第3話 決意は妖精を遣い惑わす
ユーファステア侯爵家の皆様と私の共同調査が始まった。
過去に同じような薬の記録がないか、解毒薬の調合方法はないのか、それぞれ担当して調査にあたっていらっしゃる。
私はというと、変わらずクリード殿下とメイシィのお世話をしつつ、様子に変化がないか探って報告するという役目をいただいた。
案外、クリード殿下はこの調査について関わるそぶりはなかった。
陛下に止められているのかと思っていたけれど、この方にとってメイシィに薬を盛ったことは薬効より意思表示の意味合いが強かったらしい。
『毎日、メイシィが眠るまで寄り添い、朝は顔を眺めながら彼女が目覚めるのを待つ。
誰にも脅かされることなく、小さくて暖かい心休まる日々がほしかっただけ』
そう言われて、何も言い返せなかったの。
と、カロリーナ妃殿下がおっしゃっていた。
実際、私とローレンス様が予想した通りの流れが起きている。
妃殿下は今回の状況を踏まえ、父サイラル様へメイシィをユーファステア侯爵家へ戻ることを交渉し始めているらしい。
この国における『
書類上は戸籍を分けるのではなく、新しく作る。
つまり、『別人』になると言って良いだろう。
一般国民階級の別人だから、貴族階級限定の税金の免除や法で取り決められた保護は受けられず、もちろん支援も受けられない。
更に言えば、元の家に戻るような移籍を受理されるのは限りなく不可能に近い。
それを、妃殿下は権力を使い実現しようとしている。
長い時間を書けて作り上げてきた、『薬師のメイシィ』を犠牲に。
解毒を優先しているため早々にまとまることはなさそうだけれど、油断は禁物だ。
なにせ、彼らには『婚姻を反対する人間がいない』から、戸籍問題以外に障害がない。
私たちはメイシィの本当の意思を確かめたいだけで、近い未来を先送りしているようなものなのだから。
「……その顔は、成果なしって表情だな、セロエ」
「うっ」
ユーファステア侯爵家の人々は王城に滞在しながらあちこち走り回っていらっしゃった。
隔日夕方にローレンス様の執務室に集まり、ああでもないこうでもないと話し合いが行われる。
「もう1週間も経ってるのに悪ぃ。あの薬のレシピ、国の禁書庫にあったらしいけど作り方があまりに難解で実例が全然見つからねぇ」
「ミカルガや他の薬師たちにも協力してもらって既存の解毒薬から応用できないか調べているのだけれど、こちらも収穫なしだわ」
セロエ様とサーシャ様が口々に悔しそうな表情をして報告される。
ナタリー様やローレンス様も首を振ってサイラル様を見つめていた。
「そもそもメイシィが飲んだあの薬、効能って何なのかしらね」
「飲ませた人間の精神を局所的に操ることができる、じゃないのか?」
ローレンス様の言葉に、ナタリー様は首を振った。
「もっと論理的な効能っていうのかしら。あの薬に人の血……つまり体液が必要だった理由とか、精神を操る構造の話よ~」
「ふむ……構造がわかればそれに対応した解毒薬を作れるかもしれないな」
「これだけ調べて情報がない以上、薬自体の実態解明に力を入れるのも手かもしれないわ。
といっても、ミカルガ曰く素材から効能の推測はかなり難しいらしいけれど……。あまりに使った素材の種類が多すぎて、レシピの考案者の頭の構造すらまったくわからないって」
サーシャ様の意見に全員が同意を示す。
そのことなんだけれど、とナタリー様はまた口を開いて、ローレンス様を見た。
「熟練の魔法薬師すら推測できない効能なんて、もはや魔法の領域よ」
「魔術の痕跡はねーけど?」
「比喩よ。ねえローレンス、サフィアン様にメイシィを見てもらえたりしないかしら?」
「サフィアン様だって!?」
サフィアン様は現代における唯一の精霊遣いであり、カーン陛下の母君にあたる方。
妖精遣いによくある特徴である長寿の影響で、人間離れしたかなりの高齢。
