第8話 心意気を踏みにじる悪意

色彩姫宮しきさいひぐう』では、衝撃的な知らせに大騒ぎになっていた。

『極国の白兎』が漢庸かんよう様――天帝の弟にめとられるかもしれない。そんな話だ。



「恐れ入りますが、お断りいたします」



あの日、わたしは地位も知らない漢庸かんよう様にしっかりと言い放った。



「わたしはミリステアから来た薬師です。申し訳ございませんがここで骨を埋めるつもりはございません」

「住めば都と言うじゃないか。一生楽な生活をさせてやるし、好きに薬を作れるようにしてやろう。さあ来い」

「お断りします」


漢庸かんよう様、これはあまりにも無礼でございます」

「なんだ明漣めいれん、邪魔をする気か?」

「メイシィ殿は主上の客人。いかなる言動も主上の権威に関わるものであるとお忘れなきよう」

「ふん、煩わしい者がいるな。

メイシィ、近いうちに迎えに行くから待っておれ」



そうやって立ち去ってしまってからもう5日。

毎日のように面会の依頼が来ているようで、ユリリアンナ様が断り続けている状況だった。



そして、なんと裏の手を使ってミリステアに手紙を送ってしまったという。


最悪だ!


クリード殿下の耳に入るに決まってる!


どうしよう、どうしよう。

届いたころには大嵐になってるんじゃないだろうか。

どうにか誤報だと信じてくれないかなあ、わたしはそんな簡単に未来を決める人間じゃないのはわかってるはずだけれど。


殿下になんて言葉をかければ信じてくれるだろう。


呆れられて突き放されたりでもしたら、嫌だな。


そんなことをぐるぐるぐるぐる考えて、睡眠不足が続いている。



事情だけでも伝えたいのに、帰りたいのに帰れない、わたしまで郷愁病になりそうだ。





「めいしー」

「こんにちは、皇子様。今日も頑張りましょう」



緑青妃宮ろくしょうひぐうの庭で、わたしは今日も皇子様と両手を繋いでいた。

心は荒れているけれど、目の前の問題は解決しなければいけない。


魔力の流れは自身で感じ取れるだけで正常化する。その流れを自覚するには他人に魔力を流してもらうのが一番だ。

わたしの手から魔力を流して、押し出された皇子の魔力をわたしが受け取る。


相性の良し悪しがあるので血のつながった両親が行うのが一番なのだけれど、わたしでも全く問題がなさそうだ。



「最近ね、みんなそわそわこっち見るんだ」

「そうなのですか?」

「めいしーがどこかに行っちゃうって言うんだよ?」

「確かにわたしは国に帰らないといけませんが、今すぐには行きませんよ」

「そうなの?ほんとう?」

「ほんとうです」



よかった!と笑う皇子様は今日も可愛い。

まだわずかに残っている頬の柔らかさはユリリアンナ様もお気に入りのようで、暇さえあれば触っている。

そろそろ学びの時間を増やす予定だそうだけれど、すでに足し算を理解できるようになってきたらしく、母親の才能を受け継いでいるみたいだ。



「皇子様、魔力は感じますか?」

「うん!暖かいのがぐるぐるしてる」

「そうですか。では手を放しても感じますか?」



皇子様は手を放すなりわたしから一歩離れた。ギュッと眉間に皺を寄せている。

愛らしい姿に思わず口角を緩ませながら眺めていると、ん?と言って首を傾けた。



「消えちゃった」

「つまりちょっとだけ感覚が残っていたんですね、素晴らしいです」

「そうなの?」

「ええ、この感覚を感じたいときに感じられるようになれば、もう『むずむず』はなくなりますよ」



皇子様のお立場のおかげで、ゆくゆくは希少な魔術師である導師様の指導をいただけるそうだ。

だから、魔力の感覚さえつかめれば後は任せて問題ないだろう。

この練習だって、皇子様の才能が十分に発揮されていてすでにコツを掴みかけている。

お腹の荒れの治療もすっかり終わっているし、なかなかに順調だ。


逆に言えば、皇子様の件だけ順調だ。




―――――――――――――――――――




「ユリリアンナ様」

「ああメイシィ、今日も緑青妃宮から外に出てないわね?」



頷くと、ユリリアンナ様はほっとした表情でお茶に口をつけた。



漢庸かんようという方。今の天帝と血のつながった弟で、まつりごとに関してはとても大きな影響力を持ち、商会で大きな富を得ている人物。

外聞としては国のため兄のために動く誠実な人柄であるけれど、実際は大変な女性好きで荒っぽい人間だと言う。


確かに、初対面であんなことを言ってくるのだから、噂通りの人物なのだろうな。

しかもあの目線は完全に意図の品定めだった。

遥か昔、討伐訓練で一緒のテントに入ろうとしてきた騎士の目に似ていたもの。


……ミリステアに戻ったらこの話も墓までもっていこう。クリード殿下に言ったら大変なことになる。




