第4章 薬師と野次師に王子の困惑
第1話 来客は突然、あっさりと……?
冷たい日々から少しだけ暖かくなった日差しが猫の昼寝を誘う午後。
薬棚の大掃除をしようとマリウスと約束をしていたはずなのに、今いるのはミカルガさんの個室。
喧騒が好きではないくせに個室で黙々と作業するのは嫌ということで、ほぼ書庫になっているこの部屋で、
わたし、ミリステア魔王国の魔法薬師であるメイシィはとても気まずい思いをしていた。
目の前でミミィ茶を飲んでいるのはひとりの男性。
艶のある黒くて長い髪は青い紐で緩く結ばれ、右側から流れている。
ヒューマンらしい細身とスラッとした長い手足は低いソファに合わないのか、余っているように見えた。
濃紺に薄く金の縁取りがされている丈の長い服は、政務を担う人間が纏うもの。
胸の勲章をいくつか見るに若くしてそれなりの実績を持つ人物であることはすぐに分かった。
細く黒い縁取りに細かい装飾がされているメガネの向こうから、紺色の鋭い眼光がじろじろとこちらを見つめている。
「改めて、名乗らせてもらおう」
その低い声はまったく飾り気のないあっさりとした口調だった。
「ローレンス・ユーファステアと言う。王太子ラジアン殿下の側近をしている」
「……お初にお目にかかります。メイシィと申します」
「…………」
『ローレンス殿、連絡なしにいらっしゃるとは珍しいですな……』
『突然の訪問となり申し訳ございません。ミカルガ殿。薬師のメイシィ殿がここにいると聞いて参りました』
『メイシィですか?』
『ええ、少し、お時間をいただけないでしょうか』
なんで、
なんで、
なんで王太子の側近がいきなりわたしに会いに来たんだ!?
混乱するわたしをよそに、ローレンス様は瞬きもせずジメッとした視線をよこしている。
珍しいものを見るような、疑うような。
陳腐な噂を信じざるを得なくて来たくもなかったけど業務上どうしようもないので会いに来てみた。
みたいな。
おそらくはそれが正しいのでしょうけれど……。
とすると、葛藤してまで仕方なく来た理由はひとつ。
「クリード殿下と懇意にしていると聞いている」
やっぱりそれですか。
と言いそうになった言葉を飲み込んで、わたしはそうだと頷いた。
「はい、ここ数ヶ月は特にお会いにいらっしゃいます。新しく発見された植物や効能の情報を教えていただいたり、薬にも利用できる花や実について意見交換させていただき、大変学びになっております」
「なるほど、業務中に手製の菓子をもらったり待ち伏せされたりしても『意見交換』という訳か」
「!」
どうしてここまで知っているんだろう。
表情こそ驚いてしまったものの、心のどこかでは不思議と安堵していた。
今までクリード殿下の高すぎる身分に気圧されて、こうも真正面に異常さを口にする人はいなかった。
自分の長らく感じていた違和感を肯定された気がする。
「……まあいい、その様子を見るに、心労は多少なりともあるように見えるな」
「い、いいえ、心労など……」
「クリード殿下は、第三王子であらせられる。
何百万の民を代々守り、発展させてきた王族の血を持ち、これからの何百年を守る使命をお持ちだ。
やるべきことも、為すことを待つ民も多い」
ぐっさりと心に刺さった。
わたしが何も言わずに頷くと、ローレンス様はすっと目を細めた。
「ただの薬師にうつつを抜かしているヒマなどないということだ」
その言葉はむしろわたしのセリフである。
突然女神なんて言われて好かれて、追われているのはわたしの方だ。
あたかもわたしが彼を追いかけ回しているような言い方をされているのは癪だし、何より、
「ほ……」
「ん?なんだ?」
本人に言ってもらえませんかね!?
「……いえ、何でもございません」
飛び出しかけた言葉を寸前で飲み込むことに成功した。
思い切り目線を反らせば、青く澄み渡っている空とまったり動く白い雲。
格子の向こうに見えるその景色は、なんだかわたしの世界そのもののように見えた。
「……ともかくだ」
「はい」
「同じ国のために働く者として、殿下を誘惑するような言動は慎むように。
特に、クリード殿下と『婚約』などとくだらない考えは早々にやめることだ」
「こ、婚約ですか!?」
急に何言っているんだこの人は!
確かに考えないようにしていたのは事実だ。
クリード殿下は25歳を超えてかなり経っていらっしゃるし、今までいちども婚約者がいない。
「まさか、わたしのような者が婚約などと考える資格すらございません」
「ああその通りだ。まったく、クリード殿下と少し話しただけで暴走する令嬢が多すぎる!」
急に口調を荒げたことに自分で気づいたようだ。
ああ、失礼。とローレンス様は額に触れた手を離した。
「つい愚痴をこぼしてしまったな。正しく状況を把握できる点については君を評価しよう」
「あ、ありがとうございます……?あの、ローレンス様。1つ質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
「ありがとうございます。その、ラジアン殿下はクリード殿下に心を砕かれていらっしゃるのでしょうか」
「というと?」
「ローレンス様はラジアン殿下の側近でいらっしゃいます。ご多忙のところクリード殿下のことでわたしを呼ばず、直接薬師院にいらっしゃいました。
そのような指示をするほどラジアン殿下が気にされておられるのかと思いまして……」
「……」
わたしの質問に、ローレンス様は足を組み直すとまたもやじろりとこちらを見てきた。
さっきまでの冷淡な視線ではなく、わたしがうっかりミカルガさんに基本的な質問をしたときに受けるような……。
『コイツ何言ってんだ?』という目だ。
「あなたは知らないだろうが、俺とクリードは幼馴染だ」
「そ、そうでしたか……」
「……今はラジアン殿下の側近として書記官に近い仕事をしているが、以前はクリード殿下の側近候補だった。
周囲への無駄な魅了と妖精の暴走の処理で散々鍛えられた能力と人脈を認められてな、ラジアン殿下に付くことになった」
ぽろっと漏れた毒舌は無視することにした。
薬師でも解くべきでない毒はあるのだ。
「存じ上げず失礼いたしました」
「別に構わない。先程の質問に答えよう。
ラジアン殿下が心を砕かれご指示されたことは事実だ。クリード殿下のここ数ヶ月の言動。そして父君である陛下とともに、君に苦労をかけていることも気にされているようだ」
「わたし、ですか」
「ああ、クリード殿下が誰かに執着することは久しぶりだからな。
まったく、どうせ夢中になるなら一般人ではなく高位貴族の令嬢にしてもらいたいものだな」
そうですね、と思いを込めて、わたしは頷いた。
そんなわたしの顔を見て、何を思ったのかローレンス様が初めて穏やかな顔を見せる。
「例えば、『ユーファステア家』のようなご令嬢とな」
その優しげな雰囲気とは裏腹に、その瞳の奥の鋭さだけは変わっていなかった。
それから他愛もない話を続けていたが、奇妙な面会は突然終わることになる。
激しい扉の開閉音。
ドアノブが壁に激しく当たり、金属が混じった音は部屋に反響していく。
それよりも大きな声が小さい部屋中に響き渡っていった。
「失礼する!!」
その姿は話題に上がりっぱなしのあの方のものだった。
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