第2話 来たのは災厄の方が先だった
恐れ多いことに、クリード殿下の部屋に入るのは2度目。
美しくも華美でない調度品に囲まれていた部屋の光景は、すっかり変わり果ててしまっていた。
足を失い傾く机。
切り裂かれて無残に垂れるカーテン。
粉々になった花瓶と地面に転がっている花。
明らかにお高い大きな絨毯は、鋭利な刃物でざっくりと切られた跡が無数に散らばっている。
泥棒にでも入ったのかという光景の真ん中のソファに、クリード殿下は無傷で座っていた。
「けが人はいませんか!?」
「ええ、皆逃げたので無事です」
とりあえず最悪の事態は免れたようだった。
ほっとすると同時に、わたしの中に戸惑いが生まれる。
「……えと……わたしはどうすれば……」
「しばらく席を外しますので、なんとか殿下を落ち着かせてください」
「く、クレアはどちらに?」
「先に掃除道具を準備しております。殿下が落ち着かれましたら、掃除に入ります」
「わ、わかりました……」
後ろで扉が静かに閉まる音がした。
ノックもせず押し込まれてしまったわたしは、とりあえず殿下の近くへ向かってみた。
殿下は下を向いている。表情はわからない。
ただ明らかに落ち込んでいた。
「クリード殿下」
「……その声は、メイシィか?」
名前を呼べば、小さな声が返ってきた。
下を向いたまま動かないけれど、わたしはゆっくりと近づいて、殿下の足元に座って見上げてみる。
眉間に皺を寄せて苦しそうな表情がそこにあった。
一体何が、とは思ったけれど、原因の察しがつくゆえに何も聞けなかった。
わたしは、机に残されている薬草クッキーを1つ取って、ぽり、と齧る。
砂糖を使わず甘い薬草だけを混ぜ込んだクッキー。
ヒューマン同士だから、身体によく、かつ仄かな甘みで食べやすい、と思ったんだけどなあ。
少し……いや、結構、落ち込んだ。
「申し訳ございませんでした。殿下」
「……メイシィ?」
地面に両膝をつけてそのまま殿下に頭を深く下げる。
頭上から名前を呼ぶ声を聞こえたが、到底表情を伺うようなことはできなかった。
「少しでも殿下が元気になっていただければと、その一心で作らせていただいたのです」
「……」
「甘いものが苦手と伺ったので、薬草の甘みであれば気に入ってくださるのでは、と」
「メイシィ?顔を上げてくれないか」
「上げられません。
殿下のお口に合わないものをお出ししてしまったのです。どうかクレアや侍従の皆さまにではなく、わたしだけに罰を、殿下」
「待ってくれ!違うんだ!」
ガッと両肩に衝撃を感じる。
ちらりと見てみれば、クリード殿下の両手がわたしの肩を掴んでいた。
無理矢理顔をあげさせられると、そこにはさっきよりも苦しい顔をした殿下がいる。
わたしの目尻に、じわり、と涙が浮かんだ。
「お願いいたします。殿下、すべてはわたしが」
「違う、君のクッキーが不味いわけではない!
むしろ、最高の味だった……!」
「え?」
とにかく座ってくれ。
そう言ってこれまた強引にわたしを隣に座らせる。
どういうこと?クッキーが不味かったんじゃないの?
「その……この状況はだな……確かに君のクッキーを食べて起きたことではあるんだが……」
「ええ」
続きを促すが、クリード殿下の表情は苦虫を嚙み潰したようで、言葉に迷っているようだった。
少しの間格闘している姿を黙ってみていると、意を決したようにこちらに顔を向けて口を開く。
「クッキーを食べて、君に会いたいと思ってしまった」
「……はい?」
「君の顔が見たい、声が聞きたいと、気持ちが強くなってしまって……気づいたら、この有様に……」
つまりこれは、わたしのクッキーがやたら不味かったのではなく、
食べたら恋しくなっちゃったから暴走しましたって、そういうこと?
何やってんのこの王子!
と、そのまま怒ることもできないので必死に抑える。
思わず額に手を当てると、目の前の王子がびくっと反応した。
「すまない……申し訳ないと思っている……」
しゅん、と体を小さくしてこちらを見てくる殿下。
眉間には皺が寄り、口はへの字に曲がり、青い瞳はうるうると濡れている。
……くう、なんという可愛い顔……!
「……なるほど……そうですか……」
もうどうにもなれ!
という気持ちで、わたしはまたクッキーを手に取った。
「食べてください!クッキー!」
「え?」
「今すぐ!ほら!早く!」
「んっ!? もご……ちょ、待ってくれ……もご」
わたしは殿下の口にクッキーを押し込んだ。
必死に口を動かしていて喋れないのをいいことに、私は畳みかける。
「そんなことで部屋をめちゃくちゃにしてはいけません!ただでさえ忙しいのに侍従の皆さまのお仕事を増やしてどうするのですか!」
「もご……」
「自尊心の高い発言となり申し訳ありませんが、このクッキーは殿下がわたしと会えなくてもお元気でいらっしゃるように、丹精込めて作って差し上げたものなんです」
嘘じゃない。
殿下に特別な感情があるわけではないけれど、一国民として、国を背負って生きる方にできることはしたいんだ。
「だから、これはわたしを思い出してほしくて作ったわけではありません。
殿下に少しでも自分の元気を分けられたらと思って作ったのです」
クッキーを飲み込んだのを見計らって、わたしはもう1つ取り出して殿下の元に近づけた。
「だから、これを食べたら、殿下は元気を出すんです」
「元気を、だす……?」
「はい、私を思い出すのではなく、元気を出してください。
ほら食べてください!」
「もご」
わたしは、ひたすら元気を出せと言いながら殿下にクッキーを食べさせる。
それは呆れた顔のクレアに止められるまで、続いた。
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