妖怪奇譚【一話完結短編集】

だんぞう

ろくちゃんと夏の思い出

 僕はいい加減飽きていた。


「ろくちゃん、週末のあの大会、ほんとに出るの?」


 同じことを何度たずねただろう。


「出るとよー」


 ろくちゃんは同じテンションで毎回ちゃんと答える。


「でも周りはきっと大人ばかりだよ?」

「大丈夫たい。そのための秘策ば今探しとう」


 ろくちゃんは黙々と、草むらの中で何かを探している。昨日も、そして、今日も。ずっとずっと。

 

 福岡から従弟のろくちゃんが遊びに来たのは三日前のこと。

 ろくちゃんは僕より一学年下の五年生だというのに体が大きくてよく中学生に間違えられるほど。

 力が強くて色が黒くて、それから訛りが抜けない。そんなろくちゃんを僕は嫌いじゃないけれど、夏休み中ずっといるって聞かされてちょっとうんざりしてた。だって地元の友達と遊ぶ約束、いっぱいしてたんだよ。

 そう言い訳したら「お兄ちゃんなんだから優しくしてあげなさい」って。こういう時だけ年齢持ち出して、大人はズルイ。


 でも、その夜、父さんと母さんがヒソヒソ話をしているのを僕は偶然聞いちゃった。ろくちゃんのお母さんは父さんの妹で、かよ叔母さんって言うんだけど、そのかよ叔母さんがおじさんに暴力を振るわれているんだって。それでこっちには避難してくるみたいなんだ。

 それを聞いてもまだ冷たくなんてしたら僕は酷いヤツじゃんか。だから僕は面倒でもろくちゃんに付き合うって決めたんだ。


 まず最初に大仏に連れて行った。僕の住む鎌倉で一番インパクトがある場所。

 しかもその入り口には僕らが「武器屋」と呼んでいるいかした土産物屋と、僕らが大好きな鳩サブレのお店とがある。ろくちゃんは目を丸くしながら何度も「すごか」と言っていた。


 その次の日は海岸に行くことにした。お寺はやたらめったらあるけれど、僕からしたら大仏以外はほとんど一緒で代わり映えはしないから。ろくちゃんの住んでいるところも海が近いみたいで、海岸まで来るとやっぱり何度も「すごか」と言って喜んでいる。


 で、そこであの貼り紙を見つけたんだ。


 週末に海岸で開かれる大食いコンテスト。一等の賞品が箱根の温泉宿一泊二日。

 ろくちゃんはかよ叔母さんを連れて行ってあげたいって言った。温泉は傷が治るからって言っていた。かよ叔母さんが真夏なのに長袖を着ている理由を、僕ももうわかっていた。だから応援はすごくしたかった。

 でもね、現実って夢とは違うから。

 小学生で優勝はきっと無理だよって僕は一応言ってみた。そりゃ、ろくちゃんが優勝できるならそんな嬉しいことはないんだけど。


 翌日、ろくちゃんは朝から山に行きたいと言い出した。

 鎌倉は海と山とをコンパクトに楽しめる場所。

 僕はろくちゃんに付き合うって決めていたから、ろくちゃんを連れて鎌倉の山道へと踏み入った。ろくちゃんは初めて来る場所だっていうのに、ハイキングコースを外れてどんどん山の奥に入り込んでゆく。僕は来た道を一生懸命覚えながら、ろくちゃんを見失わないよう着いていった。


 結局その日はろくちゃんのお目当てのものは見つからず、いったん帰って寝て、今日も朝からずっと探しているけれどやっぱり見つかってないみたい。

 さすがにそろそろ陽が傾いてくるし、帰ろうよって僕はもう十二回くらい言った。十三回目の帰ろうよを言おうとしたとき、ろくちゃんが大きな声で「あった!」と叫んだ。


「その花、綺麗だね、何に使えるの?」


 僕が尋ねると、ろくちゃんは福岡に居た頃から図鑑で調べてずっと探していたんだと答える。それって答えになってなかったけれど、僕はお兄ちゃんだからそれでよしとすることにした。


 帰り道、ろくちゃんはまた海を見たいと言い出したから少し遠回りして暮れかけた海岸を一緒に歩いた。

 燃えるように綺麗な空を、波模様の綺麗な海が映す。二倍綺麗なこの夕焼けが僕はとても好きだった。波は音もいい。いくら聞いても飽きないし。

 だけどその素敵な海や波の音を汚す人たちが居る。ちょうどあそこに居るような不良の人たち。あの人たちは自分たちだけが楽しければ他に迷惑かけても全然よくて、しかもゴミとか平気で残していく。この鎌倉の街も自然も愛していないし大事にしようとも思っていない人たち。あの人たち自体がゴミみたいに僕は感じる……そんなことをろくちゃんに説明しながら、自分が父さんと全く同じこと言っていることに気付いてちょっと恥ずかしくなったりもした。

