異世界ゆるり農家生活

錬金王

第1話 異世界転移

気が付くと俺は真っ白な空間で寝転がっていた。


 これだけ周囲が真っ白だと目がちかちかしそうだ。


「ここは一体どこなんだ?」


「目が覚めたみたいですね」


 むくりと身を起こすと、後ろから声をかけられたので振り返る。


 そこには美しい緑色の髪をした女性がいた。北欧系のような白い肌に彫りの深い目立ち。


 ふっくらとした形のいい唇に翡翠色の瞳。年齢は二十代中頃だろうか。


 とても美しいスタイルをしており、キトンのような白い服を纏っている。


 ところどころ枝葉が生えているのが不思議であるが、そんなことはどうでもよくなるくらい美しかった。同じ人間とは思えないくらいの造形美。


「あなたは?」


「私は植物神エルフィーラです」


「樹木柱と申します」


 植物神だとか変わった名前だとか気になることはあるが、ひとまず相手が名乗った以上はこちらも名乗る。社会人として当然の礼儀だ。


「あの、ここはどこなんでしょう?」


「そのことについてはこれから説明しますね。まずは座ってください」


 地面にだろうか? と思った瞬間、床から木が盛り上がって瞬く間に小さなイスとなる。


 そして、いつの間にか真っ白な地面がフワフワの芝になっていた。


「おいおい、人の領域を勝手に改変するなよ」


 真っ白な空間から大自然へと変貌して驚いていると、どこからともなく黒髪の男性がやってきた。


 こちらもエルフィーラと同じく人間離れした美しさを醸し出している。


 テレビで見てきた俳優やスーパースターが霞んでしまうほどの美しさ。


「いいじゃないですか少しくらい。柱さんにご説明するためにあなたも座ってください」


「……面倒な」


 エルフィーラがそう言うと、黒髪の男性も樹木のイスに座った。


「こちらの男性は地球を管理している神のアルスです」


 何をバカなことと思うかもしれないが、先程の超常現象を起こした彼女の言葉なのだからそうなのだろう。


 にしても、黒髪、黒目なのだが名前はカタカナなんだな。


「今回、彼に頼み込んであなたを神の住まう領域である神界に一時的に連れてきました」


「……どうして私がここに?」


「それはあなたが亡くなってしまったからです」


 尋ねると、エルフィーラは悲しそうな表情で告げた。


「私が死んだ? 一体どうして?」


「覚えていませんか? ご家族を養うために無理をして働き、帰り道の歩道橋にある階段で――」


 エルフィーラの優し気な声を聞いていると、ふと記憶が蘇った。


 そうだ。俺は歩道橋の階段で立ち眩みを起こし、それで――


「死んでしまったんですね」


 思い出した。俺がどうやって死んだのかを。


「ああ、お前は死んだ。通常なら魂は消滅し、新たなものへと作り変えるのだが、エルフィーラが待ったをかけてきた」


 俺は世紀の大発明をするような頭脳も持っていないし、特殊技能を持っていない。


 どこにでもいる会社員だ。神様のいる領域に呼ばれるような特別な人間ではない。


「どうして私なんかのために?」


「それは私があなたを気に入っているからです」


 気に入る? エルフィーラとは初対面だし、気に入られるようなことをした覚えはないのだが。


「覚えていませんか? 柱さんが小さな頃に田舎にある小さな祠を直してくれたことを」


「田舎にある小さな祠……? まさか、祖父母の家の傍にあったあの壊れかけの?」


「そうです! あそこが私の住処でした。昔はそれなりに信仰してもらえていたのですけどね。月日が経つに連れて覚えてくれる人もいなくなってしまって」


 どこか悲しそうな瞳をするエルフィーラ。


 亡くなったお婆ちゃんも昔言っていた。家の近くには豊穣を司る神様がいるって。


 どうやらその神様がエルフィーラだったようだ。


「それでボロボロになった祠を直して、綺麗にしてくれたのが柱さんでした。それから私はずっとあなたを見守っていたんです」


「そうでしたか」


 たまたま見つけたボロい祠が痛々しくて直しただけなのだが、エルフィーラはその事で俺を気に入ってくれたようだった。


 でも、神様が見守ってくれたのなら、どうして俺の人生はもっと幸せにならなかったのだろうか。


 両親が事故で亡くなった時、妹たちの生活費を稼いだり、やりくりする時に苦労したり、俺が死にそうになった時。


「ごめんなさい。生きている間は何もできなくて。私、地球ではそれほど力の強い神じゃなかったので」


 俺の顔色から察したのか、エルフィーラが申し訳なさそうにする。


「いえ、そんなことは……思わなかったわけじゃないですけど、都合のいい時だけ神様に頼るのはおかしいですから」


「まったくだ。特に日本人はロクに神を信じていない癖にいざという時だけ縋る。勝手なものだ」


「……すみません」


 ご立腹そうに呟くアルスに日本人を代表して謝っておく。俺なんかの謝罪で許されるわけでもないが、自分にも思い当たる節はたくさんあった。


「生きている時は何もできませんでした。しかし、こうして死んだ今なら力になることができます」


「もしかして、生き返れるんですか?」


「残念ながらそれは無理だ。死んだ人間が同じ世界で生き返ることは許されない」


 俺の希望をばっさりと切り捨てるアルス。


 そうだよな。既に死んでしまっているというのに生き返ったりでもしたら大変なことになる。


「でも、違う世界でなら生を受けることができるんです」


「え?」


「地球とまったく違う世界で人生をやり直してみませんか? 転生ではなく転移という形になるのですけど」


 エルフィーラの提案に俺は驚く。


 異世界に転移。ネット小説などで有名なのは知っている。


 貧乏だった俺でも無料で楽しめる娯楽として読み漁っていたものだ。


「ちなみにこれを断ればお前という魂は消滅し、自我もなくなり、まったく違う魂が形成される」


「柱さんはどうしたいです? このまま安らかに眠りたいのなら転移の強制はしません。でも、現世で苦労したあなただから次の人生では自由に暮らして欲しい。これは私の勝手な願望ですけど」


