第8話 事件のおさらい

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 カーター教授の家から逃げるように移動した後、日も暮れてきたのでヘンリーの勧めでレストランへ入り食事をとった。上品な店内で、騒動でやや小汚くなっている外国人の、しかも不健康で病人のようなルーヴィックに店側も、すでにいる客達も戸惑いの眼差しを向けてきたが、彼は構わず入った。そんなことを気にしていたら、何もできない。

 ヘンリーが太鼓判を押すだけあり、運ばれてきた魚のムニエルは絶品だった。運んできた時に、ウェイターが何やら料理の説明をしていたが、グルメではないルーヴィックにはよく分からなかった。ただ料理の魚が白身であることは分かった。

 偏屈に性格はねじ曲がっているとルーヴィックも自覚しているが、味覚だけは変にならなかったことを感謝した。普段はお腹に入ればなんだって構わないような、酷い時は家畜のエサのような物さえ平気で食べる彼だ。唸るほどに舌つづみを打つ料理はいつ以来だろうか。

 正面に座るヘンリーも上品にフォークとナイフで小さく切りながら口へ運んでいる。彼もいつもの毒舌は封印していた。店側に合わせてもらった白ワインを嗜みながら、食事をするヘンリーは実に絵になった。ちなみにルーヴィックの前にはワインではなく水が置かれている。勧められたが断ったのだ。

 ルーヴィックは、酒は特別の時にしか飲まないと決めている。

「しかし、教授の家に悪魔がいたとは驚きですね」

 食事をしながら、ヘンリーは声を落として話始める。カーター教授宅でのことはすでに話している。

「しかしこれで、教授が事件に関わっていることは証明されましたね。ここで疑問に思うのは、教授宅に現れた悪魔二体は、大学に出た悪魔達と同一でしょうか?」

「時間的に考えれば別だろうが、まぁ、大学の方の奴らの容姿はわからないからな。何とも言えない。だが、あらゆることは考えておいた方がいい。もしかしたら奴らは複数になれるのかもしれないし、四人いるのかもしれない。もっと多いかも。別の場所に現れた二組の悪魔達は同じ物を狙っているのかもしれないし、違うのかもしれない。仲間かもしれないし、敵対しているのかもしれない」

 ルーヴィックは口元を拭いながら話す。ヘンリーはそれを微かに笑みを浮かべて見ていた。

「あなたの、こんな噂を聞いたことがあります。ルーヴィック・ブルーという男は、あらゆる可能性を考える。あらゆる事柄を、あらゆる攻撃を、罠を、展開を、全てを考える男だと。そしてその全てにおいて、対処の仕方を知っている。だからこそ、ルーヴィックという男は死なない。不死身のエクソシストなのだと。あらゆることを知っているから。予想し、予期し、予定している」

「もう酔っ払ったのか? 買い被るな。全てを知っているわけじゃない。俺は自分が考えうることを考えるが、それは全てではない。俺はそこまで自惚れていない。人間に完全なんて言葉は無い。人間は不完全な生き物だ。神が創り上げた時、確かにその時は、人間は完全な生き物だったかもしれない。だが、悪魔達との戦いに巻き込まれた時、人は穢れてしまった。不完全になった。残念ながらな」

 ルーヴィックは複雑な表情を見せた。

 考えなかったことはなかった。ルーヴィックは常に考える。自分の敵のこと。味方のこと。自分に迫る危機を、罠を、攻撃を、目的を、武器を、道具を、言葉を、場所を、痛みを、窮地を、戦いを、そして結果を。

 彼が覚醒している間、常に頭の中で考える。グルグルと。渦を巻くように。その度に、彼はその死線を脱する方法を考えるのだ。今まではそうやって実際の戦いを生き残ってきた。

 今までは偶然、自分が考えてきたこと以上の事が起きなかった。偶然、緊急な事態にはならなかった。偶然、自分の範疇で事件が起こってくれただけだ。だから生きている。

 だが、もし……

(だがもし、自分の考える以上の事態が起きたら?)

 ルーヴィックは考えずにはいられなかった。

(もし、自分の想定した以上の事が起きたら?)

