7
オフィスに入った鵜ノ沢と茅野の疲れ切った顔を見て、東堂は苦く笑った。
「二人とも、お疲れさま」
答えはない。静まり返ったオフィスで、東堂が息を吐く。
「疲れただろうし、報告は後で構わないよ。まずはゆっくりとお湯を浴びて、心を落ち着けておいで。ね?」
「……はい」
茅野は黙ったまま、鵜ノ沢に連れられエレベーターホールへと向かう。部屋に送り届けられても、鵜ノ沢に掛けられた「また後でな」の声にも、茅野が口を開くことはなかった。
部屋に入った茅野は、タオルと着替えを出して洗面所に向かった。脱いだ服を洗濯機に入れ、眼鏡を置き、給湯器をつける。風呂場の蒸した空気を、シャワーで掻き消した。
頭から湯を浴びながら、茅野は巣で対峙したⅣ型のことを考えていた。ヒトに似た形から化け物の姿へと変貌した、小さい者を愛おしげに撫でたその手で、それを殺したⅣ型。
あの異形は、俺を呼んだ。
あの異形は、俺の好物を知っていた。
あの異形は、俺を迎えた。
あの異形は、きっと、母だった。
そう考えた茅野は、だからこそかと納得した。母が、自分を確かに愛してくれていたはずの母が自分に手を上げたのも、自分がこうして化け物となったことも。否、自分は元から化け物だった。きっと、きっとそうだ。化け物から化け物が生まれるのは、当然なのだろう。
ふと、首を吊っていた父の姿が蘇る。父は化け物だったのだろうか。答えを得るには、父と離れ過ぎていた。家にいた時の明朗な父の姿しか知らない。自分に流れる血の半分は、人間なのかもしれない。化け物だった母ですら、自分を見て化け物と叫ぶことができるほど人間のふりが上手かった。それならば、半分は人間であるらしい自分なら、もう少し上手く出来るかもしれない。
「……っ、は、はは……」
知らず、笑い声が漏れていた。やはり化け物が化け物を殺すのに、躊躇は要らなかったのだ。鵜ノ沢が言っていた。能力者は、殺し殺されが当たり前なのだ。化け物の自分なら、きっと人間だって躊躇なく殺せるのだろう。警察という組織があるらしい。しかし、当たり前のように殺人を犯すのだろう能力者が取り締まられるという話は聞いていない。警察もこの戦争の最中にあるのなら、きっと咎められはしない。鵜ノ沢も、暮も、三門も、恐らくは東堂も。殺人者なのだ。人間ではない自分は、彼らよりも有利なのかもしれない。少なくとも半分は、人間ではないのだから。
染みついた腐臭を洗い流し、風呂を出て着替える。曇った眼鏡を拭って鏡を見れば、薄らと口角を上げた黒髪の少年がそこにいた。生き残れる、そう直感した。生き残って何をすべきかは知らない。しかし、やりたいことがあるとすれば。
「……異形を、殺して」
それから。
「父さんの、死を」
知りたいと、思った。両親の仲は良かった。自分も、父と喧嘩をしたことはあれど決別まではしていないつもりだった。父の死の理由は恐らく家の中には無い。仕事の関わりからだとすれば。茅野は、朧げな記憶の中から父が勤めていた会社の名を思い出そうとしたが、叶わなかった。
まずは思い出すきっかけを探すべきだ。茅野が持つ手掛かりは、父の職場しか無い。きっかけを探すため、東堂を利用しよう。東堂だって、利用し合う関係を望んでいるのだ。だから。
茅野がオフィスへ戻ると、応接ソファーに東堂と暮が並んで、そして東堂の向かい側に鵜ノ沢が座っていた。鵜ノ沢は自身の隣を指し示し、茅野がそこに腰掛ける。暮は背もたれに寄りかかり、大きく欠伸をした。鵜ノ沢が舌を打つ。
「何があったか、教えてくれるかな」
東堂が微笑む。茅野、そして鵜ノ沢が何を言うべきか逡巡する間に、暮が口を開いた。
「結論から。巣の統率であるⅣ型は茅野が能力によって討伐。巣内部は異境化していて、調査に来ていた機関の風早、鷹野と遭遇。二人とはひとまず協力関係を持って、Ⅳ型討伐にも力を貸してもらった。礼として情報を少し渡して帰したよ」
「ああ、そうだ」
鵜ノ沢が、ポケットから角の折れた名刺を取り出した。風早の名が記されたそれを東堂に手渡す。
「風早さんはあの研究所の所長でした。俺は名刺持っていってなかったから、渡せなかったけど」
「……やった。やった、すごいよ夏生くん!」
