第5話 在りし日から続くあなたへの願い

「お時間をいただきましてありがとうございます。サーシャ妃殿下」

「いらっしゃいメイシィ、来てくれて嬉しいわ」



それから1週間後。ローレンス様の取り計らいでわたしはサーシャ妃との面会が叶った。

変わらず本の香りが鼻をくすぐる客間は、暖かな日差しと落ち着いた雰囲気で出迎えてくれた。


クリード殿下とローレンス様に挟まれて、わたしはサーシャ妃の対面に座っている。



「例の薬ができたのかしら?」

「はい。お持ちしました」



手持ちのバッグの中から取り出したのは、黄色い液体が入った小瓶1つ。

液状薬ポーションの容器に入った薬は濁っているが粘り気がなく振動にあわせてゆらゆら揺れている。



「これなのね。あんまり……心当たりのある色ではないけれど」

「お飲みになった時間は深夜だったと聞いていますから、あまり色の認識をされなかったかもしれません」

「そうね」


「まず、この薬の薬効をご説明させていただきます」

「ええ、頼みます。どのようなものかしら?」


「こちらは、対黒魔法の免疫薬です」

「免疫薬……黒魔法……?」



ハテナが頭上に並んでると言わんばかりに小首をかしげるサーシャ妃殿下。

不敬だけどやっぱりかわいい。



「13年前にバリストラ男爵令嬢が起こした黒魔法の騒動は覚えていらっしゃいますか?」

「ああ……そういえばあなたを追いかけていた令嬢の件かしら?クリード?」

「はい、そうです」



クリード殿下、わざわざ自分に確認しないでくれと言わんばかりのそっけない回答だ。



「あの黒魔法は魅了の術で、バリストラ男爵令嬢を中心に時間をかけて広がり、触れたものは令嬢に好意を持ってしまうものでした。

展開されてから無効化されるまでの間は30分、王城の中心にある政務エリアの半分が被害に遭いました」

「政務エリア……つまり王族の居住エリアの目と鼻の先ね」

「そうです。サーシャ妃とカナリス殿下が服薬されたのは、『魅了の魔法を無効化する薬』だったのです」



カーン陛下の服薬記録は、騒動の当日のみ閲覧が許された。

そこにはリズ・テラー魔法薬師によって免疫薬が作られたこと、その調合方法が事細かに記載されていた。



「免疫薬は基本的に感染症に対する薬です。魅了魔法が広がる中、王族の方々に被害が及べばいずれバリストラ男爵家の進退にもかかわる。

そう危惧したリズ・テラー魔法薬師は、この免疫薬に『黒魔法耐性』をつけることにしたのです」

「なるほど……万一魅了魔法に触れてしまっても問題ないよう、陛下に服薬いただいた。それをわたしたちも飲んだのね」



クリード殿下が飲んだ記憶を持っていなかったのは、そもそも魔法が効かないからだ。



「黒魔法の展開だけは再現できませんでしたが、お飲みになった薬は再現することができました。健康に害はありませんので、どうぞお確かめください」

「ええ、ではいただくわ」



サーシャ妃はそう言うと小瓶を持ち上げ、興味深そうに揺らす。

蓋を開けると存外臆することなく一気飲みした。



「……まあ、甘くて苦くて、不思議な味。そうよ、この暖かさ、この味だわ!」



花が咲いたように笑顔を見せるサーシャ妃に、わたしもつられてしまう。

安堵の方が大きいけれど、調合がうまくいって良かった。

一番苦労したのは魔法付与ではなくミカルガさんの厳しすぎる審査だったけど。



「ありがとうメイシィ、ああ、思い出すわ。ねえ、もうひとつ保存用にいただけないかしら?」

「はい、ご用意しております。ただ……」

「ただ?」



ごくりと唾を飲み込む。調合を進めながら調べていた時に気づいたもうひとつのこと。

言うべきなのかと思ったけれど、わたしは自分の意思で決めていた。



「ひとつお伝えしたいことがあります」



もうひとつの小瓶を机に置いて、わたしは一呼吸を置いた。



「この免疫薬にはひとつ問題があったようなのです。

この薬は短時間で調合できるものではなく、王族全員に服薬いただくには1つだけ足りなかったのです」



これはクリード殿下が調べてくださったことだった。

そして確証を得たのはわたしが自ら読んだ記録。



「当時の王族の皆様方の服薬記録を見たところ、おひとりだけお飲みになっていない方がいらっしゃったのです。

それはカナリス殿下でした」

「……何を言っているのかしら、メイシィ。わたしは確かに彼と飲んだ。その思い出の薬がこれよ」

「はい、おふたりでお飲みになったのは間違いありません。カナリス殿下がお飲みになったものがこちらです」

「え……同じように見えるけれど?」



黄色く濁った薬が揺れている。見た目は全く同じで一般の人には理解できないだろうけど、薬師にはわかる。



「ミミィ茶を濃く抽出したものです」

「ミミィ茶?どうして彼がこれを……」


