閑話 執務室で記録が暴かれる
メイシィが旅立って3か月が経った。
すでに極国に到着してユーファステア侯爵家の長女 ユリリアンナ様にお会いし、お願いごとを叶えるためあちこと奔走している時期だと思う。
ミリステアでは大きな事件もなくメイシィだけがいない静かな日々を過ごしていた。
大きな事件がないだけで、小さな事件は起きているけれど。
「……来たか、クレア」
「お待たせし申し訳ございません。ローレンス様」
「構わない。急な呼び出しに応じてもらい感謝する」
「とんでもございません」
ここはローレンス様の執務室。本棚で壁を埋め尽くされていて圧迫感がある空間に、ソファと机が詰め込まれている。
本棚の中身はほとんどが魔法書で、執務に必要な書類はすべて机の中。拡張した空間にまとめていると教えていただいたことがある。
さらっと『空間を広げる』なんておっしゃっていたけれど、私のような侍従でも察するほどの高等魔法だ。
ローレンス・フェア・ユーファステア。
側近として身を立てたい故に人前で魔法を使うことを好まないこの方は、国王から直々に認められた証の名を持つ一級魔術師という資格をお持ちでいらっしゃる。
「今日、君には協力者として来てもらった」
「はい」
「俺が相談したいことはわかるか?」
「はい、もちろんでございます」
わからないわけがない。私が関係することといえばクリード殿下のこと。
そしてクリード殿下のことといえば……。
「5日目になる小雨を止める方法、だ」
「……はい」
ラジアン殿下に惚れ薬をいただいてから、ぼうっと眺めてお眠りになる習慣は変わらず、クリード殿下はゆっくりと意気消沈していらっしゃった。
ちょうど研究が詰まってしまったことも重なり、お心が沈んだまま日々を送っていらっしゃる。
今回はわかりやすい妖精の暴走ではなかったために、天気予報と
「どう考えてもメイシィがいない寂しさにあいつが耐えられるわけがない。いずれこうなることはわかっていた」
「同意見でございます。お食事の量やお菓子作りの頻度も減ってしまっておりまして、濃い紅茶の効果も限界かと思われます」
「なるほどな……」
クリード殿下がお生まれになり、メイシィと出会う前。
不思議なことが起きるたびに陛下をはじめ王族と側近のみなさまはこうやって話し合いを繰り返してきたという。
階級など関係なく頭を突き合わせ、全員が同じ椅子で同じ机を囲みあれやこれやと話し合う。
他国ではまずありえない光景を繰り広げるうちに不思議な一体感が生まれ、災害時にも、平時の施政にも良い影響が出ているとか。
閑話休題。
目の前の問題をなんとかしなければいけないわ。
「メイシィはもう3ヶ月は戻らないだろうとみている。定期的にギルドメンバーのケンに報告の手紙をもらっているが、どう読んでも近況が1か月以上ずれているようでな、実態があいまいだ」
「ここでひとつ殿下のメイシィ欲を満たすものを提供しなければいけませんね」
「メイシィ欲……」
ローレンス様は微妙な顔をしているが表現としては適切だろう。
文句が返ってこなかったのでこのまま利用させてもらうことにする。
「ローレンス様、私にお任せください」
「なんだと?良い案があるのか」
「ええ、いつか出そうと思っていたとっておきでございます。本当はできる限り温存しておきたかった手ですが、仕方ありません」
その手を説明すると、ローレンス様は目を見開いた後に、頭を抱えた。
「確かに良い手だが……雨や止むのか?悪化しそうな予感しかしないのだが」
「それでも止むなら良いのではないでしょうか。多少の一時的な悪化くらい、城の人間は慣れております」
一般国民の者たちが巨城に務めるには、とある必須条件がある。
きっとローレンス様はご存じないだろう。
『傘の術』
頭上にバリアを展開することで、いろいろなものから身を守る術だ。
いつから条件となったかはあえて伏せるけれど、急な雷雪雨嵐が起きようと業務を淡々と進めることができるか。
城勤めの重要な雇用ポイントである。
―――――――――――――――――
その日の午後、クリード殿下はご自身の執務室でいつもより少ない書類を片付けていらっしゃった。
面会の予定もなく、研究に時間を回すかゆっくりお休みになるか、自由に決めて良い状況だ。
だからこそついいろいろなことを考えてしまうのだろう。雨はしとしとと降り続けている。
「失礼いたします。クリード殿下。紅茶とお菓子をお持ちしました」
「ああ、休憩しようか」
相変わらず目をあわせることなく静かに言うと、早々にペンを置いてソファに移動する。
今日は過去にメイシィと召し上がったエスプレッソケーキだ。
濃い紅茶と共にお渡しすると、無言で口にし始めた。
「ローレンス様から伝言を頂戴しました。メイシィ様は無事に極国に到着し、ユリリアンナ様のご子息と魔法を循環する練習をされているそうです」
「そうか……『