名刺を手にした東堂が、嬉しそうに跳ねた。テーブルに並べられたグラスの中身が揺れる。
「研究所の連絡先! これ、すっごい嬉しい! ありがとう夏生くん!」
「え、その、いや……」
困惑する鵜ノ沢をよそに、暮が溜息を吐いた。茅野には、東堂に視線を投げる暮の目がやけに冷たく見えた。瞬きの後、暮の目は元の色を取り戻していた。
「……で、Ⅳ型そのものの話なんだけど。あいつは美鶴の母親を食った奴で間違いなかった」
鵜ノ沢が、目を見開く。暮は薄桃色の布片を取り出し、テーブルに乗せた。
「美鶴の母親が着てたエプロンの欠片。これが、Ⅳ型の体ん中から出てきた。Ⅳ型がつけてた目玉もたぶん美鶴の母親の。いつ盗ったんだか知らないけど、きっと警察とか黒衣が介入する前に──」
「テメェ!」
暮の話は、鵜ノ沢の怒声で遮られた。握られた拳がわなわなと震え、反対の手は茅野を守るかのように暮と茅野の間に広げられていた。その手を眺め、暮が再度息を吐く。
「……夏生さあ。俺に怒んのは勝手だけど、それにしたって美鶴見てから言ってくんない?」
怒りの抜け切らない顔で、鵜ノ沢が茅野へと視線を向ける。茅野は、動揺した様子もなく、真っ直ぐに暮を見ていた。
「続きを。話してください、暮さん」
「ほら。お節介なんだよ夏生、もしかして美鶴は年下だから俺が守らなきゃ〜とか思った? 美鶴の方がしっかりしてるじゃん。話の邪魔しないでよね」
「暮……お前、」
「はいはい二人とも落ち着いて、喧嘩なら後でいくらでもどうぞ。ただ、僕としては先に報告を終わらせてほしいかな」
鵜ノ沢は舌打ちと共に、雑に座り直した。見届けて、暮が指先で布片を叩く。
「で。Ⅳ型だけど、美鶴の母親の記憶を持っているような言動をしてた。Ⅳ型はかなり大型だったし、そんなでかいのは機関の二人も見たことないって言ってたし、元からそういう可能性は無いわけじゃなかったしね。事実、俺はⅣ型の思考を読んだけど、Ⅳ型は美鶴に対して愛おしさを感じてた」
鵜ノ沢の手が、爪が食い込むほど強く握り締められていた。茅野は布片に目を落とし、再び暮に顔を向ける。
「Ⅳ型がものを考えるだけの頭を持ってたっていうのと、Ⅲ型以上なら俺の能力も使えるってこと。……すっごい気持ち悪くなるけどね。あと、
「そっか。ありがとう、千弘くん」
暮は水を一気に飲み干した。満足げに笑んだ東堂が、ゆったりと鵜ノ沢を見た。
「夏生くんからは、何かあるかな」
鵜ノ沢は握っていた手を開き、再度握った。数度繰り返し、深く息をして顔を上げた。
「……Ⅲ型が、仲間を庇ったり死を悲しんでるようなのは見ました。それから、バカでかいⅠ型が、ガラスの中にいて……風早さんの能力、爆弾を作る能力なんですけど、それで吹っ飛ばした」
「ああそうだ、再現って言ってたかな」
暮が鵜ノ沢の話を継いだ。
「14H12JP1L113。再現って呼ばれてた巣内部のプレートに書かれていたこれを、鷹野は2014年8月12日に日本の第一研究所で作られた113体目の異形だと考えてた」
「お前、鷹野さんの……」
「うん。当然でしょ、情報はあればあるだけいい。まぁ馬鹿を演じても効かなかったし、軍人並の精神力だったからそれなりに苦労はしたけど」
驚く鵜ノ沢に目もくれず、暮は髪の先を指で巻いた。一息を挟み、姿勢を正す。
「鷹野はまだいいよ、それでも油断させれば読めたから。問題はもう一人、風早のほうだよ」
鵜ノ沢は怪訝そうに眉を顰めた。
「どんな人生送ってきたらそうなるんだか知らないけど。あいつ、絶対に隙を見せなかった。常に命を狙われてるとか、テロ団体の奴らみたいな……個人的にだけど、あいつには気をつけたほうがいいと思う」
「そのあたりは大丈夫だよ。今回のお礼も兼ねて、一度僕からご挨拶に伺うつもりだから」
東堂がにっこりと笑った。
「なら、ついでに風早に借りたハンカチも社長が返しといてくれる? 俺もうあいつとあんまり関わりたくないや。今洗濯してるから、乾いたら渡すね」
「うん、分かった」
力なく落とされた鵜ノ沢の肩を横目で見る。茅野には、鵜ノ沢がそこまで風早を信じられる理由が掴めなかった。
東堂が、茅野に笑いかける。
「美鶴くんは? 初めての巣、どうだった?」
