあ、はじめのうちはそういう生活をしていた」
そこで先輩は何かに迷っているような表情を見せる。
「その……な……その池もな……そうやってたまたま見つけたうちの一つだったんだよ」
「池、ですか?」
「高台から町を見下ろしてた時にチラッと水面の反射を見つけたんだ。んで実際に行ってみたら思ったよりも広くてな。おまけに周囲は森に囲まれているのに風が抜けて雰囲気も悪くない……その時はそう思ったんだ」
その時は……その言葉の続きが気になりつつも僕は黙って肯くだけに留めた。
「その週末はたまたま家内が友人の結婚式で居なくてね。娘はまだ小学校に上がる前だったから留守番させるわけにもいかず、俺がつれて行くことになったんだ」
「そうなんですか」
「うん。で、娘は女の子だっていうのに昆虫とかが大好きでね。その森でもカブトムシなんかを探して遊んでいた。そんな娘を視界に入れながらも俺は釣りを楽しんでいたんだよ」
ここで仕掛けとか餌とか何狙いだったかとかいろんなことを聞きたくなったけど、ぐっと言葉を呑み込み我慢した。先輩の話のどこに地雷があるか分からない。さっきの歓迎会で失敗したばかりだったから。だけど、その話題を先輩の方から振ってきた。
「何が釣れたと思う?」
「え……池だと……ヘラブナとか……まさかバスっすか?」
「ナマズだよ。それもけっこうデカイやつ。しかも何匹も」
「ああ、ナマズっすか!」
ついテンションが上がってしまったものの、先輩がサイズの話をしているってのに両手で「こんくらいの」をやらないことが引っかかって、僕は静かに話の続きを待つことにした。
「8匹も釣れた時点で、これ以上はご近所におすそ分けしてもさばききれないし、数的にも末広がりだしと釣るのをやめて娘を呼んだんだ」
「はい」
「そしたらな、森の奥から坊主が出てきた」
「ボウズっすか……たくさん釣れた後にボウズって……あ、すんません」
つい、口から出てしまった。釣果なしのことをボウズというんだけど、大漁のあとのボウズという単語が自分の中では妙に可笑しくなっちゃって。
「いや、いいよ。んでその坊主が言うにはな、この池は近くの寺の敷地だから魚を取ってはならん、みたいにちょっと古風な言い回しをするわけよ」
「坊主って、お坊さんの方っすか。僕、てっきり味噌のCMみたいな男の子を……あ、たびたびすんません」
「いやいいよ。少し気が紛れた」
先輩の表情が少しだけ緩む。
「他の時なら……俺も多分、一匹二匹は持って帰ろうとしたかもしれない。ただ娘を連れていた手前な、いけないって言われているのに釣り人の血をたぎらせるわけにも行かず素直に8匹とも池にリリースしたんだ」
「先輩、釣った魚は食べる派でしたっすもんね」
「まあな……そんで坊主はにっこり笑って帰っていくんだけど……その笑顔っていうかなんていうか……なんかこうひきつった作り笑いみたいなやつでさ。俺はゾッとしたんだよ。で、寒気がしたもんだから急にすごい不安になってね。娘の名前を呼びながら池の周りを急いで探したんだ」
ごくり、と、思わず唾を飲み込んでしまう。
「どうやら森の奥の方にも小さな池があってね。というか瓢箪の形に広い池とつながっていてね。そのすぐ近くに娘は倒れていたんだ」
「えええええっ」
「俺が慌てて駆け寄ると、娘は目を覚まして泣き始めた。とにかく無事でよかったと俺は娘を抱きしめる。すると、片足に怪我をしているんだ。しかもそっちの足は靴も履いてなくて」
「は、はい」
「池の中からいきなり大きな黒いモノが出てきて足に噛み付いて、池の中に引っ張ったんだと泣きながら言うんだよ」
「……大きな……黒い……」
「俺は娘を抱きかかえてその場をすぐに立ち去った」
「あの、怪我って」
