かしこい猫

「うちのシマにゃん、チョー可愛いのにチョー賢いんすよ。ドア、自分で開けられるんすよ?」


 この頭悪そうに喋るマスダは、チャラくてクドイけどいいヤツだ。だから毎日、30分おきぐらいに繰り返される猫自慢を俺は、流し聞きではあるが遮らずにいる。まあ実際、猫は可愛いし賢いし、渋滞でイライラするよりかは猫自慢でもいいから気が紛れるほうがいい……ところで猫自慢って日本酒の銘柄みたいだよな。世の中には猫好きさん多いし、もしかした本当にあるかも。後で検索してみよう。


「先輩、マジあったっすよ」


 マジか。猫自慢本当にあるのか。しかも予想外のワインかよ……じゃなくて。おいおいマスダ、まだ仕事中だからな。ここは先輩としていったん説教しておくべきか……と、コンビニの駐車場に車を停めて、マスダに説教……していたはずが、なぜか今度マスダの家に遊びに行くことになってしまった。しょうがないよな、猫は可愛いからさ。

 で、今日がその日。サシで遊びに行くほどマスダと距離詰めるつもりないんだが……仕方ないよな、シマにゃん可愛いし。おおっ! これが生シマにゃんか。グレイのアメショ。確かに可愛い。シマにゃんのシマは縞々のシマか。安直な。でも可愛い。ズルいくらい可愛い。


「シマにゃーん」


 うおっ! 名前を呼ぶと近寄ってくる。人に慣れてんな。始めて会うってのに全く怖がらない。しかも名前呼ぶと、この首かしげるの、あざとすぎるだろ。

 シマにゃんは、お気に入りだという空色のソファーに飛び乗り、こちらをちょっと見る。え、これって隣に座りなさいって命令?


「シーマーにゃーん」


 シマにゃんの隣に座ると、また首をかしげる。うおおおおおっ! ズルい! ヤバい!


「あー、ちゅーるあと一個なのに買ってくるの忘れるとか、オレほんと不注意っすわ! ちょっと買ってきます!」


 マスダ、お前、仕事以外では自分の不注意に気付けるのな……。

 シマにゃんはソファーから降りる。だが、慌ただしく出て行くマスダを特に気にするでもなく、マイペースに部屋の中を歩き回っている。それを見つめる俺。ああいいなぁ。そしてベランダサッシの前でピタリと止まるシマにゃん。ベランダに出たいのかな。そういやベランダお気に入りって言ってたな。時々遊びに来るスズメさんが大好きだとも。あ、首をかしげた。開けろってことか?

 すっかりシマにゃんの奴隷になりかけていた俺は、ソファーからスッと腰を上げ……そのまま下ろした。サッシが開いたからだ。

 んんん?

 そういやマスダが言ってたな。シマにゃんはドアを自分で開けられるって……いやいやいや、今のはそういうのじゃないだろ。だってカチャリって音が聞こえたぞ?

 聞こえた音は、サッシの鍵を開ける音。間違いない。だって鍵が動くの、俺はこの目で見たから。そして鍵が動いた時も、そのあとサッシが開いたときも、シマにゃんはずっと同じ場所にちょこんとしゃがんでいた……全く動かずに……どういうこと?

 というか今、シマにゃんがベランダに出たあと、網戸が自動的に閉まらなかった? え、自動で? カーテンを自動で開ける器具を、カーテンレールに後付けできるってのは聞いたことあるけど、鍵開けたりサッシ開けたり……センサー? でもここ、そこまでハイテク完備なアパートじゃないよな?

 シマにゃんがベランダで自分のしっぽを追いかけているというのに、俺は気分が全くアガらない。あ、シマにゃん、立ち止まってしゃがんだ……こっちを見て、首をかしげて……うん。網戸開いたね。自動ドアみたいに開いたね。シマにゃんが部屋に戻ってきて、網戸がまた閉まる。ちょっと待って。状況に理解が追い付かない……まさか、超能力猫?


「にゃぁ」


 シマにゃんはいつの間にか俺のすぐ目の前に居た。何かを訴えている? 君、もしかして俺の考えを読んでいる? と、エスパー妄想を膨らませかけた途端、その妄想はあっという間に萎んだ。

 ギシッ。

 そう、この音と共に。この音のあと、なぜか空色ソファーの、俺のすぐ隣……誰も座っていないはずの場所が、ほんのり凹んでいるというか沈んでいるというか。透明人間でもそこに居るかのように……いや、居ない。シマにゃんがそこに飛び乗ったけれど、別にその見えない誰かの上に乗るわけでもなく、普通にソファーの上に座っているからだ。

 ぴちゃぴちゃぴちゃ。

 うわ、シマにゃん……いつの間にちゅーる開けたの? 猫の手では開けられないよね?

 すぐ横でシマにゃんをじっと凝視している俺にはまったく構わず、ちゅーるをすっかり堪能したシマにゃんは満足したのか、ソファーの上にころんと寝そべった。

 今度はシマにゃんの背中がリズミカルに揺れ始める。草原に吹く風が、草むらに波紋模様を描くように、シマにゃんの背中は見えない何かに何度も撫でられている……としか思えない。


「おまたせーい!」


 マスダが帰ってきたようだ。


「おっ、先輩、やっぱり最後のちゅーる、我慢できずにシマにゃんにあげちゃいましたねー? でも安心ヒュー! 新しいの買ってきたっすYO!」


「あは」


 野太いおっさんの笑い声が俺のすぐ隣から聞こえた。ついうっかり振り向いてしまったが、気持ちよさそうに眠るシマにゃん以外、誰も居ないのは相変わらず……ん? マスダ、気付いてないのか? 今の声、マスダには聞こえてないのか?


「聞こえないんだよ」


「わっ!」


「な、なんすか先輩。シマにゃん寝ちゃってるから静かにしてくださいよ」


 ええええええええ。マスダお前……。


「トイレの砂取り換えて、とか、ちゅーる減ってきてるよ、とか、ちゃんと教えてあげてるのに」


 俺は聞こえないフリを貫き、用事を思い出して無理やりマスダの家を後にした。

 帰り際、野太いおっさんの優しい声で「また来てくださいよぉ」ってのが俺の耳に入ってこようとしたけれど、気合で入ってこなかったことにした。


 マスダはその後もシマにゃん自慢を続けているが、特に体調を崩すでもなくいたって元気なまま。ちょっと元気過ぎるくらい。俺の身の回りにも特に怪現象は起きてないし、いたって平和。マスダが突然やつれたり倒れたりしない限りは、あのおっさんのことは伝えないつもり。だって、悪い人じゃなさそうだし。

 ただまあなんとなく、マスダの「また遊びに来てくださいよぉ」だけはお断りし続けている。




<終>

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