暮の目が茅野に向けられる。鵜ノ沢は俯いていた。
「俺は」
茅野は、肉塊となったⅣ型を思い起こした。
「俺は、異形を殺せて良かったって。……そう、思います」
「そっか」
「巣があるなら、俺が、行きます」
「慌てないで。巣……まして異境化した巣なんて、そうそう現れるものでもないから。今回はたまたま、美鶴くんが来てすぐに巣ができてただけだよ。まずは、崩壊区域や町中に紛れ込んだのを倒していこう」
「……はい」
東堂が立ち上がり、手を叩いた。
「三人ともありがとう、大きな怪我もなく帰ってきてくれたのが一番嬉しいよ。今はまだ疲れも残っているだろうし、落ち着いてから思い出したことがあれば言って欲しいな。今日は解散、明日も一日お休みでいいよ!」
「あーい」
真っ先に暮が立ち上がり、欠伸をしながら扉に向かった。オフィスを出る直前に、東堂を振り返る。
「あ、社長。俺ちょっと出掛けてくるね。今日は
「構わないよ。行き帰りは気をつけてね」
「はいはーい、社長が寛容で助かるぅ」
満面の笑みを浮かべて、暮はオフィスを出て行った。鵜ノ沢は変わらず肩を落としたまま、動く気配を見せなかった。茅野は暮が使っていたものと自身のグラスを持ち、給湯室のシンクに置いた。考えて、二つのグラスを洗って布巾の上に伏せた。それからオフィスを出るまでの間にも、鵜ノ沢は動かなかった。
東堂が足を組んだ。
「夏生くん」
鵜ノ沢は答えない。
「千弘くんがああいう子なのは、長年一緒にいる君だってよく知っているでしょ?」
鵜ノ沢が小さく首を振った。東堂は、鵜ノ沢の言葉を待つ。
「……茅野は」
小さく零される言葉を聞き逃すまいと、東堂は鵜ノ沢をじっと見つめた。
「ここに来てから、しんどいことばっかりで。俺……」
「美鶴くんを、もう出させたくない?」
東堂の言葉に、鵜ノ沢が頷いた。
「でも、それはできないかな。紅くんが帰ってきたら、次は夏生くんと美鶴くんに教会の調査をしてもらおうと思ってる。それに、美鶴くんには」
「そんなもん、暮に行かせりゃいいだろ」
鵜ノ沢が東堂を睨みつけた。
「今回は茅野がⅣ型を倒したが、それにしたって今までは俺と暮、三門でなんとかしてきた。できていたんだ、俺達で。急に茅野にばっかりあれこれさせて、あんたは何がしたいんだ」
「夏生くん」
穏やかな声。東堂の青い目が細められる。
「優しさと甘えを履き違えるなよ。彼だって能力者、それくらい働いて貰わなければ困るのはこちらだ」
テーブルを挟み東堂に掴みかかる。言葉の続きが出ない鵜ノ沢を、東堂の冷たい目が射抜いた。
「僕は彼を保護したつもりはないよ。社員として、調停の仲間として迎え入れた。君だって、彼と一緒に異形退治に行っただろう。その時にそうやって反感を抱いたかい」
「あれは、Ⅰ型とかⅡ型だったから……!」
「言い訳に過ぎないね。能力者が、異形がいつ襲ってくるかなんて分からない。そんなの君だって知っている筈だ。テレビゲームみたいに弱い敵から順番に襲いかかってきてこちらが成長するのを待ってくれると? それまで待てとでも言うのかな? 美鶴くんにはすぐにでも戦える状態になってもらわなきゃ困るんだよ。君だってそうだっただろう。それとも昔のことだからもう忘れてしまったのかな、君がここに来た時も同じように仕事して貰ってた筈だけど。ああでもそうだったね、思えば君は最初から」
「もう、いい」
東堂の胸倉を掴んでいた手を、鵜ノ沢は力無く放した。
「分かって貰えて良かったよ。夏生くんも疲れたでしょ。明日はゆっくり休んで、明後日からはいつも通りよろしくね」
乱れた襟を直し、テーブルに置かれていた名刺を手に東堂が立ち上がる。歩き出しながら、項垂れる鵜ノ沢を一瞥した。
「好きなだけここで落ち込んでいてくれて構わないけど、出る時にはちゃんと鍵を閉めておいてね。……あ、そうそう」
東堂は、ひらひらと手を振った。
「明日中に立ち直っておいてね。じゃないと、夏生くんこそ外さざるを得なくなるから」
扉が閉まる。耳が痛くなるほどの静寂の中で、鵜ノ沢は頭を掻き毟った。強く噛んだ奥歯の痛みが、口内に広がっていた。
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