第6話 閑話 消せない
10年ぶりの生家は変わりなくそこにあった。
「サーシャ様、おかえりなさいませ」
先ほどまで屋敷で一緒にいたはずの侍従たちが、かしこまって頭を下げる。
わざわざそんなことする必要はないのに、と笑うと、彼らは目尻を光らせて笑顔を返してくれた。
「旦那様と奥様、ローレンス様はもうすぐお帰りになります。お部屋の準備はできておりますが、いかがなさいますか?」
「先に行きたいところがあるの、あの子の部屋は入れるかしら?」
「もちろんでございます」
もう戻ることはないと思っていた生まれの家。
帰宅はあまりにもあっけなく、扉を越える足は軽かった。
「ありがとう。しばらくひとりにしてくれないかしら」
「はい、外でお待ちしております」
扉が閉まるのを聞き、わたしは一歩一歩部屋の中へ入っていった。
白を基調とした部屋。使い古されたベッドと比較的新しい机は桃色の装飾がされている。
窓際や枕のまわりにはぬいぐるみが並び、鏡台は以前と変わらずすっかり役割を失い、おもちゃ箱が置かれていた。
「メリアーシェ」
久々にその名前を口にする。カナリスの次にたくさん呼んだその名前。
この部屋でよく口にした。机に向かって、ベッドに向かって、目を瞑ったままの彼女に向かって。
あの子は明るくて優しい子だった。
ほとんどをベッドの上で耐える生活を送っていたけれど、起き上がれる日はわたしを呼んで、本を貸してくれとせがんだ。
童話を一緒に読んだこともある。眠ってしまう薬が効くまで、読み聞かせたこともあった。目覚めることを願って勝手に聞かせたことだってあった。
ミリシアおばあさまのおかげで元気を取り戻したころには、わたしが王城へ通うことが増えて会うことが少なくなってしまったけれど。
やりとりした手紙は今もすべて大切にしていて、今日一緒に生家へ帰ってきた。
この部屋の主はいない。あの日からずっと丁寧に部屋を維持し続けている。
「メリアーシェ、あなたの願いも叶う日がくるのね」
あの子は願いの多い子だった。
外で走り回りたい。馬に乗ってみたい。本をたくさん読みたい。魔法を覚えたい。
話せる時はいつもお願いしていた。それもそのはず、わたしたちが何をしたいか必死に聞いていたから。
今思えば……ずいぶんと甘やかしてしまっていたわ。
残念ながら、今更厳しくするなんてできないけれど。
「あの子の願いはなにかしらね」
わたしは近くにあったウサギのぬいぐるみを手に取った。
座るような恰好をしていて柔らかい布が気持ちの良いそれは、彼女が苦しみに襲われた時に耐えれるようミリシアおばあさまに似せて耳が細く作られている。
金色に青い瞳をぼうっと見つめていたら、ふと偶然にもクリードと同じ色だと気がついた。
久しぶりにお会いした殿下は驚くほど『人らしく』成長なさっていた。
人形のように無表情で何も話さないあの方と仲良くなれたのは、確か同じようなウサギのぬいぐるみを持っていたわたしに羨ましそうな眼を向けてきたのがきっかけだったわね。
いろいろなものに興味がある歳だったはず。でも顔をほころばせれば人々に注目され、心が落ち着かなくなり妖精が騒いでしまう。
我慢して、我慢して、我慢して、それでも漏れてしまった羨望の瞳はなんだか可愛らしくて。
『クリード殿下、このぬいぐるみで遊びませんか?』
『!』
あんなに嬉しそうな表情を見てしまったら、支えたいと思わずにはいられない。
あの方が少しでも幸せな人生を送れますように。わたしがそう願う人々の巨城の輪に入るのはそう長くかからなかった。
「ミリシアおばあさま、聞いてください。
あなたがこの世に残した未練は、もう立派な男性として、大切な人ができたのですよ」
いつかのわたしのように。いつかの
一度知ってしまった暖かな日々はきっとあの方の心を大きく乱してしまうでしょう。
でも、それ以上の幸せに包まれ、どんな終わりを迎えようとも生きていく力になる。
わたしたちは、それを良く知っている。
扉を叩く音がした。
開かれた先で、わたしは晴れ晴れとした気持ちで口を開いた。
「ただいま戻りました」
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