漢庸かんよう様ったら、私の宮の周りに私兵をうろつかせているのよ。

面会を断り続けてるから、なんとしてもメイシィを捕まえようとしているみたい」



あの日は明漣様に送ってもらって本当に良かったわ。と何度目かわからない言葉をつぶやいて楽晴さんが頭を振った。



「気色悪いわねあの男。自分のために一夫多妻制の法律を緩和させて何人もの女性を娶ってるのよ」

「そ、そうなのですか」

「ええ、だからメイシィを狙ってるのも『ご利益がある白兎を飼いたい』くらいの気持ちでしょうね」

「……最悪ですね」



突拍子もないことを言われるのは今まで何回かあったけど、これほどまで嫌悪感のあるのは初めてだった。

うすら寒い感覚を覚えて、思わず両腕をさする。

その姿を見てしまったのか、ユリリアンナ様は自身の袖を掴んで悔しそうな表情をした。



「私に、私にもっと権力があれば、もっとメイシィを自由にさせてあげられるのに……ごめんなさい」

「いえ!ユリリアンナ様のせいではございません。むしろわたしがこの事態を引き起こしたのです。なんとお詫びしてよいか」

「違うわ、メイシィ。きっと他の妃であれば、漢庸かんよう様があんなに横暴な態度をとることはなかったはずよ」



どういうことだろう。そう思ってユリリアンナ様を見つめると、顔に手を当てて言葉をつづけた。



「天帝の妃は有力な貴族の娘たちが中心なの。子を授かることができれば家の権威が高まるだけではなくて、この妃宮ひきゅうの権力も得ることができるから、家の財力や親の職位に大きく影響するわ。

初めから後ろ盾のない私は、漢庸かんよう様にとって政治的な不利がない。だから好き放題できるのよ」

「どの国も……似たようなものですね」



力なく微笑むのは楽晴さんも同じだった。



漢庸かんよう様は私が魔法を使えなくなってしまっているのもご存じなの。だから身を守る手段がないことを知っている。

兵士を買収してしまえば、もしかしたら既成事実だって……。


っ、メイシィ、しばらくは眠るときに自分の部屋にバリアを張りなさい」



極国において魔法は畏怖の対象だと本で読んだことがある。

だから使わないようにしていたけれど、いいのだろうか。

ユリリアンナ様の目は真剣だ。ここはこの方を信じて試しておこう。



その選択が正しかったこと。

ユリリアンナ様の先見の明に、わたしは改めて感嘆することになった。



――――――――――――――――――



「こ……あ……?」

「……んで……」



その日の深夜。

わたしは扉や窓、天井や床を含めてすべての出入り口となりえる場所に魔法をかけ、外部から開かないように封じ込めた。

固いベッドで外套に包まっていると、わずかに人の声と、扉をつつく音が聞こえてまどろみから目覚める。


まさか、本当に夜這いに来たってこと?

心臓がどきどきと大きな音を立て、少し寒い夜なのにじっとりと汗をかく。



「ええい」



苛立つ声。数日前に聞いたっきりなのに漢庸かんよう様だと気づいてしまったわたしは、呼吸すらまともにできなくなっていくのを感じる。

落ち着け、落ち着け、落ち着けない。怖い。



「壊してしまえ!」

「さ、流石にそれは……てしまい……す」



扉を壊してまで入ろうとしているの!?

不可能だ。わたしの魔法は殴ったくらいで割れるほどもろくはない。

爆発や直接家屋を燃やされない限り突破されないだろう。


そうわかっているのに、怖い。



外套をきつく握って身体を縮めると、ふいに頬を何かがかすめた。

飛び上がるように起き上がれば、月の灯がそれが花びらであると教えてくれる。


何もないところから花びら。まるでミリステアにいた頃の。

わたしのところにいた妖精は喜びに反応していたのに。


もしかして、悲しみにも反応している?



「……っ」



ミリステアを出ても妖精たちは傍にいてくれたんだ。


クリード殿下のところにいた花の妖精も一緒に。


花びらを握り締めると、やさしい感触が手に広がった。



涙が視界を滲ませる。

クリード殿下の顔を思い出したら、止まらなくなってしまった。




ああ、殿下は今どんな気持ちで月の下にいるのだろう。


穏やかに眠っていてくれるだろうか。


わたしがこんな気持ちで眠っているのを、知らずに。




花びらもぽたぽたと落ちてくる。


ひとつひとつを集めて握れば、それだけ彼のいろいろな表情が脳裏に蘇る。





ああ、もう。負けだ。完敗だ。


彼のもとに戻りたいと思ってしまった。


会いたい、と思ってしまった。



この気持ちは間違いなく。


この想いは彼と同じもの。





夜明けはまだ、遠い。




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