 予想をはるかに凌ぐ敵が来たら? 想定外の力を持ち、想定外の罠を仕掛け、想定外の攻撃をしてきたら。自分はどう対処するのだろう。無事に生き残ることができるのだろうか。そう考えてしまう。特に、今回はそう思わずにはいられなかった。彼の想定をすでに超えているのだ。モルエルの死から始まった今回の事件。未だに敵が見えていない気がして仕方がなかった。カーター教授の持つ護符が仮に機能していたとしたら、護符すらも無効にするほどの敵は、一体どれほどのものなのか。正直、ルーヴィックはそれを考えると背筋が凍る思いだった。

 自分は勝つことができるのか?


   2


 食事を終え、ヘンリーが店の渡した紙にサインを書いて会計を済ませると、二人はのんびりと肩を並べてロンドンの街を歩いていた。

 ルーヴィックはカーター教授の息子であるレイ・カーターを捜そうかとも思ったが、地理を知らないルーヴィックが捜したところで、自分が迷うのは目に見えていたし効率が悪い。それに頼みのヘンリーが「私は、疲れたのでもう帰って寝ます」と宣言したので諦めた。レイ・カーターを捜さないならば、ルーヴィックにはしたいことが山のようにあるので、無理強いする気もない。

 そのような経緯で帰路についていた。

「明日は朝から、別行動をしよう」

 ルーヴィックは明日の予定を話し始める。

「俺はいろいろと調べたいことがあるから調べる。その間、お前は邪魔だから、レイ・カーターでも捜して来い」

 戦力外されるヘンリーは頬を膨らませるが、ルーヴィックは気にしない。

「もし、大学で襲われていたのがレイ君ならば、もうロンドンを遠く離れているのではないですか? 身の危険を感じて逃げているに決まっています」

 ヘンリーの反論に、不愛想に「どうかな」と返す。

「では彼はまだロンドンにいる。と?」

「レイ・カーターは父親の死に疑問を持ったはずだ」

「だからと言って、死ぬかもしれないのに危険を冒しますか? しかも絶縁に近かった父親のために」

「人間がわかってないな。好奇心は何とやらだ。父の死はただの死ではないのを知ってしまったレイ・カーターは死の真相を知りたくなる。必ずロンドンでいろいろと調べるはずだ。家に帰っていない所を見ると、少しは頭が回ることを期待するがね」

「家に帰りたくても、帰れませんけどね」

 冷ややかなヘンリーの視線に、さすがのルーヴィックも言葉に詰まる。

「どちらにしても、悪魔達より先に見つけておきたい。まぁ、最悪、見つかってくれさえすればどんな姿でも、情報は手に入るからいいんだが」

 死体は死体なりに得られる情報が多い。だが、問題はレイ・カーター本人ではなく、父から託された物が悪魔に渡る可能性があるということだ。

「はいはい。わかりました。明日は、私はレイ君を捜しますよ」

 薄暗い道を歩く二人。人通りもなくこじんまりとしている通りで、間違っても夜に歩くような道ではない。噂の切り裂き魔と遭遇しても不思議ではない。仮に切り裂き魔に会った所で、驚くような二人でもないが。

 どちらにしろ切り裂き魔には出会わなかったが、代わりに賊が出てきた。

 あっさり出てきた連中は、紳士淑女にたかり身ぐるみ剥がすような下種な笑いを浮かべた者達だ。ここで役に立つのがヘンリーである。そこは自覚しているらしく、率先して前に出た。