「はい。同じ意見をおっしゃっておりました」
「メイシィ……元気にしているのだろうけれど、やっぱり寂しいな」
クリード殿下は手を止めて、窓を見上げた。
すぐさま強くなった雨足が窓に当たって流れていく。
はあ、と殿下の大きなため息が聞こえた。
「
また始まったわ。私は受け流す体勢に切り替えた。
なにせこの話はもう両手で足りないほど聞いている。
「メイシィ……」
「殿下、今日は私から贈り物がございます」
「ん?」
お茶が終わりましたらお持ちしますので、しばしお待ちください。
そう言うと、殿下は不思議そうな表情で首を傾げた。
―――――――――――――――――――――
「こ、こ、これは……!!」
それを見て、クリード殿下はぼすんと音を立ててソファに倒れこんだ。
反応が大げさすぎる……ただの本なのに。
殿下にそれを手渡してみれば、受け取ってくださるもののガタガタと震えが止まらず開けない。
「僕は学校に通わなかったけれど聞いたことがある、まさか、これは」
「はい。メイシィ様の
私とメイシィが出会った学校では、卒業するとひとりひとりに行事や授業の記録が写真でまとめられた本を渡される。
もちろんメイシィも受け取っている、そしてあまり興味ない彼女のことだからと勝手に寮に入ってひっくり返してみればすぐに見つかった。
拝借してきたのである。本人にはいつか言うわ。覚えていたら。
クリード殿下が持っているのを目撃しない限り、バレない気がするけれど。
「なんっ……」
「差し上げます。メイシィ様の12歳から16歳までの写真がぎっしりと詰まっておりますよ」
「何ということだ……、いいのか?本当に?」
「ええ、特に12歳の入学式のメイシィ様は……とても髪が長い頃です」
「ウッッ」
表紙をめくって1秒、急に空が晴れた。
「これは……人間なのか?」
「人間です。今よりずっとお嬢様らしい容姿でしたので、目立っておりました」
「人形よりも愛らしい人がこの世に存在していたとは……」
「ええそうですね」
もう1枚ページをめくると、窓から日差しが降り注ぎ始めた。
「これは討伐訓練の写真かな?」
「14歳くらいかと思われます。この頃から1年ほどは討伐訓練が多かったので、一番髪が短いです」
野宿の訓練もあるので長い髪は不便だったようですね。という言葉は耳に届いていないらしい。
研究資料よりも没頭した様子のクリード殿下に、私はなんだか面白くて口角が上がっている。
「凛々しい表情だね。今のメイシィになってきた感じがする。確か討伐訓練でかなり良い成績を残して薬師院に就職することになったらしいじゃないか」
「ええ、支援職にもかかわらず史上最高成績を残したそうです。特に魔法の技術の点数が高かったので、本人は不満そうでした」
「メイシィが不満?つまり……むくれた表情をしていたということかい?」
「まあ……そうですね」
「むくれたメイシィ……見たい、見てみたい。全力でご機嫌とりをしたい……」
日差しはそのままに、また雨粒が窓を濡らし始めた。
「ひとまず最後のページまで飛ばしてみていただけますか?残りはゆっくりお愉しみください」
「最後だね?ここか……えっ」
ぴたりと雨が止んだ。
天気が忙しすぎる、というより妖精が忙しそうだ。疲れないのかしら。
「なっ、なななな」
「卒業式は私が何度もお願いしてようやく髪をいじってよいと許してもらったのです。なので、編み込みを駆使してお団子にさせていただきました」
「クレア!!メイシィが帰ってきたらすぐに同じものを!!」
「お任せください。クリード殿下」
宝石で装飾されるものの、後ろでまとめた髪型は王族の女性が公務に参加する際の伝統的な格好。
もしメイシィが殿下と婚姻することになれば日常的に見ることになるけれど、未来を妄想するには十分な素材。
これでもう数か月もたないだろうか。現状の問題を解決することはできたようだけれど、あとはクリード殿下のお心次第。
メイシィが帰ってくるのが楽しみだわ。と私も思い始めたその時だった。
ゴンゴンと強くノックされ、遠慮なく開かれる扉。
驚いて振り返った私たちの視線の先には、息を切らしたローレンス様がいらっしゃった。
「クリード!すまないが緊急事態だ!」
「どうしたんだいローレンス、珍しいじゃないか」
「今すぐ陛下と面会してくれ!手紙をお送りいただけないか説得してもらえないか!!?」
手紙?
珍しく私とクリード殿下の目線が合う。
「極国から早便が来たんだ。
天帝の弟がメイシィを嫁にすると宣言したらしい!」
「「……は?」」
「止めなければ……クリード、なんとしても止めなければ。
俺の力じゃ……どうにもできない……頼む……」
せっかく晴れた空に、分厚い雲が覆い始める。
雨は今日もしとしと降っている。
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