「これからはわたしの憶測になりますが、お話ししてもよろしいでしょうか?」



わたしの言葉にサーシャ妃は深く頷いた。

両脇のふたりの表情はわからないけれど、背中を押してくれると信じて、わたしは口を開く。



「あの日、サーシャ妃殿下とチェスをしていたカナリス殿下は、医師と薬師に呼ばれて離席した時に騒動の詳細を知ったのでしょう。

それと同時に、免疫薬がひとつ足りないので今ここで飲んでほしいと言われたのだと思います」

「あの時に……」

「でもカナリス殿下はそれを拒否したのではないでしょうか。その薬は自分ではなくサーシャ妃殿下に飲ませてほしいと」

「……」

「リズ・テラー魔法薬師は厳しくも人の想いを尊重する優しい方です。

サーシャ妃殿下が知ったら許すばずがないと、『同じ薬を飲んだことにする』べきだと偽の薬を用意したのではないでしょうか」

「なら、わたしたちが飲んだのは……」


「はい、サーシャ妃殿下は免疫薬を、カナリス殿下は濃いミミィ茶を飲んだのです。

お茶は服薬記録には残らず、サーシャ妃殿下の記録にだけ残っていたのが証拠です」

「でも、わたしたちの体調に変化がなかったのは……」

「到達する前に黒魔法が無効化されたからです」



サーシャ妃は黙り込んでしまった。両手を膝の上に置き、ぎゅっと握りしめている。

これから先の推測は、わたしの口から言うべきではないだろう。

隣の弟王子を見上げた。



「クリード殿下、もし推測ができるのであれば教えていただきたいのですが」

「何だろうか?」

「カナリス殿下がサーシャ妃殿下に免疫薬を飲ませたいと譲らなかった理由、おわかりになりますか?」

「そうだね……」



兄王子を想いながら数秒、第三王子はくすくす笑いながら口を開いた。



「黒魔法にかかったとしてもサーシャ義姉上への愛が弱まるわけがない、と絶対の自信を持っていたんじゃないかな。

……正直に言うと、その、自分がかかるよりもサーシャ義姉上が魔術にかかって気持ちが離れる方が耐えられなかったんだと思う」



なんやかんや似てるんだ、私とカナリス兄上はね……。

そっぽを向いて頬をかいている。わたしの隣からため息が聞こえたのは気のせい気のせい。



「……あの人は、ほんとうに、もう……」



いつのまにかサーシャ妃の膝には濡れた跡が増えていた。

残った小瓶を2つとも握りしめ、うつむいている。


昔ふたりで飲み干したもの、今はひとつだけ飲み干されることはない。

でも、無くならないからこそ、確かな真実がここにある。


想いやさしい嘘が形となって残り続ける。と言えるのかな。



「わたしからのお話は以上です。サーシャ妃殿下、願いは叶えられましたか?」

「……ええ、ええ……ありがとう、ありがとう……」



わたしは立ち上がって彼女の隣へ向かう。

強い熱を持ったその手を覆うと、ぽたりと雫が落ちた。




――――――――――――――――



「今日は来てくれてありがとう。またいつでもいらっしゃい、メイシィ」



それから1時間後、わたしたちは屋敷の入口に立っていた。

馬車の準備が整う様子を眺めながら、サーシャ妃は目じりを赤くしたままわたしに笑顔を見せてくれる。



「こちらこそありがとうございました。また伺います」

「この小瓶、大切にするわ。ああ、あとクリード」

「はい?」



サーシャ妃がクリード殿下に声をかけている間、クレアがわたしを呼んだ。

数歩離れて作業を手伝っていると、声がわずかに届いてくる。



「あなた、本当に変わったわね。義姉としてとても嬉しいわ」

「ありがとうございます。あの頃の幼い私がここまで変われたのは、あなたのおかげでもあるのです」

「あら、でも一番はメイシィでしょう?」

「はは、まあ、そうですが」

「……クリード、わたしはあなたを応援するわ」

「!」

「だからどうか諦めないで、メイシィが相手なら大変でしょうけれど。

たとえわたしたちのような結末を迎えたとしても、後悔のないように。

愛情は、思ったよりも小さくできているものよ」


「はい……ありがとうございます。義姉上」



――――――――――――――――



それから1週間と少しが経ったある日のこと。


サーシャ妃殿下が王族籍を離れ、ユーファステア侯爵家へ戻ることが発表された。


治療薬の開発は継続し、国王陛下自らが支援するのは変わらないものの、開発の場を侯爵家へ移すという。

これによりクリード殿下は第三王子から第二王子となり、カナリス殿下の家系図は正式に閉じられた。



「どこにいようと彼は想ってくれている。ようやくそう信じることができました」



愛した人の金色と青色の装飾を施したドレスで王城を去る姿は、とても晴れやかで美しかったという。


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