第2話 出迎えた先にお菓子の誘惑
ある日、私が薬師院の庭の端っこで、果実を乾燥させるべくせっせと切っては並べていた。
アヒドの実。
玉ねぎくらいの赤くて丸い実で、半分に切ると白い果肉と黒い種が覗く。
カラカラに乾燥させると固くなり、向こうの景色が見えるほど薄く削って煮れば様々な薬の『
収穫の時期だったので40~50個仕入れることに成功し、すぐに薬に使いたかった私は、1日アヒドと過ごすことに決めていた。
「メイシィ!」
お昼ご飯を食べて作業を再開してから1時間。
肉の塊でも焼いているかのように実をひっくり返して回っていたら、こちらに走り寄る影が見えた。
クレアだ。
「どうしたの?」
「ようやく見つけたわ!」
ようやく?探されてたのか、私。
トングを置いてクレアに向き直ると、彼女は息を切らしたまま私の肩を掴んだ。
「今から……っ、来るわよ!」
「え、何が?」
「何が?って……殿下よ!しかも『病み』スイッチがバッチリ入った殿下が!」
「えええ」
何があったの、と聞く頃にはクレアはすっかり侍女らしく背筋を伸ばしていた。
「とりあえず、これ持ってて」
「え、これ、フォーク?」
それは銀色のフォークだった。
見たところ銀食器だし、明らかに良いフォークだ。
あんまり触ったことのないその高級品を薬師院の庭先で、アヒドの実に囲まれた状態で持つ。
シュールだ。
「殿下のこと、頼んだわよ。
こんなことで世界をめちゃくちゃにさせたら、絶対許さないんだからね!!」
私の返事を聞かずに、クレアは小走りで去っていった。
何が起きるかわからないけど、とりあえず持っておこう。
とりあえずもらったフォークは白衣のポケットに忍び込ませる。
それから30分くらいが経ち、その時が訪れた。
「メイシィ!」
男性の通る声が聞こえて振り向く。
そこにはいつも通りのクリード殿下がいた。
強い日差しを金髪や白い服が跳ね返し、どっちのせいかわからないけど、とりあえず眩しい。
近づいてきた殿下に一礼すると、頭上から声が降り注いだ。
「ここにいたんだね。探してしまったよ」
「申し訳ございません、探されているとは知らず」
「いいんだ、今日は1日ここに居る予定かい?」
はいそうです、と短く答える。
なんだ、普通の殿下じゃないか。
私は顔をあげて殿下を見上げた。
すると、しっかりと視線が合ったのが嬉しかったのか、にこりといつもの煌びやかな笑顔に変わる。
……でも、目が虚ろだった。
「……私を避けていたのか?」
「え、私が、殿下を?」
わあ。いつもの殿下と思ったら、クレアの言う通り『病み』中の殿下だったみたいだ。
こちらを見つめてくる光のないそれは、私の背中を緊張汗でじっとりと濡らす。
「朝からいつものミカルガの部屋にはいない、畑にもいない、第一温室にも、第二温室にも、第三にも第四にも第五にもどこにもいない」
「も、申し訳ございま」
「君の行動範囲すべてを回ったというのにどこにもいない。もしかしてまた街へエルフの男と遊びに行ったのかと思ったが、城を出た記録もない。
君が僕を避けて移動してるとしか考えられない」
「いや、まさかそ」
「どうして?どうしてそんなことをするんだいメイシィ?私の気を引くためなら嬉しいが理由を聞かせてもらえなければやはり私の傍に閉じ込」
「アヒドの実です殿下!!」
女性がこんな大声を出すのははしたないのだけれど、遮るためには仕方ない。
音量にびっくりしたのかクリード殿下は怒涛の口撃を止めてくれた。
私は片手でアヒドの実を掴み、前に差し出す。
「たくさん仕入れたので乾燥作業をしていたんですっ」
「アヒド……ああ、」
赤い実を眺めた後、クリード殿下は私の背後に並ぶアヒドたちが網の上に転がっている光景を見回した。
私も同じように視界を外し、ふと気づく。
私たちの周り2~3メートルだけ、地面が茶色い。
何事かと思ってよく見ると、枯れた植物の色だった。
目を凝らしてみれば、殿下が歩いてきた方角もちょっと色が変わっている気がする。
風に煽られ、砂のように分解された哀れなそれらが散っていく光景からそっと目線をずらして、こっそりと、殿下の顔を見上げる。
その瞳は光を取り戻していた。
ほっとした。
「毎回このような人目につかないところで作業しているのかい?」
「ええ、ここは日差しや風通しの条件が最も良いのです」
「こんなに手を赤くして……女性はあまりやらない方が良い作業だと思うが」
「男性が作業したとしても変わりありません、殿下」
私はすっかり赤みがかって荒れた手を後ろに隠した。
アヒドの実は果汁に肌を荒らす成分が入っている。
だからあまり乾燥作業をやりたがる人はいない。
私は実がだんだんカラカラになっていく姿を見るのは好きだし、手は後でいくらでも治せるから気にしないけれど。
「綺麗に洗って薬を塗り込めば数日で綺麗になりますから」
「それは、そうかもしれないが」
「ところで殿下、私に何か御用でしたか?」
暗い顔をする殿下の気を逸らすべく、私は話題をすり替えた。
すると、わかりやすく顔を輝かせて、殿下の表情がころりと変わる。
「アップルパイを焼いてみたんだ。食べてくれないだろうか」
で、殿下がアップルパイ!?貴族は日ごろ料理をするのは好まれず、趣味でお菓子を焼く方がいらっしゃるくらいだ。
それなのに王族の男性がお菓子を作るとは思ってもみなかった。
そのギャップは一体何なんだ、と動揺した私だったが、
殿下が持っていたカゴの中身を見た途端、すべてが吹っ飛んだ。
それはそれは美しく美味しそうなアップルパイだった。
薄切りにされたリンゴが綺麗に並べられ、それは1つの大きなバラのようで。
その光沢は私の食欲を急激に増大させて、うっかり唾を飲み込んだ。
「こ、これは……殿下が?」
「ああ、昨日ミリスリンゴを収穫したときに分けてもらったんだ。
そのまま食べるのも良いが、どうせならお菓子にするのも悪くないだろう?」
ミリスリンゴ……!
ミリステア魔王国の名前を拝借したこのリンゴは、この国の果物の王様、最高級品だ。
それを使ったアップルパイ……うう、おいしそう……食べてみたい…。
「…………」
「……ふふ、君は本当にお菓子が好きなんだね。君のために焼いたんだ、食べてくれないか?」
「はい!フォークありますので!」
クレア、よくやった!
私はウキウキしながらベンチへ向かう殿下についていった。
「~~~~~!!」
正直に言おう。
最高に美味しかった。
酸味と甘みのバランスが最高で、リンゴ自身の感触も柔らかくて食べやすい。
ほっぺたが落ちそうなほど美味しいというのはこれだったんだ……!
「美味しいです、殿下!お上手ですね!」
「ありがとう、メイシィ……!」
一口、また一口。
食べる度に幸せが広がる。
頭や髪をぺたぺた撫でられている感触はあるけれど、そんなこと気にしているところではない。
「ああ、もう、メイシィが可愛い。可愛すぎる。
永遠に見ていられるな、これは」
殿下は何か言っているが、それどころでもなかった。
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