らじおちゃん
雨上がりになると、いつも出会う匂い。
それは土の中の細菌が、餌となる蟲を誘う匂い。
雨の音は、ラジオのノイズに似ていて、あまり好きではない。
とはいっても本物のラジオではないのだが。
らじおちゃん。
妹はそう呼んでいた。
私には歳の離れた妹がいた。
私が毎晩遅くまで受験勉強に勤しんでいた高三当時、妹はまだ小学生になりたてだった。
妹にとって深夜は当然寝る時間なのだが、時折「眠れないの」と自分の部屋を抜け出してきては私の部屋を訪れた。夜中の勉強なんて半分くらいは深夜ラジオをオンタイムで聴くための建前だった私にとっては、この訪問は別に勉強の邪魔になどならず、いつも笑顔で彼女を受け入れた。
妹はとても良い子で、特に騒ぐでも甘えるでもなく、私のベッドでお気入りのテディベアと遊んでいた。そのテディベアが、らじおちゃんだ。
私が深夜ラジオを聞くのが妹にとっては羨ましかったらしく、自分用のラジオが欲しくてそんな名前をつけたようだった。
深夜ラジオはそれなりに下ネタも多く、妹に聞かれるのはマズイだろうと思った私はイヤホンで聴いていた。
だから始めのうちは気が付かなかった。妹が、らじおちゃんと会話していたことに。普段私がラジオを聞き終える頃には妹はらじおちゃんを抱きしめたまま眠ってしまっていたし。
初めて会話に気付いた夜は、確かトイレに行こうと思ってイヤホンを外したんだと思う。
そして妹が「うん、うん」とらじおちゃんに向かって相槌を打っているのを目撃した。一見すると普通のごっこ遊びなんだけど、なんか様子がおかしい。妹の相槌以外にも何か音が聞こえて……気にはなりつつも膀胱の都合上、何はともあれトイレへと急ぐことを優先し、戻ってきたときにはもう妹は寝てしまっていた。
その晩はそれでおしまい。
その次に妹の訪問があった深夜、私は興味本位でイヤホンを片耳だけ外しておいた。
自分も小さい頃、友人が持っていたボタンを押すとしゃべる人形が羨ましくて、自分のしゃべらない人形にシールのボタンをつけて、しゃべる人形ごっこ遊びをしていたのを思い出したから。妹も同じ血が流れているんだなぁなんて考えながら。
どうやら妹は私と違って、ラジオ側はごっこせず、聴く側だけをやっているようだった。私のときは、しゃべる人形側も自分でやっていたから……なんて分析をしていた私の耳に、その声は届いた。
『アシタ プリン』
男性としか思えない無機質な低い声で、確かにそう聞こえた。
明らかに妹の声ではなかったから、思わず振り向いてしまったほど。
「ね、今、何か言った?」
「ううん。らじおちゃんのらじおきいてたから」
妹じゃない? 私の勘違い? それとも、私にだけ聞こえた?
「……ね、らじおちゃんからはどんなこと聞こえたの?」
「あしたのおやつはぷりんだって」
間違いない。妹にも聞こえてる――でも。
「らじおちゃんと、いつもどんなお話してるの?」
「らじおちゃんはらじおだからおはなししないよ。みぃながきいてるだけ」
設定はブレてない。
「じゃ、じゃあ、いつもどんなこと、聞こえてくるの?」
「あしたのこと」
「明日?」
「よほうなんだって」
天気予報みたいなこと? だけどさっきはプリンって聞こえた。まさか、未来予知みたいな?