今は離れでゆっくりとした余生を過ごされている。
以前メイシィは花の妖精に好かれたことがきっかけで、お会いしたことがあった。
「もしやナタリー姉さん、妖精の気配を感じ取ったのか?」
「ううん。そういうことじゃないんだけれど~。
こういう魔法でもない不思議な現象って、だいたい妖精が関わってたりするじゃない?」
「……ナタリー
「こういうのは勘ってやつよ、うんうん」
「うーん、ナタリーってこういう勘は鋭いから……ローレンス、お願いできる?」
「サーシャ姉上まで……わかった、聞いてみよう」
その日はこのまま会議は終了となり、また2日後。
全員が集まるなり、ローレンス様が動揺した手つきで眼鏡を拭きながら報告をした。
翌日、サフィアン様が急遽いらっしゃることになったと。
―――――――――――――――――――
「ようやく呼んでくれましたね」
数か月ぶりに王族の居住エリアへいらっしゃった妖精使い、サフィアン様は朗らかな雰囲気をまとってそうおっしゃった。
ここはメイシィがいる隣のお部屋。
ゆったりとした水色のお召し物は時々不自然に揺れている。
風も吹いていないのにどうしてだろうと思っていたけれど、妖精の仕業であると気がついた。
ローレンス様が困った表情をしていた。
夫妻は別件で陛下に呼ばれてしまったので、出迎えはわたしを含めて5人だけである。
相手は前国母、さすがに私たちでは荷が重く、皆緊張の表情をされていらっしゃる。
こんなに荘厳な雰囲気をまといながらも、心を開いてしまいそうな暖かい感情を起こすような方に出会ったことがない。
セロエ様ですら口を開かない中、このような緊張に慣れているローレンス様だけが頼りだった。
「ようやく……でございますか?」
「ええ、そうよ。メイシィに何かあったのでしょう?」
「ど、どうしてそれをご存じなのですか」
「教えてくれたのよ。花の妖精が。メイシィのところにいた子だけじゃなく、クリードにいた妖精たちまで慌てていたわ」
妖精たちが慌てていた?初めて聞く情報に一同は互いに顔を見合わせる。
「さあ、さっそくメイシィに会わせて頂戴な」
勢いよく立ち上がりながら、杖を片手にサフィアン様は微笑んだ。
―――――――――――――――――
「お久しぶりですね、メイシィ」
「さ、サフィアン様!?」
さすがのメイシィも今回ばかりは飛び上がる勢いで驚いていた。
慌ててベッドから飛び出そうとするけれど、サーシャ様が必死に止める。
その間に私がセロエ様の力をお借りして柔らかい椅子を設置すると、サフィアン様が腰かけてくださった。
「帰って早々、不思議な薬を飲まされたと聞いたわ。
私の孫たちのせいね、ごめんなさい」
「い、いいえ!この通り身体の不調はございますが、じきに治ると伺っております。サフィアン様が謝罪される必要はございません」
「ふふ、あなたは変わらず優しいわね」
メイシィは倦怠感が強く出る薬を飲まされたと思っている。
言動の自覚はない以上、事実を伝えるのはやめておこうと陛下がお決めになった。
クリード殿下が極国の婚姻の件で暴走した結果だと伝えたら、彼女はよく見る苦笑いをして許していた。
そこは本来のメイシィの反応そのものだった。
「ユーファステア侯爵から、解毒薬を作るのに難儀していると聞いているの。私にも役に立つことがないかと思って、あなたに会いに来たのよ」
「わざわざご足労いただくなんて……申し訳ございません。本来はわたしがお伺いすべきでした」
「いいのよ!散歩は健康の秘訣だもの」
ふふふ、とサフィアン様は楽しそうに笑うと、メイシィの頭に手をかざした。
「少し妖精の力を借りて、あなたの身体を見てみましょう。
ベッドに横たわって頂戴、きっと眠くなってしまうから」
「わかりました」
メイシィに乗っていた上掛けを綺麗にすると、サフィアン様のお手から淡い青色の光が放たれた。