「こら、お前達。誰を脅しているのか、わかっていますか? 私はロンドン市警です。今ならば見逃してあげますから……」

 バッジを見せながら言うヘンリーだが、話の途中でバッジは奪われてしまった。そのままあたふたするヘンリーは、時計やお金を取られて慌てて戻ってくる。半分、泣きそうだ。

「あなた達、恥ずかしくないのですか! 同じ英国人として私は悲しい」

 捨て台詞を吐きながらルーヴィックの元へ。ヘンリーが戻ってきたせいで、賊達は標的をルーヴィックに向けてきていた。

「ロンドン市警、しっかりしてくれ」

 ぼやくルーヴィックにヘンリーは口を尖らせる。

「私はどちらかと言えば内勤派なんです。あぁ、来ますよ。大人しく相手が欲しがる物をあげちゃってください」

「冗談だろ?」

「彼らはこの辺りを縄張りにする物取りです。警察も手を焼いてますし、死人も出てるんです。つまり、とても危険ということです」

 倍速くらいで話すヘンリーに、ルーヴィックは疑わしそうに近づく者達を見る。

「へなちょこなロンドン市警じゃ手を焼くだろうがな、テキサスやミズーリの奴らに比べれば、こいつらなんか襤褸を着て臭いチンピラだぜ」

「何事も暴力を振るえば、暴力が返ってくるんです」

「そのご高説はあいつらに言ってくれ」

 賊の一人がルーヴィックのコートに手をかけた。

「このコートは、お前よりも俺の方が似合いそうじゃないか?」

 コートを触る男が言うと、無言で脱げとルーヴィックに語る。ヘンリーはすでに一歩下がっているのを背中に感じる。

「おいおい。悪いことは言わねぇから、大人しく帰って不細工なカミさんとヤッてろよ」

「俺のカミさんを知ってるのか?」

「あぁ。昨日の晩、俺の隣にいたぜ。もちろん顔は隠してもらったがね」

 二人は声を上げて笑いあう。次第に、周囲の者達も笑い始め、最後ヘンリーも愛想笑いを浮かべはじめた時、ルーヴィックが掴んでいるコートの手を捻じり上げた。

 それを皮切りに、一斉にルーヴィックへ襲いかかってきた。

 ルーヴィックは素早く攻撃を弾き、躱しながら、顔面を殴り、関節を折り、投げ飛ばした。瞬きをする間もなく、ルーヴィックを残し賊は地面に伏していた。

「危険? 危険ってのは、こうゆうことだろ?」

 コートの乱れを直しながら、拍手を送るヘンリーにルーヴィックは言った。

「しかし……暴力は返ってくるんですよ」

 ヘンリーは言葉と共に顎で示す。振り返ってみれば、建物からゾロゾロと人が出てきていた。みな、まともな連中ではない。賊の仲間だ。ヘンリーを見れば、何も言わなかったがニッコリと笑って「ほらね」と顔が言っていた。

 一通り見てみるが、賊達は各々に武器を持っているものの、幸運にも銃を持つ者はいない。見る限りはだが。賊達は仲間がやられたことで、すでに戦闘態勢。ジワリジワリと近づいてくる。

 ルーヴィックは冷たく見ながらも上着を脱いでヘンリーに渡す。

 大事なコートだ。破られたくはない。

上等なジャケットだ。汚されたくはない。

シャツの状態で最後にショルダーホルスターを外し、ヘンリーに押し付けた。

「銃を使った方がいいんじゃないですか?」

「へなちょこ野郎共に銃は勿体ない」

 特にルーヴィックの銃弾は特別製なのだ。人間相手に使うのは勿体ない。

 まるでボクシングの試合前であるかのように軽く飛び跳ねると、ルーヴィックは賊達に向かっていく。

「ん~。では、ここで事件をまとめておきましょうか」

 ルーヴィックが賊に飛び掛かった所で、ヘンリーは離れた所で一人。事件について考え始める。

「まず最初に天使が殺害されました。入り込みばっちりに、インパクトもある上、奇怪な事件です。その天使は、海を越えたリチャード・カーターが悪魔達の狙いであることに気付いていました。もしくは近い所まで調べ上げていた。天使は悪魔達にとって邪魔な存在。しかし、殺してしまうほど重要なことだと言うことです。その計画については、情報不足なのでこのあたりにしておきましょう。天使が死に、それを引き継ぐ形でルーヴィック。あなたはイギリスへとやって来た」

 小さな顎に手を添え、名探偵のようにウロウロと歩きまわる。一方のルーヴィックは順調に賊達を叩きのめしている。

「しかし、教授は一足遅く殺害されていた。それも護符を持っているにもかかわらず炎に焼かれたときています。教授は何やら最近、研究に没頭していましたが、正直な所、それが直接事件に繋がるのかどうかすら、未だ明らかになっていません。しかし、間違いなく教授は殺害され、その息子であるレイ君は時間も立たずして悪魔に襲われています。カーター親子は何か重要なカギを持っているのでしょう。それが物なのか、それとも形のないものなのかは不明ですが……」