当時の私はそのオカルティックな現象に興奮し、恐怖よりも好奇心が勝っていた。
だから妹に、らじおちゃんが『よほう』してくれたときはその内容を教えてくれるようお願いしたし、ときには私自身も一緒に聞いた。
残念ながら録音は必ず失敗したけど、その『よほう』内容を私は毎回スマホに記録した。
ある程度たまったところで友人にも見せたのだけど、その内容をコピーして送ろうとしたらたまたまスマホが壊れたこともあり、それからは紙のノートへの記録に切り替えた。
そのノートには『らじおちゃんのトリセツ』とタイトルをつけ、らじおちゃんが喋りだすタイミングは深夜二時頃に多いとか、らじおちゃんの「あした」はその日のことだとか、らじおちゃんの声が聞こえる前後には雨の音に似たノイズ音が聞こえるとか、スマホで記録すると壊されるとか、そんなことも書いておいた。
『よほう』の内容については、ほとんどが家族にかかわることだった。
おやつや夕飯の内容とか、泣くとか怒るとかケンカするとか遅刻するとか。
友人にはそんなの冷蔵庫の中見て推測できるでしょとか、聞いちゃったから暗示でそうなったんじゃないかとか、正しいかどうかの判定なんてさじ加減でどうにでもなるでしょとか言われたが、冷蔵庫にはなかったものも当てたし、『よほう』の内容はママやパパには内緒にしていたし、遅刻なんかは私も何度も抗ったのに必ずその通りになった。
『よほう』が外れることはなかった。
あの日も、私が遅刻するという『よほう』が出た。
本命大学の入試前日の夜、らじおちゃんが告げたのは、私が試験に大遅刻するということ。
友人をして「らじおちゃんに洗脳されている」と言わしめるほどのらじおちゃん信者だった私は、絶望的な気持ちだった。試験を受ける前からもう受験に失敗した気分になった。
妹の前だというのに私は大声で嘆き、涙した。
「おねえちゃん、なかないで。ばんぐみ、かえるから」
妹は私の頭をいいこいいこすると、らじおちゃんの右手をぐるぐる回し始めた。
「番組? 変える?」
「うん。らじおちゃんのてをまわすと、ばんぐみがかわるの」
妹はらじおちゃんの右手をなおも回し続ける――すると、雨の音にも似たノイズ音が聞こえ、そのノイズの向こうからあの声が響いた。
『リナ シケン マニアウ』
「ほらね」
妹は得意そうな顔で私を見つめる。
絶望的な気持ちは少しは減ったが、不安がなくなったわけではない。私はスマホのアラームを何重にもセットするだけではなく、家中の目覚まし時計を部屋へと持ち込み、早く寝ることにした。
最初のうちは心配で寝付けなかった。焦れば焦るほど目が冴えてくる。こうして眠れないでいるうちに時間が経ち、明日の朝は『よほう』通りに寝坊してしまうんじゃないか、とか。
やがて雨が降り出した。
窓を開けて確認もした。雨の音はらじおちゃんのノイズ音に似ていたから、らじおちゃんがまたネガティヴな『よほう』を言い出すんじゃないかとヤキモキした。らじおちゃんは妹ごと、さっき妹の部屋へ運んだっていうのに。
眉間にシワを寄せながら震えているうちに、多分、眠りに落ちたのだと思う。
翌朝。試験当日。
目が覚めてまず真っ先に時計を見た。
最初の目覚ましをかけていた時間の五分前。でも時計が止まっているかもしれないと、スマホを見て、それでも心配でリビングのテレビまでつけて確認した。
良かった。寝坊じゃない。ちゃんと起きれている。
窓を開けると、夜は雨に洗われていた。雨上がり特有の匂いが、朝の匂いに混ざる。
そこから立て続けに鳴り始める目覚ましやらアラームやらを止めつつ、出かける準備。予定の電車より早いのに乗れるよう、ゆとりを持って家を出た。
これなら三本くらい早いのに乗れるかもと、試験用の腕時計を確認しながら駅についたとき、駅が不自然に賑わっているのに驚いた。
駅構内がやけに混んでいて、「線路内への立ち入り」という構内アナウンス。
改札から逆流してきた人たちや、そこかしこで電話している人たちの声をもとに推察すると「人身事故」があって、「まだ生きてる」から「復旧には時間がかかる」って。
ちょっと! どうして? 試験には間に合うじゃなかったの?