「怪我自体はたいしたことはなかったよ」
「それは何よりっす」
そう言いながらも、怪我自体は、という表現が引っかかった。するとこちらの表情に気付いたのか、先輩も険しい表情を見せる。
「あのな。まだ続きがあるんだが聞きたいか?」
「うー。聞きたいような、聞きたくないような……なんかすごい不気味っすよね」
「じゃあ、話すぞ。実は今まで誰にも……家内にも言ってないんだ。どうせ信じてもらえないだろうし……だからずっと一人でもやもやしていてさ。お前なら俺の話を茶化さずに聞いてくれそうだし」
「ひ、秘密は守るっす」
「……向こうの支社にもな、釣り好きな人たちがけっこう居てね。俺がその池に週末に行くって話はもうその人たちに言っちゃっていたからさ、月曜にいろいろ聞かれてね……俺はもちろん、近所の寺の所有地だってことを伝えたんだぜ」
ということは、行っちゃった人が居たってことか……。
「その人は次の週末にその池に行ったみたいなんだよ。坊主が現れたらダッシュで逃げるよとか笑っていて。頼むから俺から聞いたみたいなことは言わないくれって頼みこんだんだ。俺自身は釣ったのリリースしてせっかくチャラになったからさ」
「ですよね」
「で、週末な。すげーデカいのが釣れたよって写メがきてね。しかもそれだけじゃなかったんだよ」
それだけじゃないって言葉が、今日はとても重く感じる。
「腹が変にふくらんでいるからってその場でデカいナマズの腹割いて確認したらしくてさ……そのふくらんでいたのは女児用の靴だったそうで。添付画像はその靴だったんだ……それがさ、娘の失くしたやつとしっかり同じデザインで」
「えええ、マジっすか! そんなことあるんすか?」
「蛙とか蝉とか食うってのは聞いたことあるから、池の底に沈んでいた靴をナマズがたまたま食べたとか……ありえなくはないかもな」
娘さんの足に噛み付いた大きくて黒い何かというさっきの話が頭の中に強くこびりついて離れない。
「そして更に写メが来たんだ」
「こ、今度は何が見つかったんすか」
「自撮りの自慢ショットだよ。大漁のナマズをクーラーボックスに入れたその人がね、とりわけ大きなナマズを持って池をバックにして」
僕はそのとき、先輩の手が小刻みに震えていることに気付いた。
「……その背景の池にさ、何かが見えたんだよ。俺はバカだな。つい気になってさ、拡大して見ちゃったんだよ」
「み、見ちゃったって何をっすか……」
「池の真ん中に浮かんでいたのは人間の顔の上半分だよ。それも俺が出遭ったあの坊主にすごく似ていてな……そいつがじっとこっちを……多分、その人を睨んでいたんだよ。ものすごい恨みがこもった目だった。俺は怖くなって来ていたメールをすぐさま両方とも消して電源も落とした。そんで釣り道具もすぐに近所の人に全部あげちゃって……それ以来ずっと釣りはしていないんだ」
「…………」
「俺はあの時ナマズをリリースしていて本当によかったと思っている。だってな、その人、その日の夜に交通事故起こして死んだんだ。警察は目の前に飛び出してきた何か……犬とか猫とかな、それを避けようとハンドルを急に切ったのが事故の原因じゃないかって言っていたけどさ、俺にはどうしても、あの池と関わりがあるような気がしてならなくて……それでずっともやもやしててさ」
話を聞いているうちにいつの間にか僕の手も震えていた。
「ああ、お前に話せてスッキリしたよ」
ホッとした表情を見せた先輩越しに僕は見てしまったのだ。
さっきからこちらをチラ見していた向こうのテーブルのハゲたオッサンが今、物凄い目で先輩を睨んでいるのを。
<終>
鯰坊主
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