Section10『狙撃手としての誇り(後編)』~時系列『現在』『過去』~

 ドールズとしての任務や、ライバルのカイルを追う毎日を繰り返していたある日。

 アメリカにある基地で飼い犬のブルックスがいなくなった。フィオラが出先で夕飯の買い物をしている時にいなくなったらしい。


 フィオラは無我夢中でブルックスを探した。しかしいつもいる散歩コースにはおらず、よく肉のおすそ分けをもらうピザ屋にも、散歩中かならずと言っていいほどマーキングする電柱の周囲にもどこにもいなかった。


 フィオラは泣きたいのをこらえ、ブルックスと呼び続けた。大革命の混乱の中ヴィック・バンの邪教徒に殺されてないことを祈り、何度も名前を呼び続けた。


 夜もふけ、叫び疲れてへとへとになったフィオラは休憩をすこし取ろうと、公園に立ち寄った。


 ベンチに腰を下ろし、頭を抱える。


「おーよしよし、いい子だ」


 ふと声が聞こえて、その方を見た。

 ブルックスがいた。体をよじっておなかを見せ、何者かに体を掻かせている。


 カイル・カーティスだった。

 カイルはいつもの無愛想な顔ではなく、かぎりなく優しい視線でブルックスと戯れていた。


「ブルックス!」


 フィオラは叫んで、愛犬に駆け寄る。ブルックスはいつもフィオラに一喝されたときに見せるような、ビクッと体を跳ね起こす動作をした。


「なんだ、君の犬だったのか」


 カイルはいつもの仏頂面に戻り、フィオラの方を見る。


 フィオラはうん、私の犬と返し、ブルックスの頭を軽く小突いた。


「もう! 勝手にいなくなったらめっ! でしょ」


 ブルックスはくぅーんと小さく鳴き、立っているフィオラの足に自分の体をこすり合わせる。反省しているみたいだ。


「ブルックスっていうの? 愛想が良くてけっこう好きだぜ」


 カイルは微笑み、屈み込んでブルックスの顎を撫でた。


 彼も笑うのか……そうフィオラは感じた。少なくとも自分の中でのカイルの印象は人のやり方にくどくど文句を言ってくるいやみな秀才という認識しかなかったのだ。それに自分が嫌に感じていた奴に、愛犬を褒められるのは少し妙な気分だ。


「もっと小さな犬……テリアとかの方がかわいくない?」


 フィオラは少し考えてそうつぶやくと、カイルは頭を振り、


「いんや、おれは大型犬の方が好きなんだよ。愛嬌があって不器用で可愛らしい」


 そう言ってフィオラと目を合わせ、


「……一応、これでもドッグトレーナーの資格は持ってるんだぜ? おれは」


 知ってる、とフィオラは思い、


「私も持ってるもん」


 と返した。返した途端、顔が熱くなるのを感じる。調教師の資格をとったのは事実であったが、「私も持ってるもん」という言い方が彼に対する対抗意識が丸出しみたいだったようで少し恥ずかしかった。


 そうした思いを知ってか知らずかカイルは短く「そうか」と言いブルックスの頭を撫でた。



 次の日は休日だったので、フィオラは射的場に行き練習をした。

 カイルは案の定、射的場に『偶然居合わせ』フィオラのプレーのダメ出しをする。


 カイルはいつものように小うるさかったが、心なし以前のような嫌味さは感じられなかった。


 まとまりきれない想いが、フィオラの中に渦巻く。カイルのダメ出しは自分の「狙撃」という概念を根っこから否定する行為だ。

 今まで補ってきた基礎、技術、鍛錬、そのすべてを彼は否定した。

 狙撃についての考えや腕はとことんまで相性が悪かったのだ。



 フィオラはカイルの経歴を見たことがある。文書式のその資料には黒く塗りつぶされてある行が多数をしめていた。

 この黒塗りの期間、いったい彼はどうしていたのだろう? どこで狙撃の技術を学んだのだろう?


