第3話 誘惑に負けて欲が叶う
次に殿下の『病み』スイッチが入ったのは、それから1週間が経った頃だった。
だんだんお馴染みになってきた激しい音を立てる薬師院の扉。いつか壊れるんじゃないかとひやひやしている。
いつもはクレアだけれど、その日は護衛騎士のアンダンさんだった。
「メイシィ殿、今よろしいでしょうか!」
「えっ、はい!」
「殿下が……殿下が病まれました……!」
またか。
わたしは薬草の選別作業をしていた手を止めて、片付けに入る。
その姿勢のまま振り向かずにクリード殿下の居場所を聞くと、意外な答えが返ってきた。
「……草むらの中とは……?」
とりあえず来てください、と焦るアンダンさんに急かされて、わたしはバタバタと部屋を後にした。
その現場は、いろんな意味で凄惨なものとなっていた。
花、花、花と混ざった別の花。
いつもは噴水を中央に白い石畳が広がる小さな公園だったはずの光景は、どこからともなく振ってきた色とりどりの花びらに埋め尽くされていた。
数枚拾ってみると、大小も色も様々なそれらは街中の花壇に植えられているような珍しくない種類ばかりに見える。
ただ、足の踏み場もないほど敷き詰められると圧巻だった。
花びらに埋め尽くされた噴水は既に水が止められている。
おそらく排水溝に詰まりそうになったか詰まってしまったか、水が溢れそうになったんだろう。
「殿下はどちらでしょうか」
「あちらです。あの噴水の右側の影におりますが……見えますでしょうか」
「あ」
クリード殿下は公園の植え込みに向かって片膝をついて下を向いていた。
全く動かないが、その上から花びらが降り注いだのか半分埋もれている。
だが端正な顔をした王子らしい王子様なので、花びらが滴るいい……男性?つまりは恐ろしく絵になっていた。
花びらをできる限り踏まないように履きながら殿下の元へ向かうと、気配に気づいたのか顔がこちらを向いた。
とても悲しそうである。
「こんにちは、クリード殿下」
「……メイシィ……」
……顔に似合わず情けない声を出すのはやめてほしい。
失礼します、と声をかけて殿下から花びらを掃うと、ありがとうと小さな声が聞こえた。
「何か悲しいことがあったのですか?」
「……ああ、そういうことになるかな」
「よければ教えていただけませんか?」
殿下は答えに詰まったようで、何も言わない。
とりあえず様子を見て何か察せないか考えてみたけれど、手がかりは殿下の手に何かが握られていることくらいだった。
その手を見つめ続けてみると、殿下は観念したように手のひらの中を見せてくれた。
「木の実ですか?」
それは小さな茶色い木の実だった。
小動物が良く食べているどこにでもあるようなそこら辺の木の実。
一体これがどうしたんだろう。
「何か動物にお会いしたんですか?」
「……ミリスリスが」
「?」
ミリスリス?
敷地内や森でよく見かけるリスがどうしたんだろう。
続きを待っていると、殿下は意を決したように口を開いた。
「メイシィが小動物と戯れているところを見てみたくて、試しに庭のミリスリスを餌付けできるか試してみたんだが……どうもうまくいかなかったんだ」
は?
リス?わたしが、戯れる?
ちょっと何言ってるかわからないのはわたしだけ?
わたしが何も返答せず黙っていたら、殿下の表情はみるみるうちに悲壮感漂うものになっていった。
「すまない、メイシィ。わたしはどうも、君を喜ばせることができないようだ……情けない男だ……本当に……」
これは『病み』というより普通に落ち込んでいるみたいだ。
大の大人が何でこんなことで落ち込むのかとても理解できないんだけど……まあ、変なところで純粋なんだと思う。
とりあえず何か声をかけないと。
「……えと……お気持ちだけでわたしは嬉しいですよ?」
「メイシィ……君はとても優しいね。でも今のわたしは救われそうにな」
直後。
ばさあああああ、と頭上から音が鳴ったかと思うと、わたしの視界から殿下が消える。
え?ええ?
真っ暗で何も見えなくなり、混乱でわたしは固まってしまった。
「殿下!?メイシィ殿!?」
向こうからアンダンさんの声が聞こえてくる。
一気にむせかえるのは、様々な花の匂い。
もしかして、これはさっきの花びら!?
ひとまず外へ出ないと、一体何が起こったの?
手で花びらをかき分けていると、突然腰が引き寄せられた。
「わ!」
「メイシィ!メイシィ!」
一気に光が戻り、思わず瞑った目を恐る恐る開く。
視界全てに煌びやかな殿下の顔面が広がっていた。
あまりの急な展開に、わたしはびっくりして縮こまる。目がチカチカする。
どうやら殿下はわたしを助けるべく抱き寄せてくれたらしい。
花以外の良い香りが鼻腔をくすぐる。
何かつけてるのかな?自然の香りではなさそうだけれど、とても良い。
こっこれはもしや、綺麗な顔した王子様は体臭すらも良いっていうことか…!
「大丈夫かい!?」
「は、はい、大丈夫です……」
手荒れの治療薬のせいで、今のわたしは薬草臭が漂う品性の欠片もない薬師女だ。
あああ、やめて、これ以上近寄らないで!
殿下の腕でがっちりと捕まれているので動けなかった。
ガサガサとアンドンさんと殿下がわたしの周りから花びらを避けてくれる。
わたしはされるがままその様子を見つめて、殿下に声をかけた。
「あの、今のは一体」
「花の妖精たちの仕業だね」
花の妖精?
殿下は火や水のような元素の妖精以外にも影響があるの?
「昔から、私が落ち込んだ時に花の妖精たちが花びらをたくさん降らせてくれることがあるんだ。
小さい頃から花が好きだからね、たくさんあげれば元気になると妖精たちが思っているらしい」
「それで花びらがこんなにあったんですね」
「ああ……まさか埋まるほど花びらを降らしてくれるとは思わなかった。すまない、メイシィ」
「ふ……ふふふ……」
怒れば火の妖精が山を噴火させ、
病めば雹が降り注ぐのに、
落ち込んだら花が降り注ぐ。
なんだか面白くなってしまって、わたしは思わず笑ってしまった。
殿下とアンダンさんは不思議そうにわたしを見てくる。
涙をぬぐって、わたしは殿下に笑いかけていた。
「妖精たちは本当に殿下がお好きなんですね」
「メイシィ、怒ってないのかい?」
「怒りませんよ。リスと仲良くなろうとしたのも、花びらが落ちてきたことも、わたしはむしろ嬉しいです」
「嬉しい?」
「はい、わたしのために殿下が何かなさってくれただけで嬉しいです。それにわたしも花の妖精たちに元気をいただきました。
ありがとうございます、クリード殿下」
「……っ!」
ぐえ。
感極まった殿下に締め付けられる。
後から箒片手にやってきたクレアに引き離されるまで数分、その体勢は続いた。
「この花びら、少しいただいても妖精たちはお怒りになりませんか?」
「ああ、問題ないと思うが……薬にでも使うのかい?」
「いえ、お風呂に浮かべたいなと」
「お、お風呂……」
「クリード殿下?」
「あ、いや、クレア、何でもない。メイシィ、持って帰っていいよ」
「はい!ありがとうございます」
その後、わたしは仕事の合間に動物のエサを調合した。
翌日(おそらく待ち伏せによって)偶然会った殿下に時間をいただき、例の公園へ足を運ぶ。
無事に好むエサを作れたようで、リスたちに囲まれるわたしを見たクリード殿下はそれはそれは満足そうに笑っていた。
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