 でもろくちゃんは僕の言ったことを大きくうんうんと聞いてくれた。そしてなんだかろくちゃんの地元の言葉でかなりどぎつそうなことを怒鳴りだした。僕の知らない方言ばかりで意味はよく分からなかったけど、共感してくれているのは強く感じた。


 翌日は土曜日で母さんの仕事が休み。かよ叔母さんとろくちゃんと四人で海岸まで行って、スイカ割りをした。

 土曜だから特に不良がたくさんうろついている。夜にはもっと増えるだろう。不良の中にはニセサーファーも居る。なんでニセかっていうと、マナーを守れない人はサーファーなんて呼ばないから……ってまた父さんの受け売りになっちゃう。でもさ、真似なんかじゃないんだ。心から本当に僕もそう思っているんだから。


 夜、布団の中でろくちゃんに話しかける。


「明日はとうとう大会だね」


「優勝するばい」


 ろくちゃんは自信満々に返事をする。あの綺麗な花をどう使うんだろう……そんなことを考えているうちに、僕は寝てしまう。


「起きるばい起きるばい」


 突然、ろくちゃんに起こされた。外はまだ暗くて時計を見るとまだ夜中の2時くらい。新聞屋さんだって起きてない時間だよ。でもろくちゃんは外に出かける準備を済ましていて、僕も早く着替えるようにと急き立てる。眠い目をこすりながら僕は着替え、そして急ぎ足のろくちゃんに黙って着いて行く。ろくちゃんの行き先はどうやら海岸の方だった。


「あれ、なんか救急車が居る。パトカーもだ」


 海岸がなにやら騒がしかった。事件なのかな。


「危険だし、もう帰ろうよ」


「そんなら、行くばい」


 話が噛み合ってない。

 ろくちゃんはどうにかしてその騒がしい中心に近づきたがっていたけれど、どんどんパトカーが増えて行くばかりで……。


「おい、子どもがこんな時間に何やってる! 夏休みだからってまったく……ご両親は?」


 突然、懐中電灯を持った警官が僕らに声をかけながら近づいてきた。ろくちゃんと僕は全力疾走でその場から離れる。脇腹が痛くなるし、目はすっかり覚めるし。そして、ろくちゃんが泣いていることに気付いた。


「ろくちゃん、どうしたの?」


「ナエガツクばなれんとよ」


「なえがっつ?」


「ナエガツク、ばい」


 ろくちゃんは、ナエガツクという妖怪の話をしてくれた。ナエガツクは海で溺れた死んだ人を見た人に取り憑く妖怪で、ナエガツクに憑かれた人は、急に腹が減ってなんでも平らげることができるらしい。ナエガツクに憑かれさえすれば、優勝なんて簡単にできるんだって。

 海に行けないことを残念がっていたけれど、そんな簡単に溺れる人が出るわけじゃないし、そもそも夜明け前のこの騒ぎのせいで、大食いコンテストは中止になった。

 情報通の近所の里中さんの話によると、夜中に海に遊びに来ていたカップルが食中毒かなにかで大変だったんだって。波打ち際で遊んでいる隙に、片方が飲み物に毒を入れて、それを飲んで死にかけたみたい。ドラマとかでよく見るようなアレかな。他に好きな人が出来たから邪魔になった、みたいなの。

 そんなことに鎌倉を利用するのは本当にやめてほしい。


 気を取り直して、僕はろくちゃんを僕の地元の友達に紹介した。

 みんなはすぐに仲良くなったから、僕はホッとした。そして夏休みの終わりまではずっとみんなで遊んだ。温泉宿はゲットできなかったけれど、僕らと仲良く遊ぶろくちゃんを見て、かよ叔母さんは嬉しそうだった。


 夏休みの終わりに叔父さんが頭を丸めて土下座しにやってきた。

 かよ叔母さんにもう二度と暴力は振るわないって父さんたちに約束して、かよ叔母さんはこれでもう夏に長袖を着なくてよくなるねってろくちゃんと二人で喜んだんだ。


 そして三人は福岡へ帰っていった。

 

 叔父さんが死んだって話を聞いたのはその一週間後だった。酔っぱらったまま海に入って溺れてしまったのだとか。


 お葬式に行った僕らは、かよ叔母さんが喪服の黒いベールの下、頬に大きな痣を作っているのを見てしまった。叔父さんは約束を一週間も守れなかったんだ。

 そして僕は全てが解ったんだ。でも僕はお兄ちゃんだから、ろくちゃんに付き合うって決めたから、父さんや母さんにもナイショにしていた。あの日、ろくちゃんが山で見つけたあの花のことも全部。


 帰りの新幹線で母さんが父さんにまたヒソヒソ話をしているのを、寝たふりをしていた僕は聞いてしまった。


「でも、ろくちゃんはともかく、かよさんったら随分たくさん食べてたわよね。まさかお腹に赤ちゃんとか……だったら可哀想よね」


 僕は心の中でナエガツクだよ、とつぶやいた。大人ってけっこうモノを知らないんだ。

 

 

 

<終>

ナエガツク

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