温かく、優しい光。
メイシィはすぐに眠ってしまい。光も寝息と共に消えていった。
「やっぱり、花の妖精が言っていたとおりね」
「何かわかったのですか!?ぐっ」
ローレンス様の大声にセロエ様の肘がわき腹に刺さる。起こすなと言いたかったんだろう。
結構痛そうな様子だけれど、大丈夫かしら。
「この薬はかなり特殊なものね。調合に魔法は使っているでしょうけれど、人体に及ぼすのは薬に入った特殊な力。
ひとびとは魔法以外で解明できない不思議な力を『妖精の力』と呼ぶけれど、今回はまさにそれを使ったものよ」
妖精の力。だから資料も素材から推測もできなかったのね。
ようやく見えてきた糸口に、私たちは喜びの表情を浮かべる。
だけれど、妖精使い様の表情はすぐれなかった。
「サフィアン様、何か気になることがありましたか?」
「ええ、ローレンス。薬の効能はだいたい分かったのだけれど、ちょっと困ったことがあるわ。
ああ!私、昔からこの表現を使ってみたかったのよ。
良いお話と悪いお話、どちらが聞きたいかしら?ふふふ」
突然の選択。ローレンス様はどう答えようかと真っ先に姉妹たちを見つめた。
無反応のサーシャ様とナタリー様、横目で見てため息ついたセロエ様が口を開く。
「悪い方で!」
「あらーやっぱりミリシアの孫たち。考えがそっくり!」
正解だったのか、サフィアン様はお喜びの声をあげられた。
ただこれからするのは悪い話。一呼吸を置いてから、神妙な表情で口を開かれた。
「悪いお話は、この薬の効能の話よ。
この薬は『飲んだ人の魂を人体から外し、体液を入れた人物の記憶から仮の魂を入れる』の」
「……魂……ですか?ええと、それは?」
「ふふ。この薬は『精神を操る』ことに間違いないわ。だけれど、操り方がとても凝っているの。
人の人格や記憶が保管された『魂』を
身体から引きはがして、
複製し、
体液の主の願い通りにゆがめて、
身体に入れ込んでしまうの」
「そんなことがありえるのですか!?」
「そう、ありえてしまうの。『妖精の力』ならね」
つまり、メイシィの本来の魂は今眠っている身体にはなく、こうやって受け答えしているのはクリード殿下の記憶が作った偽物の魂によるもの、ということ?
サーシャ様が要約すると、サフィアン様は満足げに頷いた。
「じゃあ次は良い話ね~これは2つあるわよ」
「とりあえずお願いします……」
ローレンス様は受け入れ切れていない様子だ。無理もない。
いきなりおとぎ話のような話をされたのだから……。
「1つめ。この薬、実例がもうひとつだけあるの。それを紐解けば解毒の方法が見つかるかもしれないわ。
ミリシア・ユーファステア。あなたたちのおばあさまが最期に飲んだ薬がこれよ」
「そっ、それはいったいどのような!?ぐあっ!なにするんだセロエ!」
「うるさいローレンス」
「うふふ!服薬記録を探してみなさい。
その時の薬を作ったのはリズ・テラー1級魔法薬師よ。ミカルガならきっとその意味を理解できるわ」
サフィアン様はそうおっしゃると、右上を見てウィンクをされた。
ミリシア・ユーファステア様は、サフィアン様の幼馴染で稀代の妖精使いとして世界的に有名なお方。
メイシィの見た目はこの方から引き継いだもの。
兎人族でとても小さい白兎の見た目が愛らしく、若い頃は世界中を飛び回り名声と人望を独り占めする人たらし、なんて言われていたとラジアン殿下からお伺いしている。
あともうひとつはなんだろうか。
期待に胸を膨らませていると、サフィアン様は指をさした。
メイシィのベッドの反対側、窓より上の壁あたり。
「薬によって身体から追い出されたメイシィの魂、そこにいるわ」
「なっ!?!?」
セロエ様による激しい肘鉄が入った。
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