 フィオラのカイルについての想いは、徐々に疑惑めいたそれへと変わっていく。


 この気持はなんだろう、とフィオラが思った瞬間、過去に読んだある本の中の言葉が脳裏に響き渡った。



『自分が大切にしているものを、簡潔明瞭に言葉に出すことができなければ、それは信念といえない』



 フィオラはそれまでドールズ最高位の称号であった「キング」となることを諦め、いやカイルに譲り、クラーク司令に辞表を提出した。


「あなたが辞めることは我々……戦闘諜報軍にとっておおきな損失よ。でも、あなたはもう戻ることはできない。……それでもいいのね?」


 悲しい目でそういうクラーク司令にフィオラは覚悟の上です、とためらいなく言った。


 司令室を出た後、所属していた同じ部隊の青年、ジョン・ヒビキと鉢合わせした。


「ジョン……」


 フィオラは震える声音でつぶやく。好敵手はいるけれど友達も交際相手もいなかったフィオラに唯一、親身になって接してくれた相手だった。


「ほんとうに、やめるんですか?」


 ジョンがしわがれた声で聞く。


「うん、アメリカの今の状態もああだし、ちょっと居心地が悪くなってね。あとは頼んだよ」

 手短に言うフィオラ。本当はもっと話したかったが、この場にいることが耐えられない。


「なんとかできないんですか。ほら、今からでも辞表を取り下げるとか。なんかあるでしょう、そういうの」

 身振り手振りでジョンは説得する。


「フィオラさんがいないと僕、困りますよ。だってせっかくアメリカも再建の兆しが見え始めてきたのに、あなたがいないと僕は……僕は……」

 ジョンは目に涙をためて早口で言い、やがてその語尾はかなしく、震えていった。


 フィオラは薄く笑い、ジョンの肩を抱き強く抱擁した。


「ジョン」


「なんです?」


 用意していたセリフを言う。


「なるべくクールな判断で隊を導いて。あなたはとてつもない可能性を持っているよ。その気になれば国が動くみたいに」


 用意していた言葉だったが、ほんとうにそう思っていた。自分がいなくなればジョンは隊長に任命されるだろう。

 それはフィオラが精一杯の気持ちを自分なりに言葉に濃縮した、熱い応援エールだった。


 体を離し、エレベータに向かう。


 背後から静かに泣く気配が伝わった。


 エレベータに乗りドアを締め下行する。


 瞬間、フィオラは思いっきり泣いた。





 気がつけば、エルシュ島の崖の手前にいた。

 物思いにふけっていたフィオラは崖下の森を見通す。

 自分の足もとにいたブルックスは目をチラチラ合わせてくる。


 自由行動がしたい、と意思を表明する仕草だった。


「いいよ、ブルックス。行っておいで、ゴー」


 フィオラが許可を出す。

 ブルックスはどっと奔りだし、崖を下っていった。


「怪我しないようにね」


 フィオラが怒鳴ると、「ワンワン!」と元気のいい返事が聞こえた。


 あらためて崖下を見渡す。雨上がりの澄んだ空気がそこにあり、空の彼方では、海鳥たちが群れを作り飛んでいた。

 狙撃の練習をするのには良いコンディションだ。


 フィオラはそう思い、背負っていた強化狙撃銃エネルギー・スナイパーを下ろす。


 わぉぉん、とブルックスの慟哭が聞こえる。


 フィオラは銃についてある二脚バイ・ポッドを立て、狙撃銃を地面に降ろした。

 照準器スコープを覗き込み、片目をつむる。


 フィオラは持ち去ったこの狙撃銃のいかにも試作機……といった感じの骨っぽい外見が気に食わなかった。

 カイルの持つ強化狙撃銃レジェンドはWA2000狙撃銃を意識した豪奢な感じの外見と比べ、こっちは骨とせいぜい最低限の肉をとって付けたかのようなルックスだ。

 しかし機動性は良く、取り回しもいいので持ってきて正解だった、と思う。


 フィオラはスコープを覗き愛犬の動向を伺った。

 ブルックスは色々な木のにおいを嗅ぎ、時々その木に小便をかけた後、開けた道に奔っていった。


 その行く先を、スコープで追う。



 人がふたり歩いていた。


「えっ……」


 フィオラは心臓が跳ね上がる思いだ。なにしろそのふたりはドールズではないか!


 ガラが悪いと噂されていたハーヴ・マークスと、そして……


「カイル……」


 フィオラはかつてのライバルを視認した。



 熱い闘志が自分の体中の血管を滾る。



 アドレナリンが徐々に体を濡らしていった。



 そうだ、今更なにを隠す必要がある? とフィオラは思う。

 自分はヴィック・バンに寝返り、彼を待った。今まで仲間も地位も名誉も捨て、すべてを売却し、今、インドの孤島にいる。


 彼と、対等に殺り合える場所をさがして。


 すべては、この時のためだった。フィオラはスコープでふたりをロックオンした。


 だが、彼の脇にいるハーヴは邪魔だ。退場してもらおう。彼もドールズだ。自分の敵だ。


 わぉぉんと愛犬が慟哭する。



 カイルとハーヴが立ち止まった、今がチャンス!



 フィオラが引き金を絞った瞬間、何を気づいたかカイルがハーヴを伏せさせた。


 狙撃専用弾は軌道に乗り、彼らの隣りにあった木に銃創を空ける。


「ちぃっ……!」


 軽く舌打ちをし、彼らの動向を伺った。


 その後、動きがあったようで木陰からハーヴが出てくる。全速力で奔っていた、あの速さだと仕留めるのは難しい。

 なにより、カイルを逃してしまう危険性も考えられる。


 カイルは木陰に隠れているようだった。



「決着をつけよう、カイル」


 フィオラは口中につぶやき、相手が出てくるのを待った。

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