 両親が他界し、長男だった俺は大学にも進学せずに就職をして、妹たちのために働き続けた。青春らしい青春も経験していないし、自由な時間も少なかった。


 妹たちのために頑張り続ける生活には遣り甲斐もあったが、常に不安や家族を支えるプレッシャーに苛まれていた。


 気が付けば視界が滲み、頬には涙がつたっていた。


「あれ? なんだか涙が……」


「辛かったですよね。よく長男として頑張りました」


 エルフィーラの優しい言葉と抱擁により、感情が決壊したかのようにあふれ出してきた。


 死んでしまった悲しみ、妹たちを置いてきてしまった悲しみ、頑張ってきたことを褒めてくれた嬉しさ。色々なものがごちゃ混ぜになって涙が止まらなかった。


 しばらく涙を流すと暴れていた感情はすっかりと落ち着きを取り戻した。


 冷静になるとエルフィーラに抱きしめられていることが恥ずかしく感じられた。


 柔らかな部分やいい香りがして今度は別の意味で落ち着かないので離れる。


「すみません、感情が溢れてしまって」


「気にしないでください」


「それでどうするんだ?」


 なんともいえない気恥しい空気を一蹴してアルスが尋ねてくる。この人はブレないな。


 せっかく神様からこんなに有難い提案を貰ったのだ。俺としては断る理由なんてない。


 心残りはたくさんあるが現世で生き返られない以上、違う世界で新たな人生を送ってみたい。


「転移させてください」


「わかった」


「異世界で何かやりたいことはありませんか? 私たちにできる範囲のことでなら協力してあげます」


 エルフィーラにそのようなことを言われた俺は悩む。


 とはいっても、そこがどのような世界なのかわからなければ決めにくい問題だ。


「どのような世界か聞いいてもいいですか?」


「勿論です」


 俺がそのように尋ねると、エルフィーラは俺が転移する世界について教えてくれた。


 地球でいう中世くらいの文明で魔法がある。


 人間だけでなく魔族、獣人、エルフといった様々な種族がおり、魔物といった危険生物もいるのだと。


 どうやらアニメなどでよくあるファンタジー世界らしい。


 そんな世界でやりたいことか。あまり具体的なイメージが湧かないな。


「やりたいことをすぐに見つけるのは難しいですね。では、質問を変えましょう。柱さんはどんな生活を送ってみたいですか?」


 俺の思い描く幸せな生活。それは両親や祖父母が生きていた子供の頃。


 田舎の実家で畑を手伝いながら、何の悩みもなく家族みんなで過ごしたあの時間。


 あの時の俺は間違いなく幸せだった。


「実家にいた時のように、自然豊かな場所でゆるりと農家生活をしたいですね」


 とはいっても、あの時は何もわからない子供でずっと外で遊んでいた記憶の方がデカいが。


「それならエルフィーラの得意分野だな」


「ええ、なにせ私は豊穣の神ですから。柱さんに私の加護を与えます」


 エルフィーラはそう微笑みながら俺に手をかざす。


 すると、俺の身体を緑の光が包み込んだ。


「植物神エルフィーラの加護は畑を耕し、作物を育てるのにもってこいだ。その加護があれば飢える心配はないだろう」