「りなっち!」
背後から聞き慣れた声。
三年間同じクラスのエーコ。修学旅行でも同じ班だったくらい大の仲良し。
「りなっちも私と同じとこ試験でしょ? 今ね、駅まで送ってくれたパパを呼び戻しているとこ。乗換駅まで送ってもらうの。りなっちも一緒にどう?」
「いいの?」
「いいに決まってる! 一緒に合格しようよ!」
「エーコってば女神!」
本当にありがたいことに、エーコとエーコパパのおかげで、私は試験に間に合った。
らじおちゃんはこの人身事故を予知していたのかな。そしてもしも、らじおちゃんの番組を変えなかったら、エーコとは会えなかった、とかなのかな。
人の死を予知したのかもという考えは、今までずっとらじおちゃんを楽観的にとらえていた私の心境に変化をもたらした。
好奇心を恐怖が侵食し始めた。
試験帰り、私は可愛らしい携帯ラジオと、キャラクターもののイヤホンとを買い、妹へのお土産にした。そして、子供でも聞けそうなラジオ番組をたくさん探し、一緒に聞こうよと妹を誘った。
はじめのうちはらじおちゃんに固執していた妹も、「お姉ちゃんとお揃いだよ」というパワーワードで次第にラジオの方を聴くようになった。
らじおちゃんを聴くなとは言えなかったけど、得体のしれないモノから妹を少しだけ引き離すことはできたのかもな――そのときはそんな風に安心しちゃっていた。
本命大学には、エーコと一緒に合格した。
エーコが演劇サークルに興味があるとか言いだして一緒に入部して、それからは大学生活を思いっきり謳歌。
サークルの先輩が大学近くに一人暮らししていて、部屋が少し広かったから「稽古場」と呼ばれていたそこに私もエーコも入り浸った。遅くまで語り、食べ、飲み、オススメ劇団の公演動画を観て、芝居の稽古までしちゃったりして、忙しくも充実した毎日。バイトも始めたおかげで家に帰るのは週に一、二日くらいだった。
そのせいで、妹が四月の半ばから不登校になっていたのを知ったのは、
久々の家族揃っての食事のとき、もうそろそろ梅雨入りかもねって話題になって、何気なく「去年お気に入りだった長靴、もう小ちゃくなったんじゃない?」なんて言ったら、家族の反応がちょっと微妙で。
バイト代で新しい長靴を買ってあげるつもりだったのに、変な空気になってしまった。
そして食事のあと、妹がもうずいぶんと学校には行けていないことを知らされた。そしてその理由を両親には決して話してくれないことも。
その夜は私の方から、妹の部屋に行った。
部屋に入るなり背筋がぞくりとしたから、私の部屋に来るかと尋ねてみた。妹は喜んでついてきた――らじおちゃんを抱っこしたまま。
「学校で何かいやなことあったの?」
私はベッドに腰掛け、妹を膝の上に抱きかかえてから、あえてストレートに尋ねてみた。
初めはモゴモゴと言い淀んでいた妹だったが、やがて重たい口を開いた。
「らじおちゃんのことね、みんなはうそだっていうの」
なんとなくそれ関連だろうなと予想していた通りだったので、一応用意しておいた説得内容を伝えてみた。
皆が本当に嘘つきだと思っているのではなく、実際に自分で見たり聞いたりしないと信じるこができない人がたくさんいること。実際に聞いてもらうにしても、テディベアは小学校へは持っていけないものだし、持っていけたとしても『よほう』が聞けるのは真夜中だから、やっぱり難しいこと。だから、学校で証拠を見せられないものは、言わずに黙っているのが良いかもって。
私がらじおちゃんの『よほう』を書き留めていた頃、私と友人たちとの会話をたまたま聞いた男子が私のことをからかったことなんかも伝えて、「そんなとこもお姉ちゃんとお揃いだね」って言った。