 思案を続けるヘンリーを呼ぶ声がする。ルーヴィックだ。大健闘を見せるが、数の暴力ということもあり、所々傷が目立つ。だが、まだまだ戦えそうだ。

「ヘンリー! ヘンリー!」

 ルーヴィックの呼ぶ声に、ヘンリーは片手を上げて応える。

「その調子です」

「その調子です。じゃねぇよ!」

「でも、そこまでして成就させたい悪魔達の狙いとは一体……」

「独りで語ってんじゃねぇ~よ」

「んん~。まだまだ情報が足りませんね。そう言えば、教授宅で何かありました?」

「何~?」 

 ルーヴィックは掴みかかってくる男を投げ飛ばす。

「ですから。悪魔達が来たと言うことは、何かしに来たのでしょう?」

 ヘンリーの問いには、もう答えは返ってこなかった。ルーヴィックは数少なになった賊にラストスパートをかけている所だ。そのうちの一人が、勝てないと思ったのだろう。軽く目の合ったヘンリーに狙いを代え、襲いかかってきた。

 ルーヴィックも気付いたが、間に合いそうにない。

 だが周囲の予想を裏切り、ひ弱でもやしの様なヘンリーの動きは俊敏で驚くべきものだった。まず彼がいつもステッキ代わりに使う傘で刃物を持つ相手の腕をはらい、そのまま柄で喉に一撃。すかさず足を引っかけ投げ飛ばした。見事な連携だ。一朝一夕のなせるものではなかった。ルーヴィックは尻目に思わず口笛を吹きたくなったほどだ。弱く見せているのは演技なのだろう。ルーヴィックですら、あの動きをされたらタダ済むかどうか怪しいと思うほどに、彼の動きは洗練された物だ。

 一瞬、暴れたせいで、片手に持っているコートやジャケットも暴れるように振られた。そのせいで、乾いた音が聞こえる。ポケットから落ちたのだろう。見れば、指輪だ。

 投げ飛ばされた賊はタフにも(ヘンリーが手加減したのかもしれない)、落ちてきた指輪を取ろうと手を伸ばしたがヘンリーはそれを踏みつけ遮った。

「私なら、大人しくその手を引っ込めます」

 見上げれば、ヘンリーは銃を取りだし賊に向けていた。ダブルアクションのリボルバーだ。大きくはない。手のひらサイズだから、隠し持っていたに違いない。

「テメー。見かけどおりにカマトトぶってやがったな」

 全員、叩きのめし血を拭いながらルーヴィックは近づいてくる。銃を見上げ牙を剥き襲いかかろうとする賊に蹴りを入れて眠らせてから、ヘンリーのそばに落ちる指輪を取り上げる。そして、預けた上着類を受け取った。

「その指輪は?」

「カーター教授の家にあった。悪魔共はこいつを狙っていたが、用途まではわからない。明日調べたいと言ったのは、こいつの事だ」

 ジ~と見つめるヘンリーの目がぼんやりと輝いたように見えたが、それは一瞬の事ですぐにいつもの目に戻っていた。

「この指輪は……」

「知ってるのか?」

「……いえ、全然。ただ、天使の言葉が書かれているようですね」

「読めるか?」

「読めるように見えますか? 辞書でもあればいいんですけどね」

「ロゼッタストーンみたいな奴な」

「いいですね。英語と天使語と悪魔語で」

 二人は笑いながら歩き去っていく。残されたのは倒れる賊の一団だけ。後はあたりを怪しい夜のとばりが落ちるのみ。


 帰ったヘンリーはルーヴィックの傷の手当てをてきとうに済ませると、そのまま呑気に眠ってしまった。が、ルーヴィックはというと、ヘンリーが集めてきた山積みになっているカーター教授に関する資料などを開け、読み込み始める。何かサインがあるはずだと、箱を次々に開けていった。

 結局、この日も眠ることはない。


 

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