第6話 生きる道はふたつにひとつ、あなたにひとつ
「メイシィの治療薬も『離別薬』ってどういうことなんだよ!?」
それから数時間後、すっかり暗くなった空を照らすような光を灯した執務室。
ローレンス様の言葉に、大きな反応をしたのはセロエ様だった。
「そのままの意味だ。今身体に入っている仮の魂をもう一度引き剥がすんだ」
「引き剥がすって……じゃあメイシィの魂はどうやって入れるんだ?」
「メイシィ自身の血を入れて飲ませる」
「血って……誰かがイメージする人格の魂を入れ込むっていう仕組みだから自分自身のイメージを使えば確実かもしれないけれど……」
次に反応を示したのはサーシャ様だった。
侯爵夫妻は子供たちのやり取りを見守るつもりらしく、何かを話す気配はない。
「今回は本物の魂を入れなければいけないのよ。成功するかしら?」
「確かに仮の魂の状態でメイシィが本来の自分をイメージできるとは思えない。これは他の魂に横入りされないためのダミーだ。
確実に魂を身体に戻すためもうひとつ工夫をしてみようと思っている。
クリード殿下、ぜひ殿下と妖精の力をお借りしたい」
「私かい?」
部屋中の視線が末席に座るクリード殿下に向けられた。
今回ばかりは上席には座れないと固辞していらっしゃったときと同じ、困惑したような恐縮したような表情をして、首を振られる。
「今更のことを言うが、私は妖精使いではないから妖精を操ることはできない。感情が妖精に作用するが、演技は通用しないから本気で私が想わなければ意味がない。
やろうとしても上手くいく保証はない……すまない」
「いいや、殿下はひとつだけ自分の意思で使える力があるはずです」
「そんなものは……」
「『祈り』です」
「……!」
「ナタリーの願いを叶えるべくメイシィとレヴェラント辺境伯家に滞在したあなたは、彼女の息子である小竜に願いを込めたそうですね」
「ああ、その結果、風の妖精の加護を得て屋敷中が大騒ぎになったよ」
いつかメイシィに聞いた話を思い出す。
屋敷中がめちゃくちゃになって廃墟同然になったものの、風を掴む技術に重きを置く竜人族において、風の妖精の加護は神の子も同然。
リアム王太子がお傍にいらしたこともあって、レヴェラント領だけでなく王都で大きな話題になったのだとか。
「メイシィに薬を飲ませた時、クリード殿下にはお傍でメイシィの魂が戻るよう『祈って』いただきたいのです」
「私が……?」
身体の中にある魂の扉が開いたとき、クリード殿下の『祈り』が妖精を動かし魂を元の場所に導く。
これが私たちが決めた作戦だ。
一発勝負だ。
失敗したら魂のない身体だけが取り残され、衰弱し、死まであっという間だろう。
「……」
「本意ではなかったとはいえ、メイシィの魂を分離させたのはあなたです、クリード殿下。
少しでも『このままが良い』と思うならきっと成功しないでしょう。
どうか、どうかこの願いを聞き入れていただきたい」
ローレンス様はそう言うと、深く深く頭を下げた。
「友として改めて頼みたい。俺にとってメリアーシェは、命より大切な妹なんだ。クリード、どうか頼む、この通りだ」
「……ローレンス」
「代わりの望むものなら何でも差し出そう。爵位を継がず別の役目を与えたければ喜んで捨てよう。手足がほしければいくらでも使われよう。だから」
「ローレンス!落ち着け、自分が何をいってるのかわかってるのか?」
「……答えは薬ができたときに聞こう。
……それまでどうかご検討を」
「……わかった、考えよう。心の整理をさせてほしい」
頭を上げないローレンス様に、隣に座っていたサーシャ様がなだめるように背中をさすった。
困惑しているのはクリード殿下だけ。ユーファステア侯爵家の方々は驚く素振りすらなく、無表情で目線を逸らしている。
ローレンス様のご様子は異様だ。必死すぎるお姿に、理解できる道理があるのだろう。
結果的にローレンス様の案を否定する方がいらっしゃることはなく、『離別薬』とメイシィの血を用い、クリード殿下の『祈り』を使って解毒の準備を進めることになった。
解散後、クリード殿下はひとことも言葉を発することなく、寝室へお戻りになった。
――――――――――――――――
その日の深夜。
私はいつも通りメイシィが眠っているか確認するため、こっそりと部屋を訪れていた。
まれに悪夢を見ているのか苦しむことがあるので、落ち着くために白湯を控えるようにしている。
そのポットに保温魔法をかけなおすついでなのだけれど。
扉を開くと、今日はベッドを覆う布越しに明かりが灯っていた。
「メイシィ?」
「……ん?クレア?」
近寄って布をずらしてみれば、本を読んでいるメイシィがいた。
「こんな時間に読書?早く寝たら?」
「うーん、前に読んでた本を覗いてみたら、小難しくて夢中になっちゃった」
「また明日読めるわよ。白湯、いる?」
「もらおうかな」
保温魔法はまだ効いていた。カップに白湯を注いで渡せば、メイシィは両手で受け取って口に運ぶ。
魔法をかけなおし終えたころにはもう飲み終えていた。
「ありがとう」
「いいのよ。早く寝なさい」
「ねえ……クレア」
「え?」
メイシィが私の名前を呼んだ。驚いて素の返事をしてしまう。
仮の魂の特徴なのか、普段は自発的に発言をしない。
その彼女が確かに私の名前を呼んだ。
冷静さを取り繕いながら返事をすれば、メイシィは空になったカップを見たまま小さな声を発する。