妹はなんとなく納得してくれたようだった。
そのとき、あの、雨が降る音に似たノイズ音がらじおちゃんから聞こえた。
『ミイナ アシタ イジメラレル』
なんてこと言い出すんだこいつはと、私はらじおちゃんの頭を鷲掴みにした。壁に投げつけるつもりだった。しかし、妹はらじおちゃんをぎゅっと抱きしめた。
「ひどいことしちゃだめ! おねえちゃんだって、よほう、かえてもらったじゃない!」
入試の朝のことが脳裏を
そうだ。らじおちゃんが悪いわけじゃない。らじおちゃんは予報しただけ。悪いのは、妹をいじめるクラスメイト――どす黒い感情が自分の中に湧きかけていることに気付き、自分の頬を両手で
「らじおちゃんの、ばんぐみかえる」
妹はらじおちゃんの、手をぐるぐると回し始めた。
『ミイナ アシタ イジメラレル』
妹はめげずに回し始める。
『ミイナ アシタ イジメラレル』
まだ回し続けている。
『ミイナ アシタ イジメラレル』
諦めずに……横で聞いている私の方がしんどくなっているっていうのに。
『ミイナ アシタ イジメラレナイ』
変わった!
妹はぐったりと私の腕の中にもたれかかる。
私は妹をらじおちゃんごと抱きしめたまま、その夜は一緒に眠った。
翌朝、大学の講義は3コマからだから朝寝坊できるんだけど、ちゃんと早起きして妹と一緒に家を出た。集団登校の待ち合わせ場所についても、全員が揃うまでは妹の手を握っていた。
それを見ていた妹の一個上のゆいちゃんが、私の代わりに妹と手をつなぐ。妹はちょっと安心して、私に手を振った。
微笑ましい光景。
なのに不安が、台風のときの川の水位みたいにどうしようもなく増えてゆく。
私はそれを表情に出さないように必死に笑顔を浮かべる。演劇やっていなかったらとてもじゃないけど笑顔を作れなかったと思う。だってね、妹の影が、他の人に比べて明らかに薄くなっていたから。
その日は体調悪いことにしてサークルもバイトも休み、講義が終わってからまっすぐに帰宅した。
妹はもう帰っていた。
無事に帰っていてくれた。それだけでもう嬉しかった。
ちょっと疲れた様子の妹を、彼女の希望で私の部屋のベッドで寝かせてからリビングに戻ると、ママがとんでもないことを言いだした。
今朝、登校中の児童の列に居眠り運転の車が突っ込んで、妹のクラスメイトの男子三人が病院に運ばれたって。慌ててニュースサイトを確認すると、一名死亡二名重体と書かれたニュースを見つけた。
昨晩聞いたらじおちゃんの『イジメラレナイ』が耳の奥でこだまする。
違うよね。きっと偶然だよね。自分にそう言い聞かせつつも、昨晩、自分の中に一瞬でも湧いたあのどす黒い感情のことを思い出し、私はトイレで吐いた。
私も妹も夕飯は食べず、私のベッドで二人一緒に横たわる。
妹の頭を撫でながら、私はいつしか眠りについた。
ふと耳から入ってきた音に、背筋に
『ミイナ アシタ コワガラレル』
飛び起きた。あたりは真っ暗。
スマホのバックライトで照らすと、妹が起きていて、何度も何度もらじおちゃんの腕を回していた。
『ミイナ アシタ コワガラレル』
寝起きだったからか私が状況が飲み込めるまでに、妹はさらに何度か『ばんぐみ』を変えている。
『ミイナ アシタ コワガラレル』
「みいな、ちょ、ちょっと待って」
私は妹を抱きしめる。
「おねえちゃん、なんどばんぐみをかえても、こわがられるの」
妹は泣きながら、なおも腕を回し続ける。
『ミイナ アシタ コワガラレル』
