第3話 先にも後にもこの薬は
手作りクッキーを食べたら元気がでる。
クリード殿下に全力で刷り込みをした結果、あれから暴走はなくなった。
むしろ、疲労知らずで順調に執務をこなしているらしい、良いことだ。
代わりに、定期的なお菓子の配達を自分ですることになったけど。
「メイシィ!待っていたよ」
最近、お菓子を持参するとクリード殿下にイヌのしっぽと耳の幻覚が見える気がするようになった。
耳がピンと立っていて、やたら毛並みの良い尻尾をちぎれそうなほどブンブン振っているような。
「いよいよ明日ですね、パスカの王太子殿下がいらっしゃるのは」
「ああ、そうだね。大体の準備は終わっているし、楽しみだ」
「使用人たちも楽しみにしているようです。準備に張り切りすぎて薬師が呼ばれることも度々ございます」
「そうなのか。怪我は良くないが……皆も楽しみにしてくれるのは良いことだ」
さっそく持ってきたマドレーヌを口に運び、殿下は嬉しそうに紅茶を飲む。
「使用人たちの怪我の傾向はどうだ、ミカルガ」
「はい、荷物の運び出しや細々した物品の整理が原因のようで、痣や切り傷、擦り傷がほとんどでございます」
「1か月の滞在にもなると、いつも仕舞っている物を出さなければいけないからね……気をつけるよう声をかけておこう」
「お心遣いありがとうございます。殿下」
配達と言えどさすがに2級魔法薬師が1人で王族の部屋に赴くのは荷が重い。
ということで、毎回ついてきてくれるミカルガさんが丁寧にお辞儀をした。
それに倣って一緒に礼をすると、そういえば、とクリード殿下の明るい声が聞こえてくる。
殿下はそのまますっと立ち上がって近くの棚に向かい、お高そうな家具の引き出しを引いた。
コロ、と音がして、殿下は何かを片手に私の前に立つ。
「メイシィ、今日は君にプレゼントがあるんだ」
「プレゼント、ですか……?」
右手に握っている物を見せてくれる。
それは銀色の丸いケース。
縁取りはとてもシンプルな波形になっていて、底の浅い容器だった。
これはなんだろう。
不思議に見ていると、上から殿下の声が聞こえてきた。
「私は君にプレゼントの1つもあげていなかっただろう?実はこれを開発するのに時間がかかっていたんだ」
「開発……でございますか?」
「ああ、開けてみてくれるかい?」
受け取った銀の容器はフタを外して開けるらしい。
すこし左右に回してから、フタを上に持ち上げると、ぽん、と音がして開いた。
その途端、広がる花の香り。
容器のなかには、仄かにピンク色のクリームが敷き詰められていた。
華やかなその香りに、わたしは感動して思わず声が漏れた。
「バラの香り……!」
「さすがだメイシィ!希少なバラ種の匂いがわかるとは、素晴らしい」
クリード殿下はとても嬉しそうな笑顔を浮かべる。
そして自分の手を伸ばして、下から銀の容器を持っている私の手ごと包むように握りしめた。
綺麗な肌に、すこしごつごつした手は剣を握ったことのある男性のもの。
暖かさが手全体に広がって、不思議な感覚になる。
なんだかとても、ふわふわする。
「これはハンドクリームだよ」
「ハンド、クリーム」
作ったことはある。遥か西方の国で生まれ、名前と共に伝わった軟膏。
この前のアヒドの実で荒れた手も自分で作って治した。
速効性のある薬草を使うのでどうしても独特の香りがしてしまうはずだけれど、これは嫌な臭いが全くしない。
「実はミカルガに作り方を聞いてね。花の匂いに変えられないか研究していたんだ。
臭わないハンドクリームは存在していたんだが、君には良い香りのものをプレゼントしたかった」
「それでバラの匂いですか……素敵ですね、殿下」
「さあ、おいで。つけてみてくれ」
手の甲から温もりが消える。
冷たい風を感じた途端、その温もりは腰に移動していた。
押されるがまま、わたしはあっという間にソファへ連れていかれ、殿下の隣に座らされる。
……わたしのような身分が座っていいふかふかさじゃないんだけど……。
柔らかすぎて、意外とバランスをとるのが難しい。
混乱していたら、突然両手に握られる感触がした。
「!?!?」
「君の手は小さいね。小さくて、まだすこしだけ荒れている」
「で、っでで、殿下」
クリード殿下が、わたしの手を握っている。
握っているというより、塗っている、バラのハンドクリームを
直接、その手で。
「な、何をなさっているのでしょう……!?」
「何って……クリームを塗っているんだよ」
「大丈夫です!1人で塗れます!」
「気にしないでくれ、私の手にも塗れるし、一石二鳥だろう」
そんな一石二鳥いるか!
石を投げないで!わたしを落とさないで!別の人にして!!
「こんな小さい手で、君は毎日薬を作っているんだね」
「……たいして小さくはございません」
「私にとっては小さいよ。それに、職人の手だ」
「職人……ですか……」
クリード殿下は手を止めて、わたしの手のひらを眺めた。
武器も握ったことのないような白い手だけれど、ところどころ赤くなっている。
それは自分で掻いてしまったのもあるけど、薬草に触り続けたことで残ってしまった部分もあった。
クリード殿下が舞踏会に参加するたびに手を取ってきた令嬢のような、キレイで柔らかな女性の手とは到底比べられない。
けれど、それを見る殿下の顔はとてもやさしい。
どきりと、胸が高鳴ったのはなぜだろう。
「この手を持つ多くの薬師や使用人が、この城のために働いている。
この城を出れば、もっとたくましい手を持つ人々が生きている」
すり、とわたしの手のひらを撫でる親指は、くすぐったい。
「その国民たちが不自由なく暮らせるように、国を守って生きることが王族の役目だ。
より良い暮らしができるように、未来を作るのが研究者の役目だ」
「……人々が健康で暮らせるように、身体を守るのが薬師の役目、なんでしょうね…」
「ねえ、メイシィ」
その優しい声に視線を殿下に移す。
熱を持った瞳が、一心に想いを伝えてくる。
わたしは顔のほてりを感じた。
「君の作ったハンドクリームを、私にプレゼントしてくれないかい?」
「……わ、わたしは、こんなに良いものは作れません……!」
「いいんだ。君の使っているものを私も使いたい。それだけだよ。
君がこれから私のハンドクリームを使ってくれるようにね」
しっかりと塗り込まれた手は、驚くほどしっとりして、良い匂いを放っていた。
じっと眺めているわたしを見つめていた殿下は、満足げにぽつりと呟く。
「いつか私が与えたものだけで生きてくれ」
「…………」
うっわ。
心がすっと冷えた。
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