「そうなのですか?」


 何らかの力を貰ったことはわかるが、そのような実感は未だにない。


「身体が形成されると馴染み、自分の中の感覚としてわかりますよ。それとこちらの杖を渡しますね」


「これは?」


「加護の力を制御しやすくする神具です。慣れないうちはこれが補助として機能してくれます。念じればある程度の道具にもなってくれるので便利です」


 エルフィーラにそう言われて鍬をイメージしてみると、杖の形をした神具が木製の鍬へと変形した。


 そして、最初の杖をイメージして戻るように念じるとすぐに戻った。


 どうやらエルフィーラの言う通り、ある程度の物に変形できるようだ。


 身一つで異世界に投げ出されると困るので、こういうものは非常に助かる。


「私なんかのためにありがとうございます」


「いえ、祠を直してくれたお礼です」


 頭を下げると、柔らかな笑顔で言うエルフィーラ。


 神様に失礼かもしれないが、なんだか母さんみたいな温かさのある神様だな。


「加護も与えたことだ。そろそろ転移させるぞ。転移先は自然豊かなゆるりとできる場所でいいな?」


「はい、都会や人の多いところは少しこりごりなので」


 そう答えると、俺の身体を光の粒子が包み込み始めた。


 自分の身体が光になっていくが、不思議と恐怖は感じない。


「では、お前を転移させる。まあ、次の人生は上手くやれ」


「柱さん、新しい人生を楽しんでくださいね」


「はい、ありがとうございます。アルス様、エルフィーラ様」


 礼を言うと、俺の身体はひと際強い光に呑み込まれた。




 ◆




 ふと目を覚ますと、目の前には木々が広がっていた。


 ここがどこだが気になるがまずは身体のチェックだ。


 死んだ時はスーツを着ていたはずだが、今の俺の服装は簡素なカッターシャツにベスト、長ズボンといった服装になっていた。


 この世界の農民に合わせた服装だろうか。いかにも村人Aって感じがする。


 さすがに異世界で現代スーツはとても浮いてしまうだろうし、身体を動かす農業には相応しくないので助かる。


 鏡がないので顔立ちなどはわからないが、身長は以前と変わりない。


 多分、生前の二十四歳とそれほど変わりはないだろう。


 右手にはエルフィーラから貰った杖がしっかりと握られている。


 五体満足だ。アルスのお陰で無事に異世界に転移できたらしい。


 身体の確認が終わったところで、周囲の状況の確認だ。


 見渡してみると背の高い大きな木々が乱立している。鬱蒼とした茂みがあちこちにあり、視界はあまりよくない。


 傍にあった木の根元を見てみると、見た事のない鮮やかな植物が生えている。


 遠くから何かしらの生き物の鳴き声が響いてくる。


「……これは自然豊かな場所っていうより樹海じゃないか?」


 明かに俺の思い描いていた田舎や森とは違う気がする。


 エルフィーラ様、俺の新たなる人生はとんでもないスタートになりそうです。



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