「やめて!」
妹の手を押さえながらもっと強く抱きしめる。
朝の、あの薄くなった妹の影が、らじおちゃんの『ばんぐみ』を変え過ぎたことと関係があるような気がしてならなくて。
そんな目に遭うくらいなら、学校になんか行かなくていい。
「ね、明日はおねえちゃんと一緒にいよう。楽しいことして遊ぼう」
「……うん」
妹は力なく答えたあと、ぐったりと倒れ込んだ。
枕のある位置まで動かそうと触れたとき、妹の頭が異常に熱を持っていることに気付いた私は両親を起こし、救急車を呼んだ。
病院では、妹の熱や衰弱の原因はわからないと言われた。もっと細かい検査をするためにと大きな病院へと移り、入院することになった。
妹の小さな腕に刺された点滴の管が痛々しかった。
「おねえちゃん」
「なぁに?」
「らじおちゃん、もってきて」
それに「うん」と答えるわけにはいかない。妹が弱った理由は明らかにらじおちゃんだと思うから。
「病院はね、他の人の迷惑になるから音が出るものは持ってきちゃダメなのよ。お姉ちゃんとお揃いのラジオならイヤホンさせるけど、らじおちゃんにはイヤホンさせないでしょ? 代わりにお姉ちゃんが聞いてきてあげるから」
「……わかった。じゃあ、みぃながあした、しなないかきいてきて」
絶句して、すぐには返事できなかった。
なんとか笑顔を作り、「わかった」と答えた。
帰り道も、その後自分の部屋に戻ってからも、私の中には後悔ばかり。妹がこんなにもらじおちゃんにハマった原因の一部を、私は確実に担っている。
それでも無情に時は過ぎ、その時間がやってきた。らじおちゃんが『よほう』を流す時間が。
『ミイナ アシタ シヌ』
無機質ならじおちゃんの声が、無情に告げる。
私はらじおちゃんの腕をぐるぐると回す。
『ミイナ アシタ シヌ』
また回す。『ばんぐみ』を変えることで、私自身の命が削られているのだろうなと思いつつも、恐怖より怒りが勝っていた。
妹は死なせないという強い想い。
『ミイナ アシタ シヌ』
その後、おそらく十回ぐらいは回し続けたと思う。
『ミイナ アシタ シナナイ』
ようやくらじおちゃんの『よほう』内容が変化したのを確認して、私は布団へと倒れ込んだ。
酷い頭痛。きっと熱も出ている。こんなツライことを我慢しながら妹はあの日、私の試験なんかのために『ばんぐみ』を変えた。妹がこんな目に遭うくらいなら、試験に遅刻したって構わなかった。
何が『よほう』よ。こんなの脅迫じゃない――怒りの矛先は、らじおちゃんだけじゃなく、自分自身にも向いていた。痛みと怒りと後悔とどうしようもない悲しみの中、私は翌朝を迎えた。
朝一番に病院へと行き、妹に一番最後の『よほう』だけを伝えた。
ホッとした表情になった妹を私は抱きしめる。
「おねえちゃん、ありがとう」
「うんうん。ほら、お揃いのほうのラジオとイヤホン、持ってきたよ。これを聴いてね」
「おねえちゃん、こんやもよほう、きいてきて」
精一杯の笑顔が引きつりそうになるのを必死にこらえながら、「だいじょうぶだよ」と答えた。
何の根拠もない言葉。このままじゃいけないのはわかっている。
ママと入れ替わりに病院を出た私は、お祓いをしてくれる場所を探しながら帰宅してらじおちゃんを持ち出し、信頼できそうな所へと持っていった。
なのに。
「特に何か悪いモノが憑いている感じはしませんね」
念のためのお祓いとかでお金だけ取られた感じ。
不安だったのでもう一軒行ってみたけれど、金銭こそ要求されなかったものの対応は同じ。じゃあなんで夜中になるとしゃべったりするの?
