Section9『フィオラとカイル、そしてクレア』~時系列『現在』~

「カイル、食事を持ってきたよ」


 カイルがベッドで寝ているとそう言って涼しい顔で入ってきたのはフィオラ・ウィリアムズであった。

 同時にカレー特有のスパイシーな芳香が部屋いっぱいに広がる。

 怪我で体力を消耗している者に、カレーはどうなんだ? と嫌味の一つでも返すべきだろうか。

 しかしカイルは秒ごとにうずく傷跡から呻く返事をするばかりだった。


 傍らにはシャル、と名乗った少女がカイルの手を握っていた。情けない話ではあるが、彼女の手の暖かな感触が今のカイルの心の支えだった。


「ずいぶんとお熱いようだ」


 フィオラはそう言ったカイルの心情を知らずに、口角を上げ嗤う。


「フィオラさん!」と抗議の声を上げるシャル。しかし彼女が嘲りの言葉を口に出した直後、ばつの悪そうに視線を逸らすのを、カイルは見逃さなかった。


 おそらく、彼女は不本意ながらもヴィック・バン側について悪役(ヴィラン)を演じている。彼女にとってはアメリカの再度の浄化などどうでもよく、彼女の行動原理はもう一度、カイルと競い合うことだ。


「けっ、なにがヴィック・バンの狙撃手だよ。下手くそなくせに」憎まれ口をカイルは叩く。彼女をもう一度闘争心へ駆り立てるために。


「この期に及んで負け惜しみ? らしくないね。ドールズの時の偉そうな口ぶりはどこに行った?」そうした想いを知ってか知らずか、……あるいはカイルを負かした結果に酔っているのか、フィオラは愉しそうに言う。


 シャルは先刻から子犬のようにおろおろし、睨み合うカイルとフィオラを交互に見ていた。


「ふん、嫌だったのならおれの頭を狙えば済んだはずだ。そのはずが足に当たるなんてな。おれが逆の立ち場ならヘッドショットしているね、華麗に」シャルがカイルを見る。


「言うだけ言ってる中ごめんけど、あなた自分が負けたということわかってる? いい? あなたは負けたの。その現実をしっかり噛みしめるんだな」シャルはフィオラを見た。


「狙撃は天候、風向き、その他のコンディションによって決まるものだ。おれらより早くこの地を踏みしめていたフィオラがそれを言うのはアンフェアじゃないのかね?」


「い、いい加減……に……」シャルが小さく声を上げる。


「フェアかアンフェアかの話をしてるんじゃないの、私は。あなたも煙幕(スモーク)を焚いて逃げたよね? 私から見ればあれは「戦場で敵兵と出会った時の対処」に思えたけど?」


「いい加減に! しなさぁぁぁい!!」


 シャルが大声を張り上げた。


 カイルもフィオラも目を丸くしてシャルを見る。


「ヘッドショットだとか、スモークだとか、フェアだとかアンフェアだとか、本当になんなの!? 元仲間同士のくせにつまらないことでいつまでも争ってんじゃないよ!! カイル、そしてフィオラさん! あなた達には共通点がある」


 カイルとフィオラが顔を見合わせる。


「『自分の過ちを、認めきれていない』」


 カイルはハッとする。フィオラも同じであろう。


「まるでそう、リ・アメリカ政府とヴィック・バンの関係のようにね。アメリカはいつまでも過去の作戦について肯定しないし、ヴィック・バンも負けじと新たなるテロリズムに走ろうとしている。そんなこんなを繰り返すから、いつまでも争いは収まらないの」


 シャルはそこまで言ってハッと気づき、口をつぐませた。


 しばらくの沈黙。


 そしてシャルは何を思ったのか、座っていたパイプ椅子から立ち上がると、ドアの方に向かった。


「どこに行くんだ?」カイルは狼狽えて発する。


「トイレ。良い? ふたりとも、頭を、冷やしなさい」


 キッと睨みを効かせるとシャルは出ていってしまった。



――855――


 シャル、改めクレアは部屋を出るとふぅと息を吐いた。

 ただのヴィック・バンの雑用係としての自分のはずが、ずいぶん思い切った発言をしてしまったようだ。

 しかし、あのまま行くと本当に二人の口論に歯止めが効かなくなっていく気がして、つい言い放ってしまった。


「あたし、何がしたいんだろう?」


 思わず独りごちる。正直な気持ちだ。


 トイレに向かってとぼとぼ歩いていると何かにぶつかった。


「あっ。ご、ごめんなさ――」言いかけ、前を見る。


 巨大な大男が戦闘服を着込んだ女性と男性を両肩に担ぎ、じっとこちらを見据えていた。


 クレアは思わず「ひっ」と声を出してしまう。


「あぁ、驚かす気はなかったんだ。シャルロット・デンチくん」


 バーンズに自分の偽名を呼ばれ、クレアは後ずさりしてしまう。


 バーンズはそれだけを言うと、戦闘諜報軍の兵士を肩に担いだまま、通り過ぎていった。


 クレアは背後を振り向く。バーンズがカイルのいる病室に歩いていくところだった。


 あのねっとりとこびり付くような低い声……。クレアはそれが恐怖対象のひとつだった。


 バーンズはカリスマと呼ばれているが、あの心にまで入ってくるようなまなざし、タールのようにこびり付く声、様々な経歴を物語る大柄な図体はどうしても好きになれない。

 同じ人間のような感じがしなかったのだ。地球侵略を目論む異星人、という喩えのほうが納得はしやすい。


 そしてそんな男がトップにいる組織に、よりにもよって潜入工作員として潜入している。



 クレアはあまりのストレスに吐き気をもよおし、慌ててトイレに駆け込んだ。

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