「ローレンスお兄さまのご様子はどう?」
「ローレンス様?ええと、特にいつも通りだけれど」
「昼間、会いに来てくださったのだけれど、ちょっと隈があったの」
「隈?」
「うん、隈」
彼女はそう言うと、空のカップを私に差し出しながら言葉を続ける。
いつもよりずっと弱く、きっと幼少期の病床の彼女はこんなにしおらしかったんだろうか、と思う声で。
「ローレンスお兄さまは、昔から、疲れた時には必ずわたしのところへ顔を見に来ていた。きっと、今日も無意識にいらっしゃったんじゃないかって思うの」
「そう……なの」
「ごめんねクレア、良ければ執務室に明かりが灯っていないか確認してくれない?わたしはちゃんと寝るから、こっちは気にしなくていいから」
「……わかったわ。今から行ってくる」
「遅くにごめんね、ありがとう、クレア」
彼女は確かにメイシィだ。私の知らない過去の話があったとしても、私の中の彼女は何も変わらない。
けれど、もっと気の置けない会話がしたいわね。
戻り際、部屋の角を見上げたけれど、何も目に入ることはなかった。
――――――――――――――――
夜警の兵士しかいない静かな廊下を歩き、私は執務室の灯に気がついた。
メイシィの予想通りだった。まだローレンス様が中にいらっしゃるらしい。
試しに扉をノックしてみても返事がない。
知らない仲ではないし、いざというときはメイシィを盾にしてしまおう。
うんそうしよう。
勝手に扉を開けてみれば、机の上に頭を預けてぐっすり眠っているローレンス様がいらっしゃった。
「ローレンス様、起きてください。
……起きないわ、せめて眼鏡は取ってほしかったわね」
顔面から机に突っ伏して痛くないのかしら。
そんなことすら気にしないほどお疲れなのかしら。きっとそうね。
とはいえ、体勢が悪いしじきに目覚めるでしょう。
とびきり濃い紅茶を用意しておこうかしら。
……あら?
なんとなくローレンス様の周りの書類を見てみれば、ユーファステア侯爵家のみなさまとミカルガ様の名前がひとりずつ書かれた紙束が散らかっているのに気がついた。
ナタリー様の名前の紙には『ドラゴンのウロコ、硬くもなく柔らかくもないちょうどよいもの』と言う言葉の下に、箇条書きで羅列されている。
『離別薬のレシピ』と書かれた紙と照らし合わせれば、別の色で素材ごとに名前が書き加えられていた。
ひとりひとりの素材取集リストを作成されていたらしい。今は力尽きたのね。
……このくらいなら私でもできそう。
起こさないように手元から紙束を引き抜いて、私は触ったこともない高級な羽ペンとインクを手に取った。
「……んん……?」
「お目覚めですか?ローレンス様」
「……ん!?」
やがてうめき声が聞こえたと思うと、ローレンス様は勢いよく起き上がった。
いつの間にか眠ってしまって驚いたのだろう。きょろきょろと辺りを見回して、私を見つける。
「眠っていらっしゃいました。お疲れのご様子ですね」
「そう……だったのか……すまない。明かりに気がついて来てくれたのだろう?」
「はい」
「すまない。もうすこし書類をまとめたら休むとしよう」
「それなら……眠気覚ましに紅茶はいかがでしょうか?」
「ああ……いただこう」
深夜の静かな時間帯。
少し冷たい空気に似つかわしくない濃い紅茶の匂いが、あっというまに執務室を覆っていく。
さっさと用意してお渡しすれば、ローレンス様はひとくち飲みこむとほっと息を吐いた。
「お疲れなら無理せずお休みください、ローレンス様」
「いや……ようやく薬の材料がすべて決まったんだ、皆で分担して手配を依頼しなければ」
「こちらですか?」
「ああ、それ……ん?もう終わっている?この字は誰だ?」
「私です」
「君が!?」
少しだけ音を立てておかれたティーカップの湯気は立ち上ったまま。
ローレンス様は慌てるように紙束を眺めていらっしゃった。
ちょうど先ほど書き写し終わったばかりだ。間に合ってよかった。
「噂では聞いていたが……君は高い能力を持っているな」
「いえ、自分なりに考え実践しただけでございます」
「材料の名前だけでなく採集できる場所や量、取扱いついて注意書きまで記載されている。我々のような素人相手には充分な情報だ」
「ご活用いただけそうでしょうか?」
「もちろんだ!クレア、本当に感謝する」
「いえ、私にできることは……これだけでございますから」
「クレア……」
ローレンス様は輝いていた瞳を落ち着かせると、何か考えを巡らすように視線を斜め下へ落した。
私のような階級の人間には高い視座を持つ者の考えはわからない。
やがて目線を私に戻すと、失礼した、とつぶやいた。
「俺に何か用事があったのだろうか」
「いえ、メイシィに様子を見るよう頼まれたのです。無理しているに違いないからと」
「メイシィが?……はは、ははは……」
突然笑い出した姿に私は疑問符を浮かべて兎の耳を揺らした。
やっぱり心も身体も限界なのではないかしら、様子がおかしすぎて私では収拾がつかないわ。
とはいえみなさま眠ってらっしゃるだろうし、どうしよう。
「懐かしいな。俺はいつも心身が疲れ切ったときは彼女に会いに行っていた。
なあクレア、少し俺の話に付き合ってくれないか」
「はい、ぜひ」
即答した私の言葉に、ローレンス様はもう一度笑い声をあげた。
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