別に私自身に憑いているってわけでもなさそうだったし――となると、あとは妹?
さすがに、妹の入院しているところまで連れて行ってお祓いというのは無理だよね。もしかしたら妹には超能力とかがあって、自己暗示をかけていたりする?
だとしたら、昨晩の出来事は……妹が遠隔で喋らせた? そんなことってある?
リュックの中のらじおちゃんを眺める。普通のテディベアにしか見えない。時間的に三軒目のお祓いは無理だったので、心身ともに疲れ果てたまま帰宅した。
ただここで、うなだれてなんていられない。
箱を幾つか探し、らじおちゃんをその中へとしまう。らじおちゃんイン箱イン箱イン包み紙。妹の部屋の真ん中に置き、冬用の毛布で包む。音漏れ防止のため。
私がらじおちゃんの声を聞かなければ、「昨日は何も聞こえなかったよ」と妹に伝えてもウソにはならない。
お揃いラジオをあげた直後みたいにらじおちゃんから意識が逸れれば、そのうち妹はらじおちゃんのことも忘れてくれるかもしれない。お祓いが効果なさげな現状で一番有効そうな手段。
入試直後の「もうこれ以上私にできることは何もない」テンションで、夜を迎えた。
真夜中に目が覚めた。
スマホを確認すると深夜一時五十分。普段ならそろそろらじおちゃんが『よほう』する時間帯。
でも今はらじおちゃんはここには居ないし――そのときだった。
音が聞こえた。
雨の音――いや、わかっている。それが雨の音じゃないって。らじおちゃんから聞こえるあのノイズの音だって。
手元にないのに?
それでもまだ現実に向き合いたくなくて、違うこれは現実じゃない――頭の中がグチャグチャになりながら窓を開ける。
虫の音が聞こえて、それ以外には何も聞こえない。雨の音は、部屋の中から。
部屋中の電気を全て点けて、音のありかを探す。
見つからない。部屋の中全体に共鳴しているような……この部屋なの?
『ミイナ アシタ シヌ』
無常に響く無機質な声。
私は慌てて妹の部屋へ走り、毛布と包み紙と箱を全部開けてらじおちゃんの手を回した。お願いだから妹を助けてと祈りながら。
だけどダメだった。
雨音に似たノイズがいつの間にか聞こえなくなった中、それでもらじおちゃんの『ばんぐみ』を変えようと腕をぐるぐる回している私の耳に届いたのは、廊下に響く電話の呼び出し音だけ。電話は病院からだった。
家族みんなで病院へと向かった。もちろんらじおちゃんも持って。
妹の意識は既に無く会話もできぬまま。危険な状態は朝まで続き、そして『よほう』の通りになってしまった。
あれから数年が経った。
妹の部屋はあの日のまま。ただ一つ違うことは、らじおちゃんは私の部屋にある。とはいえこの子はもうしゃべらない。『よほう』もしない。
ただ雨の夜には、夜更け過ぎになると、雨音が部屋の中にまで忍び込んでくる。正確には、雨の音に似たあのノイズが。
すると、どこからともなく声が、部屋の中に響く。らじおちゃんの無機質な声とは違う、妹にそっくりな声が。
『おねえちゃん、だいすき』
「私も、大好きだよ」
一応、言葉ではそう返す――返しながらも、心の中では、それが本当に妹の声なのか、疑っている自分もいる。
『おねえちゃん、らじおちゃんのうでをとりつけて』
実はらじおちゃんの腕は糸を切り、外してある。
『おねえちゃん、らじおちゃんのうでをまわして』
それが本当に妹の言葉なのか、本当に妹の願いなのか、私にはまだ判別できないでいる。
もしもその言葉が、まさしく妹の願いなのだとしたら……私は抗わないかもしれない。
雨の夜になると、いつも出会う音。
それは闇の中の死霊が、餌となる生者